マリーの告白
第二次世界大戦末期のドイツ。マリーはソ連軍が攻め込んできたトロイエンブリーツェン村で看護師をしていたが……。
マリーの告白
私はマリー・ハイダー。
栗色の髪の毛に青いサファイアのようなつぶらな瞳。
杏の実のような小ぶりで形のよい唇。
白く滑らかなマイセン※のような肌。
大柄でがっしりした体格なのに一輪のヤグルマギク※のような可憐な娘。
堅実で聡明なドイツの女。
第二次世界大戦※末期の1945年春のことよ。
私はベルリンのシャルロッテンブルク=ヴィルマースドルフ区で生まれ、看護学校を出た後、ブランデンブルク州のトロイエンブリーツェン村で看護師をしていたの。
そこへ恐ろしいソ連軍が侵攻してきたの。
野獣のようなロシア兵たちはドイツ人を見境なく殺したの。
特に女への暴力は凄まじかった。
老婆から少女に至るまで奴らの毒牙を免れなかった者はいなかったわ。
1945年4月21日、トロイエンブリーツェン村はソ連軍のヴォロネジ戦線(第1ウクライナ戦線)に占領されたの。
凶暴で残忍で野蛮なロシア兵たちは村に入ると片っ端から略奪し、家々に放火し、男も女も子供も老人も手当たり次第に殺していったわ。
奴らは“戦勝祝い”と称して村の女たちを拉致し、村の外れの古い洋館に監禁して、彼女たちに筆舌に尽くしがたい暴行と凌辱を加えたの。
私は軍属として傷病兵の看護に当たっていたの。
戦争でも、病院と医療従事者は攻撃してはいけない、というのが国際法よ。
ところが、ソ連兵の奴らは国際法を無視して、村の診療所を砲撃し、放火したの。
動けない患者たちは生きたまま焼き殺されたの。
抵抗した男たちは容赦なく射殺され、抗う術を持たない女たちは言語に絶する辱めを受けたわ。
当時、私は二十歳。
何も知らない純粋無垢な小娘だった。
厳格な家庭に育ち、男の人とはキスをしたこともなければ、手をつないだことさえなかったの。
そんな私がbestialischのようなロシア兵に意味もなく殴られ、小突き回され、首を絞められ、無残にも処女を奪われたの。
一晩に100人ものロシア兵から暴行されたのよ。
奴らは女たちにひどい仕打ちをした後、村中から略奪したビールやワインに酔い痴れて眠り込んでしまった。
私は暗くて冷たい地下の酒蔵に閉じ込められ、体中の痛みと寒さに震えて一晩中泣いていたわ。
ロシアの畜生どもに汚された体ではとても生きていけない、と思うと涙が止まらなかった。
一時は死ぬことも考えたけど、生きていれば何とかなるかもしれない。
命あっての物種。死んだら何もかもおしまいだもの。
夜が明けると私はまた奴らに殴られ、犯された。
私は命乞いをしたわ。
お願い。殺さないで。
何でもするから。だから、命だけは助けて……。
狼よりも恐ろしい連中に囲まれ、想像を絶する恐怖と苦痛の中で、私はひとりじっと耐えたわ。
震える声で何度も何度も命乞いをした。
あいつらは怖がる私を面白がって銃を突きつけたり、ナイフを見せびらかしたり、すれすれのところに弾を撃ち込んだりして、私が悲鳴を上げるのを笑って見ていたわ。
4月22日、ドイツ軍の決死隊がソ連軍の司令部を攻撃し、フョードル・シャルチンスキーというロシア人の中佐が殺されたの。
怒り狂ったロシア兵は洋館に監禁していた村の女たちを“報復”として虐殺した。
哀れな女たち。身を守る術を何も持たない女たち。守ってくれるはずの男たちは他愛もなく殺され、彼女たちは丸裸同然だった。
恐ろしい悲鳴と許しを乞う声。ソ連軍の機関銃の発射音が断続的に聞こえてきたわ。
酒蔵に閉じ込められていた私も何が起きたのか分かった。彼女たちは皆、ロシア兵に殺されたんだと……。
そこにドイツ軍が助けに来てくれたの。
4月23日の朝、勇敢なドイツ国防軍第12軍とトロイエンブリーツェン第215歩兵連隊が村を奪還したの。
ところが、その日の夕方からソ連軍が再び攻め込んできて、村の男たちは森に連れて行かれて全員殺されてしまったの。
あまりにも犠牲者が多すぎて、正確な死者の人数は分からない。
でも、少なくとも1000人のドイツ人が血に飢えたロシア兵の手でむごたらしく殺されたのは事実よ。
彼らの遺体は戦後まで放置され、誰にも顧みられることもなかった。
その時、私も殺されたわ。
私を殺したのは第1ウクライナ戦線のセルゲイ・コルニーロフという男よ。
こいつは「ドイツ人は人間じゃない。ドイツ人は皆殺しだ」というのが口癖だったわ。
ドイツの男たちを拷問し、虐殺し、ドイツの女たちを暴行し、強姦し、虐待するのが生き甲斐のような異常な男だった。
私はこいつの“情婦”にされたの。そのおかげでドイツ軍が村に攻め込んできた時、私はこいつと一緒に村を離れたので戦闘の巻き添えで殺されることはなかった。
でも、あいつは最初から私を生かしておく気はなかったんだわ。
この男に私は気絶するまで首を絞められ、顔が変形するほど殴られ、何度も何度も犯されたわ。
そして、命乞いをする私の顔に何発も銃弾を撃ち込んだ。
私の死体は村の外れの牧草地にゴミのように投げ捨てられ、戦後、名もなき死者として集団墓地に葬られたわ。
苦しい、苦しい……。
息ができない。
誰か助けて……。
悔しい。
とっても悔しい……。
もっと生きたかったのに……。
優しくて料理が上手なママのニーナが作ってくれる「ドイツ風鯉こく」をもう一度食べたかった。
ニーナが教えてくれたレシピを教えてあげるわね。
まずは鯉を筒切りにするの。
それからシチュー鍋に鯉と刻んだ玉葱、クローブ、砕いたビスケットをたっぷりと入れるの。
血も臓物も一緒にお鍋に入れて、お水をほんの少し、赤葡萄酒をひたひたになるくらい注ぐの。
鯉は絶対に洗ってはダメ。
味付けはお塩をほんの少し、バターとお砂糖を入れてコトコト弱火で煮るの。
これで完成。簡単でしょ?
とってもおいしいドイツの鯉こく。もう一度食べたかったニーナの鯉こく。でも、私はもう食べられないの……。
あなた、japanisch(日本人)でしょ?ドイツは日本の同盟国よ。私たちのこと忘れないでね……。
※マイセン(ドイツ語:Meißen)。ドイツのマイセン地方で生産される磁器の呼称。西洋白磁の頂点に君臨する名窯とされる。
※ヤグルマギク(矢車菊、学名 Centaurea cyanus)。キク科ヤグルマギク族の一種。ヨーロッパ原産。麦畑に多く生える雑草だったが、園芸用に改良され、多くの品種がある。ドイツ、エストニア、マルタ、フランスの国花。
※第二次世界大戦。1939年から1945年まで日本、ドイツ、イタリアを中心とする枢軸国と、イギリス、ソビエト連邦、フランス、ポーランド、中華民国、オランダ、ベルギー、アメリカ合衆国などの連合国との間で行なわれた戦争。1939年9月のドイツ軍のポーランド侵攻と英仏による対独宣戦布告。1941年12月の日本軍によるマレー作戦と真珠湾攻撃で戦火は世界中に拡大し、人類史上最大規模の戦争に発展した。軍人と民間人の犠牲者の総数は全世界で5000万~8000万人に上るとみられる。
私はセルゲイ・コルニーロフ。
誇り高きソ連の軍人だ。
独ソ戦※ではヴォロネジ戦線(第1ウクライナ戦線)を率いて悪魔のナチス・ドイツ軍と戦った百戦錬磨の勇士だ。
戦後はソ連共産党から勲章を山ほどもらい、祖国をファシストから救った英雄として讃えられ、幸福な老後を迎えた。
無論、私は数え切れないほど多くのドイツ人を殺した。
我が部隊は「捕虜は取らない」方針だった。
抵抗する者も、投降する者も、ドイツ人は老若男女を問わず殺した。
女子供であろうと情け容赦なく殺した。
彼らは我が同胞を2000万人も殺したのだ。
我々は復讐に燃えていた。ドイツ人を殺すたびに同胞の敵を討ったと喝采を叫んだ。彼らの流した血は亡き戦友たちへの鎮魂歌なのだ。
ドイツ人を殺したことに良心の痛みはまったく感じない。
無抵抗の婦女子を殺したことにも、だ。
女たちは泣き叫び、許しを乞い、恐怖に満ちた表情を浮かべて死んでいったよ。
80歳の老婆から8歳の少女までレイプしてから殺したんだ。
女の首を絞めながら犯し、女の股ぐらに空き瓶を突っ込んで蹴り上げ、妊婦の腹を銃剣で切り裂いて胎児を引きずり出し、軍靴で踏みつぶしたこともある。
ドイツ人形のような娘の整った顔を拳銃の台尻で叩きつぶしたこともある。
マリー・ハイダー?知らんな、そんな女は……。
何しろ、あの頃の私は毎日毎日、朝から晩まで人を殺し、女を犯していたんだ。
殺したやつのことなんていちいち覚えていないさ。
何の罪もない処女を強姦して惨殺したことが正義かって?
仕方がないさ。その時代に生まれてしまった彼女の不運さ。
ヒトラー※は我々ロシア人を「蠅のように繁殖する劣等民族」とみなしていたし、あの戦争に負けていたら私もとっくに殺されていたよ。
戦争とは、そういうものだ。
正義も善悪もない。
ただ、勝者が歴史を作り、敗者は歴史の表舞台から消えていくしかないのだ。
戦争は悲惨かって?
とんでもない。
戦争ほど楽しいものを私は知らないね。
だって、大っぴらに人を殺せるんだぜ?
平和な時代に人を殴ったり、犯したり、殺したりすれば普通は監獄行きさ。
でも、戦争ではいくら人を殺しても咎められることはないんだ。
それどころか英雄として褒め称えられる。
敵兵を機関銃で薙ぎ倒し、必死に命乞いする捕虜の頭を撃ち抜き、動けない傷病兵を生きたまま火炎放射器で焼き払い、まだ息のある犠牲者を戦車で踏みつぶすんだ。
耳をつんざく銃声、砲声、爆音。甘ったるい硝煙の匂い。敵の悲鳴。飛び散る血潮に内臓。血と火薬と腐った死体の発する悪臭……。
敵を虐げ、蹂躙し、女どもを力ずくで征服する。
男とは本来、野蛮で暴力的なものなのだ。
あんなに楽しい戦争をなぜ嫌うんだ?
戦争は楽しい。私はまた戦争に行きたい。なんで人々が平和を願うのか私にはさっぱり分からんね。
君はヤポンスキー(日本人)だな?
日露戦争※の話は亡くなった祖父からよく聞かされたよ。
戦争を知らない君に戦争の話を聞かせてやろうじゃないか。
きっと君も戦争したくなるはずだ。
まあ、その前にウオトカで乾杯しようじゃないか。サーラ(豚の脂身の塩漬け)でもつまみながら……。
なに、下戸だって?
まあ、いい。紅茶に木苺のジャムをたっぷり入れて飲みたまえ。ジャムは家内の手製だよ。自慢じゃないが、うちのジャムはうまいんだ。さあ、さあ、遠慮しないで……。
※独ソ戦。第二次世界大戦中の1941年から1945年にかけて、ナチス・ドイツを中心とする枢軸国とソビエト連邦との間で戦われた戦争。大戦当初、独ソ両国は共にポーランドを領有していたが、1941年6月22日、ドイツ軍がソ連に侵攻して交戦状態に突入した。ソ連側は「大祖国戦争」、ドイツ側は「東部戦線」と呼称した。独ソ戦の犠牲者はソ連側1470万人、ドイツ側390万人と推定され、民間人を含めた死者はソ連側2000万~3000万人、ドイツ側600万~1000万人とされる。人類史上最大の犠牲者を出した戦争である。
※アドルフ・ヒトラー(1889~1945)。ドイツの政治家。国家社会主義ドイツ労働者党の指導者。1933年、ドイツ首相に任命され、全体主義と軍国主義による独裁体制を敷いた。世界を第二次世界大戦に導き、ユダヤ人などに対する組織的な大量虐殺を指揮したとされる。大戦末期の1945年4月30日、ベルリンで自殺。
※日露戦争。1904年から1905年にかけて大日本帝国とロシア帝国の間で行なわれた戦争。朝鮮半島と満州の権益を巡る争いが原因。最終的にアメリカ合衆国の仲介で調印されたポーツマス条約で日露両国は講和した。