うまみ(リライト済)
ハーゲンの娘を救うべく立ち上がったグラセーヌは、自身の特性を再認識した。自身の体液がそのような効果をもたらすとことは、全くもって想像の範囲外だったのである。
もちろん素晴らしい特性であるが、その効果を持った本人は“汗”という特性に対し、軽い苛立ちを覚えた。
「“汗”って何よ……。“涙”っていうのなら、なんかこう清く儚く、死者をも消滅させられそうな清楚なイメージがあるのに、奇跡が“汗”っていうのが気に入らないわ……」
「確かに豊穣の神とは言ってましたが、まさかこれほどとは……」
優也はグラセーヌの後ろにある謎の茂みに視線がいった。種を蒔いたばかりの畝は先ほどまでは土をかぶっていただけに過ぎなかったが、今では実りを付け収穫可能な状態になっていた。
「おおぉ! 奇跡だ……。まさか僅か半日でこれほどのものが……」
村人たちと共に農作物を収穫し始めようとしたが、ここで問題が発生した。
本来であれば大根であれ、人参であれ、トマトであれ、ある程度生育した段階で間引かないと、他に栄養が回らず、各個体が生育不良となり品質が低下するのである。人参や大根といったものであれば、耐えきれず成長過程で割れてしまったり、細いものまたは甘みの弱いものしか収穫が出来ないのである。しかし神の力で急激に成長させたものは間引く暇すら与えず、鬱蒼と実ってはいるものの農作物としての全体的な品質自体は低かった。
「これでは駄目だ……、葉ばかり伸びて肝心の野菜が」
ケインはがっかりした様子で、その小ぶりなキュウリを手に取り呟いた。
優也がケインの持つキュウリを見て、言葉を発しようとしたその時であった――突然優也から音が失われる。小鳥のさえずり、風の揺らす葉の音、村人たちの会話……それら全てが聞こえなくなる。
そして、優也の脳に聞き慣れない言葉が響く。
――思いだせ……、神の言葉を……
――願えよ………、願望の言葉を……
――想像せよ……、その言葉を……
――そして、呼び寄せよ
「うまみ調味料創造!!」
優也は導かれるように手のひらをケインの持つ野菜へと向けていた。そして脳裏に浮かんだ呪文を口にしたのだ。
纏う衣服……身体……それらは金色に光り始め、光の粒子は宙を舞い、手のひらが熱くなっていく。光の粒子は肘から始まり腕の周りを円を描くように手の方へと集まった。それらは黄色い小さな魔方陣を描き、ひときわ眩い光を発すると、その文様の中心から無数の白い結晶が出てきた。
その気高き結晶の粒子は、キラキラと輝きながら農作物を軽く愛でると、ケインの持つキュウリを優しく包み込んだ。
「こ、これは――ッ!!」
優也は驚愕した。いつも見ている細長くも透明な……、そう、紛う事なきあの結晶である。
動揺を隠しきれない優也は、震えた手でケインの手を引き寄せると、結晶をおもむろに掴みそのまま貪るように口へと流し込んだ。口へと入りきらないほどの結晶は、キラキラと輝きながら口から地面へとこぼれ落ちていく。
そして咀嚼する――
〈ジャリ……ジャリ…………〉
――――ッ!!
「っ、んんんんんん!! な、なんて旨さ、なんて純度だ……」
光悦の表情で全身を震わせる優也は、ケインの持つキュウリをその手から奪い取り貪った。
この僅かに土臭い匂い……苦み……キュウリの持つ本来の甘み……それらが見事調和して、うまみ調味料とブレンドされるのだ。ひとたび噛むたびにその結晶は、収穫したばかりのキュウリと唾液とを混じり合わせ、優也の味蕾を刺激してゆく。そして咀嚼するたび、それは卒倒しかねないほどの味を、うまみを、優也にもたらした。
〈もぐもぐ……ジャリジャリジャリジャリジャリ……もぐもぐ……〉
――ゴクッ……
呆然と見つめるグラセーヌと村人たち。その異様なまでの優也の変貌ぶりに少し引いているようであった。同時にその場に居た全員の興味もその結晶に向くこととなった。
優也は口の中の獲物をひとしきり喉の奥へと追いやると我に返った。
「おおお、お、俺はなんて事を……」
高品質かつ高純度のものにここで出会えるとは思ってもいなかった。確かにうまい、うまいのだが、いつも常食していたものと比べると若干の物足りなさを感じた。確かにうまみ調味料の一種ではある……だが、どことなく成分バランスが違う。いや、不足しているのかもしれない。イノシン酸ナトリウム、グアニル酸ナトリウム……このあたりであろうか。手のひらに残る結晶見つめながら眉をひそめている優也であった。本来であればそこまでの考えには至らないのだが、スキルの影響なのだろうか、その詳細な成分や知識までもが容易に想像できたのである。
「すまない……。突然の出会いに、つい我を忘れて……」
ぽつりと呟く優也に、ケインが問いかける。
「この白い砂のような物は、塩……なのか?」
「いや、これは塩であって塩ではない。使用用途は塩と同様、調理する際に使用するためのものだが、食材そのもののうまみを素材の味を損なうことなく、うまみのみを強化できるという素晴らしい代物だ。主成分はグルタミン酸ナトリウムだが、完成させるにはイノシン酸ナトリウム、グアニル酸ナトリウムが必要なんだ。俺の出したものは、その成分が欠けているため、本来のものに近い物だが全くの別物。だがそれでも十分だ。調理によし、そのまま食ってよし、溶かして飲んでよし、入ってよしの万能調味料だ」
「なんだかよく分からないが、入ってよしとは凄い調味料だな、これは食べても大丈夫なのか……と、いう問いは先ほど打ち砕かれたな――どれ少し、味見をしてみるとするか……」
ケインはそう言い、結晶をつまむと、口へと運んだ。そして――
――――!!
「ふああああああああああああぁぁ!!! なななな、なんなんだこの塩はァ!! 唾液が! ヨダレが止めどなく出るくらいにウマい! こんなものと野菜を同時に食べたら、食べたらァ!!」
ケインは収穫したばかりのキュウリを、凄まじい勢いでへし折るとその断面にうまみ調味料をたっぷりと付け貪るように口へと運んだ。見た目は小さく出来損ないではあったが、採れたての新鮮なキュウリは実こそ小さかったものの、その鮮度は抜群であった。周りの村民も、グラセーヌも異様とも思えるその様子をただただ呆然と眺めていた。
――もぐ……、もぐ……
ケインは咀嚼したかと思うと、突如跪き、天を仰ぎ奇声を発した。
「ゥゥルゥアアァァァァァァ!!!」
「やばい! やばいぞ!! こんなものを食べたらッ!! 他のものが一切食えなくなってしまうるあああああああああ!!」
身体がガクガクと震え、首を振り、よだれをまき散らし、光悦の表情でケインは停止した。
ケインの様子を見ていた優也は引いた。これら一連の動作を第三者という視点で見た事により、自分もそうでなっていたという認識があった。優也は顔を赤らめると、ケインから目を背けた。
「危なかった……」
我に返ったケインがぽつりと呟く。
「生まれてから今までの事柄が、まるで今見てきたかのように、脳裏に思い出され、そして消えていった……。これは……、これは、やばいくらいにウマいな。まるで自分の身体が2つ在るように感じられた。確か……優也……だったか、これをもっと出せるか?」
ケインは優也の両手を掴みながら視線を合わせ懇願してきた。
優也はそのケインのその手を少々無造作に払いのけると、再び手のひらをケインに向けた。先ほどと同様に金色に光る服と身体であったが、その光は直ぐに失われ、うまみ調味料が召喚されることはなかった。
「あー、それは魔力切れね。スキルを得ても最初はみんなそんなものなのよ」
一連のやりとりを見ていたグラセーヌが間に入ってきた。
「最初は……って、この世界はみんな魔法が使えるんじゃ無いのか?」
「魔法が使えるか使えないかは、託宣を受けている人々だけよ。その人らが真に善行に使えるか否かを見定めて、神はスキルや魔法を与えているの。それに使えるようになったとしても……、そうね……ファイヤーであれば、最初はもって数秒程度の発火で魔力が尽きるわ。そして魔力は、この世界で生産された食料を摂食することで補える。ほかにも草や木、花や野菜などから微量に放出されている魔力を肌から取り込むことも出来るけど、それはあまりにも効率が悪くてあてにならないの。まぁ、そうして魔力を貯蔵していくものなの。だから、こっちの世界に来たからにはたくさん食べて、たくさん開墾して、そして何度も何度も繰り返し使う事で、その貯蔵部分と放出部分の魔力回路が拡張・最適化し、効率良く放出出来るってワケ。まぁ今のキミは空腹だし疲労もしている、でも最初でそれだけ出来れば十分よ」
「つまり……こちらでもっと食事を……もっと開墾をしていけば、この調味料を大量に生成できると……」
「まぁ簡単に言えばそうね。だから開拓もして、こちらの食事もしていかない限りは、その調味料は出せないわ。例外的に生命エネルギーを変換して放出することも出来るけど、その場合リンクしているわたしが動けなくなるし、そして何より……」
「何より……?」
「極端にお腹が空くらしいわ……」
グラセーヌは神妙な表情で父から貰ったカンペを見つけた。
「つまり、女神様を犠牲にすれば“うまみ調味料”出し放題って事ですよね?」
「さらっと酷いこと言うわね。こう見えても腹が空くのは嫌なのよ、空腹でもある程度は耐えられるけど、何かあったときの事を考えると腹を満たしてないと不安なの。まあリンクさせると言っても、わたしが許可しないと優也はわたしの力で魔法も使えないんだけどね。だからがんばって直接摂取をしていって魔力を貯めなさい。そうすることで、駆け出し冒険者は初めてこの世界で生きていけるのよ。他にも他の神から信託を受けた冒険者は腐るほどいるわ。彼らに負けないように頑張りなさい。そしてわたしを早く楽させてね」
「なんだか、最後だけ余分だな……。まぁ魔法に関しては理解した。とりあえず食事も摂りたいし、収穫できるものを収穫してハーゲンさんの家にでもいきますか」
「すまんね。うちの娘のために……」
「いやいや、いいんですよハーゲンさん。こうして出会えたのも何かの縁ですし、可能性があるのに見過ごすわけにもいきませんしね」
「そうよ、神が直々に出向いてあげるんだから感謝しなさい」
こうして皆で食べられそうな農作物を収穫し終えると、村人の持つ馬車と荷車に詰め込み農地を後にした。
――――
――