ドフサールの森 後編
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グリースは貰ったブルーポーションを取り出し、栓を開けた。口元に持っていくと、甘い匂いがほのかに香る。瓶の先を唇にあて、ゆっくりと口へと流し込む。最初は少し苦かったが、それはすぐに気にならなくなり、舌の上でパチパチと弾ける感覚が口腔内へと広がった。そして、その青い液体は喉を軽く潤し胃へと落ちる。液体は変化し、毛細血管を通じて体内に拡散され、それは細胞に吸収されようとする。
グリースの血走った眼球と浮き上がる血管、髪は逆立ち、血涙を流し鼻からは血が滴る――
「フオォォオォォォォ、漲ってきたアァァァ!!」
グラセーヌの魔力量は食事したものに比例する。カロリーが高ければ高いほどそれは増大になり、よりふくよかにさせる。ブルーポーションを作成した時期はマヨネーズと肉……、それも脂身にドはまりしていたこともあり、それは、その効果は未知数であった。グリースの身体を駆け巡る魔力はキャパシティを遥かに超え、その肌の至る所から青いガスとなって流出しては立ち上っていく。
そして展開される、魔音響壁が――。
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「今日も平和ですね、ムモーゲルス様」
「概ね……な、『ハルゲン』よ。領内情勢は比較的安定しているが、隣のドフサールが何を企んでいるか解らぬ。鑑定士のところに派遣したヤツの情報によると、鉄でもなく、食材でもなく未知の物体があると申しておった。しかも熱して溶かそうにも一切歯が立たず、ぶっ叩こうにも、傷が入らぬ代物とか……何とかしてそれを手に入れたいものじゃ……」
「それは、鉄でも無理なんですか?」
「そうだ……、鉄ですら刃を受け入れぬ……。だがそれがあればドフサールの連中は、我が国の鉄を受け入れる意味が無くなる。だからこそ入手し、解明せねばなるまい……」
「ただ、その件ですが、巷では例のキューブは既に解体され、存在していないと聞きましたが……」
「解体と言ったな? それはつまり製造ができるという事。それとワシの知ってる情報筋によると、何やらそれを作れるヤツがおるというのだ。そいつを捕らえ、わが軍に引き入れれば、魔物の討伐にも使えよう……。何せ魔物らは湿地から絶え間なく湧き出てきおる、弱いくせに何故か鉄が好物というからタチが悪い……」
「そうですね……、弱いからとはいえ、切るたびに武具は地味に消費されては……」
「まったくだ、大した脅威でも……」
――ドオォォオォォォォォォン!!!
「な、なんだなんだ!! 敵集か!!?」
「ムモーゲルス様! あれを!!!」
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魔音響壁――それは物理的防御と音響効果を兼ねそろえたスピーカーのような物。内部で発せられた音を吸収、そして増幅する。これは本来、収穫祭や祭りなどで効果を発揮する。櫓に乗った奏者をヤジの攻撃から防御しつつ、その内部の音を全方位に伝える――そうすることで周囲の人々は近寄らずとも、その臨場感あふれるサウンドに魅了され、踊ることができるのだ。
また、これを使用した防災警告もできる。急な増水、天候の変化をいち早く田畑に伝え人命を守ることもできる。
だが、限界まで魔力を高めた魔音響壁は、その “フェイク” であった大便のサウンドを限界まで増幅して放った。
――音響衝撃砲
極めて高エネルギーの音圧を短時間に発生させる装置。だがこれは、それを遥かに凌駕した。3キロ先ですら200デシベル。これはガラスを容易に破壊するくらいの威力を持つ。だが、発生地点の音量はそれを遥かに超える。一瞬の出来事であったが、これは全ての木々を破砕し吹き飛ばすには十分なほどの音量であった。結果として中心から2キロ圏内の木々は消え、それはまるで爆発でもあったかのようであった。
幸いなのは結界の内側は通常の音であり、内部は無傷であったこと。だが、結界外は、無惨な状況であった。初動で壁の異変を感じたグリースは結界を直ぐに解き、それ以上の破壊活動を防いだが、それも後の祭りであった。
しかし、結果として監視者の目を欺くことはできたのかもしれない。
木っ端微塵になった木片は霧散して、大気中を舞っている。
それを隠れ蓑として利用し、優也たちは馬車から降りると全力で走った。ただ問題があるとすれば、最初の遮蔽物、つまり2キロ程度までは樹木が無いため、そこまで全力疾走しなければいけない、という事であった。他の者はまだしも、グラセーヌやシルクには無理に思えたが、ハウゼンのサポートもあり、氷の魔法で地面を凍結させ滑らせることで、煙幕が切れる前に森の端へとたどり着くことが出来たのであった。
「――ハァハァ……なんとかなりましたな優也殿」
「なんとか……か……。というかこの作戦自体に意味があったのかが、凄く疑問なんだが……」
「ボク外を見てたけど、凄い勢いで木々が彼方に吹っ飛んでいったよ……」
「そ、……それ以上深く考えていけないわ。ほらほらさっさと行きましょ!」
一刻も早く優也を先へと進ませようとするグラセーヌ。その行動はこの一件から目を背けるように……、この場から一刻も早く立ち去りたいという気持ちが伝わってきた。
「……ちょっ……ちょっと、グラセーヌくん……」
「…………」
「……あの青いポーション……」
「……ドキッ……」
「……いや、今は聞かないでおこう……」
優也は実際、グリースが詠唱している所を見てはいなかった。あの暴走っぷりから察するに、十中八九あのポーションが原因なのは間違いないと思っていた。だが、今はあえて考えないことにした。
「まぁ、起こってしまったことはしょうが無い、とりあえず街へと向かう。グリースから貰った地図によると、この吹っ飛んだ森から西。この辺りに街道があるらしいから、そこを目指して進むと街が見えるという話だな」
「た、太陽の落ちる方向へ進めば良いって事だね……」
「そうだぞ、シルクは賢いなぁ」
突然グラセーヌとガリーシャが徒党を組んだ。
「それってなんか、ボク(わたし)たちは、バカだって言われているようなもんじゃん」
「バカは言っとらんでしょ……。というか君らは生きてる年数が違うでしょ。それにそっちのは既に500超えてるし、いい大人が子どもと張り合うとか大人げないだろ」
「ほらぁバカって言った。張り合うくらい、別にいいじゃんねぇ……」「ねぇ……」
「だいたい優也なんて、料理と調味料しか興味がないのよ……。ねぇ奥さん?」
「そうよそうよ、ボクだって一生懸命頑張ってるのに、ちっとも褒めてくれないんだよ」
「わたしなんて、ちょっとご飯を食べすぎたからって、お前は今日は飯抜きーって言って叱ってくるし」
「やだねぇ……、それって今はやりのDVってヤツじゃない?」
「やだぁ……気が付かなかったけど、これってやっぱりDVなのかしら……」
「ちょっとまてぇい! はぁ……まったくもう……何だってこいつらはこんな所で意気投合しとるんだ……」
「優也殿、街道と街が見ましたよ!」
森を抜けると整備された街道が見えてきた。その街道の先には大きな石造りの壁と、街への入り口が見えてきた。
「あら? 以外と整備されてるじゃないの……」
「街の近くだからかねぇ、それにしても行商が結構多いな……」
「全て食料が集まると申しておりましたから、行商もさぞかし多いのでしょう。ここなら優也様の求める。調味料や食料も、危険なことをせず手に入りそうですな!」
「確かにそれはありがたいんだけど、問題は先立つものがあるかって所だよな……」
「かーちゃから聞いたけど、ボクの銀貨を使えば良いんじゃないの?」
「こっちのお金の基準が分からないけど、たぶん銀貨1枚じゃ、コブシ大の岩塩にしかならないんじゃないかな……」
「お金っていうのはそんなに大事なの? ルナヴェイルでは物と物とを交換するくらいで、お金なんて使わなかったよ」
「人や交易があるところには通貨っていう物があって、凄く小さいけど価値があるんだ。それを物と交換するんだよね。物々交換でもいいけど、あんり大きい物は持ち運ぶの大変だろ? だから持ち運べるお金が必要なんだよ。まぁ、それ以外にも理由は在るけどさ……」
「ふーん。よく分からないけど、とにかく沢山集めれば美味しいものが沢山食べれるってこと?」
「そうそう、そんな感じだな。でもどうやって稼ぐか……って、ところに繋がる訳よ」
「そ、そういえばグリースさんがこれをって……。馬車から出る時に、も、持たせてくれたの」
シルクは小さな革袋を取り出すと、優也に渡した。
「ん? なになに……」
受け取った革袋は少し重く、中で金属の擦れる音がした。紐を解き、袋を空けると金貨と銀貨、銅貨が顔を覗かせた。
「げっ、金貨5枚と銀貨10枚、銅貨20枚入ってる……」
「うおおぉぉすごーい!! ボクよりお金持ちだね!!」
「とはいえ、まず通貨の価値が分からない以上、下手に使えないのが怖いよな……」
「そうですな……、私の知識でも流石に通貨の価値までちょっと解りませんな」
「そんなのギルドとか行って、ちゃちゃっとクエストこなせば増えるんでしょ?」
「って、グラセーヌは軽く言うけど、下手するとご飯だって買えなくなるぞ」
「ご飯なんて、倉庫から取り寄せればいいじゃない?」
「って、そう……思うだろ? 実はな転位石……、さっきの爆発が原因なのか、使えなくなったんだぞ……」
「えぇえぇぇぇぇぇぇ!!」
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