酢とマヨネーズと油
納屋の中はひんやりとした空気に包まれていた。山ブドウの房がいくつも吊るされ、床には踏み潰された皮や種が無造作に転がっている。グラセーヌも優也もその光景に若干の戸惑いを覚えた。
優也はヤマブドウを手を伸ばし房から1粒取ると口に入れ、それが間違いなくヤマブドウであることを確認した。脳裏に響く鬱陶しい鑑定結果を無視しながら、優也は置かれている樽を丁寧に洗うと、水気を拭き取り、持ってきた麻袋の中にヤマブドウを入れた。
手伝いに来てくれた若いウェアウルフ『ケリー』と『ビンス』には太く長めの棒を用意して貰うと、それを用いて樽に入れた麻袋を潰していった。とはいうものの流石に優也だけでは重労働なので交代で手伝ってもらいつつ、時折引き上げ不純物を取り除き、グラセーヌに発酵魔法をかけてもらうと、同様の作業を繰り返していった。
本来ならば数日間かけて発酵させねばならないところではあったが、流石発酵の神とも言うべきか僅か数時間でまずまずのワインが仕上がったのである。
「ふうぅ……やっとここまで出来た……」
「結構大変な作業ね……もともと作ってあったものは少しツンとした酸っぱい香りがしてたけど、さっきと違い随分と濃厚で芳醇なワインの香りがするわね」
「もともとのは少し痛みかけてたからね。とはいえ、今回はみんなの協力で随分と品質の良い物ができそうだし、ここまで来ればあとは比較的楽なのさ」
優也は念のため樽に布を被せると樽を揺らさないよう、ゆっくりと発酵させて欲しいとグラセーヌに伝え、数十分したところで蓋を僅かに開け匂いを嗅いだ。エナメルのような薬品臭を確認すると、続けてもう少し発酵させるように伝えた。
この間、樽は3つほど用意しており、一つはただの飲用としての樽、もう一つは酒として、そして最後に酢を醸造するための樽としていた。
そして再び待つこと数十分、ついに酢が完成したのである。
「うげぇ……この鼻の曲がりそうな臭いは……」
手伝ってくれたケリーもビンスも鼻を押さえ、その臭いから逃れるように隅の方で耐えている。
「これが、酢ってヤツよ。これに卵黄と酢、それと塩と植物性油脂をブレンドすることで、最高のマヨネーズが……」
「ま、まよ……ねぇず?」
二人が首を傾げるのも無理はない。ケリーもビンスも聞いた事も無い言葉に戸惑っていた。
「そう、マヨネーズだ。この万能調味料があればそこらの雑草および植物などは全てサラダバーに早変わりし、肉や魚といった食材すらさらなる高みへ昇華させ……って……あれ……?」
そう言って、マヨネーズを魔法で出そうとする優也であったが、魔力が足りないのかマヨネーズは出なかった。
「妙だな……今まで出せていたのに……。まぁでもマヨネーズが出なくても、今はこうして作ることが出来……」
慌てる優也はボウルに卵黄と酢を少々、塩をひとつまみ入れ混ぜ合わせると違和感を感じたのだ。塩はある、酒も酢もある、卵もあるから、こうして卵黄もある……。
「……油が、無い」
具材を混ぜたまでは良かった。だが最後に植物性油脂を入れなければマヨネーズは完成しないのだ。
グラセーヌの方をちらりと見る。いや……そんなことをしたら折角のマヨネーズが……、しかしここまで出来てマヨネーズをお披露目できないのが痛い。試しにケリーとビンスに油の採れる植物を聞いてみたが、そんなものは知らないという。
「おおっ!? お困りのようですなぁ……」
グラセーヌがニヤニヤしながら近づいてきて顔を覗かせた。そして一言「油が欲しいのかしら」そう言うと薄茶色の油をダラダラと垂らしながら手を差し出してきた。
「ちょ、ちょっとまて!! 俺の至高のマヨネーズにそんな油は使わせんぞ!!」
「大丈夫よ。ほら、よく見て? 前のはドス黒かったけど、今回のは琥珀色よ。数々の善なる行いからレベルアップしたのかしら」
優也は暫く思考を巡らせたが、いずれも即座に解決できそうになく、仕方なしにグラセーヌの案に乗ることにした。
「……う、うーん……。ま、まぁサラサラだし前回みたいに使い古したエンジンオイルじゃなさそうだけど……背に腹は代えられんし……、と、とりあえずこれを使って作ってみるか……」
「よし、まかせて! ドバドバ出しちゃうわよ!!」
「いやいや、そんな勢い良く出されても油に飲み込まれちゃうから少しずつで良いんだって……」
「ちっ、しょうが無いわねぇ……ちょっとずつ出すから要らなくなったらちゃんと言うのよ」
そう言うとグラセーヌは優也の持っているボウルに少しずつ油を注ぎ、混ぜ合わせること数十分。少し茶色のマヨネーズが完成した。
「これが……マヨネーズ……」
ケリーが神妙な顔で近づいてきた。優也は出来たてのマヨネーズ匙で掬い取って干し肉に付け、ケリーに差し出した。
――!
「こ、これは……! これがマヨネーズ!!」
ケリーは目を丸くして今まで味わったことの無い旨みに打ち震えていた。ビンスも恐る恐る干し肉を手に取ると口に入れ貪るように噛みしめていた。
「な、なんて旨さ、なんてまろやかな味わい! これは干し肉なのか! 干し肉であるのに干し肉ではない旨さが全身を……!!」
優也は臭いに敏感な二人の様子を確認したところで新しくディップソースを作り始め、そして二人に差し出した。
「それではこちら浸けてみて欲しい……」
優也が取り出したそれは、出来上がったマヨネーズにさらに酢を加え若干緩くしたものに“うまみ調味料”、それとすり潰したバジルを加え調味したディップソースである。
――!!
「こちらも良い!! さっぱりとしてマイルドな味わい! この緑色のマヨネーズも捨てがたい!!」
ケリーとビンスは再び目を丸くした。
(少し嫌な臭いがしたが……未だ美味しいと食べているし、たぶん大丈夫なんだろうな……)
グラセーヌの油があまり信じられない優也は作ってはみたものの、未だそのものを口にしていなかった。
「ちょっとそのディップソース私にも寄越しなさいよ!」
そう言うなり優也からディップソースを奪うと干し肉にたっぷりと浸け頬張ったのである。
「ん~! 美味しい!! やっぱりマヨネーズは天然物に限るわ……」
(天然物のマヨネーズって何だよ……)と心の中で突っ込んでいた優也は、3人のマヨネーズと肉を貪る様子を見て正直安堵していた。油の件は思い過ごしだったのだと、グラセーヌの油はようやく正常域に達したのだと。そう自分に言い聞かせていた。
「さて、俺も出来たてのディップソースで味わってみますか……!」
少し多めのうまみ調味料を取り分けたソースに入れると、干し肉でそれを混ぜ合わせ口へと運んだ。
噛みしめる度、干し肉の塩味とオリジナルディップソースのまろやかな舌触りが口の中へと拡がってゆく。そして、赤ワインを木のコップに入れ、口へと注ぎディップソースと共に干し肉を喉の奥へと追いやった。
今日も疲れを癒やしてくれるのは“うまみ調味料”お前だけだよと心の中で呟く。そして、脳裏に響くその声……
〈カスト○ール マグナテック 『ハイブリッド』 粘度 0W-16 鉱物油、通称エンジンオイルデス、成分値ハ……〉
鑑定結果が響いた。
「うおえええぇぇぇぇぇ!! やっぱりエンジンオイルじゃねぇか!!! しかもハイブリッドで粘度低め、冬でもバッチリじゃねえぇぇよ!!」
その叫びと同時に、腹痛でのたうち回るケリー、ビンス、グラセーヌ。
その日の夜、優也は事情を村長ルウスに話し、村の探索隊と共に森を練り歩き、ようやくオリーブの木を発見。なんとか食用油の確保に成功した。
夜が更け、焚き火を囲む優也たちは、改めて「本物の」マヨネーズを作り直し、村人たちに振る舞ったのだ。芳醇なワイン、爽やかな酢、滑らかなマヨネーズに彩られた干し肉と魚の料理。
そして、一同は妙に整いすぎたディオニュソス像の前に酒を供えながら、宴を開いたのであった。
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