The長老
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――チュンチュン……チチチ……
朝がきた。こちらに来て何度目の朝だろうか。優也は疲れていたはずであったが、意外にも早く目が覚めてしまった。まだ日は僅かに昇り始め、いよいよ小鳥がさえずろうかと支度をしていた時間。辺りはまだ薄暗く、湖の方には朝靄がかかっていた。
優也はやることも無かったのでなんとなく湖の方に向かうと、長老が湖の中心……、かつての伴侶を祀った島を眺めながら座っていた。
優也はその長老のそばに来ると、声を掛け腰を落とした。
「おはようございます」
「おはよう若いの……、ちゃんと眠れたかね?」
相変わらずといえばそれまでだが、長老の声にはそれほど生気が感じられなかった。
「いや、実は……それほどよく眠れたとは……。長老は、眠れたんですか?」
「ワシか? 眠れんのじゃよ……眠りたいのに眠れん……。ワシはもう、どうして良いかわからんのじゃ……。あのとき病を……、いや……今となってはせめて最後に一緒に花を見たかったんじゃ……」
優也は別の意味で眠ろうとしていた長老の言動と思考のブレに少々不安を覚えた。リーフから内情を聞いていただけに、そのまま放ってはおけず、なんとか力になろうと会話を続けた。
「よかったら、お力になれれば……」
すると突然、長老は腫れ物にでも触れたかのように苛立ち交じりの声で優也の声を遮ると、突如感情をぶつけてきた。
「放っておいてくれ、この老いぼれはとうに諦めているんじゃ……。あの島にある木はな、一度しか咲かんのじゃ! この老いぼれの目の黒いウチはな!!」
「す……すみません。ですが……もし、もしですよ。咲かせられるとしたらどうです」
「ワシがいくら施しても祈っても無理だったんじゃ。お主がいくら頑張ったところで時所詮は人の子、いくらやろうが所詮咲かせられるまいて。もし本気で咲かせたいなら、神でも持ってこない限り無理じゃな!」
「い……、一応それが実現可能な女神が、あそこで寝とるんですが……」
優也の視線の先には、ハッキリと『彼女は女神です』とは言えぬほど寝相が悪く、いびきをかき、涎を垂らしているグラセーヌがいた。それは、優也ですら本当に女神なのだろうかと疑念を抱くほど酷い有様であり、それを見た長老が言い放った。
「何ぃ、あれが神じゃと? 気でも狂ったか。あんな無駄にデカい女神なんぞ見た事も聞いたことも無いわ。女神様ならもっと可憐で崇高なるお方、あの顔立ちや容姿、寝相全てをとってもまるで神らしさを微塵も感じぬわ!」
優也はその容姿を貶すような発言をした長老に苛立ちを覚え反論した。
「いいでしょう、何が何でも咲かせて見せますよ!! それと絶対に神だと認めてもらいますからね!!」
「はんっ!! やれるもんならやってみるがいいさ! 出来なかったらあんなのはただの大飯食らいの豚じゃ!」
「あったまきた! グラセーヌはあんなのとか豚じゃないですよ!!!」
「豚に豚って言って何が悪いんじゃ、昨日だって後半戦は凄まじい勢いで食っていったじゃろ! あまりの凄まじさに他のウェアウルフも引いとったわ! 村の食料が根こそぎ無くなるかと思ったわい!!」
「確かに大飯食らいかも知れないけど、容姿とそれとは別問題ですよ!!!」
「はぁん! あんなの豚じゃわい!」
「豚じゃないって言ってんでしょうが!!」
二人の声があまりにうるさかったのか、グラセーヌは目も覚めきっていないなか、大声で言い合っている二人の間に入ると仲裁しようとした。
「んもう。うっさいなぁ……。なによ、なによ。朝からケンカとは騒々しいわね……二人ともとっとと……」
長老は仲裁に入ったグラセーヌの顔が視界に入るなり言葉を放ちかけた。
「ブた……!」
――ドゴッ!
長老は最後まで言葉を発すること無く、優也を道連れに湖の方に吹き飛ばされた。
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「レディに向かって、いきなりなんてこというのよ!!!」
湖岸でグラセーヌが仁王立ちで待ち構えていた。湖から這い出た二人は、グラセーヌの前で四つん這いになり、咳払いをしていた。長老はグラセーヌに対して反省の言葉を述べると、優也の頭を掴むなり無理矢理謝らせようとしてきた。
「大人げなかったですじゃ……。ほら! お主も謝れ!!」
「ちょ、俺は関係ないじゃないですか!」
「じゃが、ブ……」
「ブ……? ぶち殺して欲しいわけ? 長老は?」
「ま、まぁまぁ落ち着けって、長老も悪気があって言ったわけじゃ無いんだよ。ただあの木に花を咲かせてほしいんだよ」
優也は湖の中心にある木を指さしていった。
「あの木ぃ? ここからじゃちょっと見えないけど、多分いけるんじゃない? ていうか橋直さないと近づくのも面倒くさいんだけど」
「いやいや、 超大拡大鏡があるでしょうが」
「どうせミジンコとかバクテリアが見えるだけよ。それより、なんでわたしがこんな無礼な偏屈爺さんの願いを聞き入れなきゃいけないわけ?」
グラセーヌは腕を組みながら苛立ち交じりに聞いてきた。
「なんかこう、事情が事情なだけにかわいそうじゃ無いですか」
「あんたはほんとにお人好しなんだから……まったく……」
「それで爺さん。花を咲かせたら何をしてくれるの? まさか何も無しって訳じゃ無いでしょうね」
長老は暫く沈黙すると、意を決したかのようにゆっくりと口を開いた。
「わしの……命というのはどうじゃろうか」
「はぁ!? バカ言ってんじゃないわよ。死神ですらそんな消えそうな命貰っても嬉しくなんか無いわよ」
「じゃ……じゃあワシの身……」
「余計に要らないわよ! そうね……、じゃあ無事に咲かせたら命の続く限り生きなさい、そして村の発展に貢献すること。そして偏見でものを見ないこと、分かったわね!」
「そ、そんなので良いのか……」
「そんなんで良いとか失礼ね。だいたいあんたが塞ぎ込んでると周りの空気が淀むのよ。第一、あなたの奥さんだって、さっきから心配そうにずっと横で見てるわよ」
「えっ!? 居るの奥さん!!」
「えっ!? かみさん見えとるの!?」
「ほら、あんたの左肩の後ろ、ちょうど優也の顔の横ね」
「う、うあぁ!?」
「あっ、んもう。ほらほらそんな顔したから、奥さん悲しんでるよ。えっ、なになに? 夫がこんなんだから成仏できない? あと、できれば最後に大好きな夫と花が見たいって? ったく、しょうがないなぁ……、今回は奥さんに免じて許してあげるから、爺さんは少し協力しなさい」
「えっええええ……!?」
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