赤き獣 後編
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優也は自ら作り出したバリアに閉じ込められており、外部からの攻撃は完全に遮断され、攻撃こそ通らないものの、ウェアウルフの苛烈な攻撃から脱出できないでいた。
――グウゥゥゥアォォォォォ!!!!
「ゆ……、優也様……このままでは……」
「案ずるな……我々はあくまで囮だ……、頼んだぞシルクー! 腕だ、腕を狙え!!」
だが、完全密閉状態の優也の声は叫ぼうが喚こうが、声という空気の振動を伝えることができず、シルクには届かなかった。優也はチラチラとシルクの方を見ているが、シルクから見れば合図が分からず、何をしていいのかわからなかった。
「優也さ……様……。なんか息苦しく……なってまいりました……」
「し……しまった……ハンドサインにしておけば、よか……った……空気すら……」
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一方、シルクとグラセーヌはというと……。
「ど、どうしよう、お姉ちゃん……な、なんか合図がないんだけど……」
「どうしたのかしら……、準備できたら知らせるって言ってたけど……」
首をかしげているグラセーヌは優也たちが辛うじて視認できる小高い木に潜んでいた。
「しょうがない……、つい最近解禁されたこのスキルで見てみるわね、っと……」
――超大拡大鏡
超大拡大鏡とは両手を筒状にして、その中を覗き込む事でなんと、約4,000万倍、つまり1㎞先のバクテリアを10㎜程度に拡大して見ることができる神のスキルなのだ。
このスキルをもってすれば、どのような状態であれ顕微鏡を使わずとも、印刷物の網点や玉ねぎの皮の細胞膜などを器具を使わずに観察することができ、夏休みの宿題も捗るようになるのだ。
だが、欠点があった。
「……よしよし、ピントが合ってきた……。見えてきた、見えてきたァ……!」
「目にバクテリアがあああぁぁぁああ!!」
グラセーヌの視界には超拡大されたバクテリアのリアルな全身像が映った。
これは、空気中には無数の微生物が存在しているため理論上拡大できたとしても、それは光の散乱や浮遊菌(バクテリア等)を考慮しなければならないので、遠距離を見る際には注意が必要である。
「ど、どうしたのお姉ちゃん!」
「ちょ……、太古の生物そのものが見えただけよ……、倍率が……もう少し調整して……と」
「ど、どう? 何か見える……?」
「う……、うーん……何か叫んでいるんだけど全く聞こえないわね……。なんか手でバツを作って口をパクパクさせてるみたいなんだけど……。あれ? もしかして優也の作ったあれ《バリア》って声とか遮断されるのかしら……、なんかハンドサインとか聞いてないのシルク?」
「は、ハンドサインとかは聞いてないの……合図があったらその通り撃って欲しいとしか……」
「あっ! 優也が手を挙げ始めたわよ……、で……左手? を右手で叩いたと思ったら、拳を握ってパンチしてるわよ……あっ!」
「ど、どうしたの……!」
「く……、首を押さえて倒れたわ……二人とも……」
「……」
「合図なんて待っていられないわ! いいからかまわずぶっ放してちょうだい!!」
「わ、わかった! ゆ、優也に作って貰ったこれを使って……」
シルクは、優也から預かっていた細長い棒状のものを取り出すと、ウェアウルフに向けた。左手で棒の長身を支え、右手で束を握ると、魔法を詠唱したのである。
それはまるで……、現代で言うところのスナイパーライフルみたいであった。
――火球!
シルクの光線は手のひらからライフルに吸い込まれ、その内部で幾度となく反射を続けると、先端から一気に閃光が放たれた。ただでさえ凄まじい火力ではあったが、従来のファイアは2秒程度で厚さ1メートルの岩を貫通するが、この方式で圧縮された閃光は1秒かからず完全貫通するのだ。
放たれた閃光はウェアウルフの身体を僅かにかすめ、その体毛を焼き切きるとバリアの端を切断すると同時に、優也の髪をかすめた。
ウェアウルフはとっさにバリアから離れると攻撃に気付いたのか、倒れている優也たちを見向きもせず閃光の方向からに向かって全力で走ってきた。
「まず……、こっちに気付いたわ……。シルクはここに居てあいつをもう一度狙って!! あと狙いを付けるなら、ちゃんと目を閉じずにちゃんとここを覗いて撃つのよ!」
グラセーヌは咄嗟に飛び降り、ウェアウルフに突っ込んでいった。
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シルクは魔法を撃つとき、目を瞑る癖がある。
それは自信のなさの現れと魔法で容易に傷つけてしまえること、そして何より傷つく者を見たくない……、そんな思いであろう。
幼いときに魔法の練習をしていたときであった。放った魔法で父親であるハーゲンを腕を切断しかけたことがあった。魔法がダメなら弓と思い、母カーミラの指導のもと、弓術を習わせ狙いを定める練習もしたが、肝心なときに目を瞑ってしまい、やはり結果は散々なものであった。
カーミラ付き添いの元、自警団や狩りなどに参加したこともあったが、その突出した破壊力で仲間を傷つけそうになった事も幾度かあった。
一度魔法さえ出せれば、腕の向きで多少なりとも狙いは定ませられるのだが、このときはそれほど長くは続かず、射出するたび目を瞑るので、結果として標的に当てることは厳しかった。
そして今……。つまり、初撃で制御しなければならないのである。
目の前で抑えているグラセーヌと倒れている優也……そしてハウゼン、先ほどの一撃は辛うじて優也に当たらずに済んだが、今度はそうもいかなかった。
一発で、一撃で正確に狙わないと大事な人達を傷つけてしまう。場合によっては取り返しの付かないことも考えられる。そういった思いが、シルクの初撃を躊躇わせていた。
「シルク!! こ、ここよ! 左手……こいつの左手を狙うのよ!!!」
グラセーヌは叫んだ。
前線でウェアウルフと取っ組み合っているグラセーヌは背後に回り込むとウェアウルフを羽交い締めにした。組み合った時に脈を打つ左手の本に気付いてはいたが、引き剥がそうにもウェアウルフは左手を執拗に庇っているせいか、グラセーヌの手は届かない。
「グ……グオォォ……、な、なんだそのパワーは……」
ウェアウルフは必死にその場から逃れようとするが、グラセーヌには到底及ばなかった。
カタカタと震える手、スコープの狙いが定まらないシルク。過去の思いがぐるぐると脳裏を巡る。
(い、今自分がやらなかったら、み……みんなが死んじゃう!!!)
スコープを見る目が涙で霞んできた。何か出来ないか……何も出来ない……、やったら後悔するかも知れない結果。何度も涙を拭っては撃てないでいるシルクに、眼を覚ました優也が叫んだ。
「俺とグラセーヌは死なない!!! やらない後悔より、まずはやってみろ、失敗しても俺がカバーする!!! だから構わずぶちかませええ!!!!」
シルクの中でなにかが吹っ切れた。それは数度の失敗で塞ぎ込み逃げていただけなのかも知れない。そしてそれは、『成功させるということ』を自ら遠ざけていたのだ。
シルクはもう一度涙を拭うと、ライフルとグリップを握り直し、スコープを覗いた。その目には既に涙など浮かんでおらず、しっかりと獲物だけを捕らえていた。
赤く脈打つ不気味な本が、ウェアウルフの左手にこびり付いている。
シルクは大きく息を吸い、そしてライフルに魔力を込める……
――火球
かつて無いほど落ち着いた声でその魔法は詠唱された。
「しまっ……」
シルクの乗っていた木がミシミシと音を立て折れかかっていた、そして姿勢を崩していくシルクの射線は僅かにブレたのである。
「甘いわね!! こっちを向きなさいって…………言ってんのよ!!!」
――グリュ!!!
グラセーヌの怪力で無理矢理ウェアウルフの身体を捻らせると、その左手をシルクの射線に重ねた。本はシルクの放った閃光によって貫かれると、強く発火し始めた。無理矢理押さえられていたウェアウルフは、その力が徐々に抜けていくと身体も小さくなり、グラセーヌの腕の中で横たわった。
――オォォォォォ!!
燃えゆく本からは黒煙が発せられていたが、それも暫くすると落ち着き、腕から剥がれ落ちると、同時に全身から瘴気が消えていくのが確認できたのである。
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