<3> それぞれの思惑を添えて
雪花と花天月地がこの世界に来て数日が経った。
王宮から近い離宮を丸ごと2人のために宛がわれた。だが、数十も部屋のある屋敷に2人で暮らすには静かすぎて、すぐに飽きてしまった。
そのことをエリアースに言うと、すぐに王宮のエリアースの居住区の中の部屋を用意してくれた。しかし、警備の都合だと言って、無断で外を出歩くことは許してくれなかった。
「結局、部屋の中かあ」
「別にいいじゃない。ここなら人の出入りが聞こえてくるし、窓の外も見ていて楽しいわ」
退屈そうにソファに座る雪花を花天月地が慰める。離宮は王宮から離れた林に囲まれた広大な庭の中にあった。庭は幾何学模様に整理された芝と剪定された木々で形作られていて最初は花天月地も喜んで眺めていた。
しかし、林に囲まれていて敷地の外は見えない。離宮には限られた従者や侍女以外の出入りがなく、門の周囲には門兵がいて外にも出られなかった。
「雪花ぁ、ここは人の少ない場所だね」
離宮ではつまらなそうに窓の外を眺めていた花天月地だった。しかし今は目を輝かせてテーブルいっぱいに並ぶ茶菓子を見つめ、クッキーに手を伸ばしていた。
「ここは本当ならエリアースの奥さんになる人が入る部屋なんだって」
「ふーん、それじゃあ、奥さんができたら我たちはお暇しないとだね」
「そしたら、またあの離宮に行くのね。あそこは人がほとんどいなくて寂しいから嫌だわ」
「そうだね。御所の宝物殿は静かだけど外に出れば人がいたから楽しかったね」
「この王宮も御所に少し似ているわ」
美味しそうにケーキを食べている花天月地を眺めながら雪花も笑みを浮かべた。
「たしかに、ここは少しだけ御所に似ているかもしれないね」
「そういえば、クロードがまた聖女の力についてどうとか言ってたわよ」
「ああ、それね。花天月地は何か変わったことあった? 我はよくわからないな」
先日、聖女の能力を確かめるために神殿で試したいことがあると言われて連れていかれた。この世界には魔法が存在していて、貴族の血を引く者には特に魔力が多く保有されているという。
雪花たちは付喪神だから何かしらの能力を持っているだろうと訊ねられたが、2人は示し合わせて知らないと答えた。すると、アルベリクが神殿で魔力を調べようと言いだしたのだ。
神殿には魔力量やその質を見ることのできるという水晶があり、雪花と花天月地はその水晶で魔力の有無などを調べられた。
結果としては、魔力量は花天月地が莫大な量を保有しているとわかった。水晶が光り輝くことでその量を計るらしいが、閃光に等しく目視することができないほどだった。雪花の魔力量は多いが光り方が通例とは違い、五色に輝いていた。 質としては2人とも聖女に値する濃縮された魔力だったという。
「あれ、意味がわからなかったね」
花天月地が紅茶に砂糖とミルクをたくさん入れながら言うと、ストレートのまま紅茶を口にする雪花もうなずいた。
「確かにな。力の大小はあれでもわかるだろうが、魔力の濃度というのはどうやって計っているのだろうな。よくわからなかった」
「雪花の光は五色でとてもキレイだったわ。昔に見た瑞雲みたいだった。雪花の魔法も吉兆の力なのかしらね」
「うーん、そうかもしれないし、そうでないかもしれない、かな。我の本質は刀だから、穢れを祓うことも纏うこともできてしまう。そういう謂われもあるからな」
「でも、瑞兆の光なら『聖女』っていうのに当てはまらない?」
「いや、我は『聖女』にはなり得ないだろう」
「でも、エリアースたち、まだ気づいてないわよ。私は面白いから気づくまで言わないけど」
「うーん、そうなんだよなあ。なんで気づかないかなあ。まあ、我も気づくまで言うつもりはないがな」
そう言うと2人は笑った。
その頃、エリアースはクロードとアルベリクの報告を聞いていた。
「――ということでして、魔力量は花天月地様の方が膨大で底が見えないと申しますか、歴代の聖女の中では一番ではないかと思われます。そして雪花様は、魔力量は花天月地様ほどではないですが、それなりの多さでした。ですが、その性質が異質でして虹色に輝き、花のような香りがしました」
「花の香りだと?」
「はい。聖女の記録の中で初代の力の発現にそのような記述が残っているのみで、現代においてはそのように香りが内包している魔力は知りません」
アルベリクが興奮気味に話す内容にエリアースは思案げな顔をした。
「クロードもそれを見たのだな」
「はい」
「で、聖女はどちらだ? もしくは両者で間違いないのか?」
「私は両者ともに聖女であると思われます」
「アルベリクもか」
「はい。そう判断いたします」
「それにしても付喪神というのは本当なのだろうか。我々は精霊や神との交信は、何らかの現象で見ることしかできないだろう。人の形を成して会話が成立するなど、物語の中でしか知らないぞ」
エリアースの言葉にクロードも苦虫を噛み潰したような困り顔になった。それに反してアルベリクは嬉々とした顔でエリアースに進言した。
「たしかに公にはそう言われているのですが、実は神殿には門外不出の古代文書がありまして、その中には精霊や女神たちとの交流する話が残っているのです。しかし、その方法は歴史の中で失われてしまい、近代では古代の魔力とその性質が異なってきており、たとえ方法が見つかっても同じようにできるかが疑問視されています。ただ過去に人型の精霊がいたと記されていることは確かです」
「なぜ精霊との接触が断たれたのだ?」
「明確にはわかっておりませんが、近代の魔法と性質が変わったというところに何か意味があるのかと考えられています。ですが、そのことは神殿外部の者には知らせるなと言われており、神殿でも上層部のごく僅か、あとは国王様のみに知らされていることであります」
「それを私に言ってしまっていいのか?」
「それは、聖女の儀に関わる責任者であるエリアース王太子殿下ですから、このような事態となりましたため、国王陛下にも相談した上でお話いたしました」
「クロードはいいのか」
「殿下の補佐でいらっしゃる宰相殿にも話を通しておいた方が不測の事態が起きたときの対応など殿下の手を煩わせないかと思い、こちらも陛下から許しを受けております」
「そうか」
アルベリクの話に納得したエリアースに、今度はクロードが一歩前に出た。
「エリアース様、ただ問題がございます。もし仮に聖女があの2人であったとしても、彼女らは付喪神という神に属する精霊であることを貴族や国民たちに納得させることができるでしょうか」
「確かになあ。見た目は人と変わらないし、本当に付喪神であると証明ができていないからな」
「もし召喚した者が聖女でなかったとなったら、反対派に余計な力を与えかねません。今は大人しくしていますが、このまま何の公表もしないのはまずいかもしれません」
「宰相と神官長が認めたのなら、あの者たちは聖女なのだろう。だが、今反対派に騒がれては面倒だ。まずは彼女たちに付喪神とやらの能力を見せてもらおうではないか。クロードはその段取りをしろ。アルベリクは引き続き、聖女たちの神聖力の指導と観察を続けろ」
「はい。かしこまりました」
クロードとアルベリクが同時に頭を下げて退室すると、エリアースは机を指でトントンと叩きながら微苦笑した。
「雪花と花天月地――想定外な出来事には想定外が付きものか。面白い」
その日の夜、エリアースに食事に招待された。侍女たちに身だしなみを整えようと言われたが、雪花だけは自分でやると断り、衣装もドレスが用意されていたが、いつも着ている袴で行った。
「雪花もドレスを着てくればよかったのに」
「我にドレスは似合わないよ。でも花天月地のドレス姿は新鮮だな。とても可愛らしいよ」
「ありがとう。たまにこういうドレスもいいものね。ふふ」
花天月地は深紅のドレスを身に纏っていた。フリルとレースが上品で、普段の花天月地が日本人形なら、今の彼女はフランス人形のようだった。エキゾチックな黒髪と黒い瞳が深紅のドレスにとても映えて幼年の美しさを際立たせている。
侍女が晩餐用の部屋の前で軽くノックしてドアを開けた。重厚な彫刻が施されたドアの向こうにエリアースの姿がちらりと見える。
「雪花様と花天月地様をお連れいたしました」
侍女がそう告げると、雪花と花天月地に道を開ける。それに続いて雪花と花天月地は部屋へ入っていった。
重厚な長テーブルの上座にエリアースが座っていた。雪花と花天月地が席に着くと、エリアースが話しかけてきた。
「なかなか時間がとれず、すまない。本来ならばもっと会う機会を設けたいのだが、先日『穴』が発見されてその対応に追われている。それが落ち着いたらと思ったが、あなたの顔が見たくなった」
「それはご苦労様で。我も花天月地も外に出してもらえず窮屈な毎日を過ごしているよ」
皮肉で返した雪花にエリアースが小さく笑った。
「それはもう少し我慢してほしい。召喚者があなたたちだとは公になっていないのでね。正式なお披露目までは、このまま姿を見せないようにしたい。反対勢力に知られると、いろいろまずいんでね。こちらである程度の準備をしなければならないんだ」
「反対勢力?」
「ああ、私が今は王位継承順位第1位ではあるけど、国王にはまだ王子が2人いるんだ。つまりはエリアース王反対派だな。2人の王子の分と他にも政治的な派閥もある。そこに聖女擁護派が今後出てくるだろうが、その逆の聖女排除派も出てくるかもしれない。そういう派閥に対しての対抗策や根回しを今クロードがやってくれている」
「なるほど。政治的な派閥争いは面倒だな。我は刀だが、争いは面倒だ」
「おや。刀の付喪神はもっと好戦的なのかと思っていたよ」
エリアースに皮肉を返され、雪花もにやりと笑った。
そうしている間に目の前には食事が用意され、グラスに赤い酒が注がれる。花天月地には果実水が用意された。
前菜とスープの皿が置かれ、エリアースが「あとは食事をしながら話そうか」と言ってグラスを掲げた。
付喪神は食事をする必要は特になかった。供物や神酒を口にすることはあったが、それは奉納されたものだったから口にできたに過ぎない。
だが、今の雪花と花天月地は、霊体ではなく受肉した状態なので奉納されたものでなくても食べることができた。昔もたびたび受肉して人前に姿を見せたこともあったが、御所に入ってからは霊体のまま過ごしていた。
なので意図せずにこの世界に転移して受肉したことに気づいたときは驚いた。受肉すると、人と同じように空腹になるし、眠気も襲う。人よりも耐性はあるが、何も食べず、睡眠も取らないでいると徐々に衰弱してしまう。病気や怪我もするので厄介だ。だが、人を超越した身体能力があるので早々死ぬようなことはない。唯一の弱点となるのは本体だ。受肉しても付喪神であることに変わりはないので、本体が破損もしくは消失してしまえば核となる形を失い、肉体もまた同じく消失するだろう。すなわちそれは死を意味する。
雪花と花天月地は、ここに転移してきたとき、本体も一緒に飛ばされてきた。雪花の本体の刀は、今は花天月地の掛け軸の中に保管してもらっている。花天月地の掛け軸は、同じようにはできないので雪花が代わりに持っていることにした。
状況が未だに不安定だ。戦闘能力のない花天月地をひとりにするようなこともできないし、花天月地を本体と一緒にしておくのも危険だ。それにこのことをエリアースや他の者たちに絶対に知られてはならない――。
「雪花、食事が進んでいないようだが、口に合わなかったか」
エリアースの声にハッと我に返った。
「いや、どれも美味しいが、このワインを飲みすぎてしまったようだ」
赤い液体の酒は想像していたとおりワインだった。食べ物も雪花のいた世界とあまり変わらないようだった。
「たしかに。このワインは美味いな。ところで、アルベリクからの報告で雪花と花天月地の魔力量や質から2人とも聖女である可能性が高くなった。そこで雪花と花天月地の付喪神の力を見せてほしいんだ」
エリアースの話に雪花と花天月地が視線を交わした。刀の雪花はわかりやすいが、花天月地の能力は自分たちの弱点にもなり得る。
「異世界から召喚した人ならば、この世界の魔法という形で発現するのだが、付喪神ではそれがどう作用するのかが不明だ。だからまずあなたたちの能力を見極めさせてもらいたい」
「我は刀だからいいが、花天月地は特殊だからまだおまえたちに見せたくはない。ただ彼女の能力は戦闘向きではないとだけ言っておくよ」
「そうか。では、雪花だけでもいい。騎士を相手に試合をしてもらいたい。刀の戦闘力を見たいんだ。花天月地の能力は、私たちのことを信用してもらってからでもいい。それまでこの国の魔法が使えるのか試してみよう。それでいいかな」
「我はそれで構わない。花天月地はそれでいいかい」
「うん。私もそれでいい。ねぇ、雪花、この伊勢エビ美味しいわ」
花天月地が大きなエビを殻ごとバリバリと食べているのを見て、雪花とエリアースは苦笑した。
2日後、雪花と花天月地は騎士団の訓練場に来ていた。20人ほどいる騎士たちは、打ち込みの訓練で2人一組になって木剣で打ち合っている。木剣がぶつかり合う音が訓練場に鳴り響いていた。
観覧席で見ていると、エリアースがクロードとアルベリク、そして騎士を連れてやってきた。
「雪花、今日世話になる騎士団の団長であるダームエルだ」
「第1騎士団、団長のダームエル・ネトロ・ザクスンです。お見知りおきください」
がたいが大きく威圧感があるが、目元の優しげな男だった。
「我は雪花、彼女は花天月地だ」
「雪花様と花天月地様、今日はよろしくお願いします。どうですか、私の自慢の団員たちです」
激しく打ち込みをしている騎士たちを見た雪花は、笑みを浮かべて頷いた。
「皆すごくいい動きをしている」
「そう言っていただけて何よりです」
嬉しそうにニッと笑った顔は、爽やかさを感じさせ、好感が持てた。ダームエルは、広場に向き直ると、大きな声を発した。
「訓練終了! 整列!」
周囲の空気がビリビリと震えるほどの大声だった。その号令に騎士たちはすぐに反応し、剣を振るっていた手を止めて整列する。その連携のとれた行動に雪花も目を瞠った。
整列した騎士たちは、厳つい体格をしていて細身の雪花の倍以上ありそうな者もいれば、細身の者もいた。中には女性の騎士の姿もあった。
「この方たちは、雪花様と花天月地様だ。今日は雪花様と試合をしてもらう。イルマリ、リュリュ、ヴィルヘルム、剣を持て」
3名の名を挙げると、がたいのいい男とこの中では細身の男と一際大きい男が威勢のいい返事をした。
「それで雪花はそのままでやるのか? その姿ではやりにくいのではないか?」
エリアースが雪花を見て訊ねた。雪花はいつもと変わらない白の袴姿である。まるでこの国のドレスのように裾が開いた服装を気にしている様子のエリアースに雪花は不敵な笑みを浮かべた。
「我はこれでいい」
広場の周囲に騎士たちが散り、その中央に雪花と一際体の大きい男が立った。
「俺は、ヴィルヘルム・ウーノ・ソルダーノです」
「我は雪花」
ヴィルヘルムの手には真剣が握られていたが、雪花の手はまだ空だった。
「ところで雪花様の剣はどうしましたか」
「ああ、今から出そう」
そう言うと、雪花の手に光が宿り、細かな雪花が舞い散るように広がり、それが濃縮されるように形作ると一太刀の刀となった。
白い鞘には金で雪花の模様が象られており、兵庫鎖が鈴のような音を鳴らした。
「それは魔法……ですか?」
驚いたヴィルヘルムの向こうで見学しているエリアースが何故か嬉しそうに笑っていた。
「これは我自身の分体だ。我が望めば形を成し、再び雪花のごとく溶け消すこともできる」
そう言って鞘からスラリと刀を抜いた。それは白く細い刀身だが、研ぎ澄まされた刃紋と刃先の鋭さにヴィルヘルムは息を呑んだ。
「なかなかいい業物を持っていますね」
「お褒めにあずかり光栄だ」
「それでは試合を始める。武器を取り落としたり、戦闘不能と判断し負けを宣言した場合、もしくは私の一存で試合続行が危険と判断した場合、その者が負けとなる。よいな。では、始め!」
ダームエルが合図の声を発した直後に、ヴィルヘルムが剣を雪花に向けて振り込んだ。
ヴィルヘルムの剣は、両刃の鉄の剣だった。この世界は西洋の文化に近いので武器もそうなのだろう。
雪花はヴィルヘルムの剣をひらりと軽々交わした。ヴィルヘルムは振り下ろした剣をそのまま横に薙いでくる。溜めもなくそのまま縦から横に振るその豪腕に雪花も感嘆した。
「すごい腕力だな」
「ふっ、この程度じゃありませんよ」
ヴィルヘルムの豪腕が、右肩へ振り上げた剣を袈裟懸けに雪花へと振り下ろした。これも溜めもなく振り下ろされるのでどう動くのか予測が難しい。
しかしそれでも雪花はひらりと飛び交わした。
「雪花様、逃げてばかりじゃ試合になりませんよ」
ダームエルが雪花に注意をすると、ヴィルヘルムがにやりと笑った。
「ダンスでしたら他でやってください。俺はダンスが苦手なもんでね」
ヴィルヘルムの皮肉に周囲で見守っていた騎士たちが笑いだした。
「そんなヒラヒラした格好で、お姫様の戯れでしたら、他でやってくださいよ。はははは」
「あの細い剣も見かけ倒しだったな」
皮肉まじりの茶々を入れる声に雪花も笑みを浮かべた。
「ほお、ダンスか。なるほど、我もダンスは苦手だ。舞いは舞いでも剣舞の方が好みだな」
そう言って鞘を腰に差し、わざと優雅に刀をひらりと踊らせた。それを見た騎士たちがまた笑う。
「上手でございますよ、お姫様。あははははっ」
「もっと踊ってくださいよ、はははは」
雪花の所作に笑い声がまた上がる。それをダームエルが一喝した。
「試合中だぞ! 雪花様も戯れはそのくらいに――」
ダームエルが言い終える前に、雪花の纏う空気が変わったことに気づき言葉を止めた。笑っていた騎士たちもその気配に気づいて笑いを止めた。
「さて、我も真面目にやるとするか」
そう言うと、ヴィルヘルムに向けて刀を片手で差し向けた。それを挑発と受け取ったヴィルヘルムが再び剣を振り上げた。
「怪我をしても知りませんからねっ」
最初の一太刀よりも更に力を込めて雪花へ剣を振り下ろした。ぶおんと風を切る音がして周囲に風が舞い上がった。
雪花はそれを今度は刀で受け流した。
キィンという音とともにシュルッと鉄同士の擦れる音がしたかと思うと、刀が剣の切っ先から抜け、雪花はヴィルヘルムの横に踏み込むとその脇腹を軽く薙いだ。
「そこまで! 勝者、雪花様!」
ダームエルが大声と共に手を振り上げた。たった一太刀で勝敗が決まったことにヴィルヘルムも訳がわからないという顔でダームエルに喰ってかかる。
「団長! どうして俺が負けなんですか!」
「ヴィルヘルム。おまえの胸当てを見ろ」
言われるままにヴィルヘルムは、自分の胸当てを見下ろした。すると、脇を止めていた革ベルトが斬れていた。千切れたとか劣化して切れたとかではなく、鋭利な刃物で切られた痕だった。
ヴィルヘルムは驚いて何度も自分の切れた革ベルトを見直し、雪花とダームエルの方へ視線を戻した。
「これはどういう……」
「たった一太刀、雪花様が横に薙いだ剣がその革ベルトを斬ったんだ。服も肌も傷つけず革ベルトだけを斬るなんて腕、俺でもムリだ」
なんか凄いものを見たが反応に困った顔でダームエルが言う。そこで雪花が刀を鞘に戻しながら割って入った。
「我の刀は斬ることに特化されたものだ。切れ味よく研がれたものだから、力加減と振り方で狙ったところだけを斬ることなど造作もない。ヴィルヘルムの剣は分厚く勢いで斬りつけるか刺すことに特化しているようだったからな。打ち合うより一太刀で決めた方が手っ取り早い」
「確かに雪花様の言う通りです。ヴィルヘルムの両刃剣は、甲冑ごと断ち斬るようその体躯に合わせて重厚に作られた剣です。よくこの短時間で見極められましたね」
「我はその得物を見れば、ある程度の機能や強度がわかるようだ。ふむ、以前はこんなことなかったが、これがエリアースが言っていたギフトというやつかな」
「なるほど。そういうことですか。でも、この一太刀で革ベルトだけを斬る技術はお見事でした。俺、いや私の負けです。雪花様」
ヴィルヘルムは潔く一礼して脇に下がった。
「雪花様、休憩しますか?」
「いや、そのまま続けよう」
「次の者、前に!」
「はい、では私、リュリュ・オルヴォ・トゥーリオが入ります」
名乗りを上げて雪花の前に歩み出たのは、細身の男だった。細身とはいえ、服の下の筋力はしなやかで強靱なものが備わっているのが、その動きでわかる。
ふむ、体術に秀でた体躯のようだ。
ヴィルヘルムと同じように見ただけでその男の能力値がなんとなくわかる。
「では、始め!」
リュリュの腰に差している剣は、体と同じように細身だった。だが、こちらも両刃の剣だった。
刺し貫くことに特化した剣か。刀とも違う――どちらかというと槍に近い剣だな。
古代の西洋では、全身鉄に覆われた甲冑を身につけた者を相手にするのだと古書で読んだことがある。なので、刀のような切れ味よりも鋭さや重厚さの方が重視された剣が多かったという。
我が打たれた時代も甲冑の隙間を刺し貫くように切っ先も鋭くなっている。あれは親類のような剣かな。
そう思ったことに思わず口元が緩んだ。「雪花様、試合中に笑うとは余裕ですね」
リュリュは剣をスラリと抜き、片手は腰の後ろに回し、もう片方で剣を自分の顔の前に立てるように持った。
雪花も剣を抜いた。
「では、始め!」
ダームエルの声と同時にリュリュが雪花の間合いに跳び込んできた。
――速い!
リュリュは顔の前に立てていた剣を素早く前に突き出し、シュシュシュッと音が聞こえる速さで突き出してくる。
雪花はそれを紙一重で刀のはばきで受けた。キンキンと鉄がぶつかる音が響く。リュリュが大きく突きを出し、雪花の首を狙ってきた。だが、それを雪花は蹴り上げて、その勢いで跳び退いた。
「やはり突きに特化した剣か」
「私は見ての通り体躯が細いので剣も細く軽いものになってしまうんですよ。だから体術を合わせた剣術を得意としています」
「先に手の内を教えて大丈夫なのか」
「別に言おうが言わなかろうが、あなたには同じでしょう? 先ほどの試合を見ていて、あなたの剣技と体術は見事でした」
「ありがとう。そう言われるのは嫌いじゃない」
「私も、あなたと剣を交えることができることを嬉しく思いますよ」
そう言って再びリュリュが突きの剣技を繰り出した。雪花はその剣を払うと、高々とジャンプして空中で一回転してリュリュの背後に着地した。沈んだ膝をバネにして立ち上がり、そのまま手を振り、刃先をリュリュの首許に当てる。
鋭い刃先の冷たい感触にリュリュが固まった。
「勝負あり! 勝者、雪花様!」
ダームエルの声に雪花が刀を下ろした。「突きは背後に弱い」
首から刃の感触が消えて、リュリュは大きく息をついて脱力した。
「まさかあそこでジャンプして背後に回るとは思いませんでした」
「突きの速さと手数の多さに背後に回ることしか思い浮かばなかったよ」
「それは賛辞と受け止めましょう。弱点をどうするか検討します」
リュリュが一礼して下がると、今度はがたいのいい男が前に出た。
「私はイルマり・ラッセ・エクローズです。お相手願おう」
イルマリの剣は、ヴィルヘルムの剣より長さのあるロング・ソードだった。鍛え上げられた刃先は、ヴィルヘルムよりも鋭い。
「私は第1騎士団の副団長をしています。騎士団の威信に賭けて勝たせてもらいますよ」
「それは楽しみだ。我も久々に刀を交えて猛ってきた。次は本気の戦いでもしようか」
「今の2試合は手加減していたんですか。では、手加減は要りませんね」
「では試合を開始する。始め!」
ダームエルの声にイルマリは剣を背中に背負うように構えた。イルマリの纏う気配がピリッと引き締まるのを誰もが感じとり、息を呑む。
それに反して雪花は真っ直ぐに立ち、刀は腰に差したまま柄に手を当てた姿勢だった。だが、その気配はイルマリと同じく刃のように研ぎ澄まされており、雪花が集中状態にあることが窺えた。
互いに隙を見せず、しばらくどちらも立ったまま動かなかった。それを見ているエリアース含め騎士たちは、固唾を呑んで見守る。
数分して先に動いたのはイルマリだった。勢いよく一歩踏み出すと、背負った剣を雪花に向けて振り下ろした。
まるで物を投げるときのようなその動きで振り下ろされたロング・ソードは間合いが少し離れていても雪花の頭上に届いた。だが、雪花はそれを避けずに柄にかけていた手にスッと力を入れて抜刀した。
ガキンッ――と音がして、イルマリと雪花から少し離れたところに何かが落ちた。それはロング/ソードの剣先だった。イルマリの剣が半分に折れていた。
「おい、マジかよ……」
呆気に取られて地の口調になったイルマリが折れた剣先と手にした剣を交互に見つめる。
「我の刀の真髄は居合いだ」
刀身を鞘に収めながら満足げに言う雪花に、我に返ったダームエルが手を挙げた。
「勝者、雪花様!」
試合の終了にエリアースが拍手して応えた。
「素晴らしい! 刀の付喪神というものは本当に剣の化身のようだな」
「雪花は、戦国時代を何度も経験している刀よ。戦い方も経験値もここにいる人たちの誰よりも高いわ」
自慢げに語る花天月地の言葉にエリアースは目を輝かせた。
「戦女神か。これは希代の聖女になるな」
「……ねえ、エリアースは雪花のこと、聖女だと本当に思っているの?」
「そうだよ。アルベリクも聖女だと言っていた。もちろん花天月地、あなたもね」
「なんだかだんだん言いにくくなってきたわ」
自信溢れる笑みで応えるエリアースに花天月地が困惑顔になった。
「言いにくいとは? 何がだい?」
「雪花と気づくまで内緒にしておこうって言ってたんだけど、あなたを見ていると可哀相になってくるから、教えてあげる」
可哀相なものを見る目で言う花天月地にエリアースが首を傾げた。
「いったい何を教えてくれるんだ?」
「雪花、彼は男性体よ」
花天月地の言葉にエリアースの思考が止まった。