そして空から
同じ環境に育ちながら・・思う事が違う。姉と妹・・。同じ場所に居ながら、引っ掛けて、手下にして利用しようとする人が多い。何の為なのか分からない。この頃の人は説明とかはしない。暗号なのである。何を求めて居るのか解らない。争いごとの始まりである。小さなお話が、世の中少しでも良い方向になるようにと願っています。
そして空から
①
中国山地、上根峠の分水嶺に落ちた一滴の雨水は分かれて・・切り立つ断崖の根の谷へ、根の谷川に入り太田川へ、そして瀬戸内海へと続く旅をするのである。分れた一方の雨水は,地殻変動で無能川となった・・細い簸の川から可愛川を下って江の川へ、三次市で大きく曲がり、江津市へそして日本海へと続く旅をするのである。その可愛川を下って行くと、吊り橋が見えて来る筈です。幾つか目の吊り橋の向こうに、こんもりとした森が見えて来るでしょう・・・。その吊り橋を渡って、一つ目の土手そして二つ目の土手を過ぎ、薄暗い森を過ぎて右に折れると大きなお寺、竹林寺があります。左に折れると大きな造り酒屋、竹林酒造があるんです。竹林酒造は戦争・・終戦という時代に酒蔵をかろうじて守って居て・・杜氏のマッサン棟梁さえ帰って来れば何時でも酒の仕込みが出来るように、蔵には整然と酒樽が並んでいるのである。なかなか復員しないという事は、マッサンはシベリア抑留か?とも噂されている。酒造りには人手が頼りである。仕込みの米もまた大事な要素なのである。もう一つ酒造りに大切な・・水・・この酒蔵には400年湧き出流恵みの名水がある。その名水は中国山地には珍しく硬水に近い水であった。酒蔵が先か、名水が先かというと・・やはり名水があったからこそ、この地に造り酒屋が出来たのであろう。その名水には神棚が祭られて居て、それはもぉ・守り神として大切にされているのである。毎朝この酒蔵のご当主の参拝から一日が始まっていた。戦争中は男達は徴用されて、若い奥さんと幼い息子・長男さんがその役目を担っていたのである。今もその役目は、奥さんと長男さんである。ご当主は復員はしているのだが、奥の部屋で休んで居る事が多い・・。戦争で精神を病んで居るのかな?というような大人達の噂話を聞いた事がある。赤黒くなった煉瓦造りの煙突も、なまこ壁の酒蔵も傷んでいて、その修復迄人手もお金もが回らない時代である。ここは竹林村、時は昭和二十年代後半。私、百合は戦後生まれで・・・小学校一年生前後からこのお話は始まります。その酒蔵の前に、私の家があります・・ありますか?・・ある筈なんです?・・小さな可愛い女の子が居るでしょう?
②
「お母ちゃん・・戦争土産って何?なんじゃろお?」「ウフフ・・百合ちゃん達の事よ・・」「えぇ!どうして?何でうち等が土産なん?」「お父さん達が戦争から復員して、すぐに出来た子供達の事よ」「ふぅんー、でもよお分からん・・」「外で遊んでおいで・・」母美子は着物の仕立物をしながら言った。「はーい・・どっちに行こうかな?天の神様の言う通り・・あっ!坊ちゃん家だ。坊ちゃん家に行こぉ・・」坊っちゃんとは竹林酒造の三男さん、途轍もなくガンボ(悪戯っ子)なのである。村の人は親しみを込めて・・坊っちゃんと言うのである。長男さんは竹生さん、次男さんは竹次さん、ちゃんと名前を言うのに・・どうして三男の坊っちゃんだけ坊っちゃんなんだろう・・名前は何と言ったかいね?と思っている。裏木戸から中庭に入り、勝手口迄来ると・・「百合ちゃん来たん・・」竹林酒造のお祖母さんの声がした。主に炊事を取り仕切って居る、元気なお祖母さんである。朝昼晩と七人分の食事の支度を一手に引き受けていた。酒造りが在る頃は、お手伝いさんが二人付いて従業員さんの昼食も賄って居た。そんな訳で、身動きはシャキシャキとして機敏である。もう一人お祖母さんが居て・・このお祖母さんは、奥さんのお母さんなのである。いつも奥の部屋で炬燵に入って居て、繕い物担当の祖母さんであった。百合達は、奥のお祖母ちゃんと言っていた。その頃(ナイロン繊維はまだ開発されていない)ソッスも破れる事が多々あったのである。それに七人家族の繕い物は大変な数である。・・ソックスに電球を入れると、踵の処とか指先の処など繕い物がしやすくなるのだろう。そのお祖母ちゃんの曲がった背中には、いつも真綿(ちゃんちゃんこの形が)が掛けてある。よく落ちないものだなと百合は思っていた。七人家族・・自分のちゃんちゃんこ迄は縫えないのであろう。白髪で色白・・おっとりとして優しい声・・上品な人だと誰もが言う。大きな家にはお祖父さん、お祖母さんが、一人二人は居られるものなんだと思った。戦争中は街の人達が、伝手を頼りに疎開して居られたそうだ。世も落ち着いてきて、一人二人と街に帰って行かれたという。我が家も戦時中に、この村に入ったのである。それは跡取り息子の戦死によるもので、父は嫁いで居た娘の息子・・後を継いだのである。疎開ではないから、街に帰らなくても良い立場である。奥のお祖母ちゃんの部屋の炬燵に入りながら・・「坊ちゃんは、まだ学校?」「まだ帰って来ませんね。道草してるんでしょ・・」メガネをずらした目がにっこりと笑った。百合もにっこり・・(そうですね道草も大事な勉強ですウフフ、という意味)「この前、土手で遊んで居たらね、坊っちゃん吊り橋のロープにぶら下がって居た。中頃でしてみたり、端っこでぶら下がったり・・」「何をしとるんじゃろう?何か考えがあるんじゃろね」そして奥のお祖母ちゃんは、針の穴に糸を通すのにあづって(難儀して)いる。「糸を通してみようか?・・お母ちゃんの針は小さい・・絹縫いだから難しいけど・・お祖母ちゃんの針のめど(穴)は大きいね(木綿針)」「ほら、もう出来た!もうちょっと糸を通して置きます。針山に刺して置きますね。10本通してありますよ・・・じゃあ、また・・ありがとうございました」自然にちょっと丁寧言葉で話している。奥のお祖母ちゃんの部屋というか、今でいうリビング・・炬燵のある皆が集まる部屋で、お祖母ちゃんとお話をして帰る。縁側そしてガラス戸の向こうには中庭があり、雪解けに蕗の薹がぽつぽつと芽吹いて居た。その奥には白壁に大きく土壁が見えている蔵がある。
③
「あっ、お父ちゃん!」先頃買った真新しい青いバタンコが止まっている。玄関から駆け込んで家に入り「お父ちゃん・帰って来たん・・」百合は直ぐに父の膝に座った。「お父ちゃん何処に寝とるん?何で家に帰らんの?」「うん、外に寝とるよ・・」父悟は沈んだ顔をして言った。「外に寝たら風邪ひくよ・・何で外に寝るん?寒いから死ぬよ」「死んでもええよ。のぉ」百合の顔を見て言う・・。「死んだらいけんよぉ・うぅぅ・」涙が溢れて来る・・。「死んだらいけんかぁ~そぉ言うて呉れるんは百合ちゃんだけじゃのぉ」父は母美子の顔色を見ながら言った。間が悪いのか・・ピンポン玉を一つ手に持って百合に見せて、手を握って両手を回して口に入れる格好をするのである。そして「此処此処・・」顎を上げて喉仏を指さして居るのである。「あぁ・・いけんよ!いけんよぉ!喉に詰まるよぉ!」「ポロリ」とピンポン玉が出て、掌にあった。口から出す格好をする父の手品・・たった一つの父の手品なのである。「あぁ・良かった!」安心して父の膝から離れるのであった。「百合ちゃんのランドセルを街から買って来て下さい。お願いします。それに物入りです。お願いします・・。親戚の孫も一年生よ。お金、お世話になって居るんでしょ・・」「街の問屋さんで探して見よう」「お父ちゃんは、百合ちゃんの事なら何でもいう事を聞いて呉れるから・・」と、母美子は言った。小さな百合は父と母の架け橋になっているんだなと思った。物の少ない時代であった。数日後、どうにか赤いランドセルが手に入ったという。今の時代の物より、粗末だが仕方が無い事である。近所にペンキ塗りの仕事をしているが、元は画家だという人が住んでいて・・その人に頼んで花の絵を描いて貰ったのである。花の絵柄は覚えていない。今になって思うに、華やいだ牡丹であったかな?赤いランドセルの小さな花の絵・・父と母の粋な計らいなのである。貧しいながら父と母の温かな気持ちを感じたのである。その頃父は外に女の人を囲って居た。如何いう経緯で家に帰らなくなったのか分からない。バタンコを買って運送業を始めて居たので、最初の頃は景気は良かったのであろうか。家にも月々の食費は入っていたのであろう。百合は助手席に乗って街の親戚に泊まりに行った事がある。一つ泊まって次の日の夜に迎えに来て貰った。その時は、上根峠の材木屋さんで材木を積み、街に運んで、百合を親戚に頼んで・・父は仮眠して、そして帰りには午前二時ごろ新聞社に寄り・・新聞を販売店に届けて居たのだろう。材木屋さんの社長さんも、次の次の日の早朝の新聞社の担当者さんも、百合の頭を撫でて下さった。「家に居るんよりお父ちゃんの隣がええんかの。眠かろうに。道中気を付けて下さい。では、よろしく!」「ありがとうございます。では・・」そんな感じで仕事をしていた。でも冬は雪道で立ち往生とか、事故もあったのだろう。それに父は頭が余り低くない。愛嬌も無い。如何あっても仕事を頂きたいと云う事も無かったのだろう。だんだん仕事も少なくなり・・その女の人の為に借りた、米や味噌、証文の無い借金も・・「郵便局に態々降ろしに行ってまで、貸して上げたんですけのー。ここを見てみなさい」おろした通帳を見せて母に請求されるのである。「お母ちゃんではなく・・その女の人が払えばいいのに!どうして家に来るん?」「そう云う訳に行かんのよね・・世の中は」母美子は夜なべ仕事の、裁縫の手を休むことなく言うのである。
「お父ちゃんは、親の愛を知らんのよ。親に育てて貰って無いんよ。百合ちゃんにとって、お祖父ちゃんは上根峠近くの旧家の家よ。お祖母ちゃんは、この家の娘・・お父ちゃんが一才の時に離婚してね、それで養子に出されたんよ。お金が無くなると、何度も返されて・・『悟さんがこの家に帰るなら、私は里に帰ります』と、後妻さんが言うのが聞こえたそうな。女の子ばかり六人居て最後に男の子。跡取り息子が産まれて・・。お祖父ちゃんも子供を七人置いて帰られては困るので、仕方なく・・お金を持たせて養子先に帰すんよ。その内庄屋もだんだん小さくなったらしい・・。お父ちゃんは人の愛を知らんから、愛を求めてこんな事をするんよ。良い親でもどんな悪い親でも、見て判断するのは自分だからね。百合ちゃんいい?私は離婚しないよ。麗子も百合も親の愛を求めてマイナスから始めない様にしなさい。自分で判断するんよ」その後父悟は、女の為に親の家の近所や親戚にも、お金や米や味噌を借り歩いたという。母美子は、着物の仕立ての内職をして父の借金を払い、子供達を育て上げて、くも膜下出血の為四十八歳の若さで旅立って行くのである。結婚後、幸せな人生と言う言葉は当てはまらない。姉と私の為だけの生涯であった。百合は二十二歳の時、麗子は結婚をして居て孫の顔を母に見せて上げる事が出来た。亡くなる前、婦人会で行った九州長崎への旅行と帰ってすぐ呉服屋さんで揃えたニ三の反物は、小さな小さな幸せと云うものであろうか。もう五十回忌も済んだ、母は今頃安堵して・・空から、麗子や百合を見て居るかな~
④
隣の家に行って見よう・・。福ちゃん家。福ちゃんは二つ年上の女の子である。よく遊んで貰った。お人形遊び・・ままごと・・女の子ばかりの四人姉妹。一番上のお姉ちゃん、香りさんは色白で美人・・初代ミス早苗に選ばれた程の美人のお姉ちゃんである。アメリカの親戚から送って来たというシンガーミシンを大事にそうに踏んでいた。シャカシャカシャカシャカ、リズミカルにミシンの車輪が回っている。足で踏んで・・その足は細くて白い綺麗な足・・に座りだこが在るんだなと思った。何時も座って居る、お母ちゃんの足に座りだこが在るのは普通じゃけど・・香りさんの足には不釣り合いだった。足で踏んで・・その力が車輪に伝わり、皮ベルトで上の小さい輪に伝わる。糸たて棒の糸は上下する穴あき棒を通って針先を通ると縫い目となる。ミシンを開いて繋がりを見てみたいと思った。街にお嫁に行く事が決まって居るという香りさんは、嫁入り支度のエプロンを縫っている。その部屋で福ちゃんとお人形遊びをしていると「この布要る?上げますよ。お人形のスカートが出来るでしょう」香りさんは優しい。福ちゃんは元気一杯、まだ色白では無かったな。(大きゆぅなったら百合ちゃんも色白になるよと、いつも母か言って居たから)
香りさんがお嫁に行く日・・竹林寺の前で仏様とご院家(ご住職)さん、ご家族にお別れの挨拶をして「文金高島田に黒地に花と御所車の模様の花嫁衣裳、綺麗じゃね・・よお見るんよ!百合ちゃん」「香りさんにさよならよ。花嫁人形みたいよ。綺麗!綺麗よ・・」母も皆も口々にいう。お嫁さんが黒塗りのタクシーに乗り込むときの事・・私百合は何故か泣き出したんです。「わぁーん、わぁーん・・。香りお姉ちゃん・・。行ったらいけん・・お姉ちゃん遊ぼ・・」お嫁さんの横顔がニッコリしていた。紋付、羽織袴のお父さんと黒留袖姿のお母さんが挨拶をしていた。「皆さまお世話になりました。これ迄香りを見守って頂き有難うございました。お蔭さまで本日、嫁ぐ事になりました」と見送りの皆に深々と頭を下げてタクシーに乗り込んで行った・・。百合は母に抱き抱えられても、まだ泣きじゃくっていたのである。
⑤
裏の家は男の子ばかり三人、お母さんとお祖母さんの五人家族である。戸主のお母さんは、戦争未亡人・・朝早くから牛の餌になる草を刈り・・牛の世話、朝食の準備、朝食、片付け‥田圃に出て目一杯働き・・昼食の準備、昼食、後片付け・・昼からも田圃へ・・牛を使うのもこのお母さんである。夜は夜で仕事がある。家用と工賃を貰っての仕事であろうか。藁で蓆を編む・・薦を編む・・縄を綯・・くつろいでお茶を飲んで居る処を見た事が無い。当時の農家の女性は皆こうしていたものだった。休みと言うと・・盆と正月。春はお花見、竹林村は四月三日と決まっていたな・・。雨が降っても順延になる事は無い。農作業に影響するからである。中学二年生になった長男、昭夫さんが朝早く草刈りをしたり、牛の世話をしてお母さんを助けていた。立派な跡取りさんに育っている。この家にもお祖母さんが居る。いつも奥の部屋に居て、囲炉裏のある台所に来ては子供たちと話をしていた。仏間には昭和天皇、皇后両陛下のお写真と勲章が額縁に入って飾ってある。聖霊となられた息子さんの写真・・。U君とマァ君、昭夫さんのお父さんの写真である。U君は百合と同い年、何でU君と言うのか分からない。紀元節に生まれたから、紀の字がある名前であったと思うのだが思い出せない。小さい時、自分の名前が難しくて言えなかった。それでU君と自分で言い出したのだと聞いた事がある。マァ君も同じく本当の名前が全然出て来ない・・。そしてマァ君と福ちゃんと坊ちゃんは同学年なのである。この家では男の子の遊びばかりをするのである。チャンバラごっこ、パッチン(絵札を叩きつけて、相手の札を裏返す遊び)缶蹴り、鬼ごっこ、将棋・・・。中学二年生の昭夫さんは大人びた事をいうのである。「向こうの田圃はの、元々は百合ちゃんの田圃なんで・・」「ふぅんー・・何で?」菜の花が綺麗に咲き誇っている小さな田圃。戦後のどさくさに紛れて幼い百合を不在地主として届けて、百合の田圃ではなくなったというのだ・・。中学二年生という、まだ子供の口から聞くのである。不在地主で届けられる事も日常茶飯事、戦後のどさくさ時期なのである。長いお付き合いも隙あれば豹変するのである。
⑥
「竹林寺に行って遊ぼうやぁ」「やったー!行こう行こう・・」小学生男女六~七人行列を成して進んで行く。「縄電車で行こう・・。出発進行!①②・①②・①②・①②・ピッピ―ピ!止まれ!」「お寺に敬礼!」
竹林寺は本堂を中心にして渡り廊下で繋がっている大きなお寺である。昔、お坊さんになるために勉強されたと言う書院。鐘撞堂と茶室と寺門も立派なのである。未だ県の重要文化財に指定されていない頃である。そのお寺で遊ぶのであるから子供達は幸せ、穏やかな光に抱かれて居るようであった。只余り騒ぐといけない、ご院家さんに注意されるのである。「鬼ごっこする者この指とまれ!・・・指切った!」ひとしきり遊ぶと・・今度は「だるまさんが転んだ・・だるまさんが転んだ・・坊さんが屁をこいた・・坊さんが屁をこいた・・」ご院家さんの姿が見えなくなると・・坊さんが屁をこいたになるのであろうか。次は鐘撞堂で陣地取り遊び。格好の平均台の練習である。互いに陣地の柱を出て、出会った処でじゃんけんをして、負けたら落ちる。次の人が陣地をスタート、出会った処でじゃんけん。負けたら落ちるし、勝ったら進み陣地を取るのである。次は寺門にぶら下がる。90度の弧を描くブランコである。大きくて頼りがいがある寺門なのである。百合はこの遊びが好きであった。でも時々注意されるから・ちょっとだけである。(今はぶら下がって遊べない、後世に残す為に大切にされている)ひとしきり遊ぶと「腹減ったのー帰ろうかぁ」と男子の声「また明日・さようなら」福ちゃんと百合、家まで仲良く肩を組んで帰ろ・・。
⑦
今日は何して遊ぼうか・・。学校から帰った坊ちゃんとマァ君、入学前のU君と百合、ちょっと離れた家の正ちゃんと日出ちゃん皆が話し合って・・チャンバラごっこをする事になった。竹林酒造の前の道路を走り回って遊ぶのである。昭和二十年代後半、自動車はまだ余り通らない。お姫様役になるのはやっぱり紅一点の百合である。坊ちゃん殿様に守られながらチャンチャンバラバラ・・皆マンガの見過ぎであろうか・・「不届きなやつ!姫に手出しは無用じゃ!チャンチャンバラバラ!」「殿様ぁ・・」「予から離れるでない・・良いな」チャンチャンバラ・・「エイ!エイ!我らは負けた事が無い・・覚悟は良いか!エイ!」その時である。坊ちゃんは急に竹林酒造の門戸を閉めるのである。「止ーめた」「えぇっ!」そ、そんな事を言ってもえぇん?もう遊んで呉れないよ・・と思った。坊ちゃんは平気な顔をしていた。門の外ではブツブツ言う声が聞こえたけれど・・「百合ちゃん勉強部屋見る?」「うん・・見たい・・」手を繋いで案内してくれる坊ちゃん(時々は優しい)・・曲がり廊下を通って、奥に新しく建てられたのである。「ふぅん~いいね!木の香りがする・・いっぱい勉強出来ていいね!一人で静か過ぎるんじゃない?・・これ何?猿三匹」「見ざる・聞かざる・言わざる・言うてのー。お兄ちゃんの修学旅行のお土産」一匹は目を手で覆っている猿。耳を覆う猿、口を覆う猿、三匹の猿は何か、世の中の事を意味するのであろう・・と思った。「帰るね、ありがとう・・またねー」奥のお祖母ちゃんの部屋の前を通って(今日は誰かさんの浴衣を縫って居る・・と思いながら)「お邪魔しました。ありがとうございました」(あっ、今日は勝手口では無かったな靴は廊下である)と思った処へ、竹林酒造のお祖母ちゃん・・納屋から沢庵を出して来た処だった。「あっ百合ちゃん来てたん。またおいで」「ありがとうございました。お邪魔しました」
⑧
入学式の日は良い天気で温かい日であった。竹林村からは、え~と九人の新入生である。U君とちょっと遠くの守君、三~四組の親子が纏まって小学校へ・・。皆のランドセルも輝いていた。母美子は、歩きながらランドセルの絵を描いて貰った話をしていた。母手縫いの上靴入れ。セーラー服をイメージ(白い線は無し)した紺色の洋服は洋裁学校に頼んで縫って貰ったのである。(この時分田舎に洋装店は無い)洋裁学校に頼めば、先生の指導の下に生徒さんの教材として縫って貰える。母は小粋な事を知っていた。子供の足では小学校まで結構ある。それに百合は産まれた時から病弱で、大きな病気をした事もある。「百合ちゃん・・明日からは皆と学校に行くんよ!お母さんは付いて行かんのよ」「はい・・」「吊り橋も一人で渡って行ける?」「はい・・」母はとても心配するのである。他の子供達は皆元気で活発であった。小学校に着き、先ず目に入るのは校門の桜・・うす紅の花が満開である。新一年生を歓迎している!と思った。大きな柳の木も新芽が芽吹いていた。入学式は校庭で、全校生徒は六百人。百合達新一年生は急に生徒が増えた事で、学校側というか町や県側の対応が間に合わないという。さくら組と梅組、二クラスが出来ていた。百合はさくら組になった。U君と守君は梅組である。百合は体が小さく、背の低い順に並んで・・前から二番目であった。先生はまだ若い、十八歳の川本先生。代用教員という事になる。生徒の数が急に増えて、先生も足りないのである。先生ばかりではない、教室も足りないのであった。講堂を仕切って一年生の教室が出来ていた。さくら組、梅組そして教員室とピアノのある音楽室。戦後生まれの百合達は、一クラス五〇何人という大勢の中で育つのである。教室に入って、母親達は生徒の後ろに並んで参観していた。先ず・・先生の紹介があり、皆の出席を取り・・。明日からこの教室で勉強するのだという事。掲示板の時間割表のように勉強が進むのだという事を優しく説明を受けた。時間割表によると、明日は国語と図工と音楽であった。国語と音楽の教科書とクレヨンをランドセルの中に入れて登下校するのだそうだ。大体の説明を受けて、今日はお母さんと帰るのである。外で待っているとU君と守君達も梅組から出て来て合流、それでは帰りましようという事になった。帰る道・・「あの講堂はね、弟が通った二中の講堂を移築しとるんよ。よく似とると思ったら説明文がありましたよ」母美子はちょっと自慢げに話しながら帰るのである。まだ父から生活費は入って居た頃であろう。夏には続いて洋裁学校に頼んで、サッカー地で胸元にフリルを付けてサンドレス(肩の処は紐)、後ろに同じ布で蝶結び。それにボレロのある夏服を姉麗子とお揃いで作って貰ったものだった。
国語の時間は皆で一緒に教科書を読むだけである。宿題は家に帰って二回読む事である。図工の時間は・・チューリップの花のぬり絵・・。百合は上手にチューリップの花をぬり絵した。体が弱く家の中で遊んで居たから、ぬり絵は簡単・朝飯前という事になる。早速に廊下に張り出されたのである。梅組から張り出されたのは農協の役員さんの子のぬり絵であったかな。入学当初はカバンが重くて疲れるらしい、帰るなりグゥグゥ昼寝をしていた百合である。が・・登下校する内に少しづつではあるが、元気に育っていくのである。
⑨
ミィーンミィーンミィーンお寺の木々から蝉の声がして来ると・・夏休みはもう直ぐである。竹林寺の境内は広い、それに緑の木々から吹く風が涼しい。いつものように一人で遊んで居ると「あっ・・慧光さん~大学の夏休み早いですね」慧光さんは庫裏の方に・・。百合もお願いがあるから勝手口から庫裏へ「あの~今年も日曜学校ありますか」「今年の夏休みは、卒業論文提出するんで時間が無いんじゃ・・無い事にしょう・・」「えぇっ!いやよ!して下さい。します!します!」慧光さんは竹林寺の長男さん、大学院に進む為の卒業論文の提出があり忙しい。それに審査が厳しいのだと言う。「それでも日曜学校してください・・」「お母ちゃん、百合ちゃんが日曜学校する云うて、聞いてくれん」「ほうよねぇ・・」「ハイしましょう・しましょう!ウフフ」と百合は言葉だけは丁寧にお願いする。その時「忙しいけど・したら?」お母さんの助言があった。そんな経緯で今年も日曜学校有りとなった。「わぉ!嬉しいありがとう御座います」「学校で、友達に日曜学校のお誘いするんだよ」「分かりました。ありがとう御座います」日曜学校有りとなって、とても嬉しかった。そしてお誘いの役目もするのである。人生初の営業活動になるかな?
夏休みにある日曜学校は、当時この地区の子ども達の楽しみであった。親にしても安心出来る処である。ゲームも無ければ塾もない、幼稚園もない頃。自分達で考えた遊びをしてはワンパクになって行くのである。日曜学校は別世界であった。慧光さんが読む短いお経から始まり、法話や童話。慧光さんのお母さん(村の人は奥さんと言う。若い頃は小学校の先生)のお遊戯指導、歌、お話。細くて綺麗な声で読んで下さる法話は今でも忘れられない。法話の後は皆でお寺のお掃除を少しして・・境内で遊んで帰るのである。丁度お昼過ぎ位に終わりであったかな。
学校に行って・・「今度の日曜日から、竹林寺の日曜学校あるけど来られる?」こんな感じかなと思いながら、お誘いをしていた。夏休み最初の日曜日である為、予定が有るとか親戚に行くとか言う子もいたけど・・何とか一年生の皆に知れ渡ったようである。
日曜学校当日はちょっと心配であった。何人来てくれるじゃろーか?無理矢理慧光さんにお願いしたんだから・・沢山来て欲しいと思った。本堂で待って居ると・・遠くの村からお姉さんと一緒に来た子もいた。三人姉妹もいた・・後は竹林村の七人と全部で十二人であった。如何しようか・・。すみませんと言って来よう。夏休み最初だから、皆何処かへ行ったんだろう。勝手口から庫裏へ入って行くと・・慧光さんは法話の支度が出来ていた。「慧光さん・・すみません、十二人しか集まりません。すみません」「そうか!」とだけ言って慧光さんは本堂へ・・。慧光さん怒って居るのかな・・。怒られると思った。あの時、無理矢理にお願いしたんだから。
本堂では、百合が着席するのを待って歌が始まった。それから慧光さんのお話・・「今日は夏休み最初の日曜日、予定があったんでしょう。百合ちゃんのお誘いで、十二人だけれども・・。次はそれぞれ一人お誘いして来てください。そして次の時はまたそれぞれ一人お誘いしたら?沢山になるよね。皆の力は凄いよ・・。夏休みは、体に気を付けて元気に過ごしましょう」というお話の後、法話が始まった。法話が済んで、本堂のちょっとした掃除も済んで・・皆は境内で遊んで帰るのであった。
「箪笥長持ち・・どの子が欲しい?」「箪笥長持ち・・あの子が欲しい」「あの子じゃ分からん。相談しましょ」六人手を繋いで、向かい合った六人と歌いながら前後に進み、前に進んだ処で片足を前に蹴って間を取る・・。代表者がジャンケンして勝ったグループに子供が増えるという遊びである。「箪笥長持ち‥百合ちゃんが欲しい」欲しがられて百合は相手のグループの一員となる。「箪笥長持ち・・どの子が欲しい?」「箪笥長持ち・・あの子が欲しい」「あの子じゃ分からん。相談しましょ」ジャンケンして勝った方は「箪笥長持ち・・福ちゃんが欲しい」「箪笥長持ち・・U君が欲しい」「箪笥長持ち・・百合ちゃんが欲しい」えぇ!行ったばかりなのに取り返される。慧光さんはニコニコしながら書斎へ・・・。慧光さん~有難うございました。皆で大きな声で言えば良かったなと思っている。慧光さんは大学四年生。もう既に、それとも環境、生まれた時から?であろうか・・。人を育てる事が念頭にあるんだなと思った。村の子も百合もこの人達に育てられているんだと思った。環境って凄いなと思う。そしてその近くに生まれて良かったと思っている。その後慧光さんは偉いお坊さんになられたそうでである。一昨年、突然に脳溢血で倒れられた。リハビリもされて居たけど、甲斐なく今年の夏、浄土へ帰られたと言うのである。今一度お話したいと思って居たのに・・・。慧光さんの法話は収録されて本になっている、その本を読んでは幼い頃の思い出を重ねて居る百合なのである。
⑩
「福ちゃんと桃ちゃんと泳ぎに行って来ます。暑うてたまらんけぇ・」可愛川の浅瀬・・吊り橋からちょっと下に下った処。小さな砂場がある。そこでポチャポチャ遊ぶのである。まだ学校にプールはない頃である。その日も、パンツとタオルを袋に入れて福ちゃんの家に誘いに行く。朝、ラジオ体操の後約束しているのだった。『夏休み帳の今日の宿題済んだら、三人で泳ぎに行こうね』と・・「福ちゃん行きましょ・・」勝手口から入って待って居ると・・福ちゃんは何やらグズグズ言って、お姉ちゃんを困らせていた。「どうしたん?福ちゃん・・早く行こう。桃ちゃん家で待って居るよ」「ふわふわなタオルが無い言うとるんよ」とお姉ちゃんが言った。世の中ボチボチちょっと良い物を求め始める頃になって居た。「タオル?フフフ・・あのね内のタオルはね・・レースなんよ・・ウフフ」百合はウフフと笑っていた。「えぇっ!」福ちゃんもお姉ちゃんも驚いていた。「ほらね!見て・・」百合はタオル地が薄くなって、所々にレースのようになって居る処を見せて居た。「ウフフ」「ウフフフ・・」「フフフフ・・」「ァハハハ・・」皆で大笑いしたのである。
川の畔の小さな砂場、草むらで服を脱いでシミーズとパンツになり浅瀬でポチャポチャ水遊び・・。「さっきね草むらで蛇を見たんよ。ニョロニョロあっちに行ったよ。つついたらいけんよ!」家で教えて貰うのであろう。桃ちゃんは落ち着いている。「蛇も暑いから水浴びに来たんかね?」「そうかも知れんね」「ウフフ」ドジョウを捕まえては逃がして見たり・・メダカを掬って見たり・・川面はキラキラ光って眩しかった・・。男子上級生はと言うと流石・・流れに逆らったり、流されたりして、水しぶきを上げて泳いでいる・・。
現在の百合家のタオルは・・この事が心に残るのかどうだか分からないけれど・・湯上りのバスタオルはふわふわが良いと思うけど・・体を洗う時は薄い方が好き。レース迄は行かなくてもいい。宿で貰うタオル位の厚さがいい。そして最後には雑巾に縫ってボロボロになってから「お疲れ様・・」と役目を終えるのである。戦後生まれ、物の無い時代を生きた証かな?
⑪
何時であったか?やっぱり日曜学校の後であったかな。竹林寺で皆で遊んでいると「百合ちゃん~おいで・・」坊ちゃんが手を引っ張るのである。「えっ・如何したん?」欄干の下まで来た時・・えらい優しい・・今日はどうした事かと思った。「なぁに?」「こっちにおいで・・」「どうかしたん?」その時の事、繋いでいた手を急に持ったのである。そして百合の腕を・・抓るのである。「えっ!」びっくりして坊ちゃんの顔を見た・・目を見た・・平然としている。そうなら百合も平然として「痛・事・無!」と言った。痛い事無いを早く言うためである。痛・事・無を負けずに澄まし顔で言った。そうすると酷く抓るのであった。「痛・事・無!」と澄ました顔でまた言った。・・そうすると又一段と強く抓るのである。百合は泣きながらでも「痛・事・無!」と言っていた。側に居た姉麗子は、笑いながら「泣く位なら、痛いこと無いと言わんのよ。痛いと言うんよ」と教えて呉れた。少しして坊ちゃんは笑いながら手を放してくれた。今でも思う事がある・・何でじゃろう、百合がどうするか試したんじゃろうか。それとも百合の将来の試練の為の練習?鍛えて居るつもりかも知れない。子供の頃の出来事は全てが血となり肉となって、その人格を作るのだろうか。この後もニ三度抓られる事があって、母美子が「これこれ坊ちゃん・・」と注意したのである。そうすると「ポォーン」上がり框にあった下駄が空高く高く飛ぶのであった。下駄は平屋建ての屋根を高く飛び越えて裏の竹藪の何処かに落ちるのである。前にも投げられた事があり、母美子は「坊ちゃん~投げるなら・・両方投げてよウフフ・・これ片方よ、はいどうぞ」「はい・・すみません」坊ちゃんは気まずそうに頭を掻いて居た。坊ちゃんは百合を虐めていたのではなく、鍛えて居たのである。それを怒られるので腹が立つのであろう。
⑫
秋・・黄金色に輝いている稲穂の小道はバス通りから外れて、自然に子供たちの帰り道になった。排気ガスの臭いより稲穂の成長する姿を近くに見ることが出来るからいい。道草をしても車は通らないからいい。竹林村の子供達が五~六人で帰っている・・吊り橋を渡って欄干の処に来た時の事・・「ここから飛んで遊ぼうや」元気で活発な子が言った。皆ぴょんぴょん欄干から飛んでいる。楽しそうである。百合は・・初めてである。飛べるかな?どうかな?でも皆飛んでいる。怖いけど「エイ!」と飛んだのである。しかし・・「痛い!」立てない。皆は「どうかしたん?」「どうしたん?」「うん大丈夫。ちょっとね」我慢強い百合、でも歩けないのでしゃがんでいた。そこへ日出ちゃんのお母さんが自転車で通りかかり「お母ちゃんに知らせるけえ、待って居りんさいよ!」稲刈りの手伝いをしていた母は、慌てて抱き抱えてくれた。直ぐに大きな病院に連れて行って・・レントゲン。右足大腿骨を二ケ処、骨折して居ると診断された・・即ギブス固定・・白い石膏で固定されて、その上を包帯でグルグル巻かれたのである。「半年このままにして置いて下さい。必ず元通りに治りますから。松葉杖を注文しましょう」という事になった。若い医師がテキパキと処置し、後は看護師に指図している。連係プレイは見ていても心地よい。お任せします。よろしくお願いします。「直ぐに大きな病院でレントゲン撮影をしてもらって良かった!」母も安堵して言った。
その後はと言うと、一日だけ学校を休んで・・母美子は「百合ちゃん・明日から学校に行こう。おんぶして行こう」と言うのだった。それからは母におんぶして貰って登下校したのである。朝は皆と一緒に学校へ・絞りの帯をおんぶ紐にしていると「綺麗じゃね・・これ絞り?」と広江ちゃんは触っていた。授業中は教室の後ろで編み物をして待って居るのであった。おしっこの時困るからである。重いギブスを付けて松葉杖で、小さな体でトイレは出来ない。心配だったのであろう。母に抱き抱えて貰って用を済ませるのである。雨の日も風の日も雪の日も、それは春まで休まず続けて下さった。
その当時、田舎では給食は無くて・・冬の間だけ地区のお母さん方が当番で、全校生徒のみそ汁を作って下さるのである。地区に分かれて五六人ずつ順番であろうか。みそ汁が出るので生徒の弁当はご飯と梅干とか沢庵とか、少しのおかずでいいのである。温かいみそ汁は好評であった。その地区のお母さん方が話し合って、得意なみそ汁が振舞われるのである。明日は二学期も終わりと言う日、例年みそ汁も最後の日は先生方が作って下さるのである。その為四時間目は自習になった。でもその日、先生は教室に帰って来て「百合ちゃんのお母さんが当番をして下さるので・・皆と勉強が出来る事になった」と言われた。皆も嬉しさ半分・・という気持ちかな。川本先生若くて、みそ汁を作る事出来るかな?当番は似合わない?・・母美子はそう思ったのかな?
セーターが出来た時はとても嬉しかった。落ち着いたオレンジ色の純毛の毛糸、銘柄はスキー毛糸だったか?胸元の処は臙脂色の毛糸で、中に女の子が手を繋いでいる編み込み模様があった。姉麗子の胸元は紺色の毛糸で、お揃いの編み込み模様のセーターである。とても可愛い。胸元に編み込み模様があるなんてちょっと他に無いと思った。母の事、何だか誇らしく思って着ていたのである。その毛糸は百合が高校生になても編み変えて貰っていた。(麗子と百合の毛糸を合わせて地模様のあるカーディガンが出来ていた。しっかり編んであるので型崩れしなかった)
冬休みの宿題に作文を書かなければならない。「作文・何を書こうか?」
「冬休み帳の今日の処は済んだよ。作文何を書こうか、お母ちゃん。ねぇねぇ」「何でも良いんじゃないん・・」母は編み物をしながら言った。炬燵に入って勉強と編み物、距離が近くていい。「う~と、え~と、猫の白の事でもええかね?」「ええと思うよ。書いて見んさい」猫の白を拾った時は・・産まれたばかりで、まだ目も見えない様子。朝から小雨が降っていた・・竹林寺の鐘撞堂の石垣を登ろうとミャーミャー鳴いて居たのだった。連れて帰って「飼ってもええ?飼って・飼って」とねだったのである。「内は猫が嫌いなんよ」と母は言ったけど・・何とか飼う事を許されて、白という名が付いたのである。全体が白い毛の猫で、黒の模様が尻尾とか、足とかに少しあるだけである。「猫なのに犬かと思うような名前なんじゃね」という子もいたけど「そう云えばそうじゃね・・でも、もう白と言ってるから」・・作文は大体・・母に聞きながら、書いたので覚えていない。・・三学期、学校新聞に載っていた。
春になってギブスを外す時が来た。ベットで先生はノコギリでギブスを切っている。病院とノコギリ不釣り合いだなと思った。そこで左足より細くて垢まみれの足が出て来た。揃えるとちょっと短いかな?「すぐに元に戻りますから・・歩いて見て下さい」「先生ありがとうございます。今日の日を夢に見ましたよ。ちゃんと歩けて良かったです」母は安堵して何度もお礼を言っていた。
⑬
二年生になった。女の先生が担任である。名前は伊井先生。保健室の先生がクラスを受け持って下さったのである。それ程生徒の数が急に増加したのである。色白で美人の先生であった。男子生徒が騒いでいると・・チョークが飛んでくる。きつい先生であると、誰かさんのお母さんが言っていた。ふぅんーそれをきついというのかーと思った。「百合ちゃんの洋服・・少し目立ちますね」家庭訪問で言われたようである。母は「いえいえ・・私が編みますので、それ程でもないんですよ。すみません」まだ辛うじて父から月々のお金は入っていたのであろうか。伊井先生は二年生と三年生を担任して貰って、お嫁に行かれたのである。学校近くの、広い田畑がある分限者であると聞いて居る。
何時ものように、竹林村の子供達がグループになって帰っていた。福ちゃんも桃ちゃんも居た・・。吊り橋の処まで来た時の事、橋を渡ろうとして足を一歩踏み出した時の事である。吊り橋がゆらゆら揺れ出すのである。如何した事か・・橋の向こうを見ると・・橋の中頃よりちょっと向こうで、坊ちゃんが揺らして居るのである。日頃研究して居た事を、試して居るのであろうか?何処を揺らすと一番効果があるとか無いとか。いつも大人びた事を言う桃ちゃんが言った「もう一つ上の吊り橋を渡ろう・・」「そうしよう・そうしよう」福ちゃんも皆も言った。「えぇっ!渡れば近いのに・・」早く帰りたいのになと思ったが、桃ちゃんも福ちゃんも上級生である、従って置こうと思った。
皆で道草しながら、上の吊り橋を渡って家の近く迄帰ると・・竹林寺の五時を知らせる鐘が鳴り出した。坊ちゃんは竹林酒造の門の辺りの掃除をしていた。させられていたのかな。「イイーダ あっかんべー」
それからニ三日後・・百合は一人で下校して居た・・。橋の袂迄来た時の事、また坊ちゃんが吊り橋の中頃に居るではないか!如何しようと思う間もなく、吊り橋が揺れ出すのである。ニ三日前、遠回りした為、帰りが遅くなった・・。渡る事にして仁王立ちになった。挑戦である。橋の真ん中を走って帰られると思って居た。ところが、吊り橋はだんだん大きく揺れ出した・・。風のゴーと云う音と共に百合は倒れてしまった。橋板の隙間から見える、深い緑色の川はゴーゴーと音を立てて流れていた。欄干に摑まると、ギシギシと音がして怖い・・。吊り橋の揺れは絶頂期である。摑まる処がない・・。橋板を補修している板、1センチばかりの出っ張りを掴んで、前に進もう・・。しっかりは掴めない、ランドセルを背負ったままゴロンゴロン少しでも前に進もう・・。ゴロンゴロン・・ゴロンゴロン・・。橋板の隙間から、ゴーゴーと水しぶきをあげて流れる、深い緑色の川が見える。そして・・ヒュウヒュウと体に当たる風の音・・此処は何処・・! これからどうなるのかな!と思った。橋の真ん中を過ぎた頃・・ちょっと揺れが小さくなった。(坊ちゃんの手加減か)百合は透かさず立ち上がり、走り出して叫んだのである。最も強い人の名を・・「お母ちゃんに言うちゃるけー。あっかんべー・イイーダ」
息急き切って言うのである・・「ただいまーお母ちゃん・・坊ちゃんが吊り橋を揺らすんよ!怒ってよ!」「それで百合ちゃんはどうしたん?」「渡って来たよ」「まぁ・・フフフ・・」母は笑っているだけであった。
⑭
竹林寺の裏庭・納屋の前で羊の毛を刈っていた。「本当にバリカンで刈るんじゃね。大きなバリカン、絵本で見た事あるんよ」羊の白い肌が見えて来て、見る見る内に薄いピンクの裸ん坊になった。羊は気持ちいいのかな「メェ~」と鳴いた。もこもことしたグレーの羊の毛は、工場に持ち込んで毛糸にして貰うのだという。「毛糸になったら、百合ちゃんのお母さんに編んで貰う・・。もう頼んであるじゃ・・」慧光さんは楽しそうに言った。「お母ちゃんは編み物も上手なんよ・・内が冬に着てたでしょ、胸元に編み込み模様のあるセータ―も編んで貰ったんよ。いいでしょう、ウフフ」
母美子は編み物教室を持とうと思案した事がある。(百合小学校入学前)何日かの講習を受けていた。一緒に行っていい子で待って居たから覚えて居る。当時の編み機は手編みをする人にとっては、まだ納得出来なかったという。編む度に編み機の下に毛糸の毛が落ちて居る。毛糸が細くなるから嫌だと言った。手で編む人の思いなのである。さて秋になってオフホワイトの毛糸が届けられて、母はせっせと楽しそうに編んでいた。一カ月位掛かって身頃と袖に縄編の編み込み模様のある、温かそうなセーターが出来上がった。竹林寺に届けると・・皆さまに大変喜んで頂いたそうである。慧光さんの学生生活を彩った事であろう。
⑮
鶏を飼っていた事がある。父悟は、木小屋の隣に簡単に鶏小屋を作っていた。鶏の世話は姉麗子と百合の仕事であった。ままごと遊びのように、水菜や大根葉を小さく切って、雑穀と混ぜて上げるのである。水も忘れてはいけない。小屋の掃除も役目であった。雑穀は買って置いてあるので、世話をすると卵を産んで呉れる・・10個位になると持ち込む家が在った。そうするとお金が貰えるので嬉しかった。この村で集配して、また大きな集配所へ持ち込まれるのであろう。只・・我が家で、生き物は長生き出来ないかも知れないと思った。一羽は病気だったかな?・・最後の一羽はイタチが侵入して食い散らしていた。
以前、父悟がヒヨコを買って来た事がある。100羽だったか?「これを育てて、卵を産むようになったら・・買うてくれるそうな。高い値段でのぉー」
「また可笑しな事をして・・こんな小さなヒヨコ育ちますか?育てるのは誰ですかいね!困ります・・」母は眉間に皴を寄せながら言った。父の説得もあり、姉麗子と百合が世話をする事になって・・その時に簡単に鶏小屋を作ったのであろう。計画と云うものが無い父であった。人に勧められて・・そうかのと思い、買って来る。世話とか育てるとかの思いは、微塵も頭の中に無いのである。高く買い取ってくれる・・だけで信用するのである。ヒヨコは死んだ事もあるが、半分以上は残って居た。そして少しずつではあるが大きくなって居た。麗子のお蔭なのである。餌を上げる前に、小屋から出して我が家を一周させていた。麗子が運動させると元気に育つからと思いついた飼育法である。餌作りは百合のままごと遊びであった。小さかったヒヨコは麗子と百合の世話で元気に大きく育った・・。急に・・明日、引き取られて行くと云うのである。麗子はしょんぼりしていた。百合は意味がまだ分からなかった。
只・・父が帰って言うには「金にならんかった・・雄ばっかりでの~三羽は雌じゃった」父は随分しょげて帰って来たのである。(最初から分かって居たでしょうに・・業者でしょうが!雌、雄の鑑定位出来るよね。また騙されたんよね)と母は思って居ただろうけど、もう何も言わなかった。そんな訳で我が家に鶏が三羽来たのである。貰って来たのか、買って来たのか分からない。皆に申し訳ないと思っての事だろう。
⑯
我が家で、御馳走を囲んで楽しい夕餉と云う思い出は無いな・・。父が女を囲っていて家に帰らなかったから・・。ガスコンロがある訳では無く、釜土であるから煮たり焼いたりで、料理も限られている。水はと云うと、釣瓶で汲む井戸なのである・・仕方ないかな。それに我が家は、だんだん貧乏になって居るようであった。他の家では、台所の模様替えもボチボチ施工されるようになっていた。でもまだ水道ではない・・井戸から汲むポンプ、画期的なポンプというのである。そんな日々、隣村の叔母の家に御呼ばれに行くのである。村祭りの日、盆踊りの日などは、沢山の親戚が集まり和やかな時を過ごすのであった。あの美人の美子姉さんの子と云うので、皆に可愛がって貰った・・。この地区は吉田郷の入り口にあり、山と川に挟まれて居て、狭くて細長い土地柄である。戦国時代は毛利氏の要塞の役目を担ったのであろうという。また江戸時代には、行列の休憩所としての庄屋をしていたのである。一代前の男子が七人だったか?六人だったか?居てそれぞれ分家したり養子に出たりして、村での勢力を伸ばしていた。百合の祖父も、この家から出ているというのである。祖父と祖母が離婚して居るので、一度しか会った事が無い。どことなく父と祖父は似ていると思った。親子じゃから・・。母はこうして、日頃の気晴らしをして居たのかも知れない。麗子や百合にも一族の楽しいひとときを教えて、見せて居たのであろう。
家の食卓では・・母は何時も言うのである。「好き嫌いはいけんよ、何でも食べて元気になるんよ。ほうれん草は、根っこの赤い処に滋養があるから食べるんよ」「嫌よぉ・・この前砂があったけぇ」「ごめんごめん今度は無いよ・・ほらね!食べてね」「うんうん・・食べれた」「山羊の乳貰って来たんよ・・百合ちゃんに飲ませて上げて、と云うてねU君のお母さんが・・」「うぅん・・ちょっと嫌よぉ・・飲みにくい、くさい?」「滋養があるんよ!百合ちゃん元気になってね」母は何かに付けて、滋養があるからと云うのである。「元気になるんよ・・」母美子の願いなのである。滋養とは体をやしないとなる食品・・栄養とは新陳代謝を行わせ、体を健全にするための働き・・とある。同じ様な意味であろうか・・時代の風潮かも知れない・・江戸時代のレシピ本によく滋養の言葉を見る。
⑰
簡単に夕食を済ませて、夜は三人それぞれの用事をするのである。姉麗子は中学生・・英語のスペルを覚えて居た。発音もしっかり勉強して居た。母美子は内職の着物の仕立てをして生活費を稼いでいた。百合も宿題の書き取りをしていた。こんな静かな夜は、母の思い出話が出て来るのである。「金は天下の回りもの・・いつかまた回って来るからね。卑屈になったらいけんよ。道理の通らないお金は欲しがらんのよ!お母ちゃんが子供の頃はね・・百合のお祖父ちゃんは村長さんでね。手当は少ないんよ、名誉職じゃから・・。でも、家に田畑があるからね。街の子供服専門店で誂えて貰った洋服を着てたんよ。我儘してたよ。学校に友達と一緒に行くのにね、迎えが早くてもいけん!遅くてもいけん!丁度いい時に来てよね。軒先に旗を出すから・・とか言うてね。それで小さい子なりに考えて、旗が見える土手まで来て、じっと待って居たらしいんよ。旗が出たら直ぐに走って来てくれてね・・・。ウフフ我儘じゃったね私・・。お祖父ちゃんは情に厚い人だったよ。遠い親戚の子、兄弟を育てて居たんよ。親を亡くした子供だった。上の学校に行くよう勧めて居たけど・・これからは自動車じゃ言うて、自動車の修理見習いをする云うて聞かんかった・・。遠慮もあったんかも知れん。見習いが済んで・・いち早く自動車修理工場を立ち上げたのが上のお兄さん。下のお兄さんはいち早く、自動車学校を立ち上げて居るんよ。先見の明というか、苦労の賜と云うものか。苦労すると見えて来るものが有るんじゃろうか。私等お兄さんと呼ぶし、お祖父ちゃんの事を何時までも親父と呼んで慕って貰ったよ・・。
お祖父ちゃんは同和問題にも取り組んで、部落解放を推し進めたんよ。まだまだ形式だけじゃったかも知れん。人の考え方とかは直ぐには治らない、心が癒されるまでは何年も掛かるじゃろうね。登庁は白い馬に乗って・・。駿と云うその馬は軍隊から払い下げて貰ったええ馬じゃったんよ。よう訓練されとった。馬小屋を開けると・・サッと馬留の処まで来て、ご主人様を待っとるんよ。その姿は雄姿じゃったよ。口髭を生やしたお祖父ちゃんと良う似合ったよ・・。ある日の事・・『隣村で草競馬がありますけー、この馬を貸して貰えませんかの―。名馬ですよの~』と褒められて、貸して上げたんよ。「優勝?・・」それがね・・ええ走りを見せて颯爽に一番で走って居たそうな。誰もが一番だと思って居たという。ところが・・ところが駿がテープの前まで来ると・・ピタっと止まって仲間を待つんじゃそうな・・!整列するのだろうか・・その内全員ゴールイン。二回目も同じじゃった。と、返しに来た人が言うたそうな・・」「アハハハ・・アハハハ・・」「ウフフフ・・ウフフフ・・どうにもならんかね。馬は偉いからね」「草競馬の前に、今日は競争じゃからとようよう言うて聞かせて、その後に練習したら如何かね?」「如何かね?アハハハ」姉麗子も百合も転げ回って笑うのであった。
お祖父ちゃんにもいろんな事があってね。お酒飲んで馬に乗って帰る途中で小川に落ちて。馬がご主人無しで帰って来て、大騒ぎして・・・。お祖父ちゃん足が悪いのはその時の怪我が原因なんよ。
お酒のせいで、人生の失敗もあるしね。
お祖父ちゃん、若い頃に野田市にある近衛連帯、近衛兵に入隊しとるんよ。入隊するには規約があるらしい・・。税金を何円以上払って居るとか・・背が高くて・・美男子であること。とかあるらしいよ。でもね、色が黒かったらいけんとかは書いてないらしい。それでお祖父ちゃん芯黒でも合格よ。まぁね日に焼けて黒うなった人も居るじゃろうから・・ウフフ‥アハハ・・。そんな規約本当にあるん?あっ・・内お祖父ちゃんに似たんじゃね・・。お姉ちゃんはええね、色が白うてええよ」「百合ちゃんも大きゅうなったら、色白になるよ・・」「本当に?」
軍隊から帰ったら、結婚する事になって居た女性も居たんよ!入隊前に結納を済ませて、帰ってきたら結婚式を挙げるだけになって居たらしい。でもね、軍隊から帰ってきたら、お祖父ちゃんはその人との結婚を止めると言い出して・・。親は困ったと言うよ。財産分与までしていたから。どうしても止める、結婚しないと云うので、お金はそのまま。結婚にはそおいう決まりがあるんよ。結納貰って断る場合は倍返しよ。断られる方はそのまま頂き・・。人の一生が掛かって居るんだから、軽はずみな事は出来ない訳よね。その人は凜さんと言うてね、美人で口八丁手八丁と云うくらいにシャキシャキ仕事をする人だった。田植えとか稲刈り・・今でも若い人は付いて行けないと言うよ。凛さんは結婚せずに養女を貰って、成長を楽しみにしているよ。お祖父ちゃんは静お祖母ちゃんと結婚して私等八人の子供が居る。お祖母ちゃんはおっとりして静かな人、凛さんとは真反対の性質よ。お祖父ちゃんにとって、人生の分かれ道・第一回目という処じゃね。
⑱
竹林寺の日曜学校・・奥さんの細い綺麗な声での法話はよく通る・・皆は食い入るように聞ていました。小学校二年生、覚えて居る範囲です。(仏典を調べると良いのだけれど)
ある日の午後、お釈迦様は講堂を過ぎて書院近くの、ある部屋の前を通られる時の事でした。・・中から何やら可笑しな声や音がするのです。「クソォ・俺が先だ!俺が先だ!ガチャガチャ・ガヤガヤ・・」何事であろうかと、お釈迦様はドアをそおっと細く開けてご覧になりました。その部屋には・・ギスギスとして鋭い目付き、ゴツゴツとして痩せた人たちが、大きなテーブルを囲んで我先に・・食べ物を争って居る処でした。真ん中にお皿が一つ置いてありました。お皿の中にはカレーが入っている様です。お皿の横に柄の長い大きなスプーンが置いてありました。お釈迦様は、そのカレーをこの部屋の人達はどの様にして頂くのか、少しの間見て居られたのです。そうすると・・スプーンの奪い合いから始まって・罵声・掴み合い・大騒ぎになりました。やっとの事で一人がスプーンを奪ったのですが・・柄の部分が長すぎてカレーを掬っても食べる事が出来ません。仕方がないので、スプーンを立てて自分の顔の真上で落として居るのです。ペタン・・「クソォ食べられないぞ!誰がテーブルの真ん中にカレーを置いたんだ!なんでスプーンの柄が長いんだ!誰が悪いんだ!」カレーは服やテーブルクロスにまで飛び散って、部屋は無残な有様になりました。「クソォ!食べられないぞ!誰がしたんだ!世間が悪いんだ!」とうとう世間が悪いという事になりました。「遅い!早くよこせ!」「早くせえ!」「いつの間にかカレーが無いぞ!」・・・
この部屋では、永遠にこの有様が続くのでしょうか?お釈迦様は悲しいお顔をされていました。
お釈迦様は、隣の部屋の前に立っていらっしゃいました。何だか楽しそうな歌や笑い声が聞こえて来たからです。覗いて見たくて仕方ありません。そおっとちょっとだけドアを開けて覗いてご覧になりました。隣の部屋と同じ様に、大きなテーブルに真っ白いテーブルクロス、真ん中にお皿が一つ置いてありました。お皿の中はカレーの様でありました。そして柄の長い大きなスプーン・・みんな、隣の部屋と同じしつらいでした。ところが皆の顔は穏やかで、ニコニコと楽しそうにお話しています。歌を歌っているグループもありました。この部屋の人達は、あのスプーンでどうやって頂くのだろうかと、お釈迦様は気掛りでした。さてさて食事の時間でございます。皆は、先ず長老の人にスプーンを進めています。「それでは、お先でございます」と長老は、皆に一礼をしてスプーンの柄を取りました。あっ!あっ!あっ!・・スプーンはテーブルを回って真向いの人の前に止まりました。「ハイどうぞ!」「ありがとうございます」真向いの人はお礼を言って、美味しそうに頂いています。それでは隣の方に、順々にスプーンは渡って、順々に真向いの人の前に止まります。そしてカレーは掬っても掬っても無くならないのでした。お釈迦様は、安心されたご様子でした。ニコニコしながら書院に入って行かれました。お昼からの法務の前・・・ほんの少しの間の出来事でした。
⑲
母美子は何時ものように着物の仕立てをしては毎日の暮らしを支えて居た。この頃父は滅多に家に帰らなくなって居た・・。そんな時でも母に見守られながら、庭に描くお人形の絵、ままごと遊び、百合は一人でも楽しい時を過ごすのである。この頃父は、この村でニ三件、叔母の家の近くでも米や味噌そしてお金を借りて居ると言うのである。囲っている女の人の為にである。「内の近くに来てまで借金するんじゃぁ恥ずかしいけー。困るけ―」叔母が母に愚痴を零していた。何でこんな事になったのだろうと思った。仕事は上手く行っていないのだろうか。借りてそのままでは困ります。母美子の処へ請求されるのであった。証文はないが、貸して上げとるけーと言うのである。証文を持って居る人が来た。来たでいいかな?来られたかな?その人は町の有力者・・。町議会にも顔が利くと言う人である。六十歳前であろうか、胡麻塩頭で小太りである。裁縫をしている母は、手を止める事無く話を聞いて居たけれど。急に「百合ちゃんあっちに行って遊びんさい!百合ちゃんあっちに行って遊びんさい!」けたたましく言うのであった。仕方が無いので竹林酒造の裏門の処から、客と母の様子をじっと見て居たのである。何か良からぬ話をしていると思ったから、ここを離れる訳にはいかないのである。話声は聞こえて来なかった。そして何事も無くお客様は帰って行った。多分であるが、父の作った借金を母の体で返せと言うのであろう。あんたも寂しかろーよ。と言うのが殺し文句だろうか・・ちょっと聞こえた。場所を言って、そこに来たら証文を渡すと言うのであろう。異様な雰囲気であった。「何の話?・・」「何でもないよ、百合ちゃんは心配せんでもええよ」「うん・お母ちゃん。お母ちゃん・・」裁縫をしているの母の背中を抱きしめて、慰める百合である。「これこれ・・ここは針が落ちとるよ。鏝もあるし危ないよ。向こうで本を読んだら?」母の言葉で現実に戻る・・。
次の日の午後・・「百合ちゃん、ちょっと出掛けるけー・・ええ子で待って居るんよ。留守番してね」鏡台を見ながら、パフを叩いて化粧直しをしているのである。「何処へ行くん?ねえ、何処へ行くん?」「直ぐ帰るからね。心配せんでもええよ。ええ子で待って居るんよ」母美子は、足早に出掛けて行ったのである。着物は一張羅では無かった。・・・そして割に早く帰って来た。決着付いたのだろうか。サバサバしていた。またまた多分であるが・・奥さんに頼んで、力になって貰ったのであろうか?その後有力者は、何も言って来なかった。お金の請求も無いようである。奥さんのお蔭であろうか。いくら借りて居たのであろうか。その有力者も所謂二号さんを囲って居た。百合より二級下に女の子が居た・・。何十年も経って思い当たるのであるが・・町の有力者を相手に、このままでは済まないだろう。何も無ければ良いのだが、人はメンツを潰されると良からぬ事を考えるから・・。幼い百合と母美子は気が付かないで居た。母はまだ三十代半ば・・百合と麗子の成長だけが楽しみなのであった。
⑳
竹林酒造は再開の運びとなった。近くの人総出でお手伝いをしていた。酒樽が並ぶなまこ壁の酒蔵の外(酒蔵の中の掃除は酒造会社の人の役目と言うのであろうか)の掃除、庭木の剪定、木立の伐採。酒蔵のなまこ壁の補修・・。掃除や剪定そして補修が済むと酒蔵は随分明るく見える。竹林酒造の再開は村の人も待ちに待った日なのである。後は酒米の苗を植え付ける為の準備である。農機具、犂などの手入れが忙しい。五月には竹林酒造の前、一町の田圃に花田植えをして、酒米の苗を植えるのである。太鼓を叩きながら振りを付け、歌いながら・・赤い襷をした早乙女・・派手な鞍を付けた牛が、花田植えを盛り上げるのである。例年、村の田植えの最終は、竹林寺と竹林酒造それぞれ一町の田圃で花田植えをして、五穀豊穣を願い華やかに締めくくるのであった。特に今年は竹林酒造は酒米(雄町)と言うのが村人にも喜びなのである。
お手伝いの人の中に見知らぬ若者が居た・・。年の頃は三十歳前後・・背も高く、日焼けしていて体格も良い。ニ三人のグループで楽しそうに庭木の剪定をして、その枝木を括る作業をしていた。男は力の要る剪定作業、その枝木を括る作業をしている。女性は木を拾い集める作業、そして掃き掃除である。母美子は久しぶりに笑顔を見せて会話をして居た。竹林酒造の再開準備も終わり、今日の処ボチボチ解散と言う頃・・・。「じゃあ又のー今晩行くけーのー」その男が大きな声で言った。その後自転車に乗って帰って行くのである。「えぇっ!」「えぇっ!」母美子と百合は首を傾げていた。如何言う事?誰に言うとるん?何処へ行くん?確かめる暇なんて無い、自転車に乗って帰って行った。不自然な言葉であった・・。
㉑
「久し振りにした外の作業・・庭木剪定のお手伝いで今日は疲れたね。ご飯にしよう・・。おかずはお母ちゃんが育てた畑の野菜よ、ジャガイモの煮付け(肉じゃがでは無くてイリコじゃが)とホーレンソウの胡麻和えよ、美味しいからね」「頂きます~。この頃ホーレンソウの赤い処も食べてるよ。好き嫌いも無くなったよ。美味しい!」「百合ちゃんも元気になった。お蔭様よ。生まれた時は小さくて弱弱しい声で泣く赤ちゃんでね。育てる事が出来るじゃろうかと、心配したんよ。それに母乳に栄養が無くて(戦後だから良い物食べてないから)・・お乳を飲んでも体重が増えない。それで離乳食に切り替えて、重湯にしたり野菜をすり潰して、何とか大きくなったんよ。これ迄が大変だった・・」母美子は感慨深く言った。「百合ちゃんを身籠った時、夢を見てね。神様か仏様かの声がしてね大事に育てよ!と言うので・・。それで期待していたんよ男の子かと思ってね。でもね~弱弱しい声で泣く、小さな女の赤ちゃんだったよ。お父ちゃんも私も一生懸命に育てたんよ」「ふぅんーありがとうね」「お姉ちゃんは元気で病気一つせんで大きゅうなった。長男は、丸一歳の誕生日の日に・・百日咳で亡くなってしもうた。抗生物質の注射・ペニシリンがあったらね・・戦争中じゃから、うち等にはなぁんも回って来んかった。あの子が生きて居たらー。我が家の様子が違うじゃろうね。お父ちゃんも所為がええじゃろうにー。生きて居たら六年生・・坊ちゃんやマー君と一級上じゃねぇ」湿っぽくなった感じがして、母は話を切り替えた・・「百合ちゃん明日の準備出来とるん?宿題済んだら、お姉ちゃんに見て貰いんさい。そしたら本を読んで貰えるかも知れんよ・・」「はーいお姉ちゃん・・宿題帳に○印付けてね。それから後で本を読んでね」「はーい宿題は国語。丸丸丸・・ここちょっと間違いよ。秋と言う字の偏が違うよ。木偏じゃないよノ木偏よ、直して下さい。はい、ありがとう。本は何を読むん?」「これよ!」「またかぐや姫?もう覚えたでしょうに・・何回もウフフ」「ウフフ・・覚えたけど読んでぇ。かぐや姫のお話好きなんよ」「麗子も百合ちゃんもお疲れ様・・お母ちゃんも、もう直ぐ寝るから・・寝の谷で待って居てね」「はーい。おやすみなさい。寝の谷って何処?」「あのね・・叔母ちゃんの家を過ぎて分水嶺を過ぎて、広島に行く時に断崖が在るでしょう。バスに乗っていると、何回もくねくねして絶壁を降りるよね。そこがね、根の谷という処よ」「ふぅ~んそこが根の谷か?寝ると関係ある寝の谷は?」「え~と~夢の中よ。急に眠りに落ちる処・・」「まぁいいかな・・はーい、おやすみなさい。寝の谷で待って居るからね」「おやすみなさい」
「昔々、ある処におじいさんとおばあさんが住んで居ました。ある日、おじいさんが竹を取りに竹藪に入ると・・」
「昔々、竹林村という処におじいさんとおばあさんが住んで居ました・・」「これこれ‥ウフフ」
その夜の事・・夢の中で、ガタゴソ・・と言う音を聞いた。懐中電灯の小さい灯りが動いて居た気がした。何なんじゃろうか・・眠って居て起き上がれない・・・ウウ・・。
㉒
「おはようお母ちゃん、お父ちゃんは?」百合は父悟が家に帰って来た・・そんな感じがしたから聞いたのである。炬燵に入って、母はキョトンとした顔をしていた。いつもなら編み物か何かをしている母なのであるが・・。何が何だか分からない。夢かも知れない。不思議な事があったと言う感じである。「お父ちゃんは?帰ったん?」「うん・・」と頷いただけであった。玄関の板戸が、片側外れて居る・・。何でじゃろうか・・。百合にも母美子にも解らなかった。
次の日か、その次の日であったか・・。何時もの皆と遊んで居ると・・「泥棒に入ったんじゃがのー、なぁんも取る物が無いんじゃ・・貧乏でのぉー仕方が無いけー奥さんを娶った・・アハハハ・・アハハハ」誰か大人がそんな事を言って居るのが聞こえて来た。それとも百合に聞こえるように言ったのか?
ニ週間位してまた同じ風景である。炬燵に入って居た母に・・「お父ちゃんは?また帰って行った?内、用事があったのに・・」百合は残念そうに言った。「うん・・」母美子は、また頷くだけであった。信じられない程、不思議な出来事なのである。何じゃろうか?「お父ちゃん何で、黙って帰るんじゃろうか?」
U君とマー君と日出ちゃんと遊んで居た。竹馬に乗って一列に道を歩くのである。高学年のマー君が指導して、自分達で作った竹馬である。竹に足を置く為の、丁度良い枝がしっかりと針金で括ってある。それぞれ足を置く位置・・高さが違えてある。マー君は得意そうに高い竹馬に乗っている。U君と日出ちゃんは20センチ位の高さにして乗って居た。二人共やっぱり得意そうである。百合には低くして貰った。地面にスレスレの高さである。それでもあまり上手くはない・・。日出ちゃんのお父さんが側に居て(百合に伝わるようにとの思いか)マー君が言った。「この頃お父さんの居ない家にドロボーが入って、奥さんを悪戯して帰るんじゃと・・。昔からよおある事よ」と言った。「えぇっ!嫌だ!何処?何処の家?」「あっち・・」お父さんが亡くなっている家を手でちょっとさした。「そこ・・」そこは戦争未亡人の家の方向である。「此処・・」此処は百合の家、その方向に手が行った。「うそぉ!内にはお父ちゃん居るもん」と言っていた。でも時々しか居ないか・・と思うのであった。マー君は昔からようある事よと言った・・夜中に誰か忍び込んで朝方は居ない。そんな常識、内にはないよね! その夜、母に伝えた・・「この頃お父さんの居ない家にドロボーが入るんじゃと・・奥さんを悪戯して帰るんじゃと・・」母はまさかと思っていたのであろう。そのまさかなのであろうか!大変な事である。前もって、皆は用心して居るのだろう。母は何を言ったか?どうしていたか?顔の表情も全然思い出せない。多分「ふぅんー」であったか?
五右衛門風呂の釜に水を入れるのを忘れて、お風呂を沸かして(空焚き)して慌てて水を入れて・・風呂釜がひび割れしたのも、この頃であろうか。
姉麗子が言う事を聞かなかった時・・ハサミを庭の地面に投げたのもこの頃であろう。幼い百合は見て居ても、どうする事も出来なかったのである。
㉓
この頃、着物の仕立ての仕事もあまり来なくなっていた。何か噂が出回っているのだろうか?五右衛門風呂の釜がひび割れて、お風呂に入れなくなった。もう修理しないのだろうか。夏は行水をして時々貰い湯、お風呂に入らせて頂いた事を思い出す・・。飼っていた山羊が、肥え壺に落ちて死んでいた。父が河原の畑に埋めて居た。この様な生活を・・何もかもが悪い方向に行く、どん底の毎日だった。という事だろう。
そんなある日・・父悟が帰って来て炬燵に入っていた。「あっ・・お父ちゃん帰って来たん・・長い事如何しとったん?」「お母ちゃんが話がある言うんでの、なんかの?」「ふぅんーなんかね?」大事な話がある時は、何時も幼い百合が同席して居るなと思う。百合が居る事で、話の証明もしてくれる。そして冷静に話が出来ると云うものだろう。中学生の姉麗子ではない。麗子は知恵もあるし、ペチャクチャ喋るからであろうか?その場が進まないと思うのか?又は外で喋って欲しくないからであろうか?百合はこの幼い身で口が堅いのである。「五右衛門風呂の釜を取り換えて欲しいんですが・・」「うん・・ちょっと待って呉れ・・」父の返事は煮え切らない。何時もの事である。家族がどんなに困って居ても、自分の事しか考えられない人なのである。「赤ちゃんが出来たんですよ・・もう出来ないのかと思っていたんですがね。ありがたいことです」「えぇっ!何?・」驚いている。間をおいて・・「あぁそうか‥。もう診て貰ったんか」「ハイ診て貰いました」「予定日は?」父は外に女と暮らしている。驚いていたけれど、思い当たる事もあるのだろう。「四月二十日ですよ」「育てられるかのぉー金が無いのに」「昔の人が言うように・・子供は食い扶持を持って生まれて来ると言いますよ!」「ほうよのおー何とかなるかの・・」「えぇっ!本当?・赤ちゃんが出来たん!内、赤ちゃん欲しかったんよ・・嬉しい!いっぱい遊んであげるよ」百合はとっても嬉しかった。お姉ちゃんになりたかったのである。「でもお父ちゃん・・噂があるんよ!お父さんの居ない家にドロボーが入って、取る物が無かったけー奥さんを娶ったという・・お父ちゃんが家に居ないから、そんな噂も出るんよ。麗子と百合の為にも帰って来て下さい」と母は言った。母美子は乱視の入った、度のきつい眼鏡をかけて居る。若い時蓄膿の手術をしていて、匂いが全然解らないのである。「人間では無かったかも知れん・・」と言った。「人間では無かった」この言葉は記憶に残って居る。人間では無い・・動物という事か?熊かな?鬼かも知れん。神楽の題目に、鬼が村里に出て来て娘を浚う話がある・・。それとも昔からよくある・・違う人が入って来ても分からなかった。夫が帰って来たと思い込んで居たのであろう。真っ暗闇で顔が見え無いのだ。噂が本当なら、住居侵入、婦女暴行罪で訴えると良いと思う。しかし訴えられない様にしてある。(合意の上だと言うのだろう)初対面の人に、あの言葉は可笑しい・・と思った。竹林酒造再開準備の日の『今晩行くけーの』と大きな声で言って帰った・・あの男。誰に言ったのか分からない。意味も分からない。首を傾げた事を思い出す。又、当時の世相では婦女暴行の問題は訴えても勝てない事が多いと言う。女の立場は弱かったのである。人の噂も七十五日と云うけれど・・そうはいかない風習に出会ったようである。意味が解らないからである。泥棒ならば、摑まりたくないから本人は黙っているだろう。寧ろ隠れて居る筈・・。婦女暴行でも、変質者でも自分からは言わない。摑まりたくないから黙って居るだろう。ドロボー本人が噂を流す目的が解らない。我が家の破滅を狙っているのだろうか。その事で父も母も離婚の事は考えなかった。父は既に女の人が居た。母は誰かと再婚するのか。その選択肢もあった訳である。しかし母は耐えて居た。父悟は親が離婚して、養子に出されている。親の愛を知らないから・・愛を求めての事であると・・我が家の現状を子供達に語って居た。「麗子も百合も親の姿を見て、自分で判断して生きるんよ。良い処は見習って、悪い処は反面教師として見る事よ。親の愛を求めてマイナスから考えてはいけん。よぉ見て判断するのは自分よ」母の耐えて居る姿なのである。この母のお蔭で現在の麗子と百合がある。過言ではない。「後々に麗子や百合の結婚を左右するかも知れないから、お父ちゃん・・私達はもう浮かばれないですよ。あの噂があるのなら、家柄も人柄も何もかも無くなった。何も無くてもいいから・・麗子と百合ちゃん、二人の子供達だけはその噂から守りたいんです。子供の成長を楽しみにしましょう」「そうじゃのー」と言ったと思う。けれども父悟は、また女の元に帰って行った。
それからと云うもの・・百合は母に抱っこして貰えなくなった。「お姉ちゃんになる人が、抱っこ?それともこの人は赤ちゃんですか?」「ウフフフ、赤ちゃんでちゅ~」「これこれ・・」
㉔
祖母静が娘美子の様子を見に泊まりに来ていた。母は安心したかのようにその母静と会話していた。「ご飯がちょっと余ったけぇ、ついでに食べて置くけぇね・・」どんぶり一杯のご飯をついでに!!お茶漬けにしてさらさらと平らげていた。「お腹に子が居るという事は強い!よお食べられるのぉ。もうちょっと寒いけ―、風邪を引いたらいけんよ・・。四月二十日頃は気候もいい。元気な赤ちゃんを頼んだよ。男の子かの?女の子かの?」と祖母が言った。「私は女の子だと思う・・。お腹を中から蹴る力が、弱くて女っぽいから」母はとても嬉しそうであった。「百合ちゃんを産んだときは、産婆さんが間に合わんで・・。裏で畑仕事をして居て、そろそろお昼じゃから家に帰った。そしたら急に産け付いて・・布団を投げるように敷いて横になった!直ぐにと云うか、いつの間にかすっと産まれて居たんよ。麗子がU君のお祖母さんを迎えに行って・・頼んだよね。だから百合ちゃんの臍の緒は、U君のお祖母さんに切って貰ったんよ。断ち切りバサミで・・ウフフ・・ちゃんと焼きを入れて消毒してね」「えぇっ!嘘!ハサミで!あのハサミで?嫌じゃ・・。アハハハ・・でもありがとう、お姉ちゃん。U君のお祖母さんに頼んで呉れて・・」「麗子を産むときは大変じゃった・・初産であるし、赤ちゃんの頭が大きゅうて難儀したんよ」「今度の赤ちゃんも、内みたいにすっと生まれて呉れるとええね、お母ちゃん」「お祖母ちゃんは八人も子を産んどるから・・難儀せんよね」と母は言った。「まあね・・」祖母静は軽く笑っていた。「じゃあ・・明日一旦帰って、今度は四月二十日頃に来てね。ちょっと早いかも知れんからね・・お母さんありがとう。いつもすみません。それではお休みなさい・・」という事で楽しい会話の後、皆ぐっすり眠ったのである。
ところが、朝早く母美子は破水したのである。祖母静は、急いで産婆さんの所へ迎えを頼んで、お湯を沸かしたりしている。「内が居る時で良かったのぉ」と言いながら・・タオルやおしめの有り場所を探している。八人子供を産んで育てた祖母にとって、手慣れた仕草と云うものであった。
産婆さんに来て貰って、テキパキ事が進んでいた・・。子供達は襖を開けて見て居たいのだが・・「気が散ら蹴るから、あっちで遊んでおいで」と言われた。気になりながら、二時間位過ぎて・・小さな弱い泣き声がしたけれど・・。「お乳を飲んで呉れない」・・「吸う力が無いね」・・「月足らずですけーの・・」今の時代のように保育器は無いのである。「何とか手当をお願いします」そうした声を聴きながら待って居たのである・・。「百合ちゃんによう似とる・・ほら赤ちゃんよ」小さなお人形さんかと思う程小さかった。動きもあまり無いようである。その翌日・・皆に見守られながら、眠るように亡くなってしまうのである。父と母に千里と名前を付けて貰って居る・・。晒の上のお骨は白くて小さくて・・カサカサと音がした気がした。
㉕
ニ三カ月過ぎて・・父悟は荷車に括られて我が家に帰って来たのである。多分である・・推察なのである。囲って居た女に逃げられたのであろう。愛の住処も、何年かすれば火の車・・金の切れ目が縁の切れ目・・父悟が仕事に出て留守中に女は家財道具を持ち出して、もぬけの殻であったのであろう。近くの店で酒を飲み・・泥酔して居た処・・母に連絡が入った。そんな訳で、荷車を借りて父を括って帰って来たのである。一人二人付き添って居て下さる人もあった。父は素面では帰れなかったのであろう。皆様に迷惑ばかり掛けていた父悟の帰宅なのであった。
その後父は、バタンコを売ったお金でまた商売をすると言い出して母と揉めていた。「辞めて下さい。商売は貴方には無理です。お金は天から降って来るとでも思って居るんでしょ!考え方が甘いですよ。商売は辞めて下さい」思い余って母は家を飛び出して行ったのである。何時もお世話になって居る叔母の家にも、親の家にも立ち寄った気配はない。父はニ三日母を探して尋ね歩いていた。
㉖
山口の伯父さんから手紙が来ていた。母美子は伯父さんの家に居ると言う。三人で一安心した事である。「良かったのー三人で迎えに行こう。明日は丁度、錦帯橋の夏祭りじゃそうなで・・」「錦帯橋の夏祭りより、お母ちゃんに早う会いたい。お母ちゃん~」「よしよし・・心配せんでもええで、帰って来るけーの」父悟は初めて子供たちの世話をした感じである。慣れない手つきで明日の準備をして、麗子と百合にも「明日は何を着て行くんかの」と聞いて来た。「洋服は一年生の時仕立てて貰ったサンドレスにボレロよ。丈が短くなって来たけー、お母ちゃんに裾上げをいっぱいに下ろして貰っとるんよ。お姉ちゃんとお揃いの洋服よ。これしかない・・」サッカー生地がちょっと草臥れている感じである。帽子を被ればまぁいいかな。
次の日・・朝早く家を出てバスに乗り、横川駅から汽車に乗った。「汽車に乗ってお母ちゃんを迎えに行く・・ピクニック?のように嬉しいね」これが我が家の、初めての家族旅行であった。父が駅弁とお茶それにお菓子を買って来て、ご馳走して呉れた。お父ちゃんも結構気が付く人だと思った。家ではやらないだけかな・・。
伯父さんは母の遠縁に当たる人で、子供の頃母の家で育った人だと言う。祖父が上の学校へ行くように勧めたが、自動車修理を見習いたいと云うのであった。今は兄弟二人とも自動車修理工場を起こして大成している。自動車学校もこの地に一早く開設している人である。伯父さんの家に着いた。駅に近く立地条件はとても良いと思った。庭は奥に長くあり、部品等を置く倉庫にもなっている。「よぉ来た。よぉ来た。早う上がれ・・上がってくれ!」伯父さんに出迎えて貰った。母の思い出話に登場するその人・・優しくて実業家、体力ありそう・・腕の筋肉を見て思った。イメージ通りであった。皆で挨拶をしている。百合は直ぐに母の手を取ってしっかりと抱いた。更に母に抱きしめて貰った。大きな犬が居た。種類はゴールデンリトリバーというのだそうだ。毎日美味しい牛肉を食べるのだと言う。(あのぉ!人間よりいいね!)この家には、伯父さんとその奥さん、そして跡継ぎのお嬢さん三人家族である。父と麗子と百合にとっては皆さん初対面なのである。初対面でも大勢で食卓を囲むことは、幸せなひと時であると思った。鰤と蛸と鯛の刺身と柔らかい高級牛肉の入ったすき焼き、吸い物、酢の物(盆と正月一度に来た!と言う感じ)ご馳走のオンパレード・・ぜ~ぶ美味しかった!早めの夕飯、ご馳走を頂いてそれから錦帯橋夏祭りに繰り出したのである。
錦帯橋を斜め下からライトを当てて居た。太鼓橋の木組みを見せる為であろう。夏祭りの提灯とか幟が揺れている。夕涼みがてら浴衣を着た家族連れが、大勢繰り出して賑わっていた。河原では沢山の屋台が並んで・・美味しい匂いを送って来る。イカの姿焼き・・たこ焼き・・焼きそば・・ドーナツ・・トウモロコシのバター醤油焼き・・「いっぱいご馳走になったから、お腹に入らない!」「内もお腹いっぱいよ」姉が相槌を打った。「かき氷はお腹に入りますか?」伯母さんが勧めている。お祭り気分をプレゼントと思って下さったのであろう。「ありがとうございます。頂きます」イチゴのかき氷にたっぷりの練乳・・美味しかったな・・。
家に帰ると客間には、真っ白いカバーのお布団が敷いてあった。姉麗子も百合も久しぶりに安心して眠りについたのであった。
夜・・伯父さんは父に小言を下さったのであろう。
「わしも親の縁が薄かったがの・・親父に(美子の父)育てられた。兄弟と同じ様に育ててもろうて、有難い事じゃった。それは愛の有る親の背中を見せて貰った事じゃ!親父も晩年は不運じゃったがの、部下が公金を使い込み、責任を取った。弁償をして・・失職した。それでもわしも兄弟達も親父を慕っとるで・・何でだと思うか。あんたは何を求めて生きて居るんかのぉ。あんたも親の縁が無かった。親に捨てられたと思うて、復讐しとるんか。親の家の近くに来てまで借金して回ったそうなの!考え方が違うで。先ずは妻や子を養う事じゃろうが。責任を一つ果たしてみぃ!それからじゃ・・自分の夢を果たすのも、ええかの!悟の親が離婚した為に自分は小作の家に養子に出されたと言うとるがの・・もうちぃとええ家に養子に入りたかったとか言うとるが。よう考えて見る事じゃ・・。大きな家に養子に出されると、もう帰られんで・・。これ見たかと言う程、立派になって帰って欲しかったと思うよ。親になって見る事じゃ!親の身になって見る事じゃ!それをまぁ・・恥ずかしかろうに!」
伯父さんの小言のお蔭で我が家は安泰という事になった。「苦労した人の言葉は身に染みて、よお分かる・・」その後父悟は、若い頃の仕事・・大手造船会社の就職試験を受けて、合格・・・造船会社に勤める事になったのである。
㉗
戦前・・呉、海軍呉工廠で働いていた人は、戦後直ぐにこの造船会社に勤めると勤務実態は引き継いで貰えたそうである。父は十年のブランクと云うか・・大工さんとか商売とか運送の仕事をしていた為に、引継ぎは無く臨時工からスタートであった。元の職場で若かった人に使われる事になった。とか言っていたけど・・「給料が決まって入るから、耐えて下さい。お願いします。足らない分は内職します」と母は言った。父は市内のアパートの一室を借りて住み、月に二度程度、バスで二時間半掛かって帰って来ていた。当時土曜日は休みではなく、半ドン(午前中だけの勤務)であった。有給休暇も最初の年は無かったかも知れない。午前中仕事をして、バスに乗って帰って来ていた。夜になる事もあった。でもお土産があるので、麗子も百合も起きて待っていたのである。何処のお店で買うのか・・大きな大きなどら焼き。美味しかった・・嬉しかった・・家族みんな笑顔になっていた。
待ち草臥れて、炬燵に潜り込んで寝ていた時がある。「お父ちゃん帰って来たよ!お土産食べるよ。お土産よ!」母が急かして言った。「これな~んだ?」「これな~んだ?」母は百合を抱き起して見せるのであった。当時高かった・・奮発して買って来たから、余計に見せたいと思うのであろう。何と言って喜ぶか、楽しみであったという。百合は眠気眼をこすりながら言った「うぅん~茄はいらんょ・・」「ぷっ!これこれ‥ウフフ・・食べて見んさい。バナナという南方の果物なんよ。ハイどうぞ」「むにむに・・ うんうん・美味しい!美味しいね。ありがとう。でも眠い・・」
「茄か~」は参ったよ・・父悟は96歳で亡くなる前、病院でも思い出して言った。何と言って喜ぶだろうか・・それ程迄、子供達の事を思って居たのであった。父は日本の造船業最盛期を定年迄勤めて・・子会社に移り、それから十年位勤めたのである。しかしその間・・考案した二つの特許が取れて(ぺんと扇形計算器)商品にして売るのだと言い出して、また借金なのである。母の苦難は亡くなる少し前迄続いていた。
㉘
「今度の休日に進水式があるんで、百合ちゃんに見せてやって呉れ・・」と父の伝言である。そんな訳で、父の勤める工場を訪問した。まだ正月気分の残る、温かな休日であった。工場の正門を入ると、すぐに鋸屋根が並んでいる工場が目に入る。遠くにクレーン車が何台も見える。だだっ広い敷地であった。沢山の人が案内の通りに波止場の方に向かっている。百合達と同じく進水式を見に来た人達なのであろう。会社の音楽隊がキリリとした楽隊の制服を着て、威勢の良い音楽を流している。紅白の幕で飾られ、お祝いムードを盛り立てて居た。進水式とは、まだ船に機械が備え付けられていない。蝋を敷いた線路の上を滑らせて、沖合の海に押し出すのだと言う。海上で機械を取り付け、内装工事、外装工事沢山の作業があるのだと言う。建物で言うと、柱建てと云う様なものだそうである。大韓民国の貨物船であった。韓国と日本の国旗が船頭を飾っていた。案内の放送が始まった。大韓民国大統領の御令嬢に金の斧が手渡されて・・金の斧が振り下ろされた。音楽と共にくす玉が割れて、七色の紙テープが舞い、七色の紙吹雪が冬の空に舞うのであった。二羽の白い鳩が舞い上がった。巨大な鉄の船がスルスルと滑って沖合に向かった・・。その時仰ぎ見た少女は百合と同い年位であろうか。大統領の御令嬢・・もしやあの・・18代大統領に上り詰めた人。今は囚われの身の朴槿恵氏ではないかと思い調べたのである。でも朴槿恵氏は百合より5歳ぐらい若いから年齢が合わない。あの金の斧を振り下ろした人は5歳位の幼児ではない、百合と同い年位の少女であった。初代大統領・李承晩氏(在任1948年~1960年)の令嬢であろう。李承晩ラインを一法的に決めた大統領である。独裁的手法に国民が反発し、退陣に追い込まれてハワイに亡命。1965年客死。その人のお嬢さんであろうか。ここにも、人の身の浮き沈みがあると思うのである。その少女は韓国の晴れ着チマチョゴリを着て居るのではなく、日本の着物を着て居たと記憶している。お祭りや正月に着せて貰う、晴れ着・四つ身の着物を着せて貰って居たと思う。会社からのプレゼントかな?誰かのお節介かな?とも思った。
進水式は船を海上に滑り出すお祝い、只それだけである。しかし仕事は沢山の社員の労力と知恵、家族の計らいや協力があればこそ成り立つのであるから・・このお披露目は大切な事だと思う。これ迄とこれから出来るまでの労いもあるのだろう。
帰りは工場の正門前から市内電車に乗って横川駅へ。そしてバスに乗って家まで帰るのである。横川駅で、赤い靴、細いヒール(ピンヒール)大げさに付けた赤い口紅、茶色に染めたカールの長い髪。カチューシャも目立っていた。アメリカ兵に寄り添ってタバコを吸って居る女性を見ていた。竹林村では見たことが無いから、ずっと見ていた・・何をする人だろうか。あの服装では畑作業は出来ないだろうな。「百合ちゃん・・百合ちゃんおいで、バス来るよ」母の声に我に返る。「はーい・・あっバナナ売ってる!」と思った。バス停の前、果物屋さんの店先・・大きなバナナの房が幾つも並んでいる。思っただけで、買ってとは言わない。百合は総合的に考える事が出来るので、無理な事は最初から言わない。この日の姉麗子の姿や行動の記憶は無い。多分高校入試の勉強か何か用事があったのだろう。
その頃日本の造船技術は世界の造船業を牽引して居たのであった。あれから二~三十年後、その会社の造船部門は長崎に移転した。造船跡地は橋梁等を製作する重機工場となって居る。そして現在、造船業は韓国や中国が業績を伸ばして来ているのである。
㉙
二月になっても・・急に冷え込む夜は、しんしんと雪が降る。凍てつく様な夜だった。雪はどれ程積もっているだろうか。でも家の中は、皆の心は暖かい。今度の土曜日お父ちゃん帰って来るから・・。朝起きると雨戸が開けてあり、障子の外が何やら明るい。ぱぁっとしていて明るい。障子を開けると、辺り一面真っ白い!眩い・・銀世界であった。「わぁー綺麗!雪よ!お母ちゃん・お姉ちゃん見た?30㎝位は積もっとるよ!凄い・・ちょっと外に出て見る。雪団子作って見よう・・ちょっと食べて見よう・・一人で雪合戦・・エイ!」裏に回ると裏口の低い屋根から氷柱が何本も垂れ下がってた。朝日に当たって数本の氷柱、虹を取り込んだように綺麗であった・・。「よいしょ!もうちょっとで取れるんだけど・・よいしょ!」背伸びしたり、飛び上がって見たりしていると・・。
「百合ちゃん、家に入りんさい。ご飯よ」「朝ごはんよ・・早う食べんさいよ」「は~い頂きまーす」「道路が凍っとるけぇ滑るよ。早めに出なさい、気を付けて歩くんよ。転んだ処へ車が来ると云う様な事もあるけぇね」「は~い行って来まーす」「気を付けるんよ・・行ってらっしゃい・・」
雪の降った日・・生徒たちは学校に着く迄に、何回転んだかを口々に自慢?するのであった。大体4~5回は滑って転びながら登校したものであった。
3時過ぎの事である・・坊ちゃんが遊びに来た。「百合ちゃん遊ぼ・・」「あれ!坊ちゃん・・久しぶりにどうしたん?」「何して遊ぶ?」「何して遊ぶ?」「橇に乗せて上げようか」「うん・・」えらい優しいね。如何した事かなと思った。正月過ぎに皆で造った橇がある。子ども達だけで、手分けして造って貰った橇である。誰かが孟宗竹を切って来て・・橇の長さに切り、それを鉈で縦に4分のⅠ位に割って・・橇先を釜土の火で炙りながら曲げているのである。昭夫さんやマァ君は自分達の橇を何度も造っているからベテランで、いつも皆の指導者である。百合は邪魔にならないように見て居るだけである。姉麗子はトンカチで座る処の・・箱を作っていた。二本の竹を平行に固定して、箱を乗せてズレない様に固定すると出来上がり。仕上げに竹の裏に蝋を塗って滑りやすくして、引っ張って貰う縄を付けて終わりであった。多分であるが、我が家に橇が無いから、子供達皆で造りに行こうという事になったのかな。自家用橇があるお蔭で、雪の降った日は、雪だるま・雪合戦そして橇遊びが出来るのであった。その橇を持ち出して、引っ張って貰うのである。百合の家をゴトゴソと出て、竹林酒造の前を通りU君の家の横を通り、福ちゃんの家をゴトゴソ過ぎて田圃の間の細い道を・・坊ちゃんは「ハァハァ・ハァハァ」白い息を吐きながら、一生懸命に引っ張って走って居る・・。百合は転ばない様に橇にしっかりと摑まっていた。「ハァハァ・ハァハァ」坊ちゃんありがとうね。でも今日は如何した事かな。後で抓るんかな?えらい優しい・・と思って居た。田圃と道の区別が分からない、細く白い道は何処までも続いていた。「あっ・・」田圃に突っ込んで転んでしまった。坊ちゃんが直ぐに助けに来て、服に付いた雪を払ってくれた。「よいしょ!」「ありがとう」今日は如何した事かな・優しいな。夕日に照らされて雪景色一面は、宝石が鏤めてあるようにキラキラと輝いて居た。この景色の中、空から見れば二匹の子犬がじゃれ合う様に見えていたかも知れない。・・「もういいよ・帰ろうか」「帰る?」坊ちゃんはもういいのか?と言う調子で言った。「今日はありがとう」
えらい優しい・・百合達が引越しすること、伝わって居たのかな?
㉚
四年生になった。担任の先生は松田先生である。年の頃は五十歳前後であろう。ごま塩頭で体格が良い・・。百合達は初めて正規の資格がある先生に受け持って貰った。資格がある無いと言う問題ではなく、それ程先生が足らなかった。一年生の時の担任の先生は、今年は六年生を担任されて、立派に指導されている。二年三年の担任の先生は元保健室の先生であった。その後近くの豪農に嫁がれたと言う。松田先生が家庭訪問に来られた。百合は少し離れた処で様子を見ていた。「この家の先代に勉強を見て貰ったんですよ。この座敷での、可愛がって貰いました。お蔭があるんです」この時・・母は引越しの事を話したのだろうか?「惜しい事です・・」という声が聞こえた気がした。四年生の勉強は少し難しくなる。ボ~とはして居れない。復習をしなければならないと思った。何日か過ぎて、朝の学級会で「四年生の春の遠足が決まりました。5月○日貸し切りバスに乗って広島へ。船の進水式を見に行く事になりました」学級会で松田先生が言った。「えぇっ!船の進水式か!わーいわーい見たことが無い」「えぇ~内この前見た。お父ちゃんが働いとる会社じゃけー」言いそうになった。でも皆は見て居ないんじゃから黙っていた。何年も経って思う・・先生方の計らいかも知れない。百合を見送って頂くのであろうか。クラス皆の思い出になるからであろうか。小さな百合・・その時は何も分からなかった・・。
当日は五月晴れと云うか・・良い天気であった。サツキが咲き誇る校庭から貸し切りバスに乗って広島へ・・。初めてバスに乗って遠足であった。洋服はスカートにブラウス・・白地に格子柄のウールの端切れを買って来て、母美子が手で縫ったスカートである。布を輪にして半返しで縫い、ウエストにゴムを入れて出来上がり。簡単である。一応オーダーなのである。弁当と水筒それに赤帽・・遠足スタイルである。
工場に着いた。先生とガイドさんに連れられて進水式会場へ。クラス全員がキョロキョロしながら歩いていた。男子は特に「おーい向こうにクレーン車が居るで、鉄の板を何枚も運んどるのぉ」「軽そうに見えるがの、鉄の板一枚でも実は重くてのーもしも落としたら人は潰れて死ぬんで!・・大きいのぉ、凄いのぉ」と言いながら・・「本で見たクレーン車じゃぁ、本真じゃぁ」「あそこに船が見えるで・・大きいのぉ」「わぁー大きいのぉ、こっちにも大きい船が居る!」進水式を済ませた船であろうか?他にも向こうに・・・。
音楽隊が威勢の良い曲を吹いていた。今年一月に始めて見た進水式・・あの時は感動したけれど・・。今日、金の斧でテープカットする人は誰かな・・。
「先生!内ちょっとお父ちゃんの工場に行って来てもいいですか?会えたら直ぐに戻りますから」「ハーイ・・すぐ戻るんじゃね」百合は走って来た道、鋸屋根の工場近くで尋ねた。「すみません・・原寸工場は何処ですか?」こっちに歩いて来ている、作業服のおじさんに聞いた。「あぁ・・あの⑧号棟じゃ・・遠足かい?」「ハイ・・ありがとうございます」と走って⑧号棟に・・鋸屋根の建物の中にもクレーン車が働いていた。水平に荷物を移動させる役目のものである。「すみません・・西山悟は居りませんか?」入り口近くに居た人に聞いた。「おお・・ちょっと待って見んさい」と奥に入って行って・・入れ替わりに父悟が出て来て「おぉよお来たのおー」頭にタオルを巻いて居た。集中して仕事をしている処である。「今度の土曜日帰る?」「おお帰るで・・お土産は何がええかの!」「えぇーとね、大きなどら焼き!ウフフ・・じゃぁ・・」とそれだけ言って、走ってみんなの処に帰った。ただそれだけなのに嬉しかった。原寸工場とは、当時コンピューターは無いから、全て人の手で描くのである。設計図が出来ると、積算に回り、計算されて・・それが間違いないかを確かめる。実際の寸方を木材に書き、船の形を造って見るという工場である。鉄で間違うと、大損する事になるからである。父はこの工場の臨時工からスタートしたのである。帰りのバスの窓から、売店の看板が見えた・・。白地に黒のペンキで描かれた売店の看板。まぁ目立たなくても売れるし・・看板(宣伝)に力が入って居なかった。父悟はいつも此処で、大きなどら焼きを買うのかなと思った・・。
お昼のお弁当は何処で食べたか覚えて居ない。多分広島城跡地であろうか?原子爆弾で焼け野原になった広島・・未だ広島城は再建されて無い頃である。公園の木々だけある頃であった。
㉛
「ごめん下さい。西山さん・・」「ハイ・・あっ!」母美子は驚いていた。知らないおじさん(役所の人か)と母の妹のお婿さんと(叔父さん)母の弟(叔父さん)が徐に家の中に入って来た。母に何か見せて居た。「此処に貼ろうかの!」と言いながら、叔父さんは赤い紙を玄関柱に貼って居た。「麗子!百合ちゃんと竹林寺に行きなさい!早く」母美子はこの様子を二人の子供達には見せたくなかったのだろう。二人が竹林寺に身を置かせて貰って、ひと時が過ぎた。家に帰って見ると・・赤い紙が玄関柱と母の嫁入り道具の布団ダンスと和ダンスに貼ってあった。他にあったかも知れないが覚えて居ない。差押えと云うものらしい。赤い紙は剥いだらいけないのだが・・「弟だからいい・・エイ、クソォ」とか言って母は剥いでいた。子供達には見せたくなかったのだ・・。父悟が女の為に作った借金・・味噌や米、証文の有るのもあるし、無いのもある。立て替えて払って貰って・・差押えなのであろう。「内の家の近くで借金して貰うと、恥ずかしいけー」叔母がいつも言って居た。叔父さんも叔母さんにも良くして貰った。泊まりに行くのが楽しみであった・・。和タンスは叔母さんが使うのだろう。子引き出しを引くと・・ピーと小さな音が出るタンスであった。家は母の弟が移築して住むのだろう。仏壇は隣村の凛おばあちゃんに引き取られて行くらしい。二年後だったか‥土地の売買契約書にサインした事を覚えている。凛おばあちゃんに安く取られて、高く売られたのである。凛おばあちゃんは祖父の元許嫁・・百合は凜おばあちゃんに可愛がって貰ったのにな・・。何でこんな事になるのだろう。お金がないという事は、何もかも誰もかもが豹変するものだと云う事である。
また・・銀行のローンとかは、まだ確立してなかったのであろう。
百合には納得の行かない倒産であった。何で古いタンスや家、仏壇が要るのだろうか。古くなって朽ち果てるのに。物の無い時代ではあったけれど・・。所謂箱なのである。中身は此処・・百合達である。いつかお金は返せる筈であるのにと思て居た。この時は全然意味が解らなかったのである。点と点を結ぶと線になる。その線と線を結ぶと面が出来るように・・六十何年も掛かって、百合は後期高齢者になって、やっと家を畳んだ意味が解って来たのである。
蛍を見た・・夜、姉麗子と二人で涼みがてら裏の畑まで来てみると・・。「わぁー凄い・・」無数の蛍の光が群れて蛇行していた・・。それは向こうの小川の蛇行と平行して居ると思った。一メートル位上を二重にも三重にもなって、群れて光って居るのである。「わぁー凄いね、お姉ちゃん。内こんなに蛍が飛んでるのを見たこと無かったよ。夜、外に出んからねー」姉麗子と一緒に見た蛍の光の風景なのである。その後、田圃に農薬を使う様になった為であろうという・・蛍の群れは姿を消したのである。今は一匹か二匹飛んで居るだけだという。幼い時の感動は強いと言うが・・その後の人生でも、何処の蛍の名所でも、あの時程の蛍の光の群れは見た事が無い。
㉜
父悟が家に帰って来た・・。そして次の日の夕方、職場に帰るのである。今回は、その前に竹林寺と竹林酒造に一家四人で挨拶に行くと言うのである。百合は何だかよく分からないけれど・・一緒行った。竹林酒造の玄関で、父と母が挨拶をして居た。ご主人さんと奥さんも、長男さんや次男さんそして坊ちゃんも・・。「お世話になりました。実は・・」「寂しくなりますのぉ・・お体だけは気を付けて下さい」「ありがとう御座います。皆様もどうぞお元気で」湿っぽくなった感じである。家族の後ろに居た百合は、何だか訳が分からないけれど・・これが引っ越しの、お別れの挨拶なのかと思った。そこで、咄嗟に出た言葉がある。
「一旗揚げんと帰らんけぇー」皆の後ろに居た坊ちゃんが透かさず言った。
「旗を持って帰るなよー」「ウフフ・・まぁ!アハハ!」皆で笑った・・・。四年生と六年生の言葉なのである。何と深い、何と意味のある言葉であろうか。以後私の心の奥底に在る言葉となったのである。お金を貯めて、家を興したいと思ったけれど・・・仕事は体力が続かなかった。お金と共に人格も、何にも出来なかった。家族の為に生活がある。子供の為に学費も必要だった。人並みに家も欲しいと思った。父に持ち家に住まわせたかった。一旗とはお金だけでは無いという事だと思う。悪戯な商売をして、お金だけ持って帰れないのである。坊ちゃんの言葉・・(旗を持って帰るなよ~)無理をするなよ~とか、目に見えるものでは無いよ~とか、形では無いよ~と言って居る様な気がしてならない。やっぱり坊ちゃんは偉いなと思った。透かさず出た言葉・・六年生の言葉なのである。坊ちゃんはその後、教育の上層部に携わり、長く活躍されたという。百合には何もない。只・・人生最後にもう一つ持って居る物があると気付いた・・。素質は無くても根気がある。集中力がある。坊ちゃんに鍛えて貰った負けづ嫌い!男勝りがある。竹林寺で聞いた法話、慧光さんの指導がある・・この経験を生かせたら、可笑しな風習の事を書けるかも知れんと思った。微力ながら世の中の為に役立つかも知れないと思ったのである。
㉝
ニ三週間過ぎたかな・・・一学期が終わり、通信簿を貰って家に帰った。
「お母ちゃんはーい・・通信簿よ、見て・・」「よう遣ったね。4が並んどる、体育はちょと」学校から帰って通信簿を見て貰って、一休みも出来なかった。母美子は「百合ちゃん、これから広島に行くよ!引っ越しするよ!」「うん・・」母の目を見て小さく頷いた。この母さえ居れば安心なのである。家の前には父の知り合いという、おじさんのバタンコ・・既に荷物が積んである。赤い紙の貼ってない、小さい仏壇、水屋と着物タンスと食卓、本箱、机、布団等であったかな。勉強道具はランドセルに詰め込んでバタンコに乗った。母は差し押さえられた和ダンスと布団ダンス、玄関柱に赤い紙を貼り直していた。そして玄関に鍵をかけて・・この家とお別れしたのであった。その後母はU君の家に行った・・「これから発ちます。それでは後を宜しくお願いします。お世話になりました。すみません麗子が帰りましたら、叔母の家に行くように言って下さい。今日発つとは言って居ないんです。すみませんが・・」姉麗子にも伝えて無いと言う、急な旅立ちである。U君とそのお母さんに見送って貰った。「ありがとうございます。皆さんお元気で・・」「百合ちゃん~元気での・・」「ありがとう。さようなら・・U君も元気で~さようなら・・」「さようなら・・さようなら・・」バタンコのおじさんは竹林酒造の前を通って・・右に折れて田圃道を走り出した。あの吊り橋は通らないのだと言った。家が見えなくなる処で、おじさんはブレーキを踏んだ・・最後の手を振った。U君とお母さんの姿が小さくなって、一幅の絵の中に居るようだ・・。あの家、竹林寺も竹林酒造・・この風景も見納めなのである。さようなら竹林村、さようなら私の故郷・・百合にとっては、納得の行かない倒産なのである。目立たぬようにして、静かな旅立ちであった。そういえば・・ニ三日前、母と一緒に墓の掃除をして墓参りをしていた。村の外れの昔から付き合いのある家にも訪れている。それと無くお別れをしたのであろう。父と母は前々から、少しずつ準備していたのかも知れない。田圃道をずっと走って、やっと国道54号線に出たのであった。それから叔母の家に寄って、何か頼んでいた。多分姉麗子の事等であろうか。姉は高校生であるから・・春迄待って、転校試験を受けなければならない。それ迄寄宿舎に入るのであるが・・寄宿舎に入るまで泊めて貰えないかという事だろうか。この家の叔父さんはあの時、タンスに赤い紙を貼って居た人なのに、もう気は収まったのか?それとも大きなタンスは部屋が狭くなるだけ、街で借家住まいでは荷物は小さい方がいい。頼んで借金のかたに取って貰ったのであろうか?家を畳むとなると、あれもこれも、何やかやと要件が出て来るのである。叔母の家を出て少しすると・・小さな石碑、分水嶺を右に見て、あの根の谷をくねくね下って、広島市へ・・。どうして引っ越しをするのか、行く末はどうなるのか分からないまま、母の膝で眠って居た。麗子と百合の為に強い母である・・この母だけが頼りなのであった。
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その後、家は移築されて叔父家族が住んで居たのであるが・・仕事の都合で市内に住むことになった。家は売りに出され、高く買って貰えたという。でもそのあぶく銭・・叔父は囲った若い女の為に一銭も無くなったのである。此処でもまた男達は、何故か女に血迷うのである。幼い従弟たちはどんなにか辛かったであろう・・。「生命保険まで解約しとるんで・・」後に従弟が零していた。大きな金仏壇は凜おばあちゃんの家に引き取られた。そして近頃何処か他の家に貰われて行ったと聞いた。当時その家に、新仏が出来たり悲しい事があったけれども、仏壇と因果関係はないであろう。裏庭に在った山椒の木は・・枯れて仕舞うたという。「山椒の木は、その家の主が替わると、山椒の木も枯れる。と聞いた事があるがの~本真じゃのぉ」「裏の篠竹(女竹ともいう)の竹藪も枯れたそうなで・・」「竹藪は二百年に一度枯れると聞いた事があるんじゃが・・それかのぉ」村人は頻りに噂したそうである。「それにあの事・・あの噂、本真かいの?」「死んだ子の事か?親が子が死んだ言うて悲しんどる処に・・・誰か知らんが変な事を言うのぉ」「囲った女の家に寝泊まりしとっても・・本妻に子は出来るんで!親が認めとるんで!ドロボー男の言う事を信じたらいけんで!住居侵入婦女暴行になるんで!わしはそれを捕まえたいがのー、ドロボーが噂するんじゃけーの。何の為に噂するかの?誰が言うかいの?」「家の汚点を作って帳簿に残す、それを皆で共有して噂する。自分達の為に利用する。人前でも自分達の暗号で広まるんよ。昔からの風習じゃろうか?」「こがぁな風習は困るよのぉ」「噂する人の資質と噂を聞いた人の資質を試されとるのぉ」「神仏の試験じゃと思え!」「噂は聞いたら面白いけ―広まるよの。一言・・誰が言うとるん?噂されとる本人に聞いてみようかとか、証拠があるんか、とか言うて上げんさい」「末の子に、この噂を聞かせとお無いけー家を畳むんじゃけぇの・・。ええ子に育てる為にのー」
それから四年後であっただろうか・・・竹林村一体は、豪雨による大洪水に見舞われたのであった。その時から、村は様変わりして仕舞うのである。吊り橋は流されて、コンクリートの橋が架けられている。二つあった土手は一つになり、川幅が広くなったのである。しかし今は、上流にダムが造られた為に、普段放流される水量は少なくなり、川幅は小さくなっている。広くなった河原には草が生えている。そこは以前、田圃や畑があった処なのである。一大大事件は、竹林酒造の名水が枯渇した事である。400年湧き出流恵みの名水であった。広島県では珍しい、硬水に近い名水である。酒蔵が先か名水が先かと問われると・・やはり名水が先という事になる。工事業者や名水研究者が調査したのだが、復旧出来なかった。水脈が何処かで断たれたのであろうという。世の中少しずつ景気が上向いている。本腰を入れて酒造り、会社経営という処・・水脈が断たれたのであるから、太刀打ちできない。ご当主は傍で見ている方が辛い程に、気持ちが落ち込んでいた。此のままではいけない!ご当主と長男の竹生さんと番頭さんは思案し多方面に相談、そして調査の末・・会社を東北のある町に移転する事を決断したのである。硬水の名水を求めて、美味しい米と気候に合った酒を一から造り出したいと言うのである。家族と従業員・・。従業員は番頭さんとその家族、そして杜氏のマッサンだけである。杜氏のマッサンは、ニ三年という契約でその地の杜氏を育てる為である。この酒蔵が出来た頃から続く番頭さん家系は400年前から続く名コンビなのである。ご当主と竹生さんと番頭さんは、新しい土地で再出発である。その土地の水と米とで新しい酒が出来るのである。竹林酒造は希望に満ち足りていた。次男の竹次さんは、以前から酒造りの米、名水、微妙なコントラスト・・酒造りの研究者になりたかったそうである。そんな訳があり、農業技術センターに勤めて酒米を育て、酒造りの研究をすると言うのである。さて、我等が坊ちゃんは・・・教育機関に就職して、その上層部で長い間活躍されたと聞いている。子供達の将来を見据えた、温かな心ある教育であったと思う・・・。
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そお云えば突然に、前後不自然な・・主語の無い言葉を聞いた事がある。
百合は勤めていて、二十歳位であったか。同じ課の人で、机が斜向かいの人が近くに来て突然に言うのである。「へぇー庄屋の娘がのぉー、聞いて見るもんじゃ。分らんもんじゃのー」と言うのである。先ほど来ていた、納入業者に調べさせたのだろう。言葉は只それだけであるが、何処となく不自然で嫌味が籠って居た。母は元、庄屋の娘である。そして疑う余地も無く、強く正しく生きて居る。百合は噂の事は全く知らないのであった。後々思うのである。それを言うなら・・住居侵入婦女暴行の方、ドロボー男の噂は無いのだろうか?ドロボー男は自分達の仲間なのであろう。仲間同志で噂をばら撒いているのだろう。噂を聞いたなら・・その人の資質を疑ってみて頂きたい。確かな事か本人に確認しても良いかと聞いて見て下さい。主語の無い言い方を突然に言う人達であった。
二十三歳の時の事・・・。勤めを辞めていた。母は、二か月の入院・・看病も虚しくあの世へと旅立ったのである。その後百合は、手に職をと思い和裁学校へ入学したのであった。同級生であるが、百合は四歳年上である。勤めていた時の失業保険で学費を捻出していた。教室で皆は、縫物をしながらオシャベリをするのであった。百合は故郷の思い出を楽しそうに語っていた。そこで妙な事を言う同級生がいた。
「死んじゃった赤ちゃんは、誰か他の人の子よ!」「えぇっ!如何して?」びっくりである。「内のお母ちゃん・・竹林村の出身なんよ」「私、知らないよ。如何して?外に女の人が居ても、本妻に子は出来るよね。子の親は村の人がとやかく言うて決める事?そんな事を軽く言うてええんかね?」母の事は疑う余地は全く無い。その言葉、突き返していた。念のために、夜父に聞いて見た。母が亡くなって一年後、貯金を出し合って姉家族と父と百合は郊外の団地にマイホームを建て、一緒に住んで居たのである。姉夫婦と四歳と一歳の姪が二部屋使い、父と百合が一部屋に住み、後はリビングとダイニングルームがある。利用方法はニ三試みたのだが、この使い方でどうにか二家族の生活が収まって居た。百合は早急にこの家を出なければならない立場なのである。只、相手はいない・・。姉夫婦と同居して、一年二年と過ぎ・・辛く感じる頃であった。そんな日の夜、父に聞いて見た。「千里ちゃんの事なんだけどね・・同級生がね・・誰か他所の人の子じゃ言うんよ!如何して?」「な、何・・誰がそがぁな事を言うんか!」「その子のお母さん竹林村から嫁に来た人なんじゃと」父悟は驚いていた。当時外に囲って居た女がいて、時たまにしか家に帰らなかった・・その報いであると思ったのであろう。その後父悟は百合のお見合い写真と釣書を、親戚中に知人に会社の上司にも・・会社の休みの日を利用しては、持ち歩いて頼んでいたのである。山口のあの時の伯父さんの家にも・・。良い話があれば、遠くて不便な所にも・・。誰かの紹介で島の小さな村を訪ねたり、父は一生懸命であった。その頃はまだ、家の風格とか学歴とか血筋とかを言う人もあったけれども・・父の念力のお蔭で縁談は整ったのである。他県の人であった、どんな環境で育ったか分からないから、お互いに身元調査をしたのである。ニ三か月位掛かって返事があった。その後遠くから両親共に出向いて下さって、結納を頂いた。結婚式も両県でして貰って、百合は皆様に喜んで迎えて貰った・・・。この私をこれ程迄に喜んで迎えて下さる。良いお嫁ちゃんになる・・心に誓ったのであった。
その調査には、自分達の知らないあの噂の事は書いて無かった。百合の行動調査と考え方を問われたのではないかと思う筋がある。そして最後に・・両親に守られ穏やかな家庭で育っている。地味ではあるがコツコツと努力をする女性であるとか・・まとめてあった気がする。
百合・三十五歳位の時・・子供達は、長男は八歳そして長女は五歳になっていた。夏休み・・町の教育委員会主催のキャンプに、家族四人参加したのである。キャンプ場は何処であったか覚えて居ない。県北であろうか。夜、大雨が降った。どしゃ降りである。テントの中に寝て居ると・・真っ暗い森の中、テントの外すぐ隣に蛇や虫やタヌキ等居そうで怖かった。それに気持ち悪かった。以来キャンプは余り好きではない。翌朝は晴れて先ずは一安心・・気持ち良い朝であった。ウオーキングの後の昼食はカレーライス、全員参加で作ったカレーライスは美味しかった!その帰りのバスの中で・・街並みを過ぎた頃・・竹林寺の説明とか思い出、日曜学校の事とかを我が家の子供達に話していると・・席の後ろからチョンチョンと肩を叩く人が居た。「竹林村の誰?」と聞いて来た。「西山です」「はぁはぁあのー」何だか軽蔑?嫌味?を感じた。「死んだ赤ちゃんの事・・他所の人の子でしょ」「えぇっ!如何して?」「竹林村のどなたですか?」「○○が本家です」と言った。「はぁはぁ」とだけ言って置いた。後の事は言わなかった。小作して貰って居た田圃は、戦後すぐに不在地主として届けられたのである。戦後のドサクサ時期・・同じ所に住んで居るのに、百合名義の田圃は○○さんの田圃になったのである。(そんな事あるん?と言いたい)春には菜の花が綺麗に咲き誇って居た田圃である。その後道路拡張工事の為に、町に買い上げられて多額にお金が入ったそうである。後年、昭夫さんと会った時に言って貰った言葉・・「あれが在ったらのー、倒産せんでもよかったのに!」昭夫さん家族には、百合達を何時も味方して貰って居る。そして、あの桃ちゃん(いつも落ち着いて居た)のお兄さんにも、そろそろこの村に帰っておいで・・と言って貰うのである。帰って住む訳では無いけれど、母の無念が晴れるなら、買い戻したいものである。この村にも百合達を庇って下さる人達が在る。ありがとう御座います。嬉しいです。昼間ひっそりと引っ越しした身なんですから。でも百合は倒産しなければならない運命だったかも知れないと思うようになったんです。倒産して・・強い人間になる為である。
百合・三十七歳位の時・・夫は富士山の姿がとても綺麗に見える街に出向したのである。半日かければ名所旧跡に行ける・・山もあり海もある。そして果物も近くの農家の方が届けて下さる。おじさんの丹精込めた作品である。本当に美味しい梨、銘柄は幸水だったか?豊水だったか?キュウイも大変美味しかった。富士山の伏流水が湧き水となって、水道水になっている。とても美味しい水である。お茶も名産であった。目の前の畑は茶畑が続き・・。近くにお茶屋さんも何件かある。通りを歩くと・・工場からお茶を炒る香ばしい香りがして来るのである。百合達はこの地で美味しい食物に目覚めた様な気がする。そこに七軒の社宅が建てられて居た。新築なのである。部長、課長さんが各地から転勤して住む為の住居である。転居して直ぐの夏休み、富士山に登ったのも一生の思い出となっている。今、後期高齢者となっては、足腰弱くてもう登れない・・でも思い出だけはある。いつでも何処でも思い出せる。そう若い頃、四十歳前の夫婦と子供達の姿がそのままに現れるのである。
六年間住んだ処であるが、良い思い出は、景色だけ・・。人間関係は難しかった。三四日に一度吹く風(富士山から降りて来る強い風・富士降ろしという)に身構えて居たのだろうか。言葉は・・何々だらーと語尾に付ける。風土になじめなかったのだろうか。そんな折、長女の担任の先生の事で本人先生に手紙を書いたのである。(連絡帳にだったと思う)よく怒る先生であった。授業時間中怒ってばかりと親からも聞くし、子供達からも聞いて居た。「先生は前の学校の生徒ばかり褒めるので嫌だ」と、この学校の生徒は言って居ますよ。と云う様な手紙である。どの様な返事が来るのか・・多分お礼の手紙であろう。子供達の思って居る事を教えて頂いて有難うとか。ところが実は、生徒たちの目の前で、疑問に思う処を赤いインクでアンダーラインを引かれたのである。そして生徒たちに、前の学校の生徒を褒めるのが嫌な人と手を上げさせたと言うのである。生徒は誰も手を上げなかった。ほら!誰も嫌と言って無いよ!と連絡帳を返された。クラス役員さん(親)からも電話で聞いたものであったが、親も何も言わずそのまま。娘は仲良しの一人とだけ遊んでいた。人に何か言えば学校に通報されると思った。この地はまだ封建制度そのもの、上役とか先生に楯突いたらいけないのだろう。楯突いた訳では無い、学級運営が良くなるように、と思って案を出しただけであったのに・・それを赤線を引いて返す。不思議な考え方である。
そのような日常生活の中、社宅の中の奥さん、名前はMさんとして置こう。竹林村での事や妹千里の事も根掘り葉掘り聞くのである。故郷の事で別に悪い思い出は無いし、楽しい思い出を語って居た。近所の子のU君やマー君と遊んだ事も話した。そんなある日、Mさん宅に犬が来た。犬を飼う事になって、名前はU君と付けられたのである。別に訳は無いであろう。別の日、ベビー服の進物店で、お釣りを間違えて、その差額を自分の懐に入れた店員さんに注意したのもこの頃であったか。子供達は両家を出入りして仲良く遊んで居た。ある日、八百屋さんで買い物をして歩いて帰る途中にMさんの車が通り過ぎて行った。少し歩いて行くと・・お金が落ちて居た。千円札、小さく折られて落ちて居た。あっと驚いて、通り過ぎたのであるが、子供が落としたのかな?交番に届けなければと思いながら千円札を手に持ったまま家に帰った。今から小学校の前の交番に行くのは忙しいから、交番に電話をして置こう、と思って電話帳をめくって居る処へ、Mさんが玄関に来ていたのである。「あら~さっき会いましたね、車に乗っていたね何処へ行かれた?私千円札を拾ってね。交番に電話して置こうと思って居る処よ。今からお習字の教室があるので、今日は行かれない。Mさんお時間ある?持って行って貰えないですか?」「いえいえ」そんな様な会話をしていた。無意識である。その後千円札はパチンと財布の中に入り、百合は千円札を拾った事を忘れてしまった。ニ三ヵ月過ぎただろうか、あの千円札はMさんが業と落としたんだ!と気が付いた。そこで千円札を落ちて居た様に、小さく折ってMさん宅の犬小屋の前、U君の近くに埋めたのである。濡らしてちょっと月日が経った様にして、犬のU君が掘ったから見えたようにして埋めた。落とし主に返したのである。そしてその後、百合は誰にも夫にも何も言わなかった。社宅で誰かの事を何か言えば大変な噂になる・・それ位な事は知って居た。Mさんは百合が誰かに何か言って居るのではと、探り回って居るようだった。その後Mさんは転勤になって、あの社宅を去って行った。子供達はあれ程我が家に来て遊んで居るのに、誰かに頼まれたとしても・・私を試すん?出来るん?どんな環境で育った人なのだろうと思った。Mさんは遠い北国育ちである。妹千里の事を、何を聞きたかったのだろうか?誰かに指図されたのだろうか?根掘り葉掘り聞いて居た事を思い出す。
天王さんのお祭り・・地区の社、天王さんのお祭りがあった。小さなお神輿を上下に揺らしながら、ワッショイワッショイの掛け声と共に、中学生が担いで練り歩いて居た。そのお神輿を我が息子が笹で叩いて居るのである。中学校の生徒会長をして居るからであろう、我が息子が飛び跳ねながら、飛んだ時に笹でお神輿を叩いて居た。笹で叩くなんて効率悪い!何の意味があるのだろうと思った。「今日は天王さんの誕生日です。そのお祝いですよ。天王さんは天の荒い神様でしてね。ああして古い風習を打ち破って居るのです」学校関係者か?教育委員会の人か?誰か分からないけど、祭りの由来を百合に説明をした人が居た。「あ~そうですか」百合は深く頷いていた。「でも、笹では何時までも打ち破れないですよね」「いえいえ・・最後は皆で壊します。そうして新しいお神輿を奉納して今年の天王さんの祭りの行事が終わります」いつの世も古い風習や悪い習慣はあると思う。誰もがそれを打ち破りたいと思うのでしよう。天王さんのお祭りは、皆の気持ちの現れなんですかね。
「そうですか‥天王さんは天の荒い神様なんですか・・」あれ!今日は私の誕生日と思った。思っただけで、如何する訳では無い。言い伝えなのであろうから。その夕方息子は、非常に疲れて家に帰って来た。あれ程何回も飛んで、笹でお神輿を叩くのであるから疲れたであろう。今迄疲れたなんて言った事も無い元気な息子なのである。
六年間の出向期間が終わった。子供達は長男は高校二年生長女は中学二年生になって居た。百合は四三歳になった。社宅から近い公立中学校は、所謂荒れた学校であった。市内でも有名な荒れた中学校である。
中学校の保護者会では、親も何かクラブに入らなければならなかった。百合は新聞部に入って。地区の事を書いてPTA新聞に載せたものだった。調べて書くのであるから、この町の歴史がよく分かった。そしてとても勉強になった。
次の年は校外生活指導部と言う大所帯、75人を率いる部長の役がくじで当たったのである。人数だけは多くて、活動はしない。副部長4人部長1人、人数多すぎて話が纏まらない。荒れた学校をPTAの立場で鎮めなければならないと思った。その為に作られた、校外生活指導部であろう。4人の副部長の中にも「活動は何もしなくていい。したらいけん何かするなら、貴女だけしたら!うち等はしない」キャンキャン言うのであった。「はい、分かりました。一人します」保護者会は上辺だけの仕事をしていればいいのだろうか。それで本当の仕事、生徒の学業は出来るのだろうか。髪を赤く染めて居ても、角刈りにしていても所詮中学生・・怖くは無かった。話をして居ると可愛いと思った。その年は何故か暴れたりする子は居なかった。暮れの忘年会は先生もPTA役員も安堵の忘年会であった。生活指導部副部長は四人とも参加して居ない。「お疲れ様です!お疲れ様・・お疲れ様です」「皆さま有難うございます。良い正月を迎えて下さい。乾杯!」校長先生も教頭先生もPTA会長もPTA副会長も役員さんも美味しい酒を交わしたのであった。その中に可笑しな事を言う人が一人居た。「調べられるよ・・」「??何を?何で?」主語述語が無い、突然に言うあの言い方であった。百合はこの年、地区の有名人になっているのである。長年荒れた学校が静かになったと言う功績である。隣で聞いて居た教頭先生が言った。「大丈夫!びくともせん家じゃ!」「だったら妹は?」「妹は生まれて直ぐに・・月足らずで生まれたんです」その様に言ったと思う。そんな内容の会話が今、この場で出る事だろうか?可笑しい!不自然な会話であった。今迄どうりの荒れた学校の方がいいのかな!今迄の役員さんの顔が立つ!そういう意味なのであろうか?また、次の年の役員さんにとっては、迷惑な事なのであろうか?とにかく何もしないで貰いたいのかなそれ程、今迄どうりの荒れた学校でいいのか!不思議な考え方である。そして・・妹千里の事がこの場で出るのは可笑しい!調べたら直ぐに分る様な、我が家の帳簿を持って居るのだと確信した。我が家があるなら、他の家の帳簿もある筈。自分達の名簿があるので、そのネットワークを利用して、その家の何らかの汚点は自分達の躍進の為に使うのであろう。只、噂を集めたものである。噂と云うものは本人は全然知らない。百合も知らないから、此処でも平然としていた。何の為に噂を集めて居るのだろうか?自分達の風習を表すため?嫌われたいが為?
百合四六歳の時、ある住宅販売会社に就職したのである。子供の学費を捻出するため、二十数年振りの会社員となった。宅地建物取引主任者の試験に合格してからの就職である。資格は持って居るが、ここからスタート・・仕事は一から勉強であると上司Uから言われた。百合もそう思って居た。先輩の仕事を見たり聞いたり教えて貰うのである。一年目は住宅展示場の案内係をして居た。この時も来場者のアンケートを頂いたのが二十数枚、毎週末であった。今迄は週末でもニ三枚であったらしく、これまた今迄の社員さんは立場が無いのであろう。いえいえニ三枚でも、契約になる率は高いと反論して言う・・そこへ女性、新米営業が入って来て貰っては困るのであろうか。直属の上司Uが部長の命を受けて「生理はあるのか」という不思議な質問をして来た。「ありますよ。どうしてそんな質問をされますか?」「事故があったらいけんから・・」「えぇっ!何のことですか?」その一週間後であったか・・展示場の二階、事務所の一室・・A営業マンはコーヒーを入れて呉れた。その時上司Uは余り入れるな、とか言った気がした。(後から考えるに睡眠薬であろうか)そしてAB営業マン二人とも営業に出掛けて行った。上司Uと二人きりになった・・少し眠くなった・・いやぁなあの匂いを嗅いだ・・。男性軍は面白かったであろう。訴えられない様に夫に了解、そして協力させていた。(後の行動で分る)営業先で事故、襲われたりするといけないから・・生理を終わらせて置こうと言う企てである。夫がそれに引っ掛かる・・愚かな、浅はかな人である。もしもその時、百合が崩れたなら、又は眠ったならば後々どんなにか面白がられ、どんなにか噂になったことだろう。愚かな男性社会の一面である。その様な試練を潜り抜けて、その会社の女性住宅営業が誕生したのである。(当時一部の男性の考え方としてあったのである)
住宅営業をして一年目・・建売住宅の販売であるから新米女性営業でも、お客様に買って頂くことが出来た。そしてもちろん・・愚かな企てを起こし、面白がって居る暇のある男性達より、その年の営業成績は良かった。そんな折であったと思う・・展示場二階事務室で、B営業マンが可笑しな事を言うのであった。妹千里の事である。何が可笑しいのか、ケラケラとあの可笑しな笑い方をしながら・・人の汚点を見つけて、鬼の首を取ったかのように面白がって居た。百合が全然反応しないという事は、知らないという事である。「生まれて直ぐに死んだなら・・そのまま届けたんだ!」と、その部屋で聞いて居た上司Uは言った。その話、止めるようにも言っていた。百合は全然知らない事である。親が認めた子供の事を、噂がそうだとしても信じる訳にはいかない。当たり前の事である。それに母美子は、娘を産んで育てる為だけの人生だったと思って居る。立派に生きる背中を見せて居た母である。汚点の見つけようが無い母なのであった。ケラケラ笑って、母美子の死因まで聞いて来た。「くも膜下出血です。病院で死んで居ます。手術するにも奥の難しい処でした。もうすぐ退院と云う日、三回目の出血で亡くなりました。妹は月足らずで生まれて、小さな小さな赤ちゃんでした。保育器が無い頃の事です」何でこんな事を聞くのかな?ケラケラ笑って、何が可笑しいのかな?本人、百合の知らない事を言っている。自分達は情報を持って居る事を語っていた。只・・その噂どうすれば入手出来るのだろうか?と考えた・・自分達仲間の名簿が在る事である。暗号を使っている人達である。百合の故郷を聞いて、パソコンに打ち込めば自然と出て来る。インターネットの無い頃は、その土地の人に電話で聞くのであろうか。暗号で聞いて、暗号で答えて呉れる。暗号の決まりは、そのグループ内でそれぞれあるのだろう。百合も聞いた事がある・・普通の四方山話をして居て、突然に伝えたい内容を言う・・また話を四方山話に戻して、間に目的の人の名前を入れる。そんな風にして伝わるのだろうか。他にも暗号の出し方が在ると思う。外の人、分からない人には分からない。だから人前でも大きな声でも、用件を伝える事が出来るのである。まるで戦国時代である。百合の家の噂は、生きるか死ぬかの事だろうか?目的が解らない、大きな集団なのであろう。
しかし何の為に、この場に妹千里の事が出て来るのかな?何が可笑しいのかな?親が認めて居るし、身元調査にも出て来ない噂の事は、信じる訳にはいかない。気にする必要の無い事である。むしろ自分達の事を言い表しているよ。名簿を作って悪い方に使っているよ。と言って上げたい。自分達で作っている仲間意識を解散する時期が来たのではなかろうか。その絆、自分達で悪い方に使っていますよ。と言って上げたい!人迷惑な企て、引っ掛け、そんな事をして居るから、仕事が進まない。人からも嫌われる。その風習初めは仲間を助けたり守る為であったのだろうが、今は何一つ良い事は無くなって居る。と言って上げたい!私百合は暗号を聞くだけで、身構えて居る(薄い鎧を着て居る)様な気がする。暗号で使われるのは、嫌であった。馬鹿にされて居ると思った。この会社の為に、人の為に誠心誠意仕事をしたかった。百合はその会社を六年弱勤めて辞職したのである。家のローンを抱えていたけれど、此処では務まらないと思った。
月日の経つのは早いもの・・家のローンを抱えての退職であったから、不安ばかりであった。あの仕事は向いて居なかった。と、きっぱり諦めて洋裁店でパート等したのである。それも二年弱でお店は閉店した。そうこうして居る内に、家のローンも残り少しとなった。古い家を取り壊して畑にして居た。野菜やハーブ、柿や無花果を植えて楽しんでいた。そんな折、施設の花壇の世話をするボランティアをする事になったのである。最初の半年は何事も無く、丁度良い処にボランティアを紹介して貰って感謝したものである。次の年の春からであったか?夏であったか?始まりは何時であったか覚えていない。秋からは本格的に花を切る!害虫を入れる!除草剤を撒く!等の被害が次々とあり出すのであった。隣の花壇を世話をする人とそのグループだと思って居る。お祖母さんと呼ばれる立場の人達なのである。施設に訴えても、警察に届けても証拠が無い・・。そうこうして居る内に我が家の花壇に被害があり出すのである。施設の花壇のパンジーが一株枯れると・・我が家の花壇のパンジーが一株枯れる。日日草も連動していた。夜盗虫攻めにも会ったものである。一年でニ三百匹、育てた夜盗虫が底をついた頃・・除草剤を撒くのだろうか。五年で一千匹以上・・我が事ながらよく捕ったものである。夜盗虫が我が家の鉢にも入り出した。これは町内のKさんの畑で育てられ、夫のポケットに入って居た夜盗虫である。(その時何らかの暗号)百合は夫がそれを投げ入れて居る処を目撃したのである。最終的に責任は家の中に持って来る。これがこのグループのやり方・・風習なのである。只のボランティアに何の為に此処までするのかな?労力と時間は大変な損失であった。不思議な考え方である。ボランティアをしてまで手下にならなくてもいい。ボランティアを止めればいいだけの事である。それを大掛かりに動いて可笑しいと思った。施設の花壇で出会った人達の事は・・不思議な可笑しな考え方の総まとめである。これは百合の母を苦しめたあの噂、百合の知らない噂の出処と一致すると思う。何の為に噂としてあるのか?不思議な事なのである。
㊱
それにしても、百合七〇歳になろうかという頃この集団に出会った。不思議な考え方をする人達であった。初めは自分達仲間を守るための集団、絆であったかも知れない。今は大きな集団となり財力を持って社会(会社・神社・寺院・政党・地域の人々)に圧力を掛けているのではないか。この集団の全ての人では無い、一部の人がしているのである。やはり自分達の名簿が在るのが、全ての根源であると思う。そして家の情報・噂を集めたものが有るという事。それをを自分達の躍進の為に使う。手下を作る為に使うのかな。小さな事であるが、施設の花壇であった事(花を切る・除草剤を撒く・夜盗虫を入れる)が、家の花壇でもある。所の違う畑でもある。仲間が多く・・広く何処にでも仲間は居るという事である。何らかの暗号で指図があるのだろう。また情報を集める。そして畑を売るように仕向ける。人を使って仕掛をする(ハーブに熱湯を掛ける・夜盗虫を入れる)小さな畑でも、土地が動くと業者が潤うのである。仕事が入るので、業者が嫌がらせをして加担する。これが今日の世の中であるから、引っ掛からない様に用心しなければならない。もしも引っ掛かったならば・・手下になって暗号で指図される事になる。暗号であるから・・責任は行動した、こちらが取るのである。これが普通?本当に困った世の中になって居る。私、百合は人生最終章この時期に、この人達に出会ったと云う事は、私の運命かも知れないと思った。
百合の家が倒産したのは・・借金が返せなかったからではない。如何してなのかな?と以前から思って居た、家まで売らなくてもよかったであろうにと・・。いつか返せたお金である。百合にはあの思い出のある故郷があったのに、納得の行かない倒産であった。その意味がこの度、理解出来たのである。
我が家に噂が在る事を小さい頃から知っていたなら・・どんな少女に成長して、どんな風に大人の女性になって居ただろうか?
もう少し大きくなって、中学生二年生の頃にその噂を聞いて居たなら・・どんな風に解釈しただろうか?母を責めたであろうか?罵ったであろうか?我が人生を悲観したであろうか?
もし高校生二年生の頃聞いたなら、どんな風に反応したであろうか?それでなくても進学校であった為、進路に多大な困難があった頃である。大学の学費を捻出する事、受験勉強の生活環境の事、姉麗子の猛反対の事。これらを突破するには・・只成績が良い事である。肝心要である。それが分かった時は手遅れであった。ジタバタしても学力向上には間に合わなかった。その上に家の噂なんかを聞いたなら・・押し潰されていただろう。そして今、どんな風に生きて居るだろうかと思う。
結婚前に聞いた事があった。お母さんが竹林村出身だという同級生から・・「貴女のお母さんは、誰か他の人の子を産んじゃったんよ!死んだ赤ちゃんの事よ」「えっ!千里ちゃんの事?如何して?外に女の人を囲って居ても・・本妻に子は出来るよ!出来たら可笑しいん?」その様な会話であった。初めて主語述語のある言い方で聞いた、我が家の噂のようである。不思議な事である。家に帰って父に聞いて見た。母が亡くなった後、父と百合と姉夫婦と子供達と一緒に住んで居た。「百合ちゃんがお嫁に出るのに・・我が家から出したいから」とか言って呉れたのである。只一年二年も居ると辛い時もあった頃である。そんな折の母の噂・・父と二人の部屋で「千里ちゃんの事、誰か他の人の子じゃ言う人が居るんよ!」「な‥何!・・誰がそがぁな事を言うか!」父悟は怒っていた。私、百合はやっぱり嘘だったと、安堵したのであった。「お母さんが竹林村から嫁に来てるんと・・」若い頃父は外に女の人を囲って居て、家に帰る事は月数回であった。そんな時に出来た子であるから・・噂になったのだろう。こりゃあ大変だ!!百合の縁談に差し障ると思ったのか?その後父悟は親として、この噂の責任を感じたのであろうか・・。百合の見合い写真と釣書を持って親戚中、知り合い中に頼んで回ったのであった。亡くなった母の分まで一生懸命に頼んで回っていた。父と母の願いのお蔭で、ある処から話が舞い込み縁談はまとまった。嫁入り支度もささやかながら、父と話し合って如何にか揃えることが出来たのである。
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これまで何度か聞いて居た、あの噂・・。その度に内の家の事じゃない!嘘だ!と心の中で打ち消して居た。何故かというと・・母美子は立派に生きた人だったからである。父が女の人の為に作った借金も、事業を夢見た借金も細腕でやり繰りして、仕立ての内職をしたりしては払っていた。亡くなるニ三年前の事である「借金は無くなったよ。全部払ったよ!百合ちゃん」嬉しそうに、晴れやかな顔で言った母・・。母に汚点など無い。今の百合があるのは母のお蔭なのである。四十八歳の若さで、雲膜下出血で倒れて亡くなるのである。可哀そうである。幸せな結婚生活はあったのだろうか。百合が産まれる前迄は幸せであったと思う・・。百合を産んで育てる為だけの人生だったのかも知れない。
そう云えば百合が高校生の時の事である。ある日母美子は隣町のよく当たるという評判の、占いを見て貰ったのである。目的は姉麗子の縁談の事であった。麗子の縁談は近い内に、東の方から話が舞い込みますとか云うので・・先ず一安心したのである。次、妹さんのを見て上げましょう。その占い師の言葉が気になって居る。百合の生年月日と生まれた時刻など聞いて占うのだそうな。「あった!ほぉほぉ・・」目を輝かせて言うのである。「この星が出ると・・家が倒産しますよ。倒れたでしょ。天使とも悪魔ともいう星ですよ。〇○○星は女性でありましたか。これからは女性が仕事をして活躍する時代になるのでしょう。それにしても百合とはいい名前を付けましたね。百合わせるのですから・・」「はい倒産しています。百合ちゃん十歳の時でした。私の家も倒れています」「そうでしたか、二代に亘って倒れたんですね。大きな星ですから・・。でもこの子は家をちゃんと興しますよ」「まぁ!嬉しいです。ありがとうございます」百合が家を興す。再興すると云うのであるからとても喜んだという。今の苦労も報われる時が来る・・「しかしですね、此のままですと星を集めて頂点に上り詰めます。そして早くに亡くなります」「それは困ります・・平凡な家庭を築いて、長生きさせて欲しいです」「こちらで操作していいですか?噂の多い人です。でも百合さんは耐えてやり抜きます」「はい、お願いします」と母はお願いしたという。「分かりました。これより深く聞きたかったら〇万円頂きます」最初の占い料は、着物一枚分の仕立て代位であろうか。これより深く占って貰うには・・仕立て代十枚分位の料金であろうか?「それはちょっと、値が張りますね。止めておきます」「分かりました。後の事はまたお知らせします。今日私が話したことは、百合さんに全部話すのですよ。いいですね」「百合さんは何が得意ですか!勉強させてあげて下さい。どんな顔立ちですか、この人に会ってみたいですのぉ何時ごろ家に帰りますか」「・・・と云う様な占いをしてもらってね・・。百合ちゃん噂に耐えられる?」「家を興す事が出来るなら!耐えるよ。どうすればいいん?」炬燵に入って、母美子は夜なべに裁縫をし、百合は国語の予習をしていた。二人の距離は近い・・。「そう云えば・・さっき家の前で男の人と話したよ。何が得意ですか?と聞かれた・・文系です。国語か家庭科ですかねと答えたよ」「そおぉ?」背の高いロマンスグレー、職業は先生かなと思った。落ち着いた口調の人だった。百合は占いにも噂の多い人と出るんだから、今回の噂は仕方無いのかな?耐えればいいだけの事かな?その日母美子は占い師から聞いた事を全部話したかも知れない。聞く方の百合は真剣に聞いて居なかったから・・忘れている。あまり覚えていない。テレビは夜九時のニュースが流れていた。日本経済の長期展望は・・世界第二位の経済大国に発展するだろうと予想していた。首都圏は高速道路が縦横無尽に走り・・。高層ビルは・・。これから世の中は、女性が仕事を持って活躍する社会になるでしょう・・・。あれから六十年もの月日が流れている。我が人生、大したことは何も無かった。苦難だけは幾つもあった。乗り越えたと云えばそうである。幾つも乗り越えている。若くして死ぬことは無く・・生きながらえている。只これだけの人生だったのだろうか?・・・ふと思う事がある。
世の中には引っ掛けたり噂を流したり・・その家を倒して自分達がのし上がる為に利用するのだろうか?そんな人達が居る。反対にその噂を子供達だけには聞かせまいと、守って下さる人達が居た。百合は温かな人達に囲まれて居たんだと思いながら、人生最終章を迎えている。納得の行かなかった倒産も理解できたのである。この私百合の為に、理不尽な噂に惑わされない様に。父と母は麗子と百合を守る為に家を倒産させて、市内で育てる事を決めたのであろう。有難い事であった。お蔭さまで今日が在る。時すでに遅いけど・・父や母そして世の中に報いる事は出来ないだろうか。世の中に恩返しとは、おこがましいけれど、此のまま何もしないで人生を終わっていいのだろうかと思って居る。
母の仇を打たなければならない?仇討ち!!只、仇を討つにも相手がはっきりしない。何か訳の分からない事をする大きな集団かも知れない。その上、百合は仇を討つには年を取り過ぎている。戦うのであるから、体が、足腰が動かない!よっこらしょでは様にならない。・・他に出来る事はないだろうかと思った。
そうだ、それらの事を書いて見たらどうだろうか。そうだった・・と書くのである。そして悟って頂くのはどうだろうか。互いに我が身を顧みて、今迄の考え方、行動は可笑しいと思って頂く事は出来るかも知れないと願うのである。
それは若い頃、出向先で見た天王さんのお祭りのように、お神輿を笹で叩くような小さな小さな行為かも知れない。笹でいくら叩いても、お神輿は壊れる事は無い。只・・最後は皆の手で壊されて、新しいお神輿を据えるのだと聞いて居る。古い習慣も悪い風習も時代に合わないから改められる、最初は一遍の投稿から始まるのかも知れない。(やがて民衆の声となり、大きなうねりとなり・・あっ・ちょっと気取りました。すみません)それは一遍の投稿から人に知られるようになり、だんだん広まって行き・・皆に知られたならば・・その習慣、風習は出来なくなる。自然に消えて無くなるのではないかと願うものである。
㊳
竹林村で生まれ、十歳迄育っている。それは百合の運命の始まりである。ワンパク坊ちゃんと出会っている。物事を少し離れた処から見る・・観察・・意味を考えている。負けまいとして、頑張る人になった。隣のU君やマァ君、昭夫さんにも見守られながら育っている。竹林寺の慧光さんの姿は、あの頃から人を育てる立場の人だった。竹林寺の奥さんの法話は、細く綺麗な声と共に心の奥に深く残って居る。福ちゃんの事、桃ちゃんの事、思い出せばいつも懐かしい。桃ちゃん亡くなったと聞いた事がある。会いに行けば良かった。住まいはそれ程遠くは無かったのに・・。一幅の絵のように残る竹林村の風景は脳裏から離れる事は無い。総ては竹林村からの始まりであった。
只・・今ある竹林村の風景はそのままでは無い。随分変わって来ている。吊り橋の風景はもう無い。ずっと以前、大雨大洪水により流されて・・コンクリートの橋になった。二つあった土手は一つになり河原が広くなった。竹林酒造は移転により、その跡地を探すのも困難である。移り変わりは世の常と云うものであろうか・・。
変わらないもの・・やはり人の心ではなかろうか。今の竹林寺の奥さんは、慧光さんのお嫁さんだから、他所からお嫁に来られた人なのに、何だか昔の話が出来て懐かしい・・。春になったら昭夫さんの家にも訪ねて見ようかな・・・。お互いにそう長くはないのだから、幼い頃お世話になったお礼を言って置こう。
世の中には、自分の為に人を利用しようとする人がいる。人を暗号で使う。とか、人を言葉で引っ掛けて使う・・随分失礼な事である。業者さんは仕事を貰う為に理不尽な事もするのであろう。この頃の世の中、引っ掛からない様に気を付けて生きて行かなければならない。仕事を貰う時はプレゼンテーションをする。説明をする。訳を話す。信頼を得なければ仕事は貰えないと思うのだが、どうだろうか。
噂を流す人達が居る事を知って置いて下さい。その噂本当なのか・・本人に確かめるよと言って頂くのは如何だろう。主語述語の無い・・突然に言う言葉。何かの暗号であると思って見て下さい。
噂を流す人の資質を疑って見て下さい。それは噂を流す人、自分を語って居ることが多いと思う。
㊴
凜おばあちゃんと、岡おばあちゃんが訪ねて来るという。そんな葉書が来ていた。竹林村の思い出と風景が蘇って来る・・。如何なって居るだろうね内の家。岡おばあちゃんとは、凜さんの実のお姉さんで岡という家にお嫁に行かれたので、おばあちゃんを区別する為に子供達は自然とそう呼ぶようになっていた。百合達が街に引っ越して二年になろうかという頃である。最初の借家は父が家族を呼び寄せる時、一人で見つけた物件であった。家賃が高いのに、お風呂も付いて居なかった。大家さんは、お風呂屋さんだから・・そうなるのかな。それから一度引っ越して、この家に引っ越しで百合は五年生になっていた。街の学校はマンモス校であった。一クラス52人として6~7組であったかな。全校生徒2千人なのである。此処でも校舎が足りなくて・・同級生が一二年生の時は、二部式授業であったそうな。(午前と午後に分かれて登校して授業を受ける)その後は鉄筋コンクリートの校舎を新築する為に、古い校舎を曳いて(移動させて)使って居たのである。百合は漸く街の子供になったような気がして居た。大家さんの大屋さんには、この家で大変お世話になったのである。百合は此処の奥さんを見習う様になっていた。洋裁の先生だったと聞いた事がある。ワンピースをデザインして縫って貰ったのである。「内は女の子が居ないから」と言いながら・・・。しかも二着も、とても嬉しかった。猫も飼って頂いたのである。百合より一級下の息子さんと遊んで居る時見つけた真っ黒い猫。母に言うと・・「借家に住んで居るんだから、猫は飼えないよ。ダメダメ絶対にダメそれに・・私猫が嫌いなんよダメよ!」絶対ダメと言われてしまった。「どうしょうか・・借家人がだめなら・・そうだ!大家さんに頼もう。頼んで見よう!」息子さんと一緒にお願いしたのである。それで如何にか・・真っ黒黒の猫は縁起がいいかも知れんという事と、雄猫であったので置いて頂ける事になった・・。(無理を聞いて頂いて、本当にすみませんでした)この小路は全部、大屋さんの土地と聞いた事がある。ご主人様は官僚、入り婿されて居る。先代のご当主様が輸出入業者さんで、成功されたとか。元から土地持ちであったとか。江戸時代から続く武士の家であるとか・・。他所の家の分限者話は良いものである。近くに住んで居る事が誇らしくなって来てしまう。焼杉板を家の壁に張ってある。戦前から張ってあったのか、戦後に張ったのか分からない。裏手にある比治山の陰になり、原爆の被害は免れたのである。比治山の向こうは、一面の焼け野原であった。地獄を見たと大人たちはそれぞれに言うのである。山のこちらは・・火災も無く、爆風でやられた家の歪みを補修する工事は必要だったそうである。
百合達家族四人は、この家の離れを借りて三年間住んだのである。立派な築山があり、鯉が泳ぐ池がある。本格的な日本庭園である。その庭を離れの客間から眺めることが出来たのである。立派過ぎる床の間に、布団を置いて居たのかな?思い出せないが、押し入れが無かったか?小さかったか?であろう。お客用のトイレと小さな炊事場と茶の間もあるので、この時期に貸間にされたのであろう。子供達の学費捻出かなと思う。二人の男の子達は、それぞれに国立の付属小学校に通い。少年少女合唱団に入り・・絵画教室では個人指導を受けていた。リビングには、子供達の立派な油絵が飾ってある。県の美術展で金賞を貰ったのだと云う絵であった。奥さんは教育に凄く熱心である。教育ママの元祖と云うべきかな?冷蔵庫、洗濯機、掃除機はすでに使われていた。少しして自動車が玄関の前に止まるようになった。この地区では最先端の家と言っていいかも知れない。百合にとって、憧れの生活を近くで見る事が出来たのである。敷地の中の借家人の洗濯場は中庭にあった。奥の小さな家には若い夫婦が住んで居た。入り口の小さな洋館(外壁だけは洋館)には三年生の女の子と父母三人家族である。此処でもよく遊ばせて貰ったものである。
その日凜おばあちゃんと岡おばあちゃんは、玄関から入って来て・・「街の家じゃ言うのに、ええ造りじゃの」「これまた庭も素晴らしい」と言いながら眺めていた・・(玄関は借りてはいないのだが、お客の時は使ってもいいらしい。使わせて下さいと届けている)「遠路お疲れ様です。どうぞ座布団を・・」「探したんじゃがやっと・・」「落ち着かなかったんです、二回転居しました」と母美子は挨拶をしていた。「髪も黒うて・・お若いですの。お幾つですかいね」「いいやぁ、これぁ昨日自分で染めたんじゃけぇー」「あぁそうですか」美子はお世辞を言って居た。「土産の伊達帯を機で織ってきたけぇ。三人分の帯じゃ。ちょっと草臥れた・・これぁ美子に、これぁ麗子に百合ちゃんにもあるんで、可愛い模様にしとるんで」思いもしなかったお土産、母は嬉しかったのだろう。幅三寸(約11センチ)帯下にすると帯が締まるのでとてもいい。普段はその帯だけでもいい。「まあー有難う御座います。機で織った帯は締まりがええですよの!私の柄は落ち着いて居りますの。麗子のは嫁入りに持って行かせます。百合ちゃんのは可愛いですの。いつの日か嫁に・・」「この頃は娘も(養女)織って呉れるんで・・若いだけあって早うて上手じゃ・・」「ちぎった布を機の糸の間に織り込むんですよの・・ええ帯を頂きました。有難う御座います。一生締めさせて頂きます」凜おばあちゃんは母の事を美子と呼んでいる。親戚付き合いだったからであろう。昔々・・凛さんは祖父の婚約者であった。戦争から帰って来て祖父は婚約を破談にした。後はそのまま・・言わない事になった。だから百合もおばあちゃんと呼んでいたし可愛がって貰って居た。凜さんにとって美子や百合の存在は、憎い・可愛い・憎い・可愛いが常に交互するのだろうか。「さて・・頼んである、印鑑証明とか住民票は取ってありますかの」「はい・・此処に」母美子はテーブルに置いた封筒を押さえていた。このテーブルは十日ぐらい前であったか、古道具屋にちょっといい新古品があった・・と言って買って来たものである。上板は薄い緑の地(漆?ではないだろう)に細かい細かい花模様のあるテーブルであった。この日の為に買い求めたのかな。古い食卓では恥ずかしいから、母も見栄を張ったのであろう。
「・・・・・・・・」大人達の話は分からない。「・・・・百合ちゃん此処に名前書いてね」「えっ!何?これ!何ですか?」何だか大事な書類の様である。「何で?内が名前書くん?知らないよ・・」「はぁ家は無いんじゃけー」凜おばあちゃんが言った。「家はもうないん?如何して?」家はこの当時、叔父(母の弟)が移築して住んで居る。家の曾祖母が亡くなった後、土地と家の名義は父ではなく、百合の名前になって居たのだ。父が女を囲って遊びだした頃、用心の為にそうしたのであろう。「家はもう無いん?如何して?」「書いて上げんさい」と母美子は言った。百合は小さいながらも(土地の譲渡契約書か売買契約書)か、何か重要な書類と感じていた。何時までもためらっていた・・。「書いて上げんさい」もう一度母が言った。「ひらがなで書くん?漢字で書くん?」「漢字で書いたら・・」母美子は言った。下手な漢字で書くと・・書類は母の処へ行って・・さっさと自分の名前を書いて居た。親権者という事だろう。この場でジタバタしても、どうにもならない事である。母は早く終わらせたいのかも知れない。書類の確認が出来た頃、四方山話が始まった。家族で四国の金毘羅さんに行った話など。百合の家にはそんな余裕は無い事位知って居るのに・・。最後に凜おばあちゃんの十八番が出て来た・・。「庭の三州の木~・・」座ったままで顔の仕草や、手振りで歌うのであった・・。凜おばあちゃんの晴れ姿という処であろう。女の恨みは晴れたのだろうか。と百合は思った・・。「ええ声ですよの~パチパチパチ・・」と母は又お世辞を言って居た。後年・・安く差し出した土地を人に高く売って大いに利益を出したと云う事が人伝に入って来た。祖父が選択した意味が解った。我が家とは考え方、価値観が違うと云う事である。
「それでは長居でしたの・・元気での。百合ちゃんありがとう」「皆さんによろしく・・長生きして下さい。お体に気を付けて下さい」凜おばあちゃんと岡おばあちゃんは喜んで小路を帰って行く・・。「あれをよう見なさい・・ほら!何度も何度も・・」振り返ってペコリとお辞儀をしていた。土地は取られたのではないよ!差し出したのであると云う事かな。こちら生き方に誇りを持っていると云う事かな。「よう見なさい!ほら!また!」ペコリとして、最後に手を振りながら小路を曲がって行った・・。母美子は肩の荷を下ろして、晴れ晴れとした感じか・・美子と百合は何時までも見送っていた・・。「さようなら!・・これでさようなら!」竹林村の事は思い出だけとなった・・。さようなら私の故郷・・何度も手を振っていた。
(当時の)皇太子殿下と美智子妃殿下の宮中で行われる結婚式そしてパレードはテレビで放映された。全ての人が見ることが出来るのである。祝日となって、学校も職場もお休みなのである。日本国中・・全てがお祝いムードであった。この時テレビの売り上げ台数は大いに上がったと云う事である。百合の家は、まだその段階では無かった。大屋さんから声が掛かり、子供達だけ見せて頂く事になった。大屋さんの二階のリビング・・炬燵に入って、お菓子を頂きながら見せて頂いたのである。お邪魔にならないように、心得て居るつもりである。人数多いのも話題が多くて面白いのか?暮れの紅白歌合戦も声を掛けて頂き、一緒に見せて頂くのであった。階下から奥さんの作るおせち料理のいい匂い・・。トントントントンとリズミカルな音がしていた・・。今年は紅組が勝ちか?いやぁ白組じゃろぉ・・と言う頃、奥さんも上がって来て、今年も良い年でしたお世話になりました。ありがとうございました。良いお年をお迎えください。と一年の締めくくりであった・・。近くに居る事でおおらかな心に触れることが出来た。幸せ家族とはこうしたものかなとも思った。また奥さんは月に一度位、ある宗教の本を配って歩いて居られた。市井に奉仕されて居るのである。どんなに幸せな時も、物事が上手く言って居る時も、そうでない時も・・市井に奉仕、その姿を近くで見せて頂いたのである。大屋さんにも育てて頂いた百合である。お礼の言葉も出来ていない・・。もしも何か出来るものが有るとしたら、こうして思い出を書いて置こうと思った事である。
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百合は大屋さんの家の離れで中学生になった・・。姉麗子は高校を卒業して就職していた。国立大学に行ける学力があったそうであるが、家の経済状態では無理なのだそうだ。姉は諦めるタイプ・・我慢するタイプなのであろうか。奨学金もあるし、夜間の大学でも勉強出来るのに・・中学生の妹の目線では、まだそれが言えなかった。それよりも母はお金を借りていた親戚に遠慮したのであろうか。そんな経緯があり姉麗子は百合に辛く当たる事がある。
百合は勉強出来る環境では無かったけれど・・。少し勉強をすれば少し成績が、順位が上がる事が分って来た頃である。ある日の事・・母美子は夕飯の支度をしながら「小路の入り口、畳屋さんの隣にね・・中学校の女の先生の家が在るんよ。そこに近くの子供がニ三人程・・机を借りて勉強してるから、百合ちゃんも頼んで来たんよ。行って勉強しておいで。教えては貰えないけど・・。9時位迄場所を貸して下さるんよ。その間先生は食事を作って食べられるから・・」独身で女の先生、三姉妹が住んで居られたのである。「家では勉強出来ないよね。この狭い家に人が来るから・・」その頃父悟はマッサージの講習を受けて、資格が有るのだという。ボランティアでマッサージをして上げていた。小児麻痺で足を悪くした女の子と男の子。肩と手を悪くした男の子、週一回位・・父が会社から帰るのを待って、マッサージを受けて居た。続けることが証拠というか・・少しづつ良くなって、この家を引っ越す時はもう大丈夫という処であった。その間をA先生の家の机を借りて、毎日勉強して来るのである。都合のいい事である。有難い事であった。そして先生はつかず離れず見守って居て下さる。百合の忘れられない先生なのである。場所が替わると気分も変わる。家に帰って、また夜12時位迄勉強出来たのである。
その日もいつもの茉莉ちゃんと勉強をするのである。玄関横の茶の間では、先生姉妹の食事の最中である。おかずは何かなとは思はない。奥の八畳間の大きな丸テーブル(臙脂の塗り物に中央に模様・年期もの)を借りて居た・・「期末テストも終わったし・・今日は数学の宿題と復讐をして、英語の予習をするつもりなんよ。出来る処まで。茉莉ちゃんは?」「内はね・えぇと何しようかな・国語の書き取りをする・・明日小さいテストがあるけー」「うん・・」教科書や文房具を出しながらの話である。「今日これから二ィ~姉ちゃんが遊びに来ると言うとった・・」「ふぅん~」二ィ~姉ちゃんとは、高校二年生で、中学生の時は此処で勉強して居たのだ。その上の一姉ちゃんも中学生の時、此処で勉強をして、今は看護学校へ進んで居る。看護師さんのエリートコースなのだそうな。「茉莉ちゃんの家は三姉妹が此処で育って居るんじゃね」「ほぉなんよ・・ウフフ」「最初は如何して?此処に来るようになったん?」「何か知らない・・ウフフ。知り合いの米を買って貰って居たんよ」「でも・・中学生の時だけ?高校生になったら、自分でせんといけんのよね」そうこうして居ると次女の二ィ~姉ちゃんが来た。ちょっと前の古巣・・懐かしい感じがするのかな・・。「一学期の期末テストが終わった処よ。今日はゆっくりさせて貰おう。もうすぐ中村さんも来るよ。オ~イ中村君と歌いながら来るよ。来たら反対に、こっちから歌って見ようや!」「オ~イ中村君」玄関が開くと同時に三人で合唱「アハハ・アハハ・・先に歌ったな・・」中村さんも中学の時此処で勉強をしたのだそうな。二人で高校の様子などを聞かせてくれる。話し上手で聞くだけでも楽しい・・。何処の家も狭くて子供が多かったのである。勉強が進まない内に9時になっている。また明日・・有難うございました。夜道は危ないからと、先生は皆の家の近く迄送って下さるのである。百合の家は同じ小路なので見送って下さる。家の前の街灯の処で、手を振ってありがとうの合図をするのである。先生も手を振って答えて下さった。夜だから声が出せないから・・気持ちは通じて居ると思う。いつもありがとうございますと思って居た。
そんなある夜、街灯の所で先生に手を振って、勝手口を入ろうとした時の事・・「すみません・・花上さんの家は?」街灯の薄明りで顔ははっきり見えないが・・心配そうにして居る婦人に出会った。「花上さんですか?その裏木戸の向こうの家です。木戸を開けると直ぐに分かります。ご主人さん帰って居られるでしょう。長距離トラックの運転手さんですから。訪ねて見て下さい。直ぐそこの家ですよ」「あ~そうですか・・ご主人さん帰って居られますか。そうですか・・」夫人は安心したかのように、薄暗い道を帰って行った・・。如何したんじゃろう、何かあるのかな?と思った。次の日、母とお茶して居る時に聞いて見た。「昨夜ね先生の処から帰って、勝手口を入ろうとした時ね・・女の人が心配そうに聞いて来たんよ。花上さんの家は?と言うてね。その木戸を開けると直ぐですから・・どうぞ行って見て下さい。と云うたんよ」「あれはね・・浮気しとるんよ」「えぇっ!ご主人長距離トラックの運転手さんで、働いて留守にして居る時に?そんな事をしたら違憲じゃろうに」「パートで働いとる・・印刷会社の専務さんの奥さんがご主人を探しに来たんじゃろう」「まぁー浮気なん!嫌じゃね。内は嫌よ!」「内も嫌よ!長い間子供が出来ないからかね?」それから何か月後・・花上さんの処にも赤ちゃんが生まれたという。奥さんによく似た、丸顔の可愛い女の赤ちゃんであった・・。印刷会社の専務さんは・・ある文学賞の候補になり、本格的に文筆活動に入る為に、会社を辞めて大阪に移られたと聞いて居る。双方共に何か得ることが出来たのかな?そして、その事の噂は何も聞いて居ない。
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中学二年生になった。大屋さんの離れを借りて住んで三年間・・百合は随分成長している。内面的にも外面的にも。大屋さんやA先生に巡り会えて、方向付けをして頂いたと思って居る。それは軟派ではなく硬派に・・ただ傍に居ただけである。有難いめぐり逢いであった。
姉麗子は大手企業に勤めていて、過分に給料を頂いて居るという。そろそろ麗子の縁談の事も考えて、家を移る事になったのであろう。母美子の判断そして心遣いである。父悟は無頓着・・全然心配しない人であった。引っ越し当日も、何処か用事があって居なかった。母はそれを見越して、男子高校生の信ちゃんに引っ越しの手伝いを頼んでいた。
今度の家は一応・・安っぽい黒板塀で囲まれていた。それに黒板の門扉があった。一応門構えという事になるかな?二軒の借家が同じ間取りで、対称に建てられて居た。前には大家さんが作る小さな野菜畑と洗濯物干し場がある。大家さんの奥さんは、六〇歳位か・・。寝室はベットであると言う。アメリカ帰りで年上女房であると聞いている。何時も着物を着ていて、洋服を着た姿は見た事が無い。奥さんはここで洗濯物を干しながら・・我が家を偵察するのが趣味なのである。誰かお客が来た・・何しとる?如何いう関係か?とかを探るのであろう。隣の家はそれ程気にならないのか、我が家の事が気になるらしい。まあー用事も無いからであろうか?世の中いろいろな人が居る。いろいろな大家さんも居るのだろう。その中をググり抜けながら人は、我が人生を過ごすのである。大屋さんの様な店子を育て下さる、大家さんにはめったに巡り会えないと思った。この家の間取りは、置き床ながら床の間のある六畳と四畳半と茶の間、炊事場、玄関にミシンも置ける。お風呂もある、先ず先ず落ち着けそうである。茶の間の隅に百合の勉強机を置くことが出来た。家を建てるのは人(大工さん)であるけれども、人を育てるのは家なのである。そんな言葉を聞いた事がある。そうかもしれないと思うのである。
「この家・・前に住んで居た人、ご主人亡くなられたんじゃそうな・・」母がポツリと言った言葉が、何かしら気になった。母もこの家で亡くなった。八年後の事である。
この家に移っても、A先生の家の大きな丸テーブルを借りて勉強させて貰った。茉莉ちゃんも百合もお互いに中学卒業迄、先生にお世話になるのだと頑張っていた。少し遠くなっても、家の近くの小路まで送って貰っていた。同じように街灯の下で手を振って、ありがとうございましたと言うのであった。先生も手を振って答えて下さった。百合の人生で一番安心して・・心から頼りに出来る人なのであった。以前聞いた事がある・・先生のご先祖は福山藩の家老・・江戸幕府老中を勤められた方と縁戚があるらしい。その方の心が伝わって居るのだろうと思って居る。
この家で中学を卒業して、百合は高校生になった。市内の公立五校は・総合選抜である。学力を同じレベルにして、また高校間で競うのであろう。百合達は第一次ベビーブームに生まれた子供達で、何かに付けて競争させられる時代であった・・。
ただ・・A先生の家に行かなくなって、ちょっとのんびりしてしまった。テレビもあるし、ついつい歌番組のヒットパレード・水戸黄門・大河ドラマ見てしまう。成績は見る見るうちに落ちてしまった。何とかしなければいけない、如何したらいいのだろう・・。家の経済状態でも悩んでいた。そのような時にもA先生は、百合の中学の時の、グッと上がった成績を見せて高校の先生を説得して下さった。「集中力のある生徒です。やる時にはやります」と応援して下さるのであった。母美子の仕事も見つけて紹介して下さった。何と言ってお礼を言えばいいのだろうか。ご恩に答えられない百合なのであった。今!とても会いに行きたい。人生頑張りました、見て下さい。でも先生はもうあの世であろう・・。四十代、娘の中学校のPTA役員をした時にA先生の家を探したけれども、電話帳でも探したけれども、家は区画整理されて転居先が分からなかった。あの世でお会いした時に、ちゃんとお礼を言えるようにして置かなければならない。。もう直ぐ会えるかも知れない?・・もうちょっと生きられるかな?
この家に住んで居る時に、母はある占い師に出会って居る。百合は天使とも悪魔ともいう、百年に一度出るか出ないかの星であると言う。いや・・千年かもと言った。この星が出ると、家が倒産すると言うのである。しかしこの子が家を興すと言うのであるが・・。いつの世も世紀末に現れて古い習慣や風習を打ち壊し、新しい時代・新しい世の中を造ると云うのであるが・・・。只・・百合は後期高齢者になっても、一向にその兆しが見えない。如何したものなんだろう、如何したらいいのだろうか。
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この家は下町の一軒家・・いろんな出来事が有るのである。若い奥さんが町内会の班の当番になって、会費を集めに来た迄は良いのであるが・・。その時財布の置き場所を察知して置いて、後日財布からお金だけを抜き取りに来るという手口。小さな子供(一年生位と幼稚園位)二人を家の前に立たせて見張らせていた。家人が帰ると知らせるのだろう。その日も百合が学校から帰って来た時、一年生位の女の子がちょろちょろ裏口に走って行った。玄関の鍵を開けて居る時に、横通路から平然と出て来た親子であった。後で見ると、勝手口の木戸が半分外れていた。鍵が掛かっていたから、木戸を半分外して侵入したのだ・・。その時は何があったか分からなかった。百合は察しが鈍いのである。でも後から推察して居ると、よく分かる。他の家からも苦情が出たのであろう、その人は転居して行った。あの時の小さな女の子は、どの様に成長したであろうか?親のして居る事を真似して生きるのであろうか?どなたか良い人に巡り会って、考え方を修正して貰って居るだろうか?今頃は六十何歳であろう・・。
また・・汲み取りをして貰うと裏の木戸の鍵をかけ忘れる事が多々ある。そんな事が他の家でもあるのだろうか?夜中若い人と云うか?子供か?裏のガラス戸をそおっと開けて、寝顔を見に来たのではないかと思った事がある。夢の中で懐中電灯の灯りが動いて居た。こそこそと小さな音がしている気がした。ただ若い娘の、寝顔と寝相を見ただけなのであろう。住居侵入ではなく・・敷地侵入し裏のガラス戸開けて、寝顔を見た・・。現行犯でなければ、逮捕できない・・かな?。
斜向かいの小さな借家(六畳一間に台所)に、お母さんと可愛い華奢な女の子が住んで居た。ちぃちゃんと云う。お父さんとは離婚したのだそうな・・。百合とは二級下になる。中学校を卒業すると、お父さんが突然に迎えに来て、連れ帰ったと云うのである。競艇選手にさせるのだと言ったそうな。女の競艇選手、まだ一般的な仕事とは思わなかった。皆もよく知らなかったのである。この頃はテレビでも、この仕事の放送を見る事がある。細くて身が軽い方がいいらしい。優勝すると尚、賞金は良いという。ヘェ~そうなんだ!と思った事である。
大家さんの奥さんはやっぱり・・我が家にお客が来ると偵察して居ると思った。先ず家の前で、洗濯物を干して、そして取り入れて、また次の洗濯物を干して・・。ときどき裏の家の方に歩いて来たりしている。何が心配なのであろうか。別の日、百合がゴミを出した折の事。ゴミ置き場に立って居て、出したばかりの百合のゴミを持ち帰って居る・・と思った。振り返って見たけれど、やっぱり百合の出したゴミである。如何したのかな?何でだろう?別に困る物は捨てていないし、只のゴミなのである。時間が無いので、そのまま学校に行った。本人に分るように持ち帰ると云う事か?可笑しいな・・。よっぽどお暇なのであろうか?それとも誰かに頼まれて、我が家を偵察しているのであろうか?
その後大家さんは・・離婚されるそうである。姉さん女房と聞いて居る。六十歳過ぎてからの離婚とは、何と言って良いのやら。ご主人様と次の奥さんは百合達が転居した後、この家に住まれるそうである。やっぱり偵察、覗き見されるのかな? 何と言って良いのやら・・。
この家で百合は高校を卒業して、大手企業に就職した・・・。この状況下で何か自分に出来る事を探したのもこの家であった。勤め帰り、夜間で洋裁や茶道、華道、編み物、料理、琴・・手あたり次第習ったものだった・・。どれも真面目に頑張っていた。幸福への階段を一歩一歩登って居るような気持であった。そこそこ良い成績であったけれども、どれも極める事は出来なかった・・。人に手ほどき出来る迄にはならなかった。焦って居たのかも知れない。自分に向いて居なかったのかも知れない。
この家から姉は嫁いで行った・・。当時嫁入り道具は、家に飾ってお披露目した後に嫁ぎ先に運ばれて行くのであるが・・。我が家の場合、家具屋さん、電気屋さんから直接アパートに運んで貰っていた・・。小さな借家に住んで居る事でもあるし・・という事だろう。と言っても、箪笥一揃い・着物一式・洋服・電気器具一式・布団・座布団・お人形ケース・等々。此処まで出来たと、母は近所の皆様に見て頂きたい位であったと思う。
そお云えば・・季節は何時であったか?夏かな?百合、高校一年生の時か・・。母と二人きりの休日であったか?コーヒーを飲んでいたかも知れない。「ガラガラ・・」と玄関の格子戸が開いた。客は「ごめん下さい」と言ったかどうか。多分言ったであろう・・覚えていない。母と百合が玄関に出て見ると・・。見知らぬ男が玄関に腰掛けて居た。そして行き成り言うのであった。「わしの子は居らんか!」「ハァ?どなたですか?何ですかね?」と母は言った。「わしの子は居らんかの?」「如何いう意味ですかね?」「この子かの?」「この子は高校生ですよ!妹は生まれて直ぐに亡くなりました。可哀そうな子です。保育器も無くてね。お宅は何故そんな事を言うんですか?」「わしを覚えて居らんかのー?」「さぁー?何方なんですか?お宅?」そんな会話であった。「知らないものは知りません。警察に行きますか!」と母美子はきっぱりと言うので、仕方なくその男は帰って行った・・。その後母も百合もその話はしなかった。関係ないからである。又、不思議な事を言う人であると思った。何の為に?わざわざ此処まで来て言うのであろう。可笑しな人である。我が家に訪ねて来て言う必要があるのか?とも思う。訳の分からない事を言ったりしたりする人達である。多分であるが、我が家にも汚点がある事を百合に知らせるているのであろう。しかしもし汚点があったとしても、それは克服して居ると思う。地道にコツコツ努力して、人並みに生活している。請求のあった借金は払って居る。百合が自棄になって身を崩す事は無い!この人は百合を引っ掛けに来たのだと思う。随分年月が過ぎ・・母の年を越えた頃、気が付くのであった。そして昔々・・竹林酒造再開準備の日・・帰り際に何か言った。あの男の何年か後の姿か?住居侵入婦女暴行し、自分で噂をばら撒いて居る張本人であろう。しかしこちらは、知らないのである。顔も見た事が無いと母は言った。内ではなく他の家の出来事ではないかと百合は思った。昔から・・よくあった事らしい。
それから六年後・・母美子は力尽きて亡くなってしまう。病名は雲膜下出血・手術出来ないまま、三回目の出血であった。麗子と百合の為に全身全霊を捧げての一生であった。
お通夜・・遠いけれども菩提寺、竹林寺のご院家さんにお参りをして頂いた。後から奥さんも態々駆けつけて涙して下さった。そして家に入りきれないほど、沢山の皆様がお通夜のお参りをして下さったのであった。
続く
後期高齢者となり、書いて置きたい事があります。人生良い時もあるけれど・・困難に出会う事が多々あります。そんな時思い出して下さい。分かれ道・・持って居る良い物があるという事。方向は自分で選んで下さい。