第6話
ネネーシアの知らぬ間に、ビクターの中では、王妃に頼まれネネーシアの婚約者を引き受けたことになっていた。
それは、普通に考えるならば、どこかで間違いに気付くはずのことだった。
しかし、ビクターは父親にこう言った。
「叔母上が婚約を整えてくださるようなので、婚約者を探す必要は有りません」
もちろん、父も母も相手が誰かを確認しようとした。
「叔母上が公表されるまで、私の口からは言えません。
相手にも些か事情が有りますので」
王妃である、自分の姉がそう言ったのであれば、と父親である侯爵はそれを信用した。
そこで話は終わってしまった。
侯爵家から辺境伯家に確認がされれば、流石のビクターも間違いに気づいただろう。
だが、相手がわからなければ、確認しようがない。事情がある、と言われてしまえば、相手からの連絡を待つこととなる。
もともとビクターは次男で、婚約を急ぐ必要もない。
そうしてこの問題は放置されてしまった。
そのままビクターは学園に入学した。
手紙一つよこさない礼儀知らずの婚約者だ、仕方ない「車椅子令嬢」なのだから、と思いながら。
学園は楽しかった。
王族に近しい者として、誰も彼もビクターを優遇した。
女生徒にはちやほやされ、男子生徒には敬意を示された。
中でも、テレーゼはビクターの自尊心を特に満足させてくれた。
この頃には、ビクターは「自分には王妃の選んだ婚約者がいる」と公言していた。
テレーゼは、言葉巧みにビクターの自尊心をくすぐり、婚約者の名前を聞き出した。そして、占い姫として名前が知られ始めたネネーシアを貶めるための噂を広げたのである。
その結果の婚約破棄騒動であった。
もちろん、ネネーシアは婚約していないため瑕疵がつけられることもない。
単なるビクターの一人芝居である。
人数の少ない王妃のお茶会だったのが、ビクターにとっては幸いだったはずである。
そのお茶会では、ビクターから王太子妃の恋バナに話題が移っていた。
「お義姉様は、デューク兄様と戦場でお会いになったのよね」
「会ったというか、互いの騎馬がすれ違ったのだ。
一瞬、視線が合って、その時に私はデュークの瞳に囚われた。
デュークも私の瞳に囚われたのだ、と言っていたよ」
「素敵ですわ〜〜!
わたくしにもお義姉様のような出会いがあるかしら?」
「あら、テティア様は、恋愛結婚をお望みでしたの?
だから、婚約者をお決めにならないのね」
アリステアがおっとりと言った。
「そういう理由ではないけれど、デュークがエリカ・ルルーに一目惚れしてついでに戦争も終わらせてくれたおかげで、テティアがどこかの国や派閥貴族に嫁ぐ必要はないわね。
よほどの相手でなければ、まあ、恋愛結婚してはいけないことは無いわ」
「ネネは?
ネネも恋愛結婚がいいでしょう?」
「わたくしは…恋愛に憧れはありますけれど、結婚は無理では無いかしら?
お父様の魔導研究を手伝ったりできたらいいんですけど」
「あら?
なぜかしら?
私の娘は、結婚したく無いのかしら?」
ネネーシアは、言葉に詰まった。
母の前で理由を口にしたくなかったからだ。
「ネネ?」
「だって…
だって、お母様。
わたくしの足は動かない。歩けないんですもの…」
ネネーシアは、嘘をつきたくなかったし、母を傷つけたくもなかった。なので、できるだけ平坦な声で答えた。
「おかしなことを言うのね、ネネ。
あなたの足が動かないことと、恋愛や結婚ができないこと、それにどんな関係があるのかしら?」