第40話 窮地
「そこまでだ、諸君。これを見たまえ!」
その声に反応し、ロードたちは攻撃の手を止めた。兵士たちはその時、すでにわずか三人にまで打ち減らされていた。その三人も恐怖にとらわれ、一目散に逃げ出し、扉の外に消えた。だが、それを追う者は誰もいない。ロードたちの視線は、ヤードらのほうに固定されていたのである。
ヤードは、腰に差していた細剣を抜き、それをガルに押さえられているローラの首筋に当てていた。まだ傷つけるほど力は入っていないが、もう少し押しつければ、ローラの首からは鮮血が噴き出すことになる。ローラは、さすがに怯えた表情を見せていた。
「ヤード! てめえ、何のつもりだ!」
ロードが叫ぶ。ヤードは、ニヤリと笑った。
「わからないかね? 見ての通り、人質だよ。それ以上の抵抗を続けるなら、ローラの命はないということだ」
「汚ねえ…」
カールスが呻く。ロムドは、いっそう怒りに震えていた。ロムドは正義感の強い少年だ。このような卑怯な手口には、耐えられないのである。
「恥を知れ、ヤード!」
ロムドが声を荒げるが、ヤードは平然としている。どんなに吠えようとも、ロードたちが手を出せないのはわかっていたし、事実そうだったから。
「ち…ちくしょう…」
ロードは、両拳に力を入れた。今にも飛び掛かって行きそうな気持ちを、必死に抑えている。
ヤードは、悔しがるロードたちの顔つきを楽しむように見た。
「クックッ…まったく非合理的な連中だね、諸君は。小娘一人のために、千載一遇のチャンスを逃すとは…」
「く…このォ!」
我慢しきれなくなったキーツが、剣を構えて駆け出そうとした。だがその腕を、ロードが掴んだ。
「…ロード!」
「待ってくれ! 頼む…!」
ロードは、呻くように言った。その肩は、悔しさと怒りに震えている。ロードとて、斬りかかれるものならそうしたいのだ。だが、ロードはそれを堪えている。大事な人のために。
「しかし、ロード!」
ここでエルマムドを倒さなければ、もう二度とチャンスはない。キーツはロードの手を振りほどこうとしたが、ロードは頑として放さなかった。
「頼む、やめてくれ! ローラが殺されちまう…!」
ロードは顔を下に向けたまま、キーツに懇願した。キーツはなおも振りほどこうとするが、ライロックがそれを止めた。
「キーツ。私はエルマムドを倒すために、一人の犠牲も出したくない。私からも頼む。思い留まってくれ」
「王子…」
「ましてローラさんは、我々の仲間だ。目的達成のためとはいえ、仲間をみすみす見殺しにすることはできない。仲間の犠牲の上に立った勝利は、後味が悪い…」
「…」
キーツは、ため息と共に剣を下ろした。ライロックの言うことももっともだったからだ。勝利のために仲間を見殺しにしては、反乱も決して誇るべきものではなくなるだろう。仲間の命は、何よりも優先すべきものなのである。
かといって、このまま抵抗もできずに殺されてしまうのも悔しい。キーツは唇を噛み締めた。ライロックやセレナたちにしても、その気持ちは同じだった。
「さあ、剣を捨てたまえ、諸君。この娘の命が惜しかったらね」
「くそ…」
カールスは舌を打って、剣を投げ捨てた。ライロックがそれに倣い、セレナやワイラー、ロムド、キーツも剣を捨てる。ロードも悔しげに剣を落とした。
エルマムドが、安堵の表情を浮かべて玉座に背もたれた。オサミスも、ホッとした顔つきを見せている。
ヤードとガルは愉快そうに、ローラは胸を杭で打たれたような気持ちで、剣を捨てたロードたちを見ていた。
ロードも、ライロックも、カールスもセレナも、ロムドやワイラー、キーツも、皆、悔しそうな顔でこちらに目を向けている。もちろんその視線はローラにではなく、ヤードに向けられた怒りの視線なのだが、ローラにはその視線が自分の胸に突き刺さってくるような感覚を覚えていた。
つい今しがた謁見の間に入って来た残りの反乱者たちも、ライロックの説得によってそれぞれの剣を床に放り投げた。
ローラは、胸が張り裂けんばかりの思いだった。
自分一人のために、反乱が失敗に終わる。この星の人々を救う、最初で最後のチャンスを失ってしまう。自分一人のために…。
そして、みんな殺されてしまう。みんな…ロードも。ローラは決意した。自分のために大勢の人を不幸にするわけにはいかない。だから。
「あたしに構わないで! 戦って、ロード!」
ローラは叫んだ。ロードたちの目が、驚愕に見開かれる。ヤードも一瞬ではあったが、眉を吊り上げた。
「みんなも、剣を取って! あたしなんかのために、今までの苦労を無駄にしないで! みんな、何のためにここまで来たの? ここにゴールがあるのよ? すべてを終わらせるゴールが!」
「無駄だよ、ローラ」
ヤードは、ローラの首筋に当てていた剣の切っ先を、わずかにずらした。細く赤い糸がローラの首を伝い、襟元に流れ込んだ。だが、ローラは悲鳴も上げなかった。
「君が何と言おうと、彼らは我々に逆らおうとはしない。皆、くだらない情の持ち主だからね。特に、ロードは」
ヤードは、皮肉めいた口調で言った。
「ロード…!」
ロードは、他の者と同様、立ち尽くしたままだ。剣を取る仕草すら見せてはいない。
「どうしたの、ロード! 戦ってよ! あたしのことはいいから、戦って! 戦ってってば!」
ローラの必死の呼びかけにも答えず、ロードは足元を見つめたままだった。
「ロード…」
「馬鹿野郎…」
ロードは、絞り出すような声で言った。そして、ゆっくりと顔を上げる。
「そんなに可愛いところを見せられたら、余計に見捨てられねえだろうが…!」
「ハーッハッハッ!」
ヤードは、高らかに笑った。
「麗しき愛と言いたいところだが、ここまで来ると愚かだよ。まったく愉快だ。ハッハッハッ!」
ロードはこれ以上ないくらいの憎しみを込めて、ヤードを睨みつけていた。そんなことくらいで臆するヤードではないことはわかっていたが、こうせずにはいられなかったのである。
聞く者の神経を逆撫でするような、高らかな笑いを収めると、ヤードはロードのほうを向いた。
「さて、ロード君。人質の命を保証する代償として、君にやってもらいたいことがあるんたがね」
ロードは答えない。ただじっと、鋭い視線をヤードに向けている。
「これが済めば、ローラの命は保証しよう。断ればどうなるか…わかっているね」
言われなくてもわかる。ローラは殺されるということだ。ヤードは確かにローラに執着していたが、自分の利益よりも大切だとは考えていない。もし自分の企みの邪魔になったなら、躊躇いなく殺すだろう。
ヤードは、冷笑を浮かべて言った。
「足元の剣を取りたまえ。そして、この場でライロック王子を殺したまえ!」
「なっ…!」
ロードたちは、目を見開いた。
「王子を…」
セレナやカールス、ワイラーたちの視線が、ライロックへ、続いてロードへと注がれた。ライロックもロードも、明らかに動揺していた。
「どうしたのかね? ローラがこの世から消えてもいいのかね? ローラは、君にとって命に等しいのではなかったのかね?」
「こ…この野郎…!」
キーツは、激しい怒りに打ち震えていた。ロムドが止めていなければ、今すぐでも剣を取って突っ込んでいただろう。
「何と卑怯な…!」
ワイラーも、我慢できないといった様子だ。だが、ここで飛び出しても何の利益もないことを理解しているから、突撃は思い留まっている。
「だめよ、ロード! やめて!」
ローラが声を張り上げる。ロードは、迷っている様子だった。目を見開き、足元の床をじっと見つめている。そこには、ロードのヒート・ソードが転がっていた。
「さあ、どうした! 早くライロックを殺せ!」
玉座から身を乗り出して、エルマムドが叫んだ。安堵と興奮が入り乱れているような表情だった。
エルマムドは、勝利を確信した。私の玉座は守られる。反逆者はここで全滅し、いよいよ私の時代が始まるのだ!
「さあ、剣を取りたまえ。君の一番大切な女性のために、王子を殺すのだ!」
ヤードの言うがままに、ロードは足元の剣を拾い上げた。柄のスイッチに触れ、刃に高熱を宿らせる。赤く輝く刃は、ロードの顔をも同じ色に照らした。
「ロード、だめ! だめェ!」
ローラが必死に叫ぶが、ロードは聞いていない。一歩、また一歩と、ライロックに近づいてゆく。ロムドやカールスはそれを止めようとしたが、動けなかった。下手な行動をすれば、ローラの身が危ない。セレナもワイラーも、ライロックのすぐ側にいながら、歩み寄るロードを止められなかった。
ロードが、ライロックの前に立った。剣に帯びた高熱が、空気を伝わってライロックの頬にも届いた。
「ライロック…」
ロードは一言そう呟くと、剣を振りかぶった。ライロックはどうしていいのかわからず、ただそれを見つめていた。
「やめて、ロード! お願い、やめて! あたしのことはいいのよ! だから、ライロック君を殺さないで!」
ローラの叫びは、悲鳴に近い。だがその声も、虚しく天井に響き渡っただけだった。ロードは剣を大上段に構えたまま、ライロックを凝視している。
「早く殺せ! 私に逆らった愚かなライバーンの小僧の、息の根を止めろ!」
エルマムドは、舞台劇でも見ているような目で、その光景に見入っていた。その非人道的な言葉に、カールスたちは怒りの視線を向けた。
少しの間、沈黙が流れる。
剣を振りかぶったロードの脳裏に、ライロックと過ごした日々の、様々な思い出がよぎっていた。次第に逞しくなっていく、ライロックの顔。ライロックは友だ。ロードはいつの間にかそう思うようになっていた。その友を、今自分は斬ろうとしている。ローラのために…。
ローラは、ロードにとってかけがえのない女性だ。一年前から、一緒に冒険をし、時にはロードを励まし、時には叱り、いつもロードを支えてくれた。ローラの笑顔が、ロードにとって一番の宝なのだ。そんなローラを、失いたくない。どんなことがあっても。
しかし、ロードの腕は剣を振り下ろすことができなかった。ロードの身体が、ライロックを斬ることを拒否しているのである。それはロードの心の奥底に、友を斬ることをよしとしないという意志が宿っているからに他ならなかった。
謁見の間にいる全員の視線を浴びながら、ロードは剣を振り上げた格好で止まっていた。ライロックは悲しそうにロードを見つめている。それから厳しい目で、エルマムドとヤードを睨む。
「お前たちは、人間じゃない。人間の皮を被った、悪魔だ!」
ヤードとエルマムドには、それが負け惜しみに聞こえた。二人は歪んだ笑みをたたえた。勝利を確信した笑みだ。
「殺れ! 殺すのだ!」
エルマムドが、狂気をはらんだ声で喚く。
剣を持ったロードの両腕が、小刻みに震えていた。脂汗が滲み、額や頬を伝う。歯は強く噛み締められ、ギリギリと音を立てていた。
「ロード…」
「ロードさん…」
ロムドやカールス、セレナたちは、心配の色を隠せずにロードとライロックを見つめていた。いくつもの心臓の鼓動が、重なり合って天井に響いているような気がした。
ライロックは、その場を動かない。ここで逃げ出しては、ローラの命がないと思ったからだ。それに、ロードがライロックを斬れないこともわかっていた。ロードは仲間を手にかけられるような人間でないと、ライロックは理解しているのである。だから自分ことよりも、今、激しい葛藤の中にいるロードを悲しく思った。そして、焦った。どうすれば、この状況を打開することができるのか。
ロードの頭の中に、二つの笑顔が浮かんでいた。ライロックの、気品のある、それでいて好感の持てる笑顔と、ローラの可憐な、心が和むような笑顔。その二つが交錯して、ロードを苦しめた。どちらも捨てられない。ロードは葛藤の中、ついに答えを見つけられなかった。
「うああああーッ!」
ロードは思い切り剣を振り上げ、同じ勢いで振り下ろした。切っ先はロードとライロックの間の床に食い込み、小さな破片が宙を舞った。
「…ロード…!」
ローラが声を震わせた。
ロードは、その場に膝をついた。肩が震えている。
「…できねえ…! 俺には、できねえ…!」
「やはりな。仲間を殺すことは、できないか」
ヤードは、ガルに顎で合図した。ガルは側にいた兵士にローラの拘束を任せると、ロードのほうに歩いて行った。腰に差していた剣を鞘ごと外し、大きく振りかぶる。
「ならば、王子の処刑は後ほど、我々でやろう。その代わり、この場で君に死んでもらおう。たっぷりと苦しんでから、ね」
ヤードがガルに向かって頷くと、ガルはニヤリと笑い、跪いているロードの頬を、鞘で殴りつけた。
「うあッ!」
「ロード!」
ローラの悲鳴。
ロードは吹き飛び、肩から硬い床に落ちた。ガルは容赦なく、今度はロードの顎を靴先で蹴り上げた。ロードは数滴の血を口から吐き出しながら、仰向けに倒れる。背中を強く打ち、咳き込む。口角から、一筋の血が流れた。
「ぐ…ぐっ…」
立ち上がろうとするロードの肩を、ガルが鞘で打つ。ロードは痛みに顔を歪め、また倒れた。
「やめろォ!」
カールスが駆け出そうとする。だがそれを見たヤードが叫ぶ。
「動くな! ローラを死なせたいか!」
「くっ…!」
カールスは身体を引いた。ヤードの剣は、未だにローラの首筋に当てられているのだ。
「これは、私が用意したショーなんだ。もっと楽しんで見ようじゃないか」
「こ…この野郎…!」
カールスは、歯ぎしりした。
「ぐ…あああ…!」
ガルが、仰向けになったロードの腹を踏みつけている。巨漢だけに、体重がかかって痛みは相当だろう。さらにガルは、靴先をロードの鳩尾にねじ込んだ。
「あ…ああう…ぐ…」
「やめて、やめて! お願い、やめさせて!」
ローラがヤードに哀願するが、ヤードは聞き入れようとしない。楽しそうに目の前の光景を眺めていた。
ローラはヤードから視線を外し、ロードを見た。ロードはまだ、ガルの足の下で苦しげに呻いている。ローラは涙ながらに叫んだ。
「戦って、ロード! お願いだから戦ってよ、ロードォ!」
「…ローラ…」
ローラのほうに顔を向けたロードの頬に、ガルの剣の鞘が食い込む。
「ぐっ…!」
「痛いか? 苦しいか? ガキのくせに、ヤード様に逆らうから痛い目に遭うんだ。大人しく、宝探しごっこでもしてりゃあよかったのによ」
ガルが嘲笑する。ローラの悲痛の叫びが、それと重なった。
「戦って! あたしを助けたいなら、戦って、ロード!」
「た…助ける…? ローラを助けるために…戦う…?」
「そうよ! 忘れたの? サリールであたし、言ったじゃない! ロードが死んだら、あたしも死ぬって! ロードが死んだらあたし、この場で舌を噛んで死ぬわ! だって、ロードがいなかったら、あたし…!」
ローラの頬は、涙で濡れていた。ヤードはそれを見て、茶番だと思った。結局、ロードは戦えない。ローラが何と言おうと、ローラがヤードの手の内にいる限り、ロードは逆らうことができないのだ。ローラの死を目の当たりにする。ロードにとって、これほど恐ろしいことはないのだから。
エルマムドは、玉座に深く腰掛け、オサミスと共にヤードの用意したショーを愉快そうに見ていた。彼らも、ヤードと同じだ。友情や愛情などは、くだらないものと考えている。利害関係で結ばれた者こそが、真に信用できるものだと、二人は思っているのだ。
「勝利だ。私の勝利だ!」
エルマムドは、高らかに笑った。




