第32話 逆転の兆し
薄暗い空間に、大勢の人々が入れられていた。
王城の地下牢だ。牢の数は左右に八つずつ。石畳に、石の壁。そして鉄格子。長い間使われていなかったのか、それは、あまりに古典的な牢だった。
しかし、だからといってすぐに逃げ出せるわけではない。地下牢だから窓もないし、鉄格子は恐ろしく太く、頑丈だ。古典的でも、侮りがたい。
現に、何人かの腕っ節の強い男が、牢を壊して逃げ出そうと試みたが、結局鉄格子はびくともせず、その男たちは無駄な体力を使い、牢番に叱咤されるだけに終わった。
それ以来、牢の中の反乱者たちは、逃げ出すことが不可能なことを実感し、希望を失い、力なく首を項垂れていた。
重い空気が、地下牢に漂っていた。
「ロード…無事だといいけど…」
奥に向かって左側、一番手前の牢の中で、ローラは呟いた。
左手首には、もう時計ははまっていない。ロードと連絡を取った後、兵士に取り上げられ、踏み潰されたのである。
「お願い、生きていて…」
ローラは胸の前で手を組んで、ロードの無事を祈った。
「大丈夫さ」
ポン、とローラの肩を叩く者がいた。
浅黒い肌の少年。カールスだ。カールスはローラと同じ牢に入れられているのである。いや、カールスのいた牢にローラが入ってきたというのが正しいのだが。
「ロードは、しぶとい奴だよ。死にはしないって」
カールスは、優しく微笑んだ。いつもはロードと同様、無粋な少年だが、こうして笑うと、心の和む顔つきになる。
「少なくとも、ここには来てないんだ。必ず、生きてる」
「…そうね。そうよね」
ローラは、何かホッとした。カールスの口調が、確信に満ちていたからである。
ロードとカールスは、同じトレジャー・ハンターとして、ライバル同士であり、同時に親友でもある。本人たちは否定しているが。
親友のことは、自分のことのように良くわかるものだ。カールスも、例外ではない。ロードの力、生き延びる力を良く知っているのである。たぶん、ローラよりも。
カールスとロードは、知り合ってもう四年になるという。ローラがロードのパートナーになったのは一年前だから、その差は大きい。カールスのほうがロードのことを良く知っているというのも、当然のことだ。
だから、ローラは安心できたのである。ロードのことを一番良く知っているのが自分ではないことに、ちょっぴり嫉妬感はあったが。
「どこかで、生きてるわよね…」
「あいつのことだ。ゴミの山に隠れてでも、生きようとするだろうぜ」
冗談のつもりだったのだろうが、カールスの予想は、あながち外れていない。
「ファックショイ!」
ロードはこの時、大きなくしゃみをしていた。それが、下水道に反響する。むろん、カールスやローラには聞こえるはずもないが。
「そして、きっとここに来る」
カールスは、ローラに耳打ちした。地下牢の入口に立っている牢番に聞こえないよう、気をつけているのである。
「ここに?」
ローラも、押し殺した声で聞き返す。カールスの意図がわかったのだ。
カールスが、小さく頷く。
「ここに惚れた女がいるからな。絶対に、君を助けに来るさ」
ローラの頬が、わずかに赤くなった。だがすぐに、表情が変わる。
「でも、ここは王城なのよ? 街中で一番警戒の厳しいところだわ。ここに来たら、ロードまで捕まっちゃうわよ」
「そんなこと、あいつだって百も承知さ。それでも、あいつは来る。そういう奴だ。惚れた女のためには、命も賭けるってね」
「それじゃあ…」
それでは、必死でローラがロードに送った通信が無駄になってしまう。
ライロックの言った抜け道が塞がれている以上、ここへ忍び込むことはできない。ということは、ロードはここを襲撃するということになる。
しかし、何といってもここは王城だ。手練れの兵士たちが、大勢ここを守っているのだ。ロードがいくら剣の腕が立つといっても、数の力には勝てないだろう。結局は、この地下牢に入れられてしまうと考えられる。
そうなったら、ローラの通信は、まったくの無駄になる。ロードに生き延びて欲しいから、あの通信を送ったのに。
できれば、来ないで欲しい。
ローラは、そう思った。ここから助け出して欲しい気持ちもあるが、それ以上にロードに捕まって欲しくないという気持ちのほうが強かった。
だが。ロードがこのまま引き下がる性格でないことは、ローラも知っていた。
ロードは遅かれ早かれ、この城に攻め込んで来るだろう。
そうなったら…。
ローラは、自分で自分の肩を抱いた。一瞬、ロードが兵士たちの剣に切り裂かれる光景が脳裏をよぎったのである。
「ロード…」
「心配か?」
カールスが問う。ローラは素直に頷いた。
「そうだな…ロード一人でここに攻め込んで来たら、ロードはどうなるかわかったもんじゃないな。だけど、ロードはそこまで馬鹿じゃない」
「じゃあ、どうするのかしら? 組織の人たちは、ほとんどここにいるのよ? 味方を集めるのは無理だわ」
心配そうな目で、ローラはカールスを見つめた。
「そうだな。街には、もう味方はいない。けど、ロードの味方は、この街だけにいるわけじゃない」
「え…?」
ローラは、目を瞬かせる。カールスの言った意味がわからないのである。
「あいつは、銀河を股にかけるトレジャー・ハンターだぜ。宇宙にだって、いや宇宙のほうが、強い味方はたくさんいる」
「え…それじゃ」
そこまで言いかけて、ローラは口をつぐんだ。牢番に聞かれてはまずいのだ。ロードがこれからしようとしていることを。
カールスはニヤリと笑って、頷いた。
「そういうこと。それにだ。ここにも味方は、大勢いるぜ」
カールスは、顎で鉄格子の外を示した。
「…ここの人が? 牢に入ってるのよ?」
「平気、平気」
カールスは、得意げに胸を張った。そして、左手の人差し指を、右手でつまんだ。
「武器は、取られちまったけど…」
言いながら、カールスは人差し指を引っ張る。
カチッという音がして、人差し指が第一関節から外れた。いや、外れたのは指を覆っていた肌色のカバーだった。
精巧に作られた指型のカバーの下には、金属でできた指があった。メタリックに光る、機械の指だ。
ローラはそれを見て、思わず声を上げそうになった。カールスのこの指を、ローラは初めて見たのである。あまり、見ていて気持ちのいいものではない。
「まだ、こいつが残ってる」
カールスがそう言うと、機械の指の先端から、四センチほどの刃が飛び出した。
それはすぐに、赤い輝きを帯びた。まるでヒート・ソードの刃のように。
「その気になりゃあ、いつでもここを出られる」
「本当か?」
王城。
エルマムドが用意した客室で、ヤード・デ・モローは驚きと喜びの入り混じった声を上げた。
エルマムドの私室ほどではないが、豪華な造りだ。
床は、壁と同じ大理石。その上に、金の刺繍の入った赤い絨毯が敷かれており、大きなソファや銀の丸テーブル、美しいカーテンに囲まれたベッドなどが置かれている。壁には、金の額縁に入った美しい風景画や、複雑な紋様のタペストリーが掛かっていた。
ヤードは、ソファに深く腰掛け、タブレットを手にしていた。タブレットには有名な詩人の書いた詩集が表示されており、彼は腹心の部下ガル・ガラが部屋に入って来るまで、その情緒溢れる詩を堪能していたのである。
しかし、ヤードの心はもはや詩の世界にはなく、現実に戻っている。ガルが来たことが原因なのだが、ヤードはそれを怒っていなかった。いつもなら、気分を害されたといってガルを叱咤するところなのだが。
ガルが、ヤードにとって喜ばしい知らせを持って来たからである。
「確かに、いるのだな? この城に」
「はい」
ガルが、恭しく頭を下げる。
「私自身が、確かめて参りました。もちろん、向こうに気づかれないよう、離れたところから見たのですが、間違いありません」
「そうか…」
ヤードは、目を細めて顎をさすった。
「まさかこの城にいるとはな…灯台下暗しとは、よく言ったものだ」
クックッと、喉の奥から笑いが洩れる。
「で…ロードも一緒なのか?」
「いえ、あの娘だけでした。おそらく、捕まったのはあの娘だけかと…」
「そうか…ますます好都合だ…」
ヤードの口角が、いやらしく吊り上がる。
「ガル。歓迎会が終わったら、ここに連れて来い」
「はっ、承知いたしました」
「ふふふ…」
ヤードが、再び笑い始める。腹黒い人間に共通するような、嫌な笑い声だった。
「絶好の機会だ…あの娘を私のものにするにはな」
ヤードは目を閉じた。瞼の裏に、一人の少女の姿が浮かび上がる。金髪の、白い肌をした美しい少女だった。
「楽しみだ…ローラ…」
細長い機首の飛行機が、半ば陽の沈みかけた夕空に舞い上がった。
ここは、王都アスリーンの東端にある宇宙港。四日前、ロードたちがこの星に降り立った場所であり、今日の昼、ヤード・デ・モローが降りてきた場所でもある。
大通りに面したこの宇宙港には、大勢の人がいた。他の都市、あるいは他の星から来た人々が大通りに出、逆に王都を出る人々が入ってゆく。さすがは、王都の宇宙港だった。
二階建ての、横に長い建物だ。白い壁に、大きなガラスが何十枚も張ってある。西に傾いた夕陽が、そのガラスに反射して眩しく輝いている。
ロードは今、その宇宙港の前に立っていた。
だが、その風貌はいつもと違う。腰に差したヒート・ソードは同じだが、緑色の軍服を着込んでいる。そして、サングラス。
ユーフォーラ兵士の格好だった。宇宙港前に他の兵士が何人かいるが、その服装と何ら変わらない。
「へへっ」
その兵士たちが自分にまったく不審を抱いていないのを見て、ロードは不敵な笑みを浮かべた。
この軍服は、巡回中の兵士からもぎ取ったものである。路地裏に引き込み、気絶させて剥ぎ取ったのだ。今その兵士は、手足を縛られて、路地裏に転がっているはずだ。
この服装なら、怪しまれずに自由に街を歩ける。ロードはそう考えたのだ。
ビルの裏とはいえ、あれだけ派手に暴れたロードだ。兵士の中に、ロードの顔を覚えている者がいるかも知れない。それを警戒してのことだ。
「さて、と」
ロードは意を決したように一人頷くと、宇宙港の玄関をくぐった。
中にも、たくさんの人がいる。ただ、ウォーレルの人混みを見慣れているロードにとっては、大した人数には思われない。
ロードは、広いロビーを真っ直ぐ、搭乗口のほうへ歩いて行った。
「おい」
ロードとすれ違った一人の兵士が、ロードの背中に声を掛けた。ロードは思わず肩を震わせた。
(バレたか…?)
「聞こえないのか?」
その兵士は、ロードに歩み寄って来た。ロードはいつでも剣を抜けるように、それとなく柄に手を掛けた。
「おい」
兵士が、ロードの肩に手を掛けた。
「こっちを向け」
「な…何か、用か?」
ロードはわざと低い声で言いながら、兵士のほうに身体を向けた。
兵士は、いかにも何か言いたそうな顔をしている。眉を引き締め、ロードを睨みつけていた。
ロードは、柄に掛けた手に力を入れた。この体勢からなら、抜き打ちで相手を倒せる。
しかし、ロードの心配は杞憂に終わった。
兵士はロードの制服の第一ボタンを指差し、
「軍人なら軍人らしく、きちんとしめておけ」
と言ったのである。
ロードは拍子抜けしたように、首元を見る。第一ボタンが外れていた。この兵士は、それを注意しているのである。
「す、すみません」
ロードは慌ててボタンをしめる。兵士はそれを見て頷き、
「身なりはきちんとな」
と言って去って行った。
ロードは、安堵の息をついた。
気を取り直して、搭乗口に向かう。そこには、青い制服を着た青年が、チケットの検査をしていた。
ロードは無視して搭乗口を出ようとしたが、その青年に呼び止められた。
「あ、あの…チケットは」
「チケット? あ、ああ、すまない」
ロードはわざと笑って、その係員に歩み寄った。
「実は、私は飛行機に乗るのではないんだ」
「…と、申しますと?」
青年は、いささか怯えたような声で尋ねてきた。兵士は、今や国民には恐怖の対象になっているのだろう。しかもロードの場合、サングラスが威圧感を増している。
「皇帝陛下の御命令なのだ」
ロードは、係員に耳打ちした。いかにも、極秘任務だというように。
「…王様の?」
「そうだ。今日の反乱に参加した者が、国外逃亡を計るかも知れないので、すべての乗客を調べるようにとな。最初の便の離陸まで、あと何分だ?」
「は、はい…あと、三十分弱です」
青年が腕時計を見て言った。
「そうか。何とか、間に合いそうだな」
ロードはわざとらしく頷くと、係員に背を向けた。
「では、通らせてもらうぞ」
「は、はい。どうぞっ」
青年係員は、思わず敬礼していた。ロードは必死に笑いを堪え、敬礼を返した。
それから、ロードは搭乗口から飛行場に出た。北に伸びる滑走路が目の前にあり、その向こうに、停泊場がある。何機もの飛行機や宇宙艇が整然と並んでいた。
ロードは滑走路を横切り、停泊場へ向かった。
近づくにつれて、他の機体の陰から、白い機体が姿を現す。船首の長い、美しい流れるようなライン。
ロードの宇宙艇、シュルクルーズだ。
ロードは懐かしそうな笑みを浮かべ、下部ハッチからシュルクルーズに乗り込んだ。
程なく、小惑星都市ウォーレルの酒場「放浪者」に通信が入った。
送り主は、ロード・ハーン。惑星ユーフォーラからであった。




