第31話 潜む者
人の足音が、暗い空間に響いていた。
王都アスリーンの地下、下水道の中に、ロードとライロックは身を潜めていた。
反乱失敗から、まだ二時間と経っていない。街の中では、まだ兵士たちが大勢歩き回っているだろう。迂闊に地上に出る訳にもいかず、ロードとライロックは、下水道に隠れたまま、疲れ切った身体を休めていたのである。
ローラのいた本部が敵に襲撃されたことでロードは激怒したが、今ここを動いては、ローラが必死に通信を送ってきたことが無駄になってしまう。そのため、ライロックの説得もあって、しばらくここに留まることにしたのである。
何より、疲労がひどかった。体力的にも、精神的にも。
何か行動を起こすにしても、こんな状態では何もできやしない。だから、まずは体力を回復させることが先決と考え、二人とも眠りにつこうとしていた時だった。
足音に気づいたのは、二人同時だった。閉じていた目を開け、顔を見合わせる。
左右に伸びた下水道の右側から、誰かが近づいて来ていた。方向からすると、中心街のほうからだ。
「一人だな…」
足音から、ロードは察した。
「敵でしょうか…?」
「わからねえな…だが、奴らが下水道を調べないって保証はない」
「では…」
「可能性はあるってことだ」
ロードはそう言うと、腰のヒート・ソードを抜いた。柄のスイッチは入れない。入れてしまうと、剣が赤く光って、こちらの存在を気づかれてしまうからである。ライロックも剣を抜くが、スイッチは押さなかった。
足音は、着実にこちらに向かって来ている。
「気をつけろよ」
ロードの言葉に、ライロックは頷いた。
足音が近づくと共に、呼吸の音も聞こえてきた。かなり、荒い。足音もよく聞くと不規則で、危なっかしい足取りだ。
この足音の主は、かなり疲れているようだ。
それに気づいたロードは、近づいているのが敵ではないことを理解した。反乱組織のメンバーか、それとも。
「止まれ」
ロードは、まだ五メートルほど離れている相手に向かって言った。暗い下水道の中なので、ある程度目は慣れたといっても、まだ相手の姿ははっきりと見えなかった。
足音が止まった。荒い息遣いは、まだ聞こえている。
「何者だ、お前」
ロードが問う。敵ではないとしても、こんな下水道の中を息を切らして歩いて来るとは尋常ではない。警戒はするに越したことはなかった。
だが、その警戒はすぐに解けた。
「ロ、ロードか…?」
足音の主は、疲れ切った声でそう言ったのである。
男の声。聞き覚えのある声だ。
「お前…!」
ロードは、立ち止まったままのその男に駆け寄った。そこにいたのは、ロムド・ウォンだった。汗と血にまみれているが、仲間同士だ。見間違えるはずもない。
「ロムド!」
「ロード…ライロック…やっぱり逃げ延びていたか…よかった…」
そこまで言うと、ロムドの身体はグラリと傾き、ロードの身体に寄りかかった。
「お、おい、ロムド!」
慌ててロードは、その身体を支える。
「ロムドさん!」
ライロックの声。
ロムドは、気を失っていた。
ロムドが目を覚ましたのは、それから三十分ほど経った頃だった。
「ん…うん…?」
目を開けても視界が暗いままだったので、ロムドは自分が下水道にいることに気づくまで、少しの間当惑した。
ロムドは、水路沿いのコンクリートの歩道の上に横たえられていた。水の音が、下水とわかっていても、今は心地好かった。疲労感に包まれた、今は。
「気がついたか?」
ロムドの顔を、少年の顔が覗き込んでいた。それから心配そうなもう一つの顔が。
「大丈夫ですか…?」
そう言った少年の顔は、幼いながらも、内側から滲み出る気品を感じさせる。
ライロックだ。もう一人は、粗野な顔つき。同じトレジャー・ハンターのロードだ。
「ロード? 俺は…そうか…」
ロムドは、自分が置かれた状況を理解し、深く安堵の息を洩らした。
「逃げ切れたのか…」
「何があったんだ? お前、一人だったけど、他の連中はどうしたんだ?」
ロードが、間髪入れず聞いてきた。少し、切迫した表情だ。
「俺たちが逃げた後、みんなはどうなったんだ?」
「あ、ああ…」
ロムドは、疲労はしていたが怪我はほとんどなかったので、深呼吸をしてから答えた。衣服が血まみれなのは、斬り捨てた敵兵の返り血だったのである。
「お前たちが行った後…」
ロードとライロックが運よく敵兵士の囲みを突破し、逃走に成功した後も、ロムドやセレナたちはしばらくの間戦っていた。
ロムドたちは決死の思いで戦い続けた。数の上で圧倒されていたが、それでも徐々に敵の数を減らしていき、これなら助かる、と、皆がそんな予感を抱いた。
しかし、運の悪いことに、その直後に敵の増援が到着してしまったのだ。左右から大勢の兵士がなだれ込んで来て、形勢は一気に逆転した。
殺すなという命令だったのか、敵兵士たちはロムドたちを生け捕りにしようとした。皆、峰打ちを狙って斬りかかってきたのである。
敵兵の剣技は大したことはなかったが、なにぶん数が多い。それに加え、ロムドたちは疲労のピークに達していた。圧倒的に不利だった。
抵抗も虚しく、仲間たちは次々と敵の手中に落ちていった。キーツも、セレナも。
だがロムドだけは、最後まで戦い続けた。そして運よく、ロードとライロックのように囲みを突破することに成功したのだ。ロムドは全力で走った。もちろん、兵士たちは追ってくる。
ロムドは、いくつもの路地を横切り、時には見知らぬ人の家を通り抜けたりして、何とか追っ手を振り切った。それから、本部に戻ろうとまた足を進めた。
ところが、兵士たちに見つからないよう警戒しながら、ようやく辿り着いたあの酒場にも、敵兵士たちがいた。ロムドはその兵士たちに見つかってしまい、また走ることになった。
今度もどうにか追っ手を撒いて、ロムドは手近にあったマンホールの蓋を開け、下水道に潜り込んだ。そうして、ロードたちに会ったというわけである。
「本部の前に、護送車があった。ローラも乗っていたよ。今頃は、城の中だな」
ロムドはそこまで言って、二、三度咳をした。
「王城に? 確かか?」
ロードが血相を変えて尋ねた。ローラのことが、よほど心配なのだろう。
「ああ」
ロムドは力なく頷いた。
「兵士たちが話してるのを聞いたんだ。反乱組織のメンバーは、みんな王城の地下牢に入れられるんだ、とな」
「そうか…城に…」
ロードは、安堵の息を洩らした。ローラが生きている。それはロードにとって、何よりの朗報だった。
「…しかし、大失敗だったな」
ロードが言うと、ロムドは苦笑した。
「ああ…失敗だった。ヤードの奴に、してやられたな。奴のほうが、一枚上手だった」
「やっぱり、ヤードの入れ知恵だと思うか?」
「たぶんな。あいつの考えそうなやり方だよ」
「セレナも、城の中に…」
ライロックが、口を開いた。
「殺されてしまうんでしょうか?」
訴えかけるような目を、ライロックは二人のトレジャー・ハンターに向けた。その口調は、明らかに狼狽している。ロードがローラを心配しているように、ライロックもセレナのことが気にかかるのだ。
今まで護衛として、時には良き姉として、いつも一緒にいたセレナ。ライロックはセレナを一番大切な部下、いやそれ以上に感じているのだ。
「いずれは、そうなるだろうな」
一段声を低めて、ロムドが答えた。深刻なことを話す時、ロムドは声が低くなる。ライロックは、それを聞いて目を見開く。
「エルマムドは、国民の中から俺たちのような反乱分子が二度と出ないように、捕まえたセレナたちを見せしめに殺すだろう。国民の目の前で、おそらくな」
「そんな…!」
ライロックは、悲痛な声を出した。
「それでは、あまりにひどすぎる…!」
「そうさ、ひどすぎる。だから、そうならないうちに何とかするんだ」
ロードが言った。
「何か、良い考えがあるのか?」
ロムドが問う。ロードは、首を横に振った。
「別にねえよ。城に突っ込んでいって、連中を叩き潰すだけだ。徹底的にな」
「だが、奴らはローラたちを人質に取るかも知れないぞ?」
「わかってる」
「なら、どうするんだ?」
「たぶん、ローラは大丈夫だ」
ロードは、顔を上に向けた。
「セレナも、ワイラーのおっさんもな。人質に取られることはないと思う」
「どうしてですか?」
「カールスがいるからさ」
ロードは、確信に満ちた口調で答えた。
「あいつだって、伊達に俺のライバルやってるんじゃないさ。たぶん、俺が逃げ延びたことを知れば、次に俺が何をやろうかってことくらい、わかるはずだ」
「どういうことだ…?」
ロムドには、まだわからない。ライロックには、なおさらだ。
ロードは、フッと軽く笑った。
「あいつは、俺の親友だってことさ」




