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「大層な美談、聞かせてくれてありがとう」
静かな声で久松はそう言った。
舞は身体を強張らせる。
「だけど俺は、そんな綺麗事に付き合っていられるほど暇じゃないんだよ」
覆いかぶさって口づけられ、舌を割り入れられる。
舞は静かに涙を流したまま、一切の反応を見せなかった。
「言ってみな。葵さんのことが好きですって。自分のものにならなきゃ嫌ですって。君の感情なんて、所詮その程度のものなんだよ。独占欲丸出しの子供だ」
舞は目を見開いた。
内心にどす黒くわだかまる感情を、的確に言い当てられて。
怒った葵の表情が目に浮かぶ。
嫌われてしまったかもしれない。疎んじられたかもしれない。
今の舞にはこの状況よりもずっと、それだけが恐ろしくてならなかった。
そばに置いてほしい、一秒でも一緒にいたい。それが、彼が望まないことだったとしても。
舞の無抵抗な様子と、虚ろな瞳に、久松は興を削がれたように舌打ちをする。
「……どうしたらいいか分からなくて」
舞は顔を覆って泣き伏した。
呼吸困難になるほど、激しくしゃくり上げて咳き込む。
「久松さんの言うとおりです。本当はそんなこと思ってなんかいない。好きな人が自分じゃない人を好きになっても、その誰かとの幸せを祈れるほどできた人間じゃないんです」
ただ、自分のことを見てほしくて、こっちを向いてほしくて。
けれど葵の目はいつも、舞を素通りしてもっと別のものを見つめている。
それが分かっていても、想いは止められない。
とどかぬ輝きに、叶わぬ夢に、人はどうして手を伸ばしてしまうのだろう。
「――やっと本音を吐いたじゃん」
久松はそう言って、舞の身体から離れ、拘束を解いた。




