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静謐な雨音をどこか遠くで聞きながら、舞は唇を血が出るほど噛みしめた。
「ごめんなさい。差し出がましいことを言いました。篠宮さんのこと、何も知らないのに」
葵は何も答えない。
車は滑るようにして赤信号で停車した。
「だけど後輩として、篠宮さんが困っているのは見たくなかったんです。何だか、とても辛そうだったから」
舞はシートベルトを外して、鞄を手に取った。
葵が異変に気づいてようやく顔を上げる。
舞は無理に微笑むと、
「私じゃ何もできないのは分かっています。だけど私はいつでも篠宮さんの味方です。役に立たない後輩だけど、それだけは絶対に誓えます。そういう人間がいること、忘れないでください」
舞はそう言ってドアを開けると、土砂降りの雨の中を走り出した。
「おい!」
葵は追いかけようとするが、けたたましくクラクションを鳴らされる。
はっと気づいて見ると、信号は青に変わっていた。
街の人ごみにまぎれ、舞の姿はあっという間に見えなくなってしまう。
葵は舌打ちすると、アクセルを踏み込んで車を発進させた。
どうしてだろう――涙が止まらない。
横なぐりの雨に身体を打たれながら、舞はとめどなく溢れる涙を拭いもせず歩いていた。
早く仕事を覚えて、一日でも早く一人前のデベロッパーになること。
それだけが自分の存在証明であり、葵に認めてもらえる唯一の手段だと思ってきた。
だから、仕事が終わってくたくたになって帰っても、必死で勉強を続けた。
ただ彼に褒めてほしくて、認めてもらいたくて。その一心で努力してきたのだ。
けれどもう、舞の気持ちは、それだけでは留まらないところまで来てしまっている。
肥大した欲望は際限なく主張を始め、心は叫び続ける。
私――篠宮さんが好きだ。
もう自分ではどうしようもないくらい、好きで好きでたまらない。
後輩としてなんて嘘だ。一人の女として認めてもらいたい、そばにいたい。
願うそばから望みは絶たれ、心は砕け散ってしまう。
あの人が自分に振り向いてくれることなど、あり得ないと分かってしまう。
ヒリヒリと火傷したように胸がうずき、頬を熱い涙が滑る。
その上をいくら雨粒が流れても、この焼けつくような胸の痛みを消し去ることなど、できはしないのだった。




