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恐らく久松は、自分に紹介することを目的としてこの男を招いたのだろう。
恵は一瞬、すうっと氷のように目を細めると、ぱっと表情を切りかえる。
「お兄ちゃん、この人がお兄ちゃんの後輩の人?」
「そうだよ。入社一年目――というか、まだ半月の新米君」
「はじめまして!俺、松尾アキラっていいます!」
気合いの入った自己紹介に、恵は噴き出した。何て分かりやすい人なんだろう。
「お兄さんにはいつもお世話になって」
「とりあえず上がったら?ここで立ち話するのもなんだし」
夢中になって恵に話しかけようとした松尾に、久松が笑顔で水を差す。
「恵、今日も晩飯作ってくれたんだろ?」
「うん。お兄ちゃんがお客さん連れてくるっていうから、はりきっちゃった」
リビングルームに入ると、アキラは「うわあ……!」と歓声を上げた。
食卓にはペパーミントグリーンのテーブルクロスに、白いレースのランチョンマットが敷かれていおり、飾られた花は瑞々しく咲きこぼれていた。
並ぶ料理はできたてで湯気を上げている。
そのどれもが、生唾を飲み込みたくなるほどおいしそうだった。
画に描いたような温かな食卓の風景に、松尾は感動している様子だった。
「すごい!凄いよ!これ、全部恵ちゃんが作ったの?」
いきなり「恵ちゃん」呼ばわりは馴れ馴れしいと思ったが、恵はそれを表情に出す代わりにはにかんだ。
「あ、はい。そうですけど……そんなに驚かれると照れちゃうな」
「ありがとな、恵。せっかくだから冷めないうちに食べようか」
そう言って久松はネクタイを緩める。
恵はすかさず動くと、脱いだ背広を預かってハンガーにかけた。
甲斐甲斐しく尽くすその行動はまるで、
「お嫁さんみたいだなあ」
何気なく松尾が放った一言に、恵の手がぴくりと止まる。
久松は苦笑すると、松尾の頭を軽くたたいた。
「何言ってるんだよ、松尾」
「あ、いや、違いますよ。ただ、恵ちゃんはいいお嫁さんになるだろうなーって。別に俺、何もやらしいこととか考えてませんから!ご飯にする?お風呂にする?それとも……とか考えてないですから!!」
「頭の中がダダ漏れなんだよ」
呆れたように言う久松に、恵もくすくすと笑う。
こうして、三人は奇妙な関係を帯びたまま、しかし表面上は実に和やかに食卓を囲んだのだった。




