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久松は不自由なく体を動かしているし、噂は嘘だったのではないかと思えるほど元気そうだった。
「えっと……風の噂で。本当なんですか?」
「ちょっと妹にね」
「は?」
目を丸くした舞に、久松は手を振り、
「何でもないよ」
舞はすくうような眼差しで彼を窺った。
「大丈夫なんですか?」
「心配してくれるんだ。優しいね」
目を細めて言われ、背筋にぞっと鳥肌が立つ。
何かよからぬことを企んでいる顔だ。瞳がきらきらと輝いている。
「さあ乗った乗った」
久松は助手席のドアを開け、強引に舞をシートに押しこんだ。
慌てて身体を起こし、車から出ようとした舞の鼻先で、思いきりドアを締めつける。
「待ってください。私、乗るなんて一言も」
「あれ?約束忘れちゃったのかな?」
車に乗り込みながら、久松は獰猛かつ嬉しそうに笑う。
「何でもするって言ったよね」
「だけどあれは」
久松は舞の抗議を無視し、淡々とアクセルを踏んで車を発進させた。
シートベルトも締めていなかったので、舞は前方に体を打ちつけた。
なんという乱暴な運転の仕方だろう。
「久松さん、」
「つまんないことで話しかけないでくれる。君も事故りたくないでしょ」
やんわりと脅しをかけられて、舞は青ざめた。
降ろしてくださいという言葉を飲み込み、膝頭を見つめてうなだれる。
おとなしくなった舞に満足したのか、久松は軽快にハンドルをさばく。
離れていく街の景色を眺めながら、舞は絶望の予感に身を震わせた。




