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『本日は、四菱地所の内定者懇親会にお越しくださり、誠にありがとうございます。本日は人事部の社員だけでなく、他部署の社員も参加しております。ぜひ仕事や社会人生活のことなどを先輩に尋ねてみてください。内定者のみなさんにとって、この時間が有意義なものになりますよう努めてまいりますので、よろしくお願いいたします』
人事部採用担当の折橋が、穏やかな声でそう言った。
三十代半ばほどの、柔和な笑顔に丸眼鏡をかけた、どこか羊を連想させる男性だ。
会場の空気も和やかで、舞は緊張がほぐれていくのが分かった。
同じテーブルに座った学生と自己紹介をし合い、ビュッフェ形式のパーティーなので水や食べ物を取りにぞろぞろと席を立つ。
先ほどの話が気になって、何となく落ちつかない。久松の顔ばかりが頭をちらついた。
無理もない、と舞は自分で自分を慰めた。
そもそもあの人は、やることなすこと全てがめちゃくちゃで、一度会ったら忘れられないほど存在感のある人だった。
その上、内定までの数ヶ月の間にあれだけのことがあったのだ。
綺麗さっぱり忘れるというほうが無理な話だった。
きっと――舞はサラダを皿によそいながら思案する――彼を刺したという人間は女性だろう。
何の証拠もないが、確信していた。
玉響での行動が示すように、あの男はそこら中で女を引っかけて遊んでいる。
きっと恨みを買うことも多いだろう。
そのうちの一人が刺したと考えれば、清々(すがすが)しいほどに納得できる。
もしかすると、他の就活生にも手を出していたのではないだろうか。
その少女が弄ばれたことへの復讐に久松を刺したのではないか。
あり得ない話ではない。
髪を逆立てて激怒し、刃を振り降ろす女性の幻影が浮かび、舞は複雑な気持ちだった。
久松と出会ってから、舞は人間に対する認識と理解のキャパシティーを日々改変しつつあった。
もはや、他の男がどんな恋愛武勇伝をひけらかそうとも、鼻先で笑い飛ばせる自信があった。
水の入ったコップを取り、席へ戻ろうと方向転換した際、目の前に現れた人影に舞はつんのめった。
胸元が一気に冷え、持っていたコップから水がこぼれかかったのだと気づく。
「すまない」
低く静かな声がして目線を上げ、舞は唇を固まらせた。
漆黒のスーツに身を包んだ篠宮葵がこちらを見つめていた。




