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Uber Eatsで昼食をとり、舞の顔色が戻ると、久松は車を出して舞を自宅まで送り届けた。
「心配したのよ、連絡もしないで」
どこへ行っていたの、と母親は心配顔で言った。
舞は申しわけなさに縮こまった。
「ごめんなさい」
母は安堵したのかほっと息をつき、そこでようやく久松の姿に気づいた。
「そちらの方は……」
「久松と申します。今朝、お嬢さんが大変辛そうにしておられるところに通りかかったので、具合が落ちつくのを待ってお連れしました。突然、不躾に申し訳ありません」
久松が明瞭に言うと、舞の母は恐縮した。
「そうだったんですか。こちらこそ、見ず知らずの方に大変ご迷惑をおかけしました。舞もちゃんと謝りなさい」
言われて肩をたたかれ、舞は反射的に頭を下げる。
「申し訳ありませんでした」
久松は親しみのこもった笑顔で、
「いえ。当然のことをしたまでですから。それじゃあ僕はこれで失礼します」
「あの、狭くて汚いところですけど、よければ上がってお茶でもいかがですか?」
人のいい母の大胆な提案に、舞はぎょっとした。
「やめてよお母さん」
勘弁してほしい。
家の場所を知られただけでも痛恨の極みだというのに、あの豪華なマンションを見た後で自宅を見られるのは死ぬほど恥ずかしい。
「何言ってるの。お世話になったんだから、おもてなしするのは当たり前でしょう?」
ある意味では真っ当なことを言っているのだが、経緯が微妙に食い違っている。
久松は面白げに二人のやりとりを眺めていたが、軽く頭を下げて、
「お心遣い痛み入ります。ですが、これから行く所がありますので」
安堵する舞をよそに、母親は肩を落として、
「そうですか。では、今度お時間がある時に是非いらしてください。お礼をさせていただきます」
久松は微笑んで愛想よく言った。
「ありがとうございます、お気持ちだけで十分です。それでは」
車に乗り込んで颯爽と去る久松の姿を見送りながら、母は夢見心地で言った。
「格好いい人だったわねえ。芸能人みたい。お母さん感動しちゃった」
あの人当たりのいい外面に騙されちゃ駄目。
あれは意地悪で、極悪非道で、残虐な悪魔なのよ。
そんな言葉が喉まで出かかったが、辛うじて飲みくだした。
真実が、必ずしも人を幸福にするとは限らない。
彼が過ぎ去った後の道に、柔らかく甘い色の風が吹き抜ける。
大学生活最後の春が、足音を立ててもうそこまで近づいていた。




