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久松が『玉響』に来店したのは、その四時間ほど後だった。
百合は他の客の席についており、あやめはそもそも店に出ていないという。
「おかしいのよねえ。今まで一度も無断欠勤したことない子なんだけど」
椿は不思議そうに首を傾げている。
「携帯に連絡しても出ないし。何かあったのかしら」
「まさか。携帯を落としたんじゃないですか、ちょっとうっかりしたところがあるし」
「何もなければいいんだけど。ごめんなさいね、せっかく来てくれたのに」
「じゃあ、他の子誰か適当につけてください」
久松が愛想よく言うと、しばらく他のホステスが席についていたのだが、交代して百合が現れた。
蒼白な表情を見て、久松はすぐにただならぬことが起こったと察した。
「こんばんは。相変わらずの人気だね」
「ええ、おかげさまで」
いつもの花が咲き誇るような笑顔も、今夜は精彩を欠いている。
本人は隠し切れていると思っているだろうし、他の男なら通用するのだろうが、久松はごまかされなかった。
「どこかの内気なホステスにも見習わせてやりたいよ。もっとも、あの子じゃ君の対抗馬には到底なり得ないだろうけど」
百合は唇を噛んで黙り込んだ。
久松はすっと目を細める。
「……許せなかったのよ」
重苦しい沈黙の後、押し殺した声で百合は言った。
「いつまで経っても染まらないまま、なのにしゃあしゃあと客だけ奪っていくだなんて……ずるいわ。許せるはずないわ。私がどれほど辛酸を舐めてきたかも知らずに、何の努力もしないで甘ったれたことばかり言っていたくせに」
久松は両手を組み合わせ、じっと百合を見つめる。
震える声が低くこもった。
「あの子を見ていると、いらいらしたわ。自分はいつも高いところ、綺麗なところにいて、絶対に降りてこようとしない。何も分かっていないくせに、いっぱしの苦労をしたつもりになっている。ふざけるなと思ったわ」
「全面的に同意するよ」
久松は静かに杯を飲み干す。
百合はうつむきながら、苦しげに眉を寄せた。
「思い知らせてやりたかった。私がいなきゃ、お前なんか何もできないんだからって。そうやって見下すために、ずっと手元に置いていたんだもの。
……本当は、あの子のことが大嫌いだった」




