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夕方に泣きだした空は、しばらくすると車軸を流すような土砂降りになった。
傘が吹き飛ばされるような強風と、靴にしみ込んでくる水にうんざりと顔をしかめながら、舞は『玉響』の扉をくぐった。
一番乗りらしく、更衣室は静まり返っていた。
着ていた服を脱いでドレスに着替えようとしていると、背後から声がかかった。
「あやめ」
鏡越しに、百合の姿と目が合う。
彼女が声をかけてくれたのは実に一ヶ月ぶりだった。
舞は顔を輝かせ、驚きと喜びを声に滲ませる。
「百合さん。おはようございます。あの、私、」
だが百合は厳しい声で、
「ちょっと来て。今、店の奥の方で変な音がしたのよ。泥棒かもしれない」
舞は身を硬くした。
「大変。警察を」
携帯を取り出しかけた手を強引に取って、百合は店の奥へと歩き出す。
「駄目よ。もし誤報だったら店に迷惑がかかるでしょ。私達で泥棒かどうか確認しておかないと」
「でも百合さん、」
危ないのではと言いかけた舞を連れ、百合は店の地下の冷蔵倉庫へ向かう。
音が聞こえただけにしては、随分と迷いのない足取りで進むなと不思議に思ったとき、百合がふいにつないだ手を離した。
倉庫の扉が開けられ、背中を押されて、舞はつんのめるようにして中に入っていた。
痺れるような冷気が肌を刺す。
「百合さん?」
派手な水音がして、衝撃と同時に全身ずぶ濡れになる。
何が起こったか把握できず、髪や服からぽたぽたと滴り落ちる水を呆然と見つめていると、耳をつんざくような哄笑が響いた。
牡丹とその取り巻きたちが、バケツを片手に笑い転げていた。
「いい気味」「ダッサーい」
牡丹が唇を歪めて笑い、傲然と舞を見おろして言った。
「いつまでも調子に乗ってるからよ。ここで死ぬまで反省すれば?」
「そんな」
舞は助けを求めて百合を見た。
しかし百合は、舞と目を合わさずうつむいている。
牡丹がずいと前に出て、腕を組んで言い放った。
「百合に助けを求めたって無駄よ。何せ、今回のことは百合が言い出したんだから。ねえ?百合」
突き飛ばされたときよりも、水をかけられたときよりも、もっともっと激しい衝撃が舞の心を揺さぶった。
凍てつく冷気と相まって、舞は両手で体を抱えて震え上がる。
「うそ……」
牡丹たちが分厚い倉庫の扉を閉めにかかる。
その扉にすがりつき、細い隙間から光に向かって舞は叫んだ。
「百合さん!」
「あなたが悪いのよ」
氷点下の声が響き渡り、舞は絶望と共に理解した。
目の前が真っ暗になる。
「百合さん、ごめんなさい。ごめんなさい……!」
無情な音を立てて閉ざされた扉の前で、舞は大声を上げて泣いた。




