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個室の中は静まりかえっており、修一は酒もつまみも手をつけずに切り出した。
「小林さんの娘さんだね?僕のことを覚えてるかい」
舞は唇をわなわなとふるわせ、言葉もなかった。
コップ1杯の水を勧め、修一は舞の手に自らの手を重ねた。
「僕のことを恨んでいるんだろう。無理もない。僕は、君のお父さんに恩があったのにそれを返すことができなかったんだから」
「とんでもないです。私、あなたのこと、恨んでなんかいません。
ただ、何と言えばいいのか分からなくて……あれから、随分いろんなことが変わってしまったものですから」
「聞いたよ。ホテルが経営破綻した後、小林さんは莫大な借金を抱えたまま行方をくらましてしまったそうだね」
沈痛な面持ちで舞は頷いた。
――そのとおりだった。
舞はホテルを経営する父、小林雄介の長女として産まれた。
温かく裕福な家庭で二十年を過ごしたが、一年ほど前に状況は急変した。
大学二年生の冬、父親の会社が倒産したのだ。
原因は不況による客足の激減と、隣県にできた商業施設に知名度を奪われたことだった。
父親は経営者としての才能がなかったのではないか、と今となっては舞は思う。
建設業者の穴だらけの見積書にうかうかと判をついてしまったり、従業員や客に大盤ぶるまいをしたりと、どうにもお人好しなところがあった。
そして涙もろかった。
舞が父と別れた夜、父のほうが号泣していたことをよく覚えている。
『舞。これから父さんは、行方をくらまそうと思う。借金の迷惑をかけないために、母さんとの籍は抜いた。だけど、俺たちはこれからもずっと家族だ。それだけは忘れないでくれ。そしていつか、父さんの夢を叶えてほしい』
「お人よしな父でした。本当に……。経営していたホテルが潰れたのだって、土地開発や商業施設が原因だったのに、それでも目をきらきらさせて、大きなものを作る人たちに憧れていたんです」
「君のお父さんは、本当に立派な人だったよ。あの人の明るさや優しさに、どれほど多くの人が救われてきたか。もちろん僕もその一人だ。あのとき、君のお父さんがいなければ、僕は……」
言って、修一は顔を手で覆う。
彼は五年ほど前、小林家の経営するホテルで自殺を図ろうとしていたのだった。




