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就業後、久松が背中をたたかれて振り向くと、複雑な表情をした千草が立っていた。
「久松君お疲れ」
「お疲れさまです。どうかしました?」
「ちょっといいかしら」
千草は言い、ラウンジを手で示した。
久松は頷き、彼女に従ってオフィススペースを出る。
自販機で温かいカフェオレとコーヒーを買うと、千草は久松に差し出した。
「ブラックでよかったよね」
「ありがとうございます」
受け取って一口つけると、じっと彼女を見つめる。
「単刀直入に言うけど、久松君、最近女と変なことになっているでしょう」
久松は乾いた笑い声を立てる。
「どうしたんですか、藪から棒に」
千草は珍しく言いにくそうに口ごもっていると、
「こんなこと言いたくないんだけど」
テーブルの上に1枚の紙片を置いた。
書かれている内容に目を通した久松の顔が、わずかに強張る。
『四井不動産人事部 千草かなえ様
あなたの所業は分かっています。
暴露されたくなければ、今すぐ人事部採用担当の久松爽を解雇しなさい。
要求が呑めない場合、この写真を奥様に送付します』
「何の冗談ですか?これ」
「それを聞きたいのはこっちよ」
髪をかきあげて額を押さえながら、千草は疲れた声で言った。
「写真というのは?」
「取引先の妻子ある人とホテルに入るところを撮られたみたい。向こうも割り切ってるから、別にいいんだけどね」
千草はあっさりと言った。
「それにしても、要求が金じゃなく俺の解雇ってどういうことだろう。千草さんにそんな決定権がないのは分かってるんでしょうかね」
「さあ。私の立場じゃできないと分かった上で当てつけてるのか、私とあなたの関係を知る者の嫌がらせか――どちらにせよ、相当恨まれてるわよ、あなた」
久松は目を細めて笑う。
「脅かさないでくださいよ。俺がターゲットと決まったわけでなし。もしかしたら誰でもよかったのかもしれませんよ。千草さんを困らせたかっただけとか」
と言いながらも、久松は冷静沈着に結論を出していた。
文面から見ても、これは明らかに自分に当てた脅迫だ。
千草は目的を果たす駒に使われたにすぎない。
「思い当たる節は?」
「正直、ありすぎて答えようがないですね」
だから女関係に気をつけろって言ったのよ、と千草は顔をしかめる。
「いい?遊ぶのはいいけど、相手を選びなさいよ。こういうことしでしそうな女なんて分かりきってるでしょう。堅くて真面目なお嬢さんよ。どこかで手ぇ出したのよ、きっと。
思い出しなさい。それで、泣いて謝るなり刺されるなり、きっちりけじめつけて来なさい」
「怖いこと言うなあ」
まるで見てきたように言う千草に、久松は笑いつつも脅威を感じていた。
先程から頭をちらつく少女の姿と、その言葉がぴったり結びついていたので。
今一番自分を恨んでいる女がいるとしたら、きっと彼女だ。
「そういうことで、私しばらく男関係自重するから。あなたも夜道を歩くときは、せいぜい気をつけなさいよ」
「ご忠告痛み入ります」




