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「久松君!」
搭乗口の前で振り返ると、千草が手を振っているのが見えた。
久松は驚きと喜びに笑って、
「千草さん。もしかして、見送りに来てくれたんですか?」
思わず近づこうとした久松を手で制し、千草はにんまりと笑った。
「ストップ。それ以上近づいちゃだめ」
「は?」
怪訝な顔をした久松に、千草は不可解なほど上機嫌な様子で言う。
「いろいろと大変でしょうけど、体に気をつけて頑張ってね。あなたならきっと、アメリカ暮らしも楽しめるでしょうよ。むしろ向こうの人間のほうが気が合うんじゃない?」
「そうですかね。俺は太らないか心配で仕方ないですけど」
言いながら久松は、千草の本心が読めずにいた。
千草が、わざわざこんなことを言うために空港まで見送りに来てくれたとは思えなかった。
多忙な人だし、休日は夫との時間に当てたいといつも言っていたではないか。
久松が訝るような瞳をしているのに気づいたのか、千草は両手を後ろに回して言った。
「本当はね、こんなありきたりなことを言うつもりじゃなかったのよ。仕事のこととか、ちゃんとアドバイスするつもりだったの。だって、最近のあなた見ていられなくらいひどかったもの。絶対どこかでとんでもないヘマして落ち込むだろうと思ったわ。これでも、上司として心配してあげてたの」
「それはどうもありがとうございます」
過去形で話されることに疑問を感じながら、久松は一応謝意を述べる。
「でも、もうどうでもいいわ。あなたは幸せな人よ。憎らしいくらいにね」
ますますわけが分からず、久松は微妙な表情で、
「えっと……つまり何が言いたいんですか?」
「私は、あなたに聞きにきたのよ。あなたが好きな女の子のことを。その人をどれくらい愛しているのかを。日本を出る前に、全部はっきり言っちゃいなさい。そのほうがすっきりしてアメリカに行けるでしょ」
かなり恥ずかしい会話に、周囲の人の好奇の視線がちらちらと注がれる。
「どうしてそんなことを言うんですか。冗談にしてはきつすぎますよ」
久松はかすれた声で言った。
千草の表情は真面目そのものだ。




