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『十五時十分の、東京発、ニューヨーク行ユナイテッド航空007便にご搭乗のお客様は、六番のゲートより出国検査をお済ませください。繰り返します……』
落ちついた女性の声のアナウンスが流れている。
独特の空気が流れる空港のロビーで、久松はコーヒーを買って飲んでいるところだった。
先ほどまで子供のように泣きわめいていた恵は、さすがに疲れたのか今はぐったりと松尾の腕に寄りかかっている。
松尾は役得と言わんばかりに満面の笑みを隠そうともしない。
「久松先輩、安心してください。先輩が帰ってくるまで、俺が責任持ってちゃんと恵ちゃんのこと守りますから!」
相変わらず全く空気を読まない松尾に、久松は微苦笑する。
「ああ。頼むな、松尾」
「お兄ちゃん、本当に行っちゃうの?」
恵が泣き腫らした赤い目でこちらを見つめている。
両親は仕事で忙しく、見送りには来なかった。
唯一の肉親として来てくれた妹の心遣いが嬉しかった。
「ごめんな、恵」
一人にしないでと叫んだ恵の姿を、昨日のことのように思い出す。
結局自分ができたのは、あえてナイフを刺し、自分の身を犠牲にすることだけだった。
兄である自分の死を恵が望まないと知っていて、いわば自分を人質に取ったのだ。
卑怯なやり方だと分かっていたが、他に方法はなかった。
恵も今度は「自分もついていく」とは言わなかった。
アメリカが遠すぎる場所だからか、久松に遠慮してか。
それとも、久松以外に大切なものができたからなのか。
そうであったらいいと久松は祈った。
自分から離れることで、恵の世界が開かれ自由になるのなら。
「体に気をつけてね。ご飯、いっぱい食べてね」
松尾は恵を子を見守る親のような表情で見つめている。
久松は一度だけしっかりと恵を抱きしめると、すぐに腕を解いた。
荷物を確認し、腰を上げると、
「じゃあ、そろそろ行くよ」




