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葵が今月付けで四菱地所商業施設部を離れ、八月一日から監査役室室長に就任するという噂は、矢のような速さで社内を駆けめぐった。
監査役室とは役員直属の秘書のような存在であり、その室長は時期役員の者が座るポストと言われている。
時期的にも年齢的にも異例の大抜擢に、どよめきが起こり、葵の素性がひそやかにささやかれた。
彼はもはや社内で知らぬ者のいない有名人となっていた。
舞との個人的な付き合いを知る者は、面白おかしく憶測を並べ立てた。
その一つひとつが悪意と嘲笑に満ちた、心をえぐるものだった。
特に女性社員からの嫉妬たるや凄まじく、憎悪のエネルギーは舞の体をぼろぼろにした。
あれ以来、気まずくて葵とまともな会話を交わすこともない日々が続いている。
仕事と噂の二重の疲れでくたくたになった舞は、エレベーターホールを出てエントランスから外に出ようとした。
そのとき近くを歩いていた男性社員二人が、舞の後ろで聞えよがしに言った。
「大人しそうな顔してるけど、裏じゃ相当遊んでるらしいぜ。やっぱ女は怖いね」
「篠宮さんも可哀想にな。誠実に尽くしたのに、ぽいっと使い捨てにされて」
「でもま、そのおかげで重荷が消えて上へ登れたんじゃね?」
「え、マジ?なら俺も付き合ってってお願いしてみよっかなー」
どっと大きな笑い声があがった。けたたましい哄笑が、がんがんと頭に響き渡る。
悪いのは全て自分だ。
感情に振り回され、自分勝手な行動で彼をひどく傷つけた。
だからこれは当然の報いだ。一人前に傷つく資格などない。
きつく唇を噛みしめ、うつむきがちになって足を早める。
それでも彼らはぴたりとついてきて離れようとしない。
背筋が凍えるように寒く、全身の血管がきゅっと縮まってゆく。
「ちょっとお前、どうやってあの人を落としたのか聞いてこいよ。きっと激ヤバなエロテクを披露してもらえるって。身体で教えてあ・げ・るってな」
「そういうお前が行けよ。サービスしてくれるかもしれないぜ」
「気持ちよくしてくれってか?ギャハハハ」
野卑な笑い声を浴びせかけられ、堪えていた涙が溢れそうになったとき、
「ぎゃっ!」「うわっ!」
短い悲鳴をあげて、二人の社員がいきなり派手にすっ転んだ。
エントランスを出たすぐの階段を勢いよく転がり落ちて、二人とも顔から地面に突っ込んでもんどりうっている。
階段脇にいた舞がぽかんと口を開けていると、抑えた笑い声が聞こえてきた。




