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「昨夜は、どちらにいらしたのですか」
篠宮邸の葵の自室で、片桐は静かに切り込んだ。
夜明けになり、悄然とした様子で屋敷に戻ってきた葵の姿を目撃してからというもの、胸騒ぎが止まらなかった。
葵はむっつりと黙りこんだまま着替えを済ませると、
「お前こそ、何だその顔は」
片桐の左頬に貼られた白い湿布を指さして言う。
「見苦しいものをお見せして申し訳ありません。買い出しに出かけたところ、転んでぶつけまして」
平然と嘘をつく片桐に、しかし葵は疑う様子はなかった。
信じているのではなく、心底どうでもいいといった風だった。
精気も覇気も消え去り、うつろな瞳をした葵に、片桐は気を揉んで問いかける。
「どうなさったのです。ご気分が優れないようでしたら、医師を呼びましょうか」
すると葵は唐突に向き直り、無言のまま片桐を凝視した。
視線の威圧に、片桐はごくりと唾を飲んた。
何もかもを見透かされ、見えない紐で縛られているような心地になる。
「……よくもそんなことが言えるな」
長い沈黙のあと、葵は吐き捨てた。
その響きのあまりの冷たさに、片桐は震えあがった。
「俺が何も気づいていないとでも思ったか?この家で暮らして二十九年、お前らのやり口は嫌というほど知っている」
謝罪も言い訳も通用しない、容赦なく切り捨てる声色だった。
葵の顔に、凄まじい怒りと侮蔑が宿っている。
片桐は息を呑んでその場に棒立ちになった。




