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夜も更け、店を出てタクシーを捕まえようとしたとき、背後から声がかけられた。


「久松」


振り返ると、月のように冴え冴えとした風貌の男性が立っていた。


「ああ。四菱地所の」


篠宮葵しのみやあおいだ。先日は『世話に』なったな」


皮肉の込められた口調に、久松は苦笑する。


「いやいや、こちらこそ」


先日の1件とは、もう1年ほど前に起こった、ある土地にリゾート施設を建設する際の開発権を巡る争いのことである。


当時、四井不動産のチームからは久松が、そして業界内の競合社である四菱地所からは篠宮がそれぞれ抜擢され、交渉に当たったのだった。


コンペやプレゼンを通して事業主との信頼関係を築き、最終的に権利を手にしたのは四井不動産だった。


四菱地所は丸ノ内に広大な土地をもち、資産としては業界トップを誇るが、新規開拓の分野では四井におくれをとる傾向がある。


派手で華やかな社員の多い四井に対して、四菱は真面目で堅い雰囲気の社員が多い。


実績では引けを取らないのだが、ここぞというときの押しが足りないのも事実だった。


久松は四井不動産の理想とする人物像ををそのまま具現化したような人間だと葵は思っていた。


クレバーでよく口が回り、情熱的で仕事が早く、誰もが愛してやまない空気を持つ。

交渉事にはぜひ欲しいと思う人材だった。




だが、葵は久松を嫌っていた。


憎んでいた、と言っていいかもしれない。




「人事部に異動したと聞いたが」


「さすが、耳が早いね。今年の4月からだよ。新卒の採用担当を務めてる」


「開発一辺倒だったお前が、見事に宗旨替えしたものだな」


「まあ、色々あってね」


含むところのある物言いに、葵は眉を寄せた。


どうせこの男の思惑など見え透いている。


同期の出世頭として会社の顔たる人事で経験を積み、いずれ再び開発に返り咲くつもりなのだろう。


「『玉響たまゆら』に、目当ての女でもいるのか」


唐突な質問に、久松は目を丸くした。


「珍しいね。個人的なことに首を突っ込むなんて」


「お前に俺の何が分かる」


噛みつくような物言いに、久松は笑い声をあげる。


「そうだな、」と考え込むと、


「なあ篠宮、君ならどう思う?」


「何がだ?」


「ホステスの働く理由。金、以外に何かあるんだろうか」


突拍子もない質問に、葵は呆れて肩をすくめた。


「知るか。本人に聞け」


素っ気なく言うと、葵は来たタクシーに乗り込んで風のように去った。

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