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 ティーセットと茶菓子を載せたトレイを持ってティジレが師の部屋へと向かっていると、廊下の向こうからのそのそと大きな影が現れるのが見えた。

 おや、とティジレは首を傾げて、影に声をかける。


「あれ。オルベルト様、もうお帰りですか。お茶をご用意したのですが」

「……」

「オルベルト様!」

「む! ……す、すまない、君か。少し考え事をしていた」


 オルベルトはびょん、と小さく跳ねたあと、慌てふためきながら、ティジレを見下ろした。


「それで……何か、用か」

「用というか、お茶をお部屋にお持ちするところだったのですが」

「そうか。だがそろそろ仕事に戻らねば。せっかく用意してくれたのに悪いな、ティジレ」

「いえいえ。それより、お口がきけるようになったんですね」

「あ、ああ、そうだな。色々あってな」


 オルベルトが何かをぼかしたことにティジレは気付いたが、言及はせずに笑って頷いた。ティジレは大人の“色々”に口を出さない、思慮深さを持った子供だった。


「それでは、お気をつけて。また遊びに来て下さいね」

「ああ……。君も、困ったことがあったら騎士団に相談するんだぞ……」


 心ここに在らず、と言った様子でオルベルトはカクカク頷く。

 そしてどこかふらふらとした足取りで、工房の出口へと向かって行った。


 ——良い人なのになあ。


 大きな背中を見送りながら、ティジレはそう思う。

 オルベルトは怖い顔をしているが、心優しく気遣いのできる人だ。ティジレがちゃんと食事をとれているのか、アトレイアにちゃんと修行をつけてもらえているのかを、いつもこっそり気にかけてくれる。ここに来る度に、手土産を欠かしたこともない。今トレイの上に載せているクッキーも、彼が持ってきてくれたものだ。

 しかしアトレイアはそんなオルベルトの気遣いを、「余計な御世話」「菓子のセレクトがババくさい」とこき下ろす。

 師匠はオルベルトの何が気に入らないのだろう、とティジレは何度疑問に思ったことか。


 オルベルトが昔とても失礼なことを言ったのが2人の諍いの発端だ、というアトレイアの主張は聞いているが、それもティジレからしてみれば全面的に信用できるものではない。


 とにかく、アトレイアとオルベルトは、実に6年ものあいだ、顔を見合わせる度に嫌味の言い合いや、幼稚な喧嘩を繰り返しているという。自分が4歳の時から2人の歪な関係が続いていると知って、ティジレはその継続力に驚愕した。


 いつだったか、婚約者なのだからもっと仲良くすればいいのに、とティジレが漏らしたら、アトレイアの師匠——大師匠が、「あの2人は、ああやってイチャついているんだよ」とこっそり教えてくれた。


「あれが彼らのコミュニケーション方法なんだよ。アトレイアの母君から聞いたけど、ああでもしないとまともな会話も出来ないらしいよ、あの2人」

「お喋りするために、喧嘩をしているってことですか?」

「そうなるね。本人たちは、違うって否定しているけれど。……ま、何にしても、いい年して憎まれ口を叩かないと好きな相手と喋れないなんて、どうかしている。ティジレは、あんな痛々しい大人になっちゃだめだよ」

「はあ」


 喧嘩をするのがどうしてイチャつくということになるのか、ティジレにはいまいち理解できなかった。だが、確かにあれだけ嫌味の応酬を繰り返しても、2人が婚約を破棄しようとする様子は一切ない。

 喧嘩するほど仲がいい、とはよく言うし、大人には大人なりの付き合い方というものがあるのかも。とりあえずそう結論付けて、ティジレは大師匠の言葉を飲み込んだものだ。


 しかし、今回のオルベルトの様子はあきらかにおかしかった。ぷりぷり怒りながら工房を立ち去っていくことはこれまでに何度もあったが、あんなに心ここに在らずな様子の彼を見るのはティジレも初めてだった。


 きっと、相当手酷い喧嘩をしたのだろう。となると、師匠のご機嫌は最悪に違いない。お茶とお菓子で上手くごまかせればいいけれど——

 そう考えながら、ティジレはアトレイアの部屋の扉をノックした。しかし返事がない。

 仕方なくゆっくり扉を開けて中を伺うと、茫然と立ち尽くすアトレイアの姿があった。


「あれ? 師匠、どうしたんですか?」

「……」


 師は答えない。まるで寝起きのようにぼーっとした顔で、何もない宙を見つめている。日陰暮らしのせいでいつも真っ白な顔は、珍しく真っ赤に染まっている。


「オルベルト様、帰っちゃいましたけど。また喧嘩したんですか?」

「……」

「師匠?」

「……」

「師匠!」

「へあ!」


 ティジレの声に、師は奇声をあげながらぴょんとバネ人形のように体を飛び上がらせた。先ほどのオルベルトを彷彿とさせる反応だった。


「もう、師匠もオルベルト様もぼーっとしすぎです。ほら、お紅茶を用意しましたから。これを飲んで、頭をシャッキリさせて下さい」


 ティジレはトレイをテーブルに置いて、カップに熱々の紅茶を注ぐ。少し濃く淹れすぎてしまったが、ぼけぼけな師匠には、これくらいのガツンとしたお茶の方が効果的だろう、とティジレはカップをアトレイアに差し出した。


「さ、どうぞ」

「……え、ええ、ありがとう、頂くにゃん」


 ……にゃん?


 アトレイアの口から漏れた奇妙な響きに、ティジレは首を傾げる。


「あの……師匠。今のは……?」

「……!」


 何故かアトレイアは、魚のように口を何度も開閉した。赤く蒸気していた顔は、段々と青白く変色していく。


「ティジレ……私、語尾ににゃんなんてつけてないわよね、にゃん」

「……」

「そうよね、そんなわけないにゃん。ちょっと疲れているだけに違いないにゃん。今日はもう早く寝るべきにゃん」

「師匠。にゃん、ついてますけど」

「……にゃ」



 にゃああああああん!




 ——その日。とある魔術師の工房に、一際大きな猫っぽい悲鳴が響いた。 


 その後、語尾ににゃんがつく恐ろしい呪いがどうなったのか。

 喧嘩ばかりの魔術師と騎士の関係はどうなったのか。


 それはまた、別の話である。




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