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「……それでは困るにゃん。3日後には大事な任務があるのだにゃん」

「任務なんて言っている場合じゃないでしょう。ご自身の名誉と任務、どちらが大切なのですか」


 呪術の専門家が異国にいて、彼にコンタクトをとるだけでも一週間以上はかかることが分かると、オルベルトが「それはまずい(にゃん)」と言い出した。

 なんでも3日後、都の郊外で騎士団による大規模な魔獣討伐作戦が行われるらしい。部隊長であるオルベルトも、その作戦では多くの騎士を指揮して戦わないといけないのだとか。


「俺には団員の命を預かるという重大な責任があってだにゃ。己の勝手な都合で任務に穴を空けることなどできないのにゃん」


 にゃんにゃん言いながら渋る様子のオルベルト。焦りながらも未だ事の優先順位を整理しきれていない彼のために、私は机の引き出しから手鏡を取り出して、彼へと差し出した。


「なら、鏡に向かって一度、“突撃にゃん!”と叫んでみなさいな」

「っ……!」

「任務中にそんな号令をかける方が、よほど団員の命を危険に晒す気がしますけれど。実際どれだけの破壊力があるのか、ご自身でご確認ください」


 ほら、ともう一度手鏡を差し出すと、少し震える手でオルベルトは受け取る。そして鏡に映る自分の姿をしばらく眺めると、目をぐっと瞑って手鏡を脇へと置いた。


「くそっ! ……にゃん」


 野太いにゃんが、室内に力なく響く。後には虚しい静けさだけが残った。


「他に方法がないのです。この都に師匠も知らないような呪いの専門家が潜んでいないとも限りませんが、そんなニッチで稀有な知識を持つ人を探すには、どうしても魔術院の協力と、大規模な捜索、そして貴方の呪いの詳細開示が必要になります」

「……」

「それに、呪いを抱えたまま任務に参加するわけにもいかないでしょう。貴方の部下たちだって、信頼する上司が語尾ににゃんをつけて話す様など見たくないはず」

「……」

「責任ばかりを考えて、自分を蔑ろにしてはいけません。ここは師匠の知人を頼って、呪いが解けるまで人前から姿を消すべきです。大丈夫、貴方はこれまで騎士の仕事に多くのものを捧げてきました。ちょっとくらい長いお休みを貰ったって、貴方のことを責められる人などいやしませんよ」


 優しい言葉がすらすらと出てきて、自分で少しびっくりしてしまう。しかし、両腕を組んで項垂れるオルベルトの姿を見ると、そう言わずにはいられなかった。


 オルベルトはしばらく考え込んで、唸るようなため息をつく。

 私だって、気色悪い呪いをかけられて仕事に支障をきたすような事態になったら、きっとひどく思い悩むだろう。

 そう考えて、オルベルトの返答を辛抱強く待っていると、彼はぽつりと呟くように言った。


「……1つだけ、試していないことがあるにゃん」

「何ですか?」

「お前の師匠の手紙にもあっただろうにゃ。……あの、5番目の……にゃん」

「……」


 あえて触れないでおいた話題を引っ張り出す空気の読めない婚約者に、私は努めて冷たい視線を投げかけた。

 優しい気持ちが瞬時に薄れてくる。


「白馬の王子さま、もしくは美しい姫君のキスですか? 貴方、やんごとなき方々から唇を賜われるような伝手をお持ちなのですか?」

「いや、伝手はないが、にゃん」


 この国にも王子殿下と王女殿下はいらっしゃる。ちなみにお二方は、それぞれ御年5歳と7歳。オルベルトなら、両殿下に拝謁するくらいは可能かもしれないが、幼き高貴な方々に接吻を求めれば、色々な意味でただでは済まなくなる。


「師匠の悪ふざけを真に受けるなんて馬鹿馬鹿しい。だいたい、呪いがキスで解けるという話自体がおかしいんですよ。呪術も魔術の一種です。魔力による強制力が、キスで綺麗さっぱりなくなるなんて、意味がわかりません」

「だが、おとぎ話にもよくあるだろう、にゃん」

「おとぎ話ぃ?」


 メルヘンとは程遠い世界の住人が、妙ちきりんなことを言い出した。

 本人も似合わないことを言っているという自覚があるのか、ためらい気味に言葉を続ける。


「魔女の呪いで眠りについた姫君……だとか、呪いでカエルになった王子の話……だとか、にゃん」

「はあ。だから貴方もお城に忍び込んで王子王女殿下にキスを迫りにいくと?」

「そんな真似できるか! にゃん」


 本気で怒ったようにオルベルトは声をあげ、私を睨め付ける。しかし目が合うと、すぐに私から顔を背けた。


「じゃあ結局、無理じゃないですか。実現不可能な方法について論じても時間の無駄です。いい加減、うだうだ悩むのはやめてさっき言った通りの方法で対処しましょう」

「いや、俺が言いたいのはそういうことではなく……にゃん」


 再びオルベルトの視線がこちらへと向けられる。少し遠慮がちに、しかしまっすぐと見つめられて、その意図がわからず私はしばらく彼の顔を見返した。


 ……それから、彼が何を言わんとしているのか分かってきて。その瞬間、顔がカッと燃えるように熱くなった。


「な、なんて——破廉恥な! 愚かにもほどがあります! まさか、初めからそのつもりでここに来たのではないでしょうね!」

「そんなわけないだろうにゃ!」

「この変態! 助平! 色情魔! 哀れに思って優しくしたら、そこまで図に乗るなんて……。見損ないました」

「分かってくれにゃ。俺とて、こんなことを他人には頼みたくないにゃ。だが、現状はかなり切羽詰っているのにゃ。この呪いをどうにか出来るなら、藁にだって縋りたい気持ちなのにゃ……」

「わ、私の唇は藁扱いですか」


 失礼に失礼を重ねられて罵倒の言葉も出てこなくなる。

 川に流されるオルベルトが私の唇を必死に掴もうとする間抜けな絵面が頭に浮かんで、ちょっと悲しくなってきた。


「とにかくお断りです! 他人に頼みにくいと言うなら、まずは親族の方にお願いすればいいではないですか!」

「お前は、俺に母親と接吻しろというのかにゃ?」

「うっ。……うう」


 今のは酷すぎる提案だった。確かにガーランド家は男系家族で、女性はガーランド夫人くらいしかいない。だが、母親がダメならじゃあ私でどうぞ、とはとても言えない。


「ご存知とは思いますが、私は姫ではありません。王家と親戚関係にあるわけでもありませんし」

「わ、分かっているにゃ。だが、キスで呪いが解ける可能性が少しでもあるならば、やってみる価値はあると思って……にゃん」


 だからってとりあえず目の前の女で試す馬鹿がいるか、愚か者。と、言いそうになったところで、私は先ほどオルベルトに飲ませた魔虫下しを思い出す。

 私も呪いをどうにかしたくて、根拠もなくオルベルトに使用期限の迫った薬を飲ませてみた。それに比べれば、オルベルトの提案にはまだほんの少しだけ根拠がある。


 怪しげな薬を飲ませてしまった手前、私には彼を愚か者と罵る資格がないのだ。


「で……でも。別に、相手が私でなくてもいいでしょう」

「一応、俺とお前は婚約関係のあるのだぞ、にゃん。俺が他の女性とキスしたら、その、色々と問題が生じるだろうが……にゃん」

「……」


 確かにオルベルトの言うことには一理ある。

 ただでさえ、オルベルトはその大きな体躯ゆえによく目立つ。花街に乱立する、手軽にキスやらそれ以上のことが出来るお店を利用すれば、「清廉潔白と評判の騎士団部隊長がすけべなお店に入っていった」と噂がたつかもしれない。

 そうなれば、婚約者である私にも少なからず影響が及ぶだろう。


 分かっている。

 世の中には、妻や恋人に隠れていかがわしいお店を利用する男性は大勢いる。そんな中、婚約者というだけで私にまず相談を持ちかけて来たオルベルトは、比較的誠実な部類に属される。

 彼は呪いを理由に、婦女子に猥褻行為を働こうとするような人ではない。本気で困って、私に助けを求めているのだ。

 でも……


「ごめんなさい。無理です……」

「……」

「そりゃあ、私は貴方の婚約者ですけど。今までそんな雰囲気になったこともないし、それどころか仲良く会話した記憶すらありませんし。そんな相手とキスなんて、無理……」

「……わかった、にゃん」


 胸がチクチク痛んだが、無理なものは無理だと言うしかない。

 少し寂しげな返事に、罪悪感が募っていく。


「すまなかった、無理を言って悪かったにゃ」

「いえ。私こそ、力を貸すと言いながら何もできなくて」

「お前が負い目を感じることはないにゃん。元々、この呪いは俺の慢心が招いたものにゃ。それなのに、色々と迷惑をかけた挙句、キスをしろと……迫って……にゃん」


 言っていて自分でも恥ずかしくなったのか、オルベルトは歯切れ悪く言って、そしてそのまま黙り込んでしまった。


 6年前と同じような沈黙が部屋を満たす。

 何か言わなければ、とは思うのだけれど、言うべき言葉が見つからない。


 これまで、私たちの会話は専ら口喧嘩で成立していた。今更、相手とどんなおしゃべりをすればいいのかなんて分からないのだ。


「今日はこれで失礼するにゃん」


 久しぶりの気まずい静寂に耐えかねたように、オルベルトが言った。


「でも呪いは」

「お前に任せるにゃん。手間をかけて申し訳ないが、手紙にあった専門家に連絡を頼みたいにゃん」

「……分かりました。お任せください」


 3日後にあるという任務のことだとか。明日以降どうするのか、だとか。

 オルベルトにはまだ問題があるはずなのだけれど、それについて彼は何も言わない。このことを蒸し返せば、また先ほどの気まずさが訪れるような気がして、私も、どうするんですか、と聞けなかった。


「あの、オルベルト。せっかく私を頼ってくださったんだもの。呪いを解くため、出来る限りの協力はします。ですから、焦らずお待ちくださいね」

「お前らしくないにゃ。俺が無理な願いをしただけで、お前は何も悪くないにゃ。だから、そうかしこまるにゃ」

「はい……」


 オルベルトは私に責任を感じさせまいと思ったのか、慣れない笑顔を浮かべた。そして私に背を向ける。


 部屋を出ようとする彼の背を見送りながら、私は6年前のあの日を思い出した。


 私が初恋に浮かれて口にした提案が切欠で、私たちは口喧嘩を繰り返す仲となった。それでも6年間婚約関係が続いていたのは、当初お互いが憎からず思いあっていたことに、両者共に気付いていたからではないだろうか。


 けれど私は今、オルベルトを拒絶した。貴方とキスなんて無理、とはっきり言ってしまったのだ。


 これで、この奇妙な関係ももう終わりかもしれない。

 触れ合うことすらできない2人がいつまでも婚約関係を続けていたって、何の意味もないのだから。


 そしていつか、彼の隣には穏やかに笑いあえる別の女性が——

 

「オルベルト、待って……!」


 気づけば、今にも部屋を出ようとする背中に声をかけていた。

 オルベルトが立ち止まって、不思議そうにこちらを振り返る。


 耳の奥で大きく響く鼓動を聞きながら、私は彼に駆け寄る。そして、彼の鉄色の瞳をまっすぐと見上げた。



 かつての甘酸っぱい気持ちなんて、私には残っていない。けれど、彼の隣を誰かに明け渡すことだけは、どうしても出来ないのだ。




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