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挿話2


 初顔合わせのあと、「これはいける」と思ったらしいガーランド夫人と母の働きによって、両家の婚約は正式に取り決められた。一応意思確認のようなものはされたけれど、13歳の私には結婚がどうこうなんて分からなくて、親の決定にただ頷くしかできなかった。


 それからは、月に1、2回母親たちを、時には父や他の家族を交えてオルベルトと会うようになった。舞踏会にも2度ほど彼と共に参加したが、緊張しすぎて何があったかはよく覚えていない。


 そして、あの生ぬるいお茶会から数ヶ月経過した、ある秋の昼下がり。その日はガーランド家屋敷のサロンで、オルベルトと私は母親2人と共に、午後のひとときを過ごしていた。


「——そう。真ん中のお嬢さんは、法律家を目指していらっしゃるの」

「ええ。うちは息子がいないでしょう? だから、長女の相手を入り婿として迎えたのだけど、そうしたら『今後姉夫婦に頼らなくていいように手に職つけたい』なんて言い始めて」

「あら、しっかりしたお嬢さんじゃない。私たちの時代と違って、最近は貴族でも働く女性が増えていますからね。……じゃあ、もしかしてアトレイアさんも?」

「ええ。次女の受け売りで、8歳のとき『私もお仕事したい』とか言いだすようになっちゃって。ちょうどその頃、この子に魔術の才能があると分かったから、試しに魔術師の先生に弟子入りさせてみたんです。そうしたらすっかりのめり込んじゃって、今じゃ目を離すとベッドの中でもお勉強するような始末なんですよ。熱心なのはいいけれど、このままじゃ魔術づくしで殿方とのご縁もなさそうだったから、今回の婚約の話は本当に有り難かったわぁ」

「それはこちらもよ。昔は騎士ってだけでモテたものだけど、最近ではいつ死んだり働けなくなったりしてもおかしくない職業だからって、娘さんを嫁がせたがらないお家が多いの。その点、アトレイアさんはうちの息子が馬鹿をやってぽっくり逝っても、困ることはなさそうだし? 安心して息子をお任せすることができるわ」


 当人達を置き去りにして、母親たちの会話は止めどなく続いていく。

 その横で、私とオルベルトはテーブルを挟んで向き合いながら、ひたすら目の前の紅茶を消費する作業に没頭していた。


 初めて出会った茶会以降、私たちは挨拶を除いて、一切の会話をしていなかった。本当に、「こんにちは」「こんばんは」「さようなら」くらいしかお互い口にしていない。

 それなのに、月に1回は親同伴で会うものだから、母親たちの親密度ばかりが急上昇する有様であった。


「……」

「……」

「あらあら。この子たちったら、まただんまりよ」


 母がため息混じりにこちらを見た。


——来た。


 私は心の内で身構えた。

 母親達は、楽しいお喋りが一段落つくと、ふと思い出したようにこちらに話題を振ってくる。そして、私とオルベルトのことをあれこれ茶化すのだ。

 これがいつものパターンだった。


 ガーランド夫人が、渋い顔をした息子の背中を叩く。


「この子、昔から愛想がないうえに口下手なの。昔気質な祖父の影響を受けたのね。これじゃあ退屈でしょう。ごめんなさいね、アトレイアさん」

「いいのよ。逆にこの子なんか、家では上の娘たちとやかましいくらいにお喋りするくせに、オルベルトさんの前だと借りてきた猫みたいになっちゃうの。よほどオルベルトさんのことを意識しているのでしょうね」

「……っ! お母様!」


 とんでもないことを、よりによってオルベルトの前で言う母に、私は抗議の声をあげた。

 しかし非難の視線を向けても、母は涼しい顔で言って退けた。


「お母様たちばかりにお喋りさせるからこうなるのよ。余計なことを言われたくなかったら、少しは自分でお話ししなさいな」

「でも」

「じゃあ、私たちは温室に行ってきますから。あなたたちも適当にしていなさい」

「そんな。お母様、私もご一緒してはだめですか」


 私は精一杯哀れみを誘う声で提案してみた。しかし母はにこりと無慈悲に微笑むだけで、やはり笑顔のガーランド夫人と共に、さっさとサロンを出てしまった。


 そうしてまたも、私たちは2人きりにされてしまった。私とオルベルトは顔を見合わせ、すぐに互いから視線を外した。


 このままではいけないということは、分かっていた。

 母親たちがここまで頻繁に私たちを引き合わせるのは、私たちが異様なまでに口を閉ざしたままでいるからだ。

 もうすぐ冬が来る。そうなれば、社交シーズンも終了し、私とオルベルトが会う機会はぐんと減る。そして来年になると、オルベルトは見習い期間を終了し、騎士として国の仕事に従事しなければならなくなる。そうなれば、婚約者にかまけている時間なんてなくなってしまうだろう。

 それまでに、ご友人レベルには私たちの距離をつめさせてやりたいという、これは母親たちの親心なのだ。


 こちらだって、いつまでもこのままでいるつもりはなかった。私はいじらしく今日こそ婚約者と楽しいおしゃべりをするのだと心に決め、前もって姉たちに「男の子とどんな会話をすればいいのか」と恥を忍んでこっそり訊ねていた。師匠からは、腹が捩れる魔法小話を仕入れていた。

 それなのに、いざ口を開こうとすると、喉がつかえたように何も言えなくなってしまうのだ。

 普段はわりと口が立つ方なのに、どうして彼の前では言葉が出なくなってしまうのか。理由のわからぬ怪現象に、これは呪いなのではと、私は恐怖すら覚えた。


「魔術の修行、というのは……大変、なのか」


 そこで突然、オルベルトが沈黙を破った。

 少し震えた声で放たれた、思わぬ不意打ちに、私はしばらく呆然とする。それから自分が話しかけられたのだと気がついて、しどろもどろになりながら頷いた。


「え、う、はい。そ、そこそこ、大変です」

「そうか」


 そこで会話は終了する。

 広がらない会話のお手本のようなやりとりだった。


 それでも、何ヶ月ものあいだ会話ゼロ記録を更新し続けていた私たちにとっては大きな前進で、室内の緊張感は自然と高まった。

 折角の会話の機会を逃してはいけない。仕入れて来たネタなどとうに頭から吹き飛んでいたけれど、私は懸命に会話の続きを絞り出した。


「騎士団の訓練というものも、やはり大変なのでしょうか」

「あ……ああ。大変、だな」

「そうですか」

「……」

「……どう、大変なんでしょうか!」


 危うく終了しかけた話題を、必死でつなぐ。「困ったら会話は質問で広げなさい」という姉の助言が頭の中で響いていた。

 私の必死さに少し戸惑いながらも、オルベルトはゆっくりと答えてくれた。


「とにかく、教官が厳しい。訓練の内容自体は基礎的なものがほとんどだが、立てなくなる限界まで毎日絞られるんだ。訓練が辛くて、逃げ出した同期も大勢いた」

「そんなに過酷なんですか」

「ああ。それでも今は、見習いだから休みもあるし、仕事で休日が潰れることもない。今後正式に騎士になれば、自由な時間はかなり減るだろう」

「そう、ですよね」

「でも、君には、その……いや、なんでも、ない」


 何かを言いかけて、オルベルトはなぜか顔を赤くしながらすぐに首を振る。

 そして何度目とも知れぬ沈黙が私たちの間に訪れた。


 どうしてこんなに時間無駄にしてしまったのだろうと、急に後悔が押し寄せてきた。

 彼が騎士になれば今よりもっと忙しくなって、ほとんど話したこともない婚約者のことなど忘れてしまうかも。ガーランド夫人はああ言っていたけれど、騎士に憧れる女の子は大勢いる。いつか彼の前には素敵な女性が現れて、自分はあっさりふられてしまうのではないか。

 そう考えたら、胸の奥がきゅっと痛くなった。


 どうにかしなくては、とひどく気持ちが焦った。そこでふとした思いつきが頭の中に浮かんで、気付けば私は口を開いていた。

 

「私、もっとしっかり魔術の勉強をして、できるだけ早く師範の資格を取ります」

「魔術師には、資格があるのか?」

「はい。師範というのは、一人前の証みたいなものです。師範でなくても魔術は扱えますが、その資格があれば、自分の工房を持ったり、弟子をとったりすることが許されるようになるんです」


 どうして急にそんなことを言うのか、とオルベルトは不思議そうな顔をした。

 私は服の裾をぎゅっと握り、徐々に顔が熱くなっていくのを感じながら言葉を続けた。


「それに、師範資格者は国の仕事に関わることもできるんです。例えば、騎士団とか」

「……騎士団?」


 わずかに上ずったような声が返って来る。


「最近魔術を悪用した犯罪が増えていて、その対策に国が資格を持った魔術師を積極的に雇用していると聞きました。師匠の知り合いにも、騎士団や軍と協力して、魔術犯罪の捜査に携わっている魔術師が何人かいらっしゃるんです。私もいつか、彼らのように騎士団のお仕事を手伝うことができるかも。そうすれば——」

「それはだめだ」


 まだ話している最中だというのに、鋭い声が降りかかってきた。

 その意図が分からず、私は目を見開いてオルベルトを見る。彼はばつが悪そうに私から視線を外したが、重ねて否定の言葉を発した。


「だめだ。君が、そんなことをする必要はない」

「え……。どうして、ですか」

「それは君を危険な目に」


 私の問いにオルベルトはすぐさま口を開く。しかし何かを言いかけて一瞬ためらうようにしたあと、取り繕うように続けた。


「君のような子に、騎士団の仕事は無理だろうから」

「私のような、とはどういう意味です」

「それは……」


 オルベルトはちらりと私に視線を戻す。そして、まるでその場で言い訳を考えたかのように、たどたどしく言った。


「君のような……細くて……白くて……」

「……」

「世間知らずで……ひ弱なお嬢様が……まともに戦えるわけ、ないだろう」

「!」


 そんな風に思われていたのか、と、私はショックで言葉を失った。

 自分はただ、少しでも会える時間が増えるかもと思って、ちょっとした思いつきを語っただけだ。それなのに、物を知らない軟弱者に騎士団の仕事ができるわけない、と言われるなんて。

 「こうすれば貴方のおそばにいられるわ」なんて、1人で勝手に盛り上がっていた自分が急に恥ずかしくなった。それと同時に、怒りがふつふつと湧いてきた。これまで碌に話したこともない相手に、どうしてそこまで言われなければならないのか。


 実はこのとき、少し泣きそうでもあった。けれど、涙より反撃の言葉が飛び出る方が早かった。

 

「わ、私が細いんじゃありません。貴方が無駄に分厚いだけです」

「なっ……!」

「それに、私はひ弱でも世間知らずでもありません。大きな病気はしたことがないし、政治や経済のことだって、たぶん貴方よりずっと勉強しています」


 つい、“貴方より”という部分に力を込めてしまった。案の定、オルベルトは気分を害したようでむっとした顔をする。


「自分がひ弱ではないと、よく言えるな。慣れない靴を履いただけで、すぐ歩けなくなったくせに」

「そ、それは」

「君のように大して動けないくせに、自分も戦えると勘違いして、騎士や兵の活動に首を突っ込みたがる魔術師が最近多いと聞いたが、どうやら真実のようだな」

「なんて失礼な! 確かに魔術師は、剣を振り回すばかりの貴方たち騎士より貧弱だし、戦いにも慣れていません。けど、そのぶん魔術という強力な武器があるんです」

「いくら高度な魔術を使えても、いざというとき己の身も守れないのでは、周囲の足を引っ張るだけだ。そんなこと、勉強ばかりで実戦を知らない君たちには理解できないだろうが」

「ま……まだ、騎士じゃないくせに」

「……!」

「貴方は、まだ見習いでしょう。実戦がどうこうと偉そうにおっしゃいますけど、貴方こそ実戦に出た経験があるのですか」

「くっ……」

「ほら、やっぱりない。それなのに、お前は実戦を知らないなんてよく言えますね」

「確かに、実戦経験はまだないが。少なくとも君と違って、俺は騎士の戦いを常に間近で見ている。君のように夢物語を語っているわけじゃない」

「じゃあ現実を知る貴方に是非とも教えて頂きたいのですが、昨今増加する魔術犯罪に今後どう対応するおつもりですか?」

「対応?」

「足手まといの魔術師は実戦に必要ないのでしょう。しかし魔術犯罪の影には常に魔術師が潜んでいます。そういった連中に、魔術知識のないあなた方騎士だけで、どう立ち向かうつもりかと聞いているんです。あ、ご存知ないかもしれないので忠告しておきますが、筋肉だけでは魔力は弾けませんからね」


 私から流れるように放たれる嫌味に、オルベルトが瞬刻絶句した。まさか私がここまで言う人間だとは思っていなかったのだろう。

 わずかに残っていた自分の理性が「これは取り返しがつかなくなるぞ」と呟いたが、もう自分の言葉を撤回する気にはなれなかった。


「別に、俺は魔術師が必要ないと言っているわけではない。君のような足手まといが不要だと言っているだけだ」

「あら、そんな走って戦える魔法剣士のような都合の良い存在が世の中にごろごろ存在するのですか? 大抵の魔術師は、魔術の鍛錬に必死で騎士様と渡り合えるほど体を鍛える余裕などないと思っておりましたが。さすが、現実を知る見習い騎士様は、素晴らしいお知り合いをたくさんお持ちだこと!」

「き、君こそまるで魔術師を代表するような口ぶりだが、まだ見習いじゃないか! それも、俺と違ってまだまだ一人前を卒業できない半端者だと聞いたぞ!」

「なんですって!」


「——あなたたち、何をしているの!」


 激しい舌戦に、悲鳴のような横槍が入った。


 そこで私は、はたと我に返った。オルベルトの顔が、少し近くにある。

 どうやら彼と私は、いつの間にか椅子から立ち上がって、お互いの顔を睨み合っていたようだった。


 ゆっくり声が聞こえた方を見ると、サロンの扉は開け放たれていて、目を大きく見開いた母親2人が立っていた。二人とも、驚きと怒りに満ちた表情をしていた。


「アトレイア! ひとさまのお宅で殿方を罵るなんて、なんてはしたない!」


 まず母がそう言って、私に駆け寄る。続いてガーランド夫人も、真っ青な顔でサロンに入り、未だ私を睨む息子の腕を引っ張った。


「オルベルト、レディに対して声を荒げるなんて、どういうことですか! 失礼でしょう、アトレイアさんから離れなさい」


 私たちは、母親達によって引き剥がされる。しかし両者ともまだ怒りと闘志は萎えておらず、目線はお互いを射抜いたままだった。


「ふん、今日はこれくらいにしておいてあげます。次回お会いした時には、もう少し頭を使ったご返答をいただけると嬉しいのですが」

「そちらこそ、現実を見る目を養って、次回までに己の虚弱さをしっかりと自覚しておくことだな」

「だからやめなさいと……! って、次回?」


 私たちの言葉に、それぞれ我が子の腕を引いていた母親達が、顔を見合わせた。


「それって、次回もまた会いましょうってこと?」






 

 その日、私とオルベルトの関係は、“何も喋れず沈黙する2人”から、“会う度に舌戦を繰り広げる2人”へと目覚ましい変化を遂げた。

 はじめ両家親族たちは揃って呆れ顔をしていたが、私たちの戦いに終わりが見えないようだと悟ると、「好きにしてくれ」と何も言わなくなってしまった。


 騎士団の仕事に携わりたいという私の気持ちを、14歳のオルベルトはどうして必死に否定したのか。後々振り返ったら、なんとなくその理由は察することができた。

 同様に、13歳の私がどうして騎士団の仕事に関わりたい、なんて言い出したのか、オルベルトも薄々は理解しているだろう。……多分。

 でも、お互い昔のことを掘り返す気にはなれなくて、未だにこの妙な関係は続いてしまっている。


 白状すると、私の初恋の相手はオルベルトだった。

 ただしあの甘酸っぱい感情は、ガーランド邸での口論の際に、彼方へと飛び去ったままだ。騎士団の仕事に協力して彼と長く一緒にいよう、という桃色で浅はかな計画も当然お流れになっている。

 けど、半端者と言われたことがとにかく悔しくて、嫌がる師匠に毎朝毎晩魔術の勉強を見てもらい、私は18という若さで師範資格を得た。

 ……つまり、私の不必要に早い独り立ちは、全てオルベルトを見返すためだったりする。

 

 でも、語尾ににゃんがつくという、馬鹿っぽさ極まりない呪いに侵されたオルベルトを前にしたとき、「ざまあみろ」とは思えなかった。いつか言ってやろうと用意していた「足手まとい扱いした魔術師に頼ろうとするなんて、今どんなお気持ち?」という台詞も口にできなかった。

 呪いとオルベルトの相性が最悪すぎて、嫌味に頭を回す余裕がなかった、というのが大部分の理由だけど。本気で困っている彼を哀れむ気持ちと、彼に頼られて喜ぶ気持ちがほんのごくわずかにあったのも事実だ。



 未だに情を捨てきれない自分が、嫌になる。


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