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「昨日、異端魔術師と交戦した際に、妙な術をかけられてにゃ。奴は俺に呪いをかけたと言っていたが、特に体調に変化はなかったから、様子をみていたのにゃ。……それで、朝起きたら語尾に忌々しい響きが加わるようになっていたにゃん……」
「えっと……普通に我慢できないんですか、それ」
「できたら苦労しないにゃ! 俺が好き好んでにゃんにゃん言って回るとでも思うかにゃん? それも、よりによってお前の前で、にゃん!」
ほわぁ、壮絶ぅ。
婚約者の口から発せられるにゃんにゃんラッシュに、私はめまいを禁じ得ない。
自然と頭が下がり、懇願の言葉が口をついた。
「ごめんなさい、愚問でした。謝りますので言葉数少なめにお願いします」
「ううっ……」
オルベルトは口を閉じた。
普段は、黙れと言うほど口数を多くして癪に障ることを言うくせに。その素直さが、彼の追い詰められっぷりを体現していた。
どうやら呪いは本物のようだ。
信じがたいけれど、オルベルトはこんな捨て身の冗談を口にするような人ではない。それだけは断言できる。
でも、語尾ににゃんがつくなんてふざけた呪い、聞いたことがない。死の呪いだとか、魔力を封じる呪いだとかは比較的よく知られているけれど……。
呪いの考案者の悪意と飛び抜けたセンスに、感心すらしてしまう。一体どういった機序で呪いの対象ににゃんと言わせているのか。そもそもこれは、語尾ににゃんと言わせるだけの呪いなのか——
そこまで考えて、私はふと、先ほど彼に渡されたメモを思い出した。
「もしかして。さっきから貴方のメモに、妙に書き損じの誤魔化しが多いと思っていたのですが、これは……」
「そうにゃ。これは俺が書く文章の末尾にもにゃんを強制的につけてしまう呪いらしいにゃん。だから、文字を書く度ににゃんの文字を消していたにゃん」
言いながら、オルベルトはまたメモに文字を書き込んで、私に手渡した。
『まるで地獄にゃん』
彼の悲痛な叫びが、シンプルな一文に込められていた。
「なんって凶悪な……」
「気色が悪いということは、承知しているにゃん。お前に相談していいものか、随分迷ったが、にゃん……」
不自然ににゃんが付け加えられる。どうやら言葉を切るだけでもにゃんが出てしまうらしい。
だから、話し始めのとき、あんなに「のだが」を多用して、言葉を繋げようとしていたのか。
「そうだ。呪いをかけてきたという異端魔術師はどうなったのですか」
「あんな雑魚、すぐに捕縛したにゃ」
「なら、そいつに呪いを解くようこっそり頼めばいいじゃないですか。どうして私に助けを求めるんです」
「そんなこと、もう試したにゃ」
「……それで?」
「笑われたにゃん」
かっ……かわいそう。
「この呪いをさっさと解けにゃん!」と異端魔術師に凄みながら迫るも、ゲラゲラ笑われる騎士の姿が脳裏に浮かぶ。
「奴としては、己を捕らえた忌々しい男の醜態を見て胸がすく思いだったろうにゃ。絶対に呪いを外さないと宣言されたにゃん」
「脅したり、交渉したりは……」
言いかけて私は言葉を切る。そんな法に抵触するような真似、真面目の塊みたいなオルベルトにできるわけがない。だから私の元へやって来たのだ。
同僚に救いを求めることもできなかっただろう。うっかり仲間に「助けてくれにゃん」なんて言って回ったら、騎士団部隊長殿の威厳は光の速さで地に落ちる。
迂闊に言葉を発せない、字も書けない、人に相談できない。色々なことが、にゃんという語尾のためだけに制限されていく。やはりこれはとんでもない呪いだ。この呪いを考案した人間は、さぞかし性根が捻くれているに違いない。
「……お前が案外冷静に対応してくれたことには感謝しているにゃん。てっきり、ひどく馬鹿にされるか大笑いされるものと思っていたにゃん」
「この惨状を笑えるほどの余裕、私にはありません」
きっぱり言うと、オルベルトは大きな体をしゅんと縮こまらせた。
いつも無駄に場所をとると思っていた彼の巨躯が、今はひどく小さく見える。
何かと憎らしいことばかり口にする男だけれど、その哀愁漂う姿に、流石の私も憐れみを感じずにはいられなかった。
「仕方ありません。親が勝手に決めたこととはいえ、貴方は私の婚約者。婚約者が語尾ににゃんをつけるいかがわしい変態だと噂が広まってしまったら、私自身の名誉もガタ落ちになります。大変不本意ではありますが、ここは協力してあげましょう」
「……恩に着るにゃん」
調子狂うなあ、もう。
内心がっくりしつつ、私は貯蔵棚から青い液体の入った小瓶を取り出した。
「飲んでみてください」
「……」
オルベルトはぐっと顔をしかめるが、黙って小瓶を受け取ると、文句を言わずに一気に中身を飲み干した。彼の喉仏がぐいぐい動く。
流石、根性だけはある男。その飲みっぷりは男らしい。
「……まずいにゃん」
「ダメか」
即座に分かりやすい結果が返ってくる。
ミラクルを期待してとりあえず飲ませてみたけれど、これが魔虫下しだったということは黙っておこう。
さてどうするか。呪術って生産性がないし、ほとんどが異端指定されているから、興味のきの字も沸かなくて、ちゃんと勉強したことがないのだ。つい協力する、と言ってしまったが、そもそも私だけでできることなどほとんどない。
貯蔵棚には他にもデッドストックになった各種薬剤が並んでいるけれど、根拠もなしにこれらを全て飲ませるというのも酷な話だ。呪い以外の理由でオルベルトが再起不能になる可能性もある。
「師匠に、相談してみますか」
私がそう言うと、オルベルトは「げ」とあからさまに嫌そうな顔をした。
「待てにゃ。お前の師を悪く言うつもりはないが、この話をあの人に漏らすのは……にゃん」
「でも、私だけではどうにもなりません。師匠はあれでも国内じゃ名の知れた魔術師ですし、きっと助けになってくれるはず。呪いとか悪魔儀式だとか、異端ギリギリな分野にも妙に詳しいし」
「……」
「とりあえず、手紙で呪いの対処方法を知らないか聞くだけですから。貴方の名前と呪いの詳細についてはちゃんと伏せておきます」
「……分かった、にゃん。お前に任せるにゃん」
やっとオルベルトは頷く。依頼主の了解が得られたので、私は「呪いの被害を受けた知り合いがいるから知恵を貸して欲しい」と、ぼんやりとした相談を便箋に書き連ねて、使い鳩の足にくくりつけた。
出不精な師匠のことだ。今日も自分の工房に引き篭り、書物の波に溺れていることだろう。構われたがりだから、手紙の返事もすぐにくれるはず。
新たな情報を期待して、私は鳩を窓からはなった。