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昔から、魔術師と騎士は相性最悪だと相場が決まっている。
優れた頭脳と知識を武器に、優雅に戦う魔術師。一方、勇気という名の無謀を振りかざし、剣を片手に暴れ回る粗野な騎士。この対極に位置する存在とも言える2つが、相入れるはずがないのだ。
……だというのに。どういうわけか、目の前にいる騎士・オルベルトは、この私——若き一流魔術師アトレイア・ファレルの婚約者ということになっている。それも、もう6年も前から!
「あら、オルベルト部隊長ではありませんか。一体、今日はどのような御用でいらしたのですか?」
「……」
アポイントメントもなく私の工房に押しかけて来たオルベルトは、こちらの問いに答えることなく、非常に渋い顔で両腕を組んだ。大して力を入れていないだろうに、彼の上腕二頭筋がもりもりと膨れ上がる。
その背後で、弟子のティジレが気まずそうに頬を掻いた。
「ええと。ここにいらした時から、ずっとこんなご様子でして」
「こんなお邪魔なオブジェを、師の部屋に置くんじゃありません。ほら、さっさと騎士団本部に戻して来なさい」
「でも、これを」
ティジレは私に紙切れを差し出してくる。
紙には『至急アトレイアに面会したい。案内を頼む』と書かれていた。この几帳面で面白みのない文字は、オルベルトのものだ。文の末尾には、何か文字をインクで塗りつぶしたような跡がある。書き損じをごまかしたのだろうか。こういう場合、違う紙に書き直すのが礼儀でしょうに。
ああ、これだから野蛮な騎士は嫌なのよ。そう思いながら、心の広い私はオブジェに向かって微笑んでみせた。
「私に面会をご希望とは、一体どんな風の吹きまわしですか? お熱があるのなら、ここではなく診療所の受診をお勧めしますよ」
「……」
「もしかして、喉が腫れて声が出ないのかしら。これは大変。さっさと医者に——」
オルベルトは急にこちらを睨みつけた。そして懐からメモを取り出すと、さらさらと何かを書き始める。
そして先ほどと同じ紙切れを、私に向かって突き出した。
『大事な話がある。ティジレを外してくれ』
「……」
また末尾に、塗りつぶしの跡。
私は、受け取った紙とぶすっとおし黙るオルベルトを交互に見て、深くため息をついた。
「ティジレ。ちょっと席を外してくれる?」
「はい、ただちに!」
ずっと退出する機会を伺っていたらしい弟子は、元気良く答えると、小さな体を翻して部屋をパタパタと飛び出て行った。
魔術師らしからぬ素早い身のこなしだった。
「……」
「……」
外せというからティジレを部屋から出したのに、オルベルトはまだ黙ったままだ。
普段から何も言わずに勝手に不機嫌そうにすることが多い彼だけど、今日は特にひどい。筋肉ばかり育て過ぎて、人の言葉を忘れてしまったのだろうか。あ、でも字は書けているからそれはないか。
この寡黙っぷりを渋いとか漢らしいと褒めそやす婦女子は結構な数いるけれど、彼女たちの考えがまるで理解できない。
いくら顔や出自が良かろうと、喋らず動かない筋肉の塊など、ただの岩も同然だ。
「いい加減にして下さい。こちらも暇ではないのです。そこに黙って座っているだけなら、騎士団に連絡して引き取りを要請しますよ。今日は非番じゃないでしょう。こんなところで油を売っているなんて、バレてもいいのですか」
「……」
オルベルトの顔が更に険しくなった。一般人であれば震え上がるような凶悪なツラだけど、6年間婚約者をやっている私にはまるで通用しない。逆に睨み返してやると、オルベルトは気まずそうに目を伏せた。
ふっ。勝った。
「……驚く……ゃよ」
初めてオルベルトが口を開いた。けれど、声が妙に小さい。
普段は無駄に大きなガタイから、無駄に大きな声を出して、無駄に周囲を威圧して回っているというのに。
「いいから、早く要件を」
「むぅ……」
急かすと、彼は口を開きかけて、また閉じた。ああもう、イライラする。
しかしとうとう意を決したようで、オルベルトは突然ぺらぺらと低音で捲し立てた。
「……実は今日の朝からおかしな現象に見舞われて非常に難儀しているのだが、どうも魔術関連の問題らしく、専門家に解決を依頼したいと考えた——のだが、これが非常に奇怪かつ珍妙なもので、無闇に他人へ言いふらすわけにもいかず、まあ身内と言えなくもないお前になら相談しても角が立たないだろうと考えここへ来た——のだが」
やたら台詞に「のだが」が多いのだが?
「正直なところお前に解決できる案件かも分からないし、これが本当に魔術であるのかも分からないし、俺のキャリアに影響しかねない問題であるから、是非ともこのことは内密にしてもらいたい——のだが」
「のだが、はもう結構です。回りくどい口上はやめて、さっさと本題に入ってくれません?」
「にゃん」
「は?」
気のせいだろうか。今、すっごく不細工な野良猫の鳴き声が聞こえたような気がする。
しかも、目の前の男の口から。
「オルベルト。今、何か言いましたか?」
「……ッ」
オルベルトは答えず、唇をぎりぎりと噛んで体を震わせた。
口の端からたらり、と血が流れる。突然の流血に、私は少しぎょっとした。
「ああ、何やっているんです。馬鹿なんですか。血が出ていますよ」
仕方なくハンカチを渡すと、オルベルトは少しだけ頭を下げて受け取り、口元を拭った。あーあ……。お気に入りのハンカチだったのに……。
「すま……にゃい」
「うっ!?」
また漏れ聞こえる不穏な響きに、私は思わず一歩退いた。
今の舌足らずな言葉はなに? 口から血を流す殿方には不相応すぎて、恐怖すら感じてしまった。
「お、オルベルト。どうしたんですか? もしかして舌を噛んだんですか?」
オルベルトは首を振る。そして自嘲気味に漏らした。
「朝起きたら、こうなっていたにゃ。どうやら俺は……語尾に“にゃん”がつく呪いにかかってしまったらしいにゃん」
「うぐぅっ!」
呪詛のように発せられた“にゃん”に、私は頭を横殴りされた。
何? 今のは、何?
クラクラして頭が上手く働かない。それでも、懸命に状況を整理しようと私はもがいた。
それなのに、オルベルトは更に容赦ない精神攻撃を続ける。
「悪い病気かとも思ったが、何を試しても気味の悪い語尾が消えないにゃん。力を貸してくれにゃん」
「おおふっ」
まさかのクリティカルヒットに、ついつい下品な悲鳴をあげてしまった。
きゅるきゅると音を立てて私の精神力が失われていく。
これはひどい。耐えられない。ここは、さっさと降参するしかない。
「参りました。貴方の勝ちです、オルベルト。降参するので、どうかその気色の悪いお芝居をやめて下さい」
「芝居じゃないにゃん」
「……ッッ」
あまりの破壊力に、私はもんどり打ちそうになる体を抑えて唇を噛んだ。あ、血が出て来た。
私は夢を見ているのだろうか。それならさっさと覚めてほしい。
けれど噛み切った唇の痛みは本物で、これは現実であるということを思い知らされる。
「……呪い? 本当に呪いなんですか……?」
オルベルトは重々しい表情で頷いた。残念なことに、そこに私を痛めつけてやろうという意思や、冗談の色は見えなかった。