8.また君たち?
「ふう……」
夜。案内された宿舎の個室で、真尋はゆっくりと肩の力を抜いた。
従業員用に建てられているという建物のその部屋は小さく、まただいぶ薄汚れてもいたが、それでもようやく一人になれてホッとした。
いろいろなことがあった、とベッドの上で今日一日を振り返る。
まったくわけの分からない出来事ずくめの日だったが、それでも分かっていることもある。
自分は一週間後には殺されているかもしれないこと。
あの鬼の支配人の鋭い爪を思い出して背筋が冷える。
彼は真尋の体内にあの白い石があるという。
「……」
何となくシャツの裾をめくって腹を見る。と、そこに変なものがあった。
「……?」
それはギザギザした形の変な印だった。真っ黒で、よく見ると細かい文字の集まりのようでもある。
訝しく思いながら指で撫でているうちに、真尋は悪寒と共に思い出した。
その印があるのは支配人に呪いを仕掛けられた場所だ。
「…………」
これから自分はどうなるんだろう。
考えているうちに自分がばらばらに吹き飛ぶところを想像してしまい、真尋は毛布を被って震えた。
目を固くつむって、ただひたすら悪い夢が覚めることだけを願った。
◆◇◆
「朝! 朝だよ! ぴょろろろろろろろろろ! あ。二等兵です! 一号だよー!」
夜が明けると同時、窓の外に小鳥のさえずりが響き渡った。
結局一睡もできなかった真尋は、食堂での朝食にもほとんど手を付けずに野外ステージへと向かった。
「着替えな」
ココに投げ渡されたのは作業用のつなぎだった。指示通りに着替えて戻ると、「遅い!」と怒声が飛んだ。
「ちゃっちゃと着替えてちゃっちゃと始める。道具はこれとこれとこれとこれね。後はリオに聞きな。手を抜いたら殺す。さ、行け」
リオを探すと、彼女はもう隅の方で掃除を始めていた。
こちらに気づいてほうきがけの手を止める。
「あ、おはようございますマヒロさん!」
「おはよう」
「昨日は眠れました?」
「いやあんまり……」
「そうですか。いろいろありましたもんね……」
リオはまるで自分のことのように不安そうな顔になる。
「なにか分からないことがあったら遠慮なくボクに相談してくださいね。力になりますから」
「うん、ありがとう」
それから見回して訊ねる。
「とりあえず僕はどこから始めたら……」
「それなら一緒に続き、やりましょうか」
舞台裏の軽い掃き掃除拭き掃除、ステージ上のモップ清掃に雑巾がけ。客席の汚れを念入りにチェックしたら周辺に配置されているゴミ箱の中身交換。エリアが広いので結構な大仕事になる。
目まぐるしい作業の合間に時計台へと目をやると、いつの間にかかなりの時間がたっていた。
「チンタラやってんじゃないよ! そろそろお客さん来ちゃうでしょうが!」
「は、はーい!」
ココの声に返事してからリオはこちらを振り返った。
「もうそろそろ引き上げましょう! 片付けてコンサートの準備です」
「ご、ごめ……待って……」
真尋はモップを杖にぜえはあと息をついた。
駆けずり回って作業し続けていたので、疲れた。寝不足もたたっている。
「け、結構、きついね……」
「大丈夫ですか?」
こちらの顔を覗き込んでくるリオは、汗一つかいていない。小柄で細腕なのに体力はなかなかのものなようだ。
「ちょっと休みます?」
「できればそうしたいかな……」
「じゃあしばらく客席の方に座っててください。いつでも掃除してる振りができるよう道具は手に持ったままで。元気が戻ったら舞台裏の方に来てくださいね」
「分かった」
うなずくと、リオはこちらに小さく微笑んでから走っていった。
客席に背を預け、真尋はため息をついた。
見上げると、今日もすっきりと晴れそうな空だった。
きっと今日も大盛況だろう。
……このエリア以外は。
◆◇◆
楽器やスピーカーなど重要なものの手入れは専門のスタッフがやるようだった。
だから朝の清掃が終わってしまえばそこまで忙しいことはない。
コンサート前の準備の雑用やコンサート後に手早く行う掃除などをのぞけば、空き時間は多くそれなりに自由がきいた。
「マヒロさん、時間があるので園内を回ってみませんか?」
リオがそう言ったのは二回目のコンサートが終わって長めに時間が空いたときだった。
「え、でも、仕事はいいの?」
「朝の分はだいたい片付きましたから。この遊園地の勉強をしておきましょうよ」
「勉強?」
「役に立つと思います。……結果を出すためには特に」
リオは最後の方だけ声をひそめた。
言われてみて、なるほど確かにそうだと気がついた。
今のままではどうやったって成果を挙げるなんて不可能に決まっているのだから。
着替えて通りに出ると今日もお客がいっぱいだった。
その流れに混じって歩きながら、とりあえず、とリオが道の先を指す。
「順路通り行ってみましょう」
この『獄楽ランド』の主要な道は、園の中心にある湖の周りをぐるりと回るコースになっている。その湖では泡ガニによる水中探検が楽しめるそうだ。見ると湖面が陽光を反射してきらきら光っているのが見える。
入場ゲートからすぐのところには物販コーナーが続いていて、市場のように道の両端にいろんな店が軒を連ねていた。
人魚の涙やコボルトが掘り出してきた宝石、錬金蜘蛛が吐いた金糸の塊といった貴金属類、調度品としてのミノタウロスの角やケンタウロスの尻尾の毛でできた筆なんかもある。
ノリはフリマかなと真尋は思った。
もちろん遊園地らしくこの園のロゴらしきものが入ったお菓子缶や絵葉書もあったが(モンスター社会にも郵便システムがあるんだなと少し驚いた)。
そのまま道なりに行くと火山がゆっくりと近づいてくる。
遊園地の敷地内なのでそれほど大きいわけではないが、登ろうとすればちょっとした登山になりそうだ。
見上げる山頂からは煙がモクモクと立ち上っている。
「今日のエリザベスさんは機嫌が悪いみたいですねえ……」
「エリザベス?」
首をかしげると、リオはうなずいた。
「ここの部門のリーダーのドラゴンさんです。まあリーダーっていうかスタッフはエリザベスさんだけですけど。火山の種火を守って必要な時に火を噴かせる仕事をしてます」
「へええ」
「ちなみにすごく気難しいです。煙の色で大体機嫌が分かるんですけど……今日会うのはやめておきましょう」
でも、火山の裏の温泉はとっても気持ちいいですよ、疲れが飛びます。お客さんが帰った後なら従業員も使えるので入ってみるといいと思います! とかとかなどなど。
「今までのアトラクションから何かヒントがつかめるといいんですが……」
難しい顔で考え込むリオについて、あの蒸気を噴き出す塔のような城の前を過ぎ、風船ダコの気球コーナーを抜けて、最後に不気味なお屋敷の前に立った。
のだが。
「ここはホラーハウスです。説明終わり。次行きましょう」
リオは露骨に説明を避けた。
「え。いやちょっと。わかんなかったんだけど。ここ何するところ?」
「あ、う……後で説明します。とりあえず離れたところ行きましょ。ね?」
「はぁ」
まあいいけど。
どこか落ち着きのないリオに続いて振り返った。その時だった。
「うびゃあっ!?」
「っ……!?」
リオの鋭い悲鳴に真尋はびくりと体を跳ねさせた。
見ると彼女の目の前に、血の気を失って真っ青な顔が浮かんでいる。首だけだ。体がない。
そのカッと見開いた目には恨みと憎しみの色。口からは呪詛のような言葉が漏れる。
「オォ……ハヨォォ――」
「あわ、あわわわわわ……!」
ふらついて後退するリオにぶつかられて、真尋は踵を引っかけた。
二人まとめて無様にすっ転ぶ。
リオを抱きとめる形になったのは幸いだった。おかげで彼女には怪我はない。
「いつつつ……」
頭をさすりながら見上げると骸骨がのぞき込んできていた。
目?が合うとケタケタと笑いだす。
なんだか既視感があった。
「笑っちゃだめだってばだい姉ちゃん」
これまた聞き覚えのある声の方を見ると、空中に浮く少女の首が体の部分も姿を現しながらふよふよと降りてくる。
「ちい姉ちゃんもよくないって思うよね」
「ヴァアア……」
いつの間にかすぐそばにあのミイラもいた。
「あー……」
真尋は頭をかいて体を起こした。
腕の中のリオは、すっかり目を回してしまっていた。