4.なんでこんなことになったんだろう
誰かが毒づく声がした。
「くそ、いったい今日はなんて日だ!」
真尋はそれをまぶたの向こうに聞いた。
「まあ落ち着いてください支配人」
「これが落ち着いていられれるか! 園の動力源がどっか行っちまったんだぞ!」
動力源……どこかで聞いた言葉だ。
なんだったか、重要なワードだったはずだけれど思い出せない。
「しかも人間なんぞが紛れ込みやがった。この大変な時にだ!」
「まあまあ。そんな時だからこそ落ち着くべきだと私は思いますがねえ」
低い声ががなり、高い声がそれをなだめている。
「だいたいどこから忍び込んだんだこいつは! このパークの入場ゲートはザルか!? 馬鹿どもが、仕事しろ!」
「最近園の近くに怪しげな者どもが出没していると聞きます。あるいはその一味かもしれませんな」
「ならお前らグンタイインコの管轄だろうが! サボってるんなら焼き鳥にして食っちまうぞ! っつーかテメエもいつまでも寝てんじゃねえ!」
「うぶっ!」
顔に衝撃が弾けて真尋は転がった。
目が覚める。
顔を上げると応接室か社長室かといった雰囲気の部屋だった。そう感じるのは高そうな敷物やソファのせいか。パイプが蛇のように這いまわる壁には絵画もあった。城の絵……と思ったがよく見ると描いているのはもっと広い、遊園地の風景画のようだ。隣に標語が貼り出されている。『働かざる者死ね』。
「こ、ここは……」
「訊くな! 質問するのはこっちだ!」
声の方を見ると、大男と、その肩に鳥が止まっていた。
本当に大きい男だった。見上げるほど、もしかしたら身長は二メートル以上あるかもしれない。頭から一本、歪な形の角が飛び出ている。
鬼だ。その鬼が目の前まで来て、見下ろしてきた。
「お前、何者だ」
身の危険を感じた。
返答次第ではただで済まない気配がビンビンだった。
「あ……えええええっと、ま、迷子です」
沈黙。
それからふぅ……というため息。
「殺すか」
「いっ……!」
「まあまあ」
口を挟んだのは鬼の肩の大型の鳥だった。もふもふの羽毛に大きな鉤状のくちばし。
先ほどの高い声は彼のものだったらしい。
「そんなに焦って殺すこともありますまい。どうやって忍び込んだのかを聞くまでは生かしておく価値はあると思いませんか? もしかしたら消えた動力源の行方はこの少年が知っているかもしれませんぞ?」
「ううむ……」
鬼は首元を直した。その時ようやく気づいたが、彼が来ているのは上等そうなスーツだった。しわひとつない真っ白なシャツと蝶ネクタイ。革靴も磨き上げられてぴかぴかだ。
舌打ちの音。
「仕方ねえ。ただし、妙な気を起こしたら命はないものと思え」
「は、はい……」
他にどうしようもなくうなずく。
鬼はふんと鼻を鳴らしてから再び口を開いた。
「じゃあもう一度聞く。お前は何者だ」
「な、名前は、工藤真尋です……」
「マヒロ……へえ。どうやってこの園に入ってきた。仲間はいるか?」
「それは……自分でも分かりません。仲間はいないです」
いたこともありません。心の中で付け加える。
「チッ。とぼけやがって。なら最後の質問だ。この園の動力源を知らないか? 白くて光る、大きな石なんだが」
「……」
「よく考えて正直に答えろよ。返事次第では……分かってるよな?」
動力源の白い石。
真尋が触ったら消えてしまったあの不思議な石。
素直に言えば、殺される気がした。
だが、素直に言わなくても、それはそれでひどい目にあうのは間違いない。
「っ……」
冷や汗が垂れてくる。
鬼の鋭い視線。
沈黙が耳に痛い。息が詰まる。
真尋は答えに困ってつばをのんだ。
「時間切れだ」
はっと顔を上げる。
その瞬間に胸倉をつかみあげられた。
「うぐ……」
「俺ははっきりしない答えしか返せない奴は嫌いだ。持ってる答えを隠す奴もな。まあ、それを責める気はないさ。だがあの世で後悔しろ。死ね」
鬼の手の爪が鋭く光った。切っ先がこちらの喉を狙っている。
真尋は強く目をつぶった。
「大佐ー。大佐ー。どこー?」
張りつめた空気に異物が紛れ込んだのはその時だった。
「あ、いた。大佐!」
パタパタパタパタ。トン。
「大佐、大佐。報告、報告!」
「……二等兵一号君。いつも思うんだが君はどうして私に敬語を使わないのかな」
「シンアイの情!」
「軍隊にそういうのはいらないと思うんだよ」
急に空気がゆるんだのを感じて、真尋は恐る恐る目を開けた。
「大佐殿に! 敬礼!」
「取って付けたように」
鬼の肩に鳥が一羽増えていた。
最初の大きいのに比べると半分以下しかない小鳥だ。
背筋をピッとそらして、大きい方の鳥に胸を張っている。
「ま、いいか。それで報告とは何だね?」
「ちょっと待って! 思い出すまで!」
「……なるべく早く頼むよ」
「あ!」
「思い出したかね?」
「もうちょっと!」
「支配人が怒りださないうちに思い出すんだよ」
「がんばる!」
右肩でさえずられている鬼はすでにぷるぷると震えはじめていたけれど。
「思い出した! 二号が外で年間パスを落としちゃったって!」
「そうかね。それはよくないね」
「三号もだって!」
「もっとよくないね」
「実は僕も落とした!」
「反省しなさい」
「うん、がんばる!」
「それは頑張るものじゃないねえ」
「ちょっと待てお前ら!」
どすん、と。
放り出されて真尋は床に落ちた。
「この! クソインコ! まさかテメエの落としたパスでこのガキが園に忍び込んだんじゃねえだろうな!」
「ぐえー」
見上げると小鳥が鬼につかまれている。
「答えろ! どうなんだ! ええ!?」
「ぐえー」
「落ち着きましょう、支配人。答えられるものも答えられません」
「これが落ち着いていられるかあああああ!」
大音声に真尋は耳をふさぐ。
鬼はひとしきり叫ぶと、ぜえはあと小鳥を放した。ぽとりと床に落ちる。
何事もなかったかのようによじよじと鬼の肩に戻ると、やはり何事もなかったかのように首を傾げた。
「わかんない」
「まあそれはそうだろうな。支配人、訊く相手はこの少年ですよ」
「分かってる……おいガキ、お前、年間パスでここに忍び込んだのか? カードだ。分かるか? これくらいの大きさの」
知らない。
首を振ると、鬼はまた舌打ちした。
「くそ、めんどくせえ。もう殺しちまってもいいんじゃねえか?」
「ぼ、僕、本当に自分でもどうしてここにいるか分からないんです」
「あ?」
「あ、その、いや、だから、気が付いたらいつの間にかここにいたっていうか。ここ、遊園地ですよね……さっきの」
立ち上がりながら訊く。
はいともいいえとも答えはなかったが、とりあえず雰囲気的に肯定と感じた。
「だったらそういうことです。目が覚めたら、みたいな。はい……」
沈黙。
「ほほう」
大きな鳥の声。
「ほぉ」
鬼の声。
「ぴょろろろろ」
あとなんか小鳥がさえずる声。
「え、えっと……」
真尋は、なにやら場の空気が妙な方向に変化したのを感じ取った。
「どう思う、大佐」
「議論の余地なしですな」
「ぴょろろろろぴょろろろろ」
「え、え? え……?」
鬼がゆっくりと迫ってくる。
本当にゆっくりと。死を引きずる緩慢な歩みで。
右拳を引き絞るように振り上げる。
「覚悟しろクソガキ」
「な、なんで……!」
「俺はクソみたいな嘘をつく奴も大っ嫌いなんだよ!」
「嘘じゃ……」
ないのに!
喉が詰まってその言葉は出なかった。
「ぴょろろろろろろ……あ! 大佐!」
その空気を乱したのは、やっぱり小鳥だった。
「……なんだね二等兵一号君。今すごく大事なところなんだが」
「僕も大事な用事! 聞く?」
「うーん、そうだね。せっかくだから聞いておこうか」
鬼は腕を振り上げた格好のまま、真っ赤な顔でぷるぷる震える。既視感。
「お前ら……できるだけ早くすませろ」
「痛み入ります。で?」
「うん! こいつ! 動力源!」
「うん?」
「は?」
鬼と大きな鳥の顔に疑問符が浮かぶ。
「だから、こいつ、動力源! 鈍い!」
小鳥が翼で示す先は、真尋だった。
「え? 僕……?」
「どういうことだ?」
鬼の声が低くなる。
小鳥はその肩から飛び立つと離れた本棚の上に飛んで行って止まった。
「今日の見回り当番、四号! 動力室も見てた! こいつ部屋から出ていった! 四号部屋見た! 石、なかった! ぴょろろろろろろ!」
「なんだと!」
がっ! と喉をつかまれた。
真尋は必死にその腕にかしがみついた。びくともしない、が、つかまらないと首一本に体重がかかる。
「やっぱりこいつ、盗んだんじゃねえか!」
「いや、しかしどこに隠したというんです? あれだけの大きさです、そう簡単に持ち出せるものでもありますまい」
「それは…………まさか!」
鬼は真尋をつるし上げたまま腹へともう一方の手をかざした。
その位置からゆっくりと熱感が生じ……それから鈍い痛みを発した。
「ぐ……づっ……!」
「やっぱりだ! こいつ、体内に吸収してやがる!」
「なんですと?」
「チッ!」
鬼は真尋をぶん投げた。
ソファにうまく受け止められたが、そうでなければ大怪我をしていただろう。
「どういうことです、支配人?」
「こいつの中に動力源があるんだ。一体化しちまってる」
「それでは?」
「引き裂いてでも取り出す!」
「お待ちを! それでは動力源が破損してしまうかもしれません!」
「っ……」
ソファで目を回したまま、それでも事の成り行きが不穏であることは察していた。
引き裂く? そんな……冗談じゃない。
「ま、待って……助けて……」
かすれた声は声にならない。
「ならどうすりゃあいい!? こいつが石を産み落とすのを待てとでもいうのか!」
「どう見ても鳥ではありませんからな、無理でしょう」
「ああそうだろうよ! なら吐き出させるか? 逆さに振りゃあ出てくるっつーのか!?」
「無理でしょうな。鳥ではありませんし」
「テメエ真面目か!」
「助けて!」
怒り狂った声の、その隙間にちょうどはまるようにして真尋の声が響いた。
鬼の目がぎろりとこちらを向く。
真尋はその恐ろしい視線にさらされながら、それでも何とか声を絞り出した。
「助けて……殺さないで。お願いです……なんでもしますから……」
「……ハッ」
鬼は鼻で笑って一蹴した。
「そうかい。なんでもするかい。なら今すぐ動力源をケツの穴からひりだしな。んでとっとと死にさらせ!」
「む、無理です、僕にもどうしてこんなことになったのか分かりません……返せるものならすぐに返します。でも方法なんて……無理なんです!」
「ああくそぉ!」
鬼が頭を抱えた、その時だった。
「働かせれば?」
そう言ったのは小鳥だった。
高い本棚の上から静かにさえずる。
「働かせるの、いいと思う。どうせすぐには取り出せない」
「働かせる? だと?」
「なるほど……」
うなったのは大きい方の鳥だ。
「破損の危険をおかして取り出すにしろ別の方法をとるにしろ、考える時間は必要です。その時間はこの少年はここに留め置くことになる。どうせ留め置くならいっそのこと労働力として使ってしまおう、二等兵はそう言っているのです」
「大佐えらいー」
「一応私は君の上官なんだがね……」
鬼はしばらく計算するように考え込んだ。
「……働かせる必要はあるか? 留置するだけならどこかに監禁しておけばいい」
「この少年の健康を損なえば動力源へどう影響するかわかりません。精神面でも身体面でも状態を安定させておくべきと考えます」
「ふうむ……」
「後はこの少年の意思次第、ですが」
三つの視線が集まって静かに集まってきたのを感じ、真尋はソファから起き上がった。
これはチャンスだ。直感した。天から垂らされた生き残るための最後の糸だ。
叫ぶ。
思いのほか大きな声が出た。
「働きます! 働かせてください!」
鬼と鳥が顔を見合わせた。
「……よし、分かった。いいだろう。ここで働かせてやる」
うなずいて言う。
「だが」
「……?」
次の瞬間、鬼の右腕が目にもとまらぬ速さで真尋の腹を貫いた。
「ぶッ……!」
「一応だ。保険だけはかけさせてもらうぞ」
腕はすぐに引き抜かれた。真尋は膝から崩れ落ちた。
慌てて腹を押さえる。血があふれたら失血死してしまう。
馬鹿らしいことだった。腹に風穴を開けられたのならもう助かるわけがない。
それでも必死で穴をふさごうとする手が、ぬめって滑る。寒い……いや。
「…………あれ?」
腹に穴は開いていなかった。
「お前に呪いを仕込んだ。この遊園地から一歩でも外に出たら、お前は爆散して死ぬ」
「え……」
「変な気は起こすなよ。血の噴水をブチ上げたくなけりゃあな」
絶句する真尋に鬼は背を向けた。
「っつーことで。せいぜい励めよ」
膝をついたまま真尋は呆然と震えた。
もう寒くはない。それでもただどうしようもなく震えた。
「ところでなんでお前はそんなとこにいるんだ?」
「怒られると思ったからー!」
「ああそうだな、そうだった! テメエ年間パス! 侵入者の報告も! 怠慢か!」
騒ぐ声もどこか遠くのことのように思えた。