13.上がれ!
緊張にぎこちない足取りのまま城の外に出る。
顔に風が触れると同時、頭上を小鳥が飛び過ぎていった。
「開園! かいえーん! 営業開始だよ! ぴょろろろろろろろろ! 二等兵からのお知らせでした! 二号でっす!」
さえずりが聞こえなくなったところでリオが深くため息をつく。
「はあああ……怖かったです……」
「僕も。なんかどっと疲れた……」
肩を落として真尋もうなずく。
みぞおちのあたりになにやら鈍い痛みがあった。この歳で胃潰瘍とかならなければいいけど、と不安がよぎる。
「足がまだ震えてます。本当、二人まとめて引き裂かれちゃうかと思いました……」
「……巻き込んじゃってごめん」
「それは謝らないでくださいよ。っていうか謝られても困ります。ボクが自分から巻き込まれたんですから」
むぅ、と口をとがらせてリオ。
「それに結局は生き残ることができました。たとえその時死にそうだったとしても、最終的には死なずにすんだんだからまだ一緒に働くことができます。それが現実で、今一番大事なことです」
「君は……なんていうかすごいね」
真尋はしみじみとリオを見つめた。
彼女の真っ直ぐさがなんだか眩しく感じられて、自然と目が細まる。
リオは少しはにかんだ。
「いつもはこんなこと言えないです。言わせるマヒロさんは不思議な人です」
「言わせてないよ?」
「自然と、ですねえ」
リオはくすくすと笑う。
「とりあえず、これからもよろしくお願いしますね、マヒロさん」
「うん、よろしく、リオ」
◆◇◆
城の裏手から表の通りに出ると、開園直後にもかかわらず今日も園はなかなかの混み具合だった。朝の空気の中、動き始めたアトラクションにはすでに人の列ができ始めている。
道を歩きながら真尋はリオに訊ねた。
「そういえば今日のリオのスケジュールはどうだっけ?」
「コンサートですか? 担当は最終の一本だけですね」
顔を曇らせてリオが言う。
伏せ気味の大きな瞳を見ながら真尋は首を傾げた。
「どうしたの?」
「どうしたのって……気まずいですよ。ココさんたちの面目を潰してしまったんですから」
「ああなるほど……」
生き延びられた安堵ですっかり忘れていたけれど、その成功は人を押しのけて得たものなのだった。
「なんか嫌がらせでもされた?」
おそるおそる訊くと、リオは首を振った。
「そういうのはないです、けど。やっぱり空気が……」
ココとメイル以外のスタッフはおおむね好意的に迎えてくれたらしい。好き勝手やっていたメイルたちに不満を持っていたものにとってはよくぞやってくれた、という気分なのだろう。
ただそれでも、いやそれだからこそと言った方がいいか、リオにとっては居づらい空気になりつつあるのだった。
「そっか……」
「あ、でもマヒロさんは気にしないでくださいよ? そこまでじゃないです。少し気になるってだけですから。我慢できないほどじゃありません」
早口に言って、それよりも、とやや強引にリオは話を変えた。
「マヒロさんは一日でも早くここから脱出するための方法を考えなければいけませんね」
「え?」
訊き返した真尋に、リオがびっくりした顔をする。
「まさかここにずっといるつもりなんですか?」
「いや、それはないけど……」
「真剣に考えないと駄目ですよ。今回は何とか八つ裂きを免れましたけど、明日はどうなるかなんてわからないんですから。支配人の気が変わるかもしれません。あるいは動力をマヒロさんから分離する方法が見つかってしまうかもしれません!」
「わ、分かってるって」
詰め寄ってくるリオに思わず後ずさる。
「分かってるなら早くなんとかしないとですよ」
言いながらなぜかしおしおと肩を落としてリオはうつむいた。
「マヒロさんは帰ってしまうんですねえ……」
「それは、気が早いような……まだなんの手がかりもないのに」
困惑したまま真尋は頭をかく。
「まだまだここには長くいることになるんじゃないかな。多分」
「……なんかすみません」
「僕こそごめん」
リオは不思議そうな顔をした。
「何がですか?」
「……なんだろ。僕も分からないや」
真尋は眉根を寄せて空を見上げた。
「他人に別れを惜しまれるのなんて初めてだからびっくりしたのかな」
「? お別れしたことないんですか?」
リオには分からなかったようだった。
真尋は曖昧に笑って話を元のところまで戻した。
「まあ、となると、どうやって呪いを解くかが問題だよねえ……」
「それをクリアしないと逃げられませんもんね」
難しい顔でリオが顎に手を当てる。
「支配人に呪われてしまった人がそれを解いたって話は聞いたことがありません。かなり強固な呪法みたいです。支配人も優れた魔族ですからそれを上回る優秀な使い手じゃないと解呪は難しい……」
「なんとかならないのかな」
「心当たりのあるところは一応回ってみようと思います。でも、あまり期待はしないでおいてください」
「うん、分かった……」
「なにか他にいい手があればいいんですけど……あ」
リオが不意に顔を上げた。
何か思いついたのかと思ったがそうではないらしい。
その視線を追うと女性型モンスターが一人、慌てた様子で声を張り上げていた。
「エマ……エマ! どこにいるの!?」
迷子か。
一瞬ためらうも、リオが一歩前に出る。
こちらの視線に気づいて彼女は硬い表情で笑った。
「スタッフなので。マヒロさんも一緒ですし」
それから女性のもとへと走る。
真尋もその後に続いた。
「大丈夫ですか?」
「娘が……」
女性が言葉を詰まらせる。
「安心してください。迷子センターにご案内しますよ」
リオが言うが、母親は慌てたままだった。
「ここではぐれたんです。ついさっき……」
「安心してください。スタッフが絶対に探し出しますので」
「やんちゃな子なんです! 放っておくと何するか分からないのに! どうか無事に見つけてください、お願いします!」
「だ、大丈夫ですから」
まずい……と真尋は思った。
早くもリオにも焦りが伝染し始めている。
なんとか二人を落ち着かせなければならないが、特に良い手も思いつかない。
(どこかに……)
見回す。
はぐれた子供がいないかと思ったのだ。
ついさっきはぐれたと言っていた。
「お子さんの特徴は何かありますか?」
「え?」
女性は一瞬呆気にとられたが、すぐに真剣な顔になった。
「ハーピィ族です。十歳になりましたが体が弱くてまだ飛べません。赤い帽子と黒い鞄。風船を持っているはずです……」
「ありがとうございます」
それに当てはまる子供は見当たらない。
近くにはもういないのか、と思うが体が弱いということだった。
短時間にそう遠くへ行くことはないんじゃないだろうか。
(ハーピィ族……飛ぶ……)
視線を何気なく空に向けた時だった。
「……あ」
いた。
脱げかけた赤い帽子に黒い背負い鞄の子供が。
遊園地の中心部を占める大きな湖の岸に生えた高い木の上に。
枝の先に引っかかった風船へと、手を伸ばしているところだった。
「エマ!」
同じく気づいた母親が悲鳴を上げた。
だが木は道の柵の向こうだ。距離がある。
子供はこちらに気づかず、そのままさらに前に身を乗り出す。
その手が風船のひもをつかんで――湖に落ちた。
「ああ!」
立ちすくむ母親の横を飛び出してリオと真尋は走った。
柵をひとっ跳びするリオに置いて行かれながらも湖岸にたどり着く。
「あの子は!?」
「どこにも見えないです!」
浮いてきていないのか。
嫌な予感が頭をよぎる。
娘は体が弱い……
どうする?
どうすればいい?
どうすればあの子は助かる?
頭の中にいくつも声が弾けて、だが最終的にこの言葉だけが残った。
こうすればいい!
「上がれ!」
真尋が腕を振り上げるのと同時に湖の水が弾けた。
噴水のように水柱が立ち上がる。
上には水の勢いに支えられるようにしてぽかんとした様子の子供。
びしょぬれではあるが怪我などはないようだ。
「エマ!」
飛び立った母親が水柱から娘を抱きとめる。
「大丈夫……?」
子供は心配そうな顔の母親を見上げ、軽く顔をしかめた。
「風船なくなっちゃった……」