10.無茶したね
四日がたった。
この遊園地に来てから六日目の朝だ。
真尋は憂鬱な気分で野外ステージに向かった。
もう残すところあと一日しかない。それを過ぎれば支配人に八つ裂きにされてしまう。早く何か手を打たないとならないが、今のところいい案は何も浮かんでいない。
(メイルさんのステージ独占をやめさせて、かつ人を呼ぶ方法……)
サリーたちに会った日からずっと頭を悩ませている。
いい加減頭痛がひどかった。
文化祭実行委員でもこんなにきりきりと追い詰められた気分は味わったことがない。
ここ数日間の焦りはそのままリオに伝染してしまったらしく、彼女までそわそわと落ち着かない様子だった。
結局焦りだけが空回りする。
ため息をついて舞台裏の扉に手をかけた、その時だった。
戸の向こうから何かを言い争う声が聞こえた。
「あんたあたしのやり方に文句があるってわけ?」
ココだ。
いつものドスの利いた低い声。
そっと扉の隙間からのぞくと、彼女が腰に手を当てて相手をにらみ上げていた。
「そ、そんな、文句なんて……」
泣きそうな声で言ったのはリオだ。
ココのガンつけにすっかり怯えた顔をしている。
「ボクはただ、この部門のことを考えて……」
「へえ! そりゃ結構なことじゃない。雑用さまがありがたーいお言葉がもらえるって? 楽しみすぎて反吐が出そうだわ」
舞台裏には他のスタッフも数名いる。
言い合いに混じってくることはなく、むしろ努めて無視しようとしているようだったが、時折誘惑に負けてチラチラと視線をよこしている。
「そんなんじゃ……ただ、今のままじゃお客さまだって入ってこないし部門としてやっていけないって……」
「やっていける。やっていけてる。見て分からない?」
ココはすげなく切って捨てた。
羽音が不機嫌に低くうなりを上げている。
周りをさっと手で示して続けた。
「ここはメイルで持ってんのよ。あんただって知ってるでしょ」
「でも……」
「でもじゃない」
「でも!」
ココの威圧にもリオは引き下がらなかった。
逆にココの方が気圧されて後ろに引く。
「ココさんだって知ってるじゃないですか! メイルさんはお客さまを呼べてない。多分これからだって呼べません。それでもステージを独り占めしてるのはメイルさんの家がお金を落としてくれるからです!」
「……やめな」
ココの声が一気に危険域まで温度を落とす。
今までも恐ろしい声音だったのが、鼓膜に切り傷が入りそうなほどの鋭さが加わった。
だが、リオは続ける。その足はとよく見ると、小さく震えている。
「やめません! 何とかすべきなんです。何とかなってるのは今のうちだけです。そのうちメンバーが減らされますよ。メイルさんがいればそれだけでいいんですから。その前にメンバーの方からやめていくかもしれません。真っ当に評価されない場所で続けていく人なんていません。分かるでしょう!?」
「もういい!」
ココがいきなりこちらを指さしたのでぎょっとした。
出口を指しているだけだということにはすぐに気づいたが、心臓がひっくり返ったような気がした。
「出ていきな。あんたみたいな奴は必要ない。クビだ」
「でも」
「いいから出てけ! もう話すことなんてないよ」
リオはまだ食い下がろうとしたらしい。飛び去るココの背中を追って足を踏み出した。
が、それとちょうど同時だっただろうか。
「オデ……」
「いっ!?」
低く響く声が背後から聞こえて、真尋は思わず飛びあがった。
また心臓がひっくり返るような気分。
振り返ると、そこにメイルがいる。
「オデ……」
メイルはそう繰り返すと真尋の脇を抜け、扉を開けて部屋へと踏み込んだ。
「あ……」
リオとココの目が同時にこちらを向く。
メイルと真尋を順に見て、息をのむ。
「聞いてたのか……?」
「オデ、許可スル」
メイルはココの言葉を無視して言った。
「許可?」
「リオ、ステージ、使ウ、許ス」
リオがステージを使うことを許可するということらしい。
「明日、貸ス。好キニ、使ウ」
「な、なんで……?」
動揺するリオに、相変わらずのぼんやりした目が向いた。
「オデ……」
その目が宙をさまよい、そこに言葉を探す。
しばらくしてようやく掴んだらしい言葉を、彼女はぎこちなく並べた。
「オデ、客、呼ベナイ、リオ言ッタ」
「そ、それは……」
「オデ、思ウ。ナラ、オマエ、ヤレ」
そう言うと、メイルは踵を返してのっしりのっしりと去っていった。
「怒った……のかな」
つぶやく。
舌打ちの音が聞こえた。
「余計なことを……」
ココは苦々しく言って扉を押し開ける。
「あたしは知らないからな。あいつの機嫌を損ねたら終わりだぞ」
彼女が飛び去った後に残されたリオと真尋は、呆然と顔を見合わせた。
◆◇◆
客席にリオと並んで腰かけた。
見上げると曇り空。
次のコンサートまで間があるため、エリアには人気がなくがらんとした空気だけがあった。
二人ともしばらくは何も言わなかった。
リオは沈んだ表情でうつむいているし、声をかけづらい。真尋は馬鹿みたいにぼけっと空を眺め続けた。
「ごめんなさい」
ふいにリオがつぶやいた。
真尋はきょとんとその横顔に視線を落とした。
「なんで謝るの?」
見やる先で、彼女は両手で顔を覆う。
「焦って失敗しました。メイルさんを怒らせちゃダメだったのに……」
「でも、言ってることは間違ってなかったと思うけど」
「間違ってなくても、これじゃあ意味ないです。どうしよう……お客さんを集められない」
ようやく鈍い真尋の頭でもリオが何を言っているのか飲みこめた。
「もしかして、僕のために頑張ってくれたの?」
「…………」
ややあってからリオはこくんとうなずいた。
「もっとうまくやるべきでした。慎重に準備や根回しをして、それから話を通すべきだったんです。なのに台無しにしてしまいました……もうマヒロさんが結果を出すなんて無理です」
リオの目に涙が浮かぶのを、真尋は不思議なものを見るような気分で眺めた。
「君はなんでそんなに僕によくしてくれるの?」
前も訊ねたことだ。それをもう一度訊く。
疑問だった。
ついこの間あったばかりの他人なのに。
この人はなんでここまで自分に親身なのか。
「マヒロさんは他人の気がしないんですよ」
前と同じ言葉でリオは答えた。
「一緒にいるとなんでか分からないけど勇気が出ます。初めて会った時、今までの臆病なボクだったら怪しい人を逃がすなんてことは考えなかったと思います。それができたのは怪しい人じゃなくてマヒロさんだったから。助けなきゃって思ったから」
涙を拭いてリオは小さく笑った。
「あの時、こんなボクでも変われるのかなって、そう思いました」
真尋はその笑顔に胸がつぶれそうになるのを感じた。
それはもうその言葉が過去のものだったからだ。
彼女を変える未来はもう来ない。
諦めの響きがその声にはあった。
リオはふうとため息をついて立ち上がる。
「メイルさんたちにも謝ってきます。一生懸命謝ればもしかしたら許してくれるかも。そしたら、二人でもう一度代わりの案を考えましょう。まだあと一日あります」
「待って」
その声は無意識に口から飛び出た。
真尋は自分がリオの手を取って立ち上がっていることに気づいた。
リオが不思議そうな目でこちらを見ている。
自分は何を言おうとしたんだろう。
分からない。
「やろうよ」
「え?」
口だけが勝手に動いた。
「まだ、諦めるには早いよ。せっかく明日の一枠をもらえたんじゃないか。これを使わない手はないって」
「でも……」
「どうせ明日が終われば僕は八つ裂きだ。なら生かせる機会はすべて生かさないと。違う?」
それでもリオは迷ったようだった。
瞳に躊躇の色が浮かんでいる。
その目を真っ直ぐに見ながら真尋は最後に言った。
「僕も、リオといると勇気が出る。リオと頑張りたい」
ひゅ、とリオが小さく息を吸った。
その頬が薄く赤らんだように見えた。