1.愛犬を探して
「ジョン、ジョン」
真尋はその日、いなくなった飼い犬の名前を呼びながら通りを歩いていた。
厚い雲で陰った住宅街だ。
時折遠くからかすかに鳥の鳴き声が聞こえる。
だが基本的には静かで、野良猫の姿さえ見当たらなかった。
ゴールデンレトリバーのジョン。
小型犬にも怯んで尻尾を巻くほど気の小さい犬。
一昨日家からいなくなって、今はきっと心細い思いをしているに違いなかった。
世の中はトゲトゲしたものであふれていて、可哀想なジョンはそれらに威嚇されていつも体を縮こまらせている。
真尋はジョンのおどおどした様子を見るたびそんなことを考える。
ジョンの気持ちは痛いほど分かる。真尋もまたそのトゲトゲしたものに怯えているからだ。
世の中は怖いものだらけ。学校での陰口、ひそひそ笑う声。文化祭実行委員を押しつけられたことや、連絡係もできないのかよ使えねえなこいつと暗になじる目つき。
そんなあれこれに心が痛むとき、ジョンを撫でていると気持ちが少し落ち着くのだった。
だから、どうしても見つけて連れて帰りたい。
ジョン、お腹を空かせてないといいけど……と真尋はうつむく。
歩いているうちに街のはずれに出ていた。
開けた土地だ。工場やそれに連なる大型タンクが道路わきにあり、進むにつれて行く手に観覧車が見えてくる。ジェットコースターのくねくねとしたコースもだ。
それは何年か前に閉園した遊園地だった。
「懐かしいな……」
小さい頃はよくここに連れてきてもらっていた。ここに来るのがその頃一番の楽しみで、無理に両親にねだって困らせたことも一度や二度ではない。近くに来るだけでも楽しかったので、ジョンと一緒に散歩のついでに寄ることも多かった。ジョンもこの散歩コースのときは心なしかいつもより元気に見えた。
閉園してからはこの付近に立ち寄ることも少なくなった。
外周のフェンスに近づいて中を覗く。
閑散とした道が向こうまで続いている。
無人の園内には乾いた風が吹いて無性に寂しげだった。
紙くずが転がっていくのが見えて、ただでさえよくない気分がなおさらに重くなるのを感じた。
憂鬱な気持ちを振り払って踵を返す。
が、その時、真尋は視界の隅に淡い金色の尻尾が見えた気がして足を止めた。
「ジョン……?」
振り向いて目を凝らすが中に動くものの姿はない。
気のせいか……とため息をつくと同時、今度はワン、と犬の鳴き声が聞こえたように思った。
ただの勘違いかもしれない。こんなところに犬なんているわけがない。
でも何かが見えて、多分声も聞こえたならもしかしたらということも……
思ったのと同時、フェンスが壊れて隙間が空いているのが目に入った。
体が動いた。フェンスの間から体をねじ込んで中に入る。
そして犬の影が見えたと思った方向へと駆け出した。
広場に出る。動かなくなったメリーゴーランドが目に入る。
「ジョン!」
また視界の隅に金色の何かが横切る。そちらを見ると洋館風の建物があって、入り口の扉がわずかに開いていた。
「ジョン! 待って!」
反射的に飛び込むと、そこにあったのは薄暗いエントランスホールだけだった。
二階への階段と奥へと続く廊下の暗がり。何者かが息を殺してこちらを見ているような気配がした。
真尋はここにきてようやく我に返った。
「ジョン……?」
後ずさる。
こんなところにジョンがいるのか?
こんな不気味な場所にあの臆病なジョンが。
あり得ない。
その時、背後からピスピスと甲高い音がした。犬を飼っている人間にはなじみのものだ。犬が心細い時なんかに鼻を鳴らす音だった。
「ジョ――」
真尋は歓声を上げかけながら振り向いた。
だがそこにうずくまっていたのは黒々とした影だけだった。
「あ……!」
その影に飛びかかられて、悲鳴を上げる間もなく真尋は意識を失った。