第一章・磯鶴高校船釣り部・その一
「今日の部活は五目釣りだ!」
日曜は渕沼小夜理が家の手伝いで学校に来るのが遅く、午後二時からのスタートです。
釣り研究部の四人は学校の敷地内にある堤防に集まって、釣り支度にかかりました。
今回からは稲庭兄妹も麦藁帽子と救命具を着用しています。
風子は歩や小夜理と同じウエストタイプのラフトエアジャケットで、色はピンク。
八尋は青い磯釣り用のフローティングベストを着ていました。
痛めた左肘は、転校からの二週間ですっかりよくなって、サポーターも外されています。
「これが胴突き仕掛けだ!」
釣り研究部の部長、日暮坂歩フォレーレが段ボール片に巻いた糸を解すと、何本も枝分かれした仕掛けが現れました。
枝先にはそれぞれ鈎がついています。
「こっちを竿側の糸に装着して……間違ぇて逆につけちまっても問題ねぇ」
仕掛けの両端にはスナップと呼ばれる安全ピンのような接続金具があるので、道糸(リールから出ている糸)の先端を投げ縄状のチチワ結びにしておけば、簡単に繋げられます。
「で、こっちにゃオモリをつける」
仕掛けの反対側に、金属製の錘が取りつけられました。
「あとはエサをつけりゃ完成だ」
「おお~っ!」
パチパチパチパチ。
稲庭八尋の双子の姉、風子が面白がって手を叩きます。
「エサはなに使うの?」
八尋はゴカイ類などの虫餌を触れません。
「オキアミだ。もう解凍してある」
歩がエサ箱を開けると、二センチくらいのエビがたくさん入っていました。
箱は二重底になっていて、中の保冷剤で餌を冷却できる仕組みになっています。
「エサのつけ方は複数あるけど、今回はスタンダードだ。まず頭と尻尾の先を取って……」
一通りのレクチャーを終えると、風子には小夜理が、八尋には歩が二人羽織で教えながら仕掛けを装着します。
「さすがに臭いは残っちゃいねぇみてぇだな」
顔を寄せてクンクンと鼻を鳴らす歩。
「わあっ!」
お年頃の女子にホペチュー寸前まで近づかれて、八尋は恥ずかしさで思わず跳び退きました。
歩は昔の少年漫画の主人公を思わせる、キリリと凛々《りり》しい熱血眉毛をしていますが、ドイツ系クォーターで金髪碧眼、百七十センチの長身で巨乳の持ち主と、思春期真っ盛りの男児高校生には、ちょっとばかり刺激の強いルックスを装備しています。
言葉使いは乱暴でも美人は美人。
至近距離で吐息をかけられると、いくらお子様な八尋でもドキドキしてしまいます。
ただし八尋が【あっちの世界】で女体化すると、歩はたちまちセクハラ魔人へと変貌するので要注意。
こっちの世界でも、なにをきっかけに魔人化するか、わかったものではありません。
「だ、大丈夫だよ! 臭いは抜けてるから!」
先日【あっちの世界】でまともに喰らった、ババタレ(イスズミ)の排泄物の話です。
「夏場でよかったな。冬場のババタレは海藻食ってマジ臭ぇんだ」
「それはそうかもしれないけど、こっちに戻ったらノーカンでしょ⁉」
八尋たち蕃神は、海水を仮の肉体に変えて召喚されるので、こちらの世界にある本来の肉体へと帰還すれば、どんな頑固な汚れや臭いでも消えてしまいます。
「臭いはともかく、精神的なダメージはそうそう抜けねぇ」
臭すぎる糞を全身に浴びた八尋は、仏法僧の甲板で大泣きしています。
幸い、巫女服の袖で顔面だけは守れました。
「でもぼく、あの時すぐ帰っちゃったから……」
ショックと羞恥と悪臭の記憶は、戦線離脱の罪悪感で消し飛んでしまったようです。
「そうだったなぁ。俺たちゃ残りの悪樓を片づけて、ご馳走食ってきたけど」
八尋は泣いた直後、歩たち三人を残して消滅してしまいました。
もちろん元の世界に戻っただけなのですが、帰った八尋が部室小屋で再会した歩たちは、魔海対策局本部棟である元・温泉旅館の【なのりそ庵】で、ご馳走をたらふく食べて温泉とお泊り会を満喫したあとでした。
「釣りの途中で、しかも一人で帰っちまうたぁ前代未聞だって、タモさん頭抱えてたぜ」
【タモさん】は歩が玉網媛につけたアダ名です。
「ごめんなさい……」
「いや謝る事ぁねぇって。俺たちもクソ塗れな八尋の面倒なんて御免だしなぁ」
仏法僧の甲板に撒かれた大量の糞は、すぐに水兵さんたちがデッキブラシでお掃除しました。
大変な作業ですが、さすがはプロ。
あっという間に綺麗になりました。
「それに八尋が最初に釣ってくれたからこそ、俺たちゃアレを浴びずに済んだんだぜ?」
「ぼくがババをを引いちゃっただけじゃん!」
ババ(糞)だけに。
「いや、あのあと釣れたのは全部ババタレだった。計二十四尾だ」
人呼んで磯のピラニア。
磯釣り師にとっては最強最悪のエサ取りで、これが釣れると、その日その場所ではもうババタレしか釣れないといわれています。
「ええっ⁉ みんな大丈夫だったの⁉」
「甲板に落とすのをやめて、タモさんに引き上げてもらった」
悪樓を一部でも魔海から出せば、玉網媛の祝詞(民謡)と神楽舞で持ち上げて、強制的に宝珠へと変えて回収できるのです。
「いいなあ……」
八尋は玉網媛の神楽が大好きで、これを見るのが楽しみで悪樓釣りに行くようなものです。
「そうだ、お気に入りの巫女服が……」
専用に用意されたアジュールブルーの袴。
「もちろん焼却処分された」
「そんなあ……」
「巫女服は元々使い捨てで、終わったら毎回御焚上にされるんだ。予備はいくらでもあるから気にすんな」
御焚上とは、神社で古いお札やお守りを焼く神事で、お寺にも似たような行事があります。
「勿体ないなあ……」