終章・その一
「マジ⁉ あの姐さんが誘拐⁉」
「いやいや~、あの人ずっと八尋をジロジロ見てたよ~? 目つきがアブナイ人だったよ~?」
私立磯鶴高校釣り研究部のオンボロ部室小屋にて。
枕投げの最中に帰ってきた歩たちと同じ時間に戻ってきた八尋は、インスマス面の姫路先生を見送ったあとで、みんなに誘拐事件の話をしました。
秘密にしておいてもよかったのですが、どうやら大事件に発展していたようなので、どうせあとで知られると思っての判断です。
ただしベッドの上で抄網媛にホペチューされたり、くすぐられたり背筋をツツ~ッとされた件は、恥ずかしいので省略しました。
「なんか抄網さん、ぼくの神気がどうとかで、おかしくなってたみたい。こっちの世界でも変な事されるのって、それが原因なのかな?」
「さあなぁ。でも先々週のアレは異常だったからな。関係なくはねぇだろ」
クラスメイト全員が八尋をモフろうとパニックを起こした事件です。
「そういえば歩は、こちらの世界では八尋くんにセクハラしませんよね」
調理場で背中を向けている小夜理が会話に混ざりました。
風子は八尋の隣で、箸でお茶碗をチンチンさせながら料理の到着を待っています。
お行儀悪いです。
「釣りするたびに抱きしめられるんだけど⁉」
レクチャーを受ける時は、いつも二人羽織です。
「歩は誰に教えても、あんな感じですよ。私もよくやられました」
「男女問わず⁉」
「女子にしかやってねぇ!」
「ぼく男だよ⁉」
「そうだっけ? 忘れてた」
「歩さん酷すぎる!」
「忘れてた~」
「嘘だ! 姉ちゃんお風呂でぼくのアレ狙ってるもん!」
「そういえば釣り研に初心者の男子って、八尋くんが初めてでしたね」
この数年間で磯鶴高校釣り研究部の男子部員は、前の部長(三年生)ただ一人。
ただし前部長は受験で引退していて、部室小屋には滅多に顔を出しません。
新入りの八尋たちは顔も知りませんでした。
「目の前に海があるんだし、釣りなんて適当に道具揃えて一人で行けばいいんだもんなぁ」
「わざわざ部活で釣ろうなんて思いませんよね」
漁家・農家・サラリーマン家庭などの出身を問わず、男子生徒は子供の頃から釣りを嗜んでいるので、いまさら釣り系の部活に入る必要はありません。
そのせいか、釣り研究部や船釣り部に入ってくる生徒は、未経験者の女子ばかり。
そして昨年度の釣り研究部は新入生獲得に失敗して、二年生が不在。
三年生は受験で全員引退し、今年度は新設された船釣り部に部員を奪われて、残された一年生が二人っきりで寂しく活動していたら、稲庭姉弟がノコノコやってきたのでカモネギにしたという次第です。
「堤防釣りのブームが終わっちまったからなぁ」
「船釣りも落ち目ですよ。結構お金かかりますし」
バスフィッシングの爆発的ブームは遥か昔に終焉を迎え、いまは池の水を抜いての外来種根絶が流行しています。
「またブームこねぇかなぁ……」
お気に入りの釣り座は秘密にしておきたいところですが、周囲に同好の士がいないのは寂しいものです。
「釣りガールは流行りませんでしたね」
「だから【釣りたガール】にしときゃよかったんだ」
「それで喜ぶのは、お役人さんだけだと思いますよ」
なんだか雰囲気が重苦しくなってきたので、八尋は話題を変える事にしました。
「そういえば歩さん、堤防では目玉がグルグルしなかったね」
これが出ると、八尋を抱きしめたくて悪戯したくて辛抱堪らなくなります。
「あったりめえだろ。のべつ幕なしに発情してたまるか」
歩には自覚があったようです。
あっちの世界では女の子な八尋にグルグル。
こっちの世界では男の子な八尋にグルグルが出ないのに女子同様の二人羽織。
つまり歩は八尋を男として意識していない訳で……。
「そういえば~、さよちゃんはあっちじゃグルグルしないよね~」
「私までおかしくなったら、誰が愚長を止めるんですか」
「なるほど、だんだん法則性が見えてきたぞぉ……」
歩はあっちの世界でだけ目玉がグルグル。
小夜理はこっちの世界でだけ目玉がグルグル。
風子は耐性があるのかないのか、どっちの世界でもグルグル抜きでやりたい放題です。
「ぼくはどうしたら、どっちの世界でも変な事されなくなるの?」
「どうしようもねぇ。諦めろ」
「諦めろ~」
「そんなあ」
弥祖では巻網媛の提案でヒラシュモクザメの宝珠を使った対策が検討されていますが、実際にやってみないと効果のほどはわかりません。
「それはともかく、あの姐さんは危険だな。八尋はあまり近づくな」
「もう会わないと思うけど……」
「いや、あの国は神力持ちの皇族が足りてねぇ。なんだかんだで仏法僧に戻ってくると思うぜ」
「性犯罪者再び~!」
エッチな事をされた件は話していないのに、風子にはお見通しのようです。
「いざとなったら宝利が助けてくれるから大丈夫だって!」
「石壁ぶち抜いたんだっけ? 凄ぇよな」
「白馬の皇子様だね~」
「尊い無理しんどい……」
腐りきった風子と小夜理は純愛BL妄想に恍惚としています。
「そのうち告白されるんじゃね?」
歩はガタガタのテーブルに両手をついて八尋に迫りました。
「もしくは、いろいろすっ飛ばしてプロポーズとか」
「されたけど断ったよ!」
歩に吐息がかかるほど近づかれて、慌ててつい本当の事を喋ってしまいました。
「……………………マジか⁉」
さすがの歩も頬が真っ赤に染まります。
「鼻血出そう~」
「ああっ!」
小夜理が腐治の病でバッタリと昏倒しました。
「しまった……」
これだけは絶対に話したくなかったのに。
軽すぎる己の口を呪いたくなります。
「やべぇ俺まで腐りそうだ……」
「ガチムチ×TSナマモノベーコンレタスバーガーマジ尊いしにそう~」
風子は意味不明な呪文を口走っています。
「想いが通じていても決して結ばれない運命のカプ……これは底なし沼ですね」
小夜理は気絶しながら寝言で激しく発酵中。
「わあマキエ焦げてる焦げてる!」
黒煙を上げ始めたイシモチの塩焼きに飛びつく歩。
「腐ってる場合じゃねぇぞ! 起きろマキエ! おいってば!」
小夜理はすでに夢の中。
きっと宝利命と八尋(Ω)のラブシーンを、壁や天井になってウットリしながら眺めているに違いありません。
「ぶわっしゃ~っ!」
ついに風子が鼻血を噴出し、オンボロ椅子から転げ落ちました。
「リバは駄目だよ~、それは地雷だよ~」
風子の夢は転落のショックで逆カプになったようです。
「八尋は総受けじゃないと~。ああ~っ、支夏さんまで~!」
もはや誰が誰を攻めているのか、それとも受けなのかは永遠の謎。
せめて裏がない健全な夢をと願うばかりです。
「凄ぇ破壊力だ……こりゃ俺が片づけるしかねぇのか?」
倒れた小夜理の調理を引き継いで、歩は焦げかけの塩焼きをお皿に移してウミタナゴの煮つけを始めました。
「まともな料理は苦手なんだけどなぁ」
そういいながらも、歩の手つきは素早く的確です。
「あっ、ぼくご飯よそうよ!」
八尋は恥ずかしさで、じっとしていられなくなり、お手伝いを始めました。
「ついでに角皿も頼むぜ!」
腐り落ちている二人は放置です。




