第四章・ベッドの上でお勉強しよう(意味深)・その十三
「なんだか騒々《そうぞう》しくなってきたね」
砲声が聞こえたり城壁が崩れたりしているので、州海軍が何者かと交戦中なのは察している抄網媛ですが、まさか宝利命が単身で城内に乗り込んできたとは思いません。
「宝利だ! きっと宝利が助けにきたんだよ!」
でも八尋だけは信じていました。
無敵で正義のスーパーヒーローが、囚われの姫君(?)を救出にこない訳がありません。
「これは抱き心地を楽しんでる場合じゃないね。よし、急ごう」
狂気に巻かれて時間稼ぎをすっかり忘れ、目玉をグルグルさせつつ、八尋と既成事実を作りたい欲望に突き動かされる抄網媛が、着物の裾をはだけてシャツのボタンを外しました。
「いやちょっと待ってキャーッ!」
シャツの間から黒い乳押えがはみ出します。
「なんだ八尋くん、おっぱいは嫌いかい?」
乳押えはすぐ脱げるように作られているのか、前面に留め金がたくさんついています。
抄網媛はその留め金をプチプチと……。
「嫌いじゃないけど目の前で脱がれるのは生々しいよ!」
八尋は両手で顔を隠していますが、広げた指をどうしても閉じられません。
いまは女の子でも、中身は健全な思春期の男児高校生なのです。
「ほら、八尋くんのも見せてよ」
「うわーん助けて宝利―っ!」
「うーん、殿方が恋敵とは心外だなあ」
薄い胸を必死に守る、か細い両腕をかき分けて、抄網媛は指と尻尾でピアノを弾くように、優しく八尋を奏でます。
「うわひゃひゃひゃひゃ~~~~っ⁉ くすぐったいよやめてやめてやめてーっ!」
嫌がる八尋は俯せになり、座布団を抱えてダンゴムシのように体を丸めました。
「あっははははっ! 愛いねえ愛いねえ! じゃあ次はこっちを……」
今度は首筋から背筋にかけて、ツツツーッと指先を走らせます。
ゾクゾクゾクゾクッ!
「きゃううううううううぅぅぅぅ~~~~~~~~んっ!」
八尋はたちまち海岸に打ち上げられたクラゲみたいにグッタリしてしまいました。
「くぅーっ! 堪らないっ! 堪らないねえ! こんなに可愛らしい反応をする子は初めてだよ!」
調子に乗った抄網媛の魔手が、脱がしかけの浴衣を掴んだ瞬間……。
バコォッ!
石積みの壁からブロックが一つ飛び出しました。
ガコッ!
四角い大きな石が抄網媛の耳を翳めて、放物線を描かずに反対側の壁へと激突し、そこにあったブロックを弾き落とし、その穴にスッポリと収まります。
「ぬっ……近すぎたか?」
開いた穴から宝利命が顔を覗かせました。
「宝利!」
黒衣のマッチョ様がお姫様(?)を助けに現れたのです。
宝利の声を聞いた瞬間、フニャフニャになっていた八尋の全身に力が蘇り、表情がパッと明るくなりました。
「どうやら間に合うたようだな」
穴から宝利の顔が消えて……。
ドゴォッ!
寝台から少し離れた壁に大穴が開きました。
現れた宝利は、縛られ頭に大きなコブを作って気絶している支夏命を、酔っ払いの寿司折みたいに軽々とぶら下げています。
「話は兄上から聞いたぞ。男装して、いろいろとやらかしておったようだな」
「ようやく王子様のご登場かい? 州陸軍の警備はどうしたの?」
抄網媛は慌てず騒がず、着物から零れた胸を収納し、軽く衿を直してから八尋を抱き寄せました。
「吹き散らした。怪我人は出しておらぬ」
頭を打ってノビている支夏以外は。
「一人で?」
寝台の柱に隠していた西洋風の細剣を抜き出す抄網媛。
「うむ。城内に進入したのは吾輩のみだ」
「じゃあ宝利を倒せば終わりだね。こっちには八尋くんがいるし、簡単には負けないよ?」
細剣の刃が八尋の首筋に当てられます。
「人質にはならぬと思うが……?」
ぶら下げていた支夏をポイッと放り投げました。
「でも宝利は動けない」
切先が八尋から逸れて、宝利命に向けられます。
「妾の神力は宝利に遠く及ばないけど、一点に集中すれば障壁だって貫ける」
八尋はゾッとしました。
徒手空拳でも人間の上半身を消し飛ばせる神力を、細剣に乗せて突いたら、いくら宝利でもどうなるか……。
「やめてよ! 姉弟喧嘩に刃物なんてよくないよ!」
必死になって止める八尋ですが、二人の皇族は気にも留めません。
「なに構わぬ。思いきりやるといい」
宝利はズシズシと前進を始めました。
「おいちょっと止まれよ! こっちには人質が……」
抄網媛は気づきました。
小さくて可愛い八尋を傷つけるなど、例えお天道様が許しても抄網媛自身が許せません。
「なるほど、確かに人質にはならないね……」
もう一度細剣を八尋に向けようとして思い留まり、切先を宝利に向け直します。
「ならば八尋を離せばよい。いざ尋常に勝負と参ろう」
「……それもできない相談だなあ」
八尋の抱き心地がよすぎて手放せません。
「でも、それ以上進むと本当に刺すよ?」
宝利はもう目の前です。
「好きにせよ」
筋肉モリモリの足は止まりません。
切先がとうとう宝利の胸板に届きました。
「宝利⁉」
「ちょっと本当に刺すよ……って宝利硬すぎ!」
本気で殺す気がないとはいえ、切先が突き立っているのに血が出ていません。
細剣ごと宝利に押され、抄網媛が後ずさります。
「借りるぞ」
「ええっ⁉」
宝利は抄網媛の細剣を片手でヒョイと奪い取り、刀身を握ってちょっとコネコネすると、たちまちΩの形になりました。
映画のトリックに使う小道具に丁度よさそうです。
「そんなあっさり⁉」
抄網媛は開いた口が塞がりません。
「神力を集中させれば貫けるはずなのに!」
抄網媛はまだ宝利が神力で障壁を張っていると思っているようです。
その障壁を一点突破するために細剣を使ったのですが、まるで通用しませんでした。
「なるほど、気づいておらぬであったか……」
宝利のゴツい手が、抄網媛の頭頂部を捉えてギリギリと締め上げます。
「うわ痛い痛い痛い痛いよ宝利!」
重機のような手に掴まれてプラ~ンとぶら下がりました。
「宝利ぃ~~~~っ!」
抄網媛の魔手から解放された八尋が、宝利の腰に抱きつきます。
「むっ……ぬおっ⁉」
浴衣がはだけているのを見て硬直する宝利。
「ごぉほんっ! むうっ……八尋は他の蕃神様とは少々性質が異なるらしい。己の神力が吸われておるのに気づかぬとは、姉上も落ちたものよ」
ムラムラを筋肉と根性で無理矢理抑えて会話を進めます。
抱きつかれていなかったら、八尋の痴態に激昂し、抄網媛の頭を林檎のように握り潰していたかもしれません。
「ええっ⁉ だったら宝利も神力使えないはずじゃん!」
抄網媛は頸が外れないよう、必死になって宝利の腕にしがみついています。
「うむ、まるで使えぬ訳でもないが……いまは用いておらぬぞ?」
「こいつばけもんだー!」
壁に嵌っていた石のブロックは、拳一つと僅かな神力でぶち抜いたものです。
次に開けた大穴は、八尋から離れていたので神力で簡単に壊せましたが、そこから先は宝利自身の筋力しか使っていません。
当然ながら、いま抄網媛を掴み上げている左手にも。
「姉上は長身の割に軽いな。もっと鍛えよ」
「妾は女だよ!」
これでも淑女にしてはかなりの力持ちです。
外見も筋肉モリモリだったなら、八尋のハートをガッチリ鷲掴みにできたかもしれません。
「都合のよい時だけ女性になるでない。さて、この破廉恥極まれぬ姉をどうしたものか……」
その時、宝利の腰に抱きついていた八尋が叫びました。
「宝利、伏せて!」
「なぬっ⁉」
黒衣の皇子は暴れる抄網媛を放り出し、床に転がりました。
もちろん身を挺して八尋を庇います。
バガアアアアァァァァンッ‼
長元坊の主砲を上回る轟音と共に、笹浦城がひっくり返りそうなほどの衝撃が。
「今度はなんだい⁉」
煙の中で転がっていた抄網媛が顔を上げると、天井の代わりに朝焼け空が見えました。
「屋根が……」
ありません。
「ヒラさん!」
朝焼け空を巨大なヒラシュモクザメが旋回していました。
どうやら尾ビレの一撃で、本丸の屋根を薙ぎ払ったようです。
「悪樓…………?」
呟く抄網媛。
「あれは生成りだ」
宝利が抄網媛の疑問に答えました。
「百五十メートルはあるであろうな。体重はおそらく一万トンといったところか」
「関安宅なみじゃないか!」
関安宅には装甲帯巡洋艦に相当する【べるてっどふりげえと】や防護巡洋艦に相当する【ぷろてくてっどふりげえと】などが存在しますが、弥祖ではそれら大型の関船を総称して【へびいふりげえと】と呼ばれています。
「いまのままでもじゅうぶん笹浦の街を壊滅させられるであろうが、八尋になにかあれば、あの和邇は本物の悪樓になり果てるぞ」
完全な悪樓になると飛べなくなりますが、同時に笹浦の街をスッポリ包む巨大な魔海が発生するでしょう。
「さすれば、おそらく全長五百メートル以上、体重は四十万トンを超えるであろうな」
世界最大級の石油タンカーにも匹敵する大質量です。
「もはや誰の手にも負えぬ……いや、いまでもじゅうぶん手に余るが」
「釣王はあんなのどうやって捕まえたんだよ……空飛んでるし」
「生成りとは、ああいうものらしい。さて姉上、たとえ吾輩を倒したとて、相手が白和邇に変わるだけであるぞ? あの和邇は八尋を大層可愛がっておるからな」
「そんな悪樓がいるのかい? 蕃神とはいえ、人と魚が親しむなんて……」
「そうでもないぞ? サメは案外餌づけが容易だ。吾輩も南海で鯖鱶と戯れた事がある」
鯖鱶はイタチザメの別名で、三メートルから五メートル以上にもなる獰猛な軟骨魚類です。
「はは……とんでもない連中に喧嘩売っちゃったなあ……」
抄網媛は立ち上がれませんでした。
腰が抜けていたのです。




