第四章・ベッドの上でお勉強しよう(意味深)・その九
急拵えのクーデターは防げたものの、肝心の時間稼ぎが途切れてしまいました。
八尋のミスが原因とはいえ、外堀が埋まってしまった感があります。
そこで遅延工作から説得に切り替える作戦に出ました。
「ねえ、ぼくそろそろ帰りたいんだけど……」
「いやでも蕃神様を誘拐しちゃった訳だし、もう後戻りはできないよ?」
抄網媛は迷っている風に見えますが、土壇場で保身を図るタイプではありません。
ただし根は悪い人ではなくとも、思考回路は悪党のそれに決まっています。
「ぼくも一緒に謝ってあげるからさ。きっと玉網さんが内々に処理してくれるよ」
皇族が蕃神を誘拐したなんて醜聞は、そうそう表沙汰にできるものではありません。
「そうかもしれないけどねえ……」
顔を合わせると、碧い左目と薄灰色の右目がグルグル回っているのに気づきました。
『あっ、まずい……始まっちゃったみたい』
クラスメイトに抱きしめられたり歩にセクハラされる時は、みんなこの症状を表します。
抄網媛の理性は狂気に負けて崩壊寸前。
八尋を押し倒したくて辛抱堪らなくなっているのです。
二人っきりのストックホルム症候群的な共同作業も、ここが正念場。
『あとちょっと……あとちょっとだから頑張って……』
さっきから砲声と衝撃音が絶えないので、もうすぐ宝利たちが助けにきてくれるはず。
それまでどうにかして時間を稼ぎたいのですが、誘拐犯にして協力者の抄網媛は、症状が末期まで進行してしまい、もはやアテになりそうにありません。
「ねえ八尋くん、やっぱり僕たち結婚しようよ」
ガバッと抱き竦められました。
「やだよ絶対やだ! クーデターはもうやらないんじゃなかったの⁉」
「だって可愛い上に頭もいいなんて最高じゃん!」
抄網媛は狂気への抵抗すら放棄しつつあります。
残された時間はあと僅か。
「ぜひお嫁さんにしたい!」
『美女のお嫁さんってなんだろう?』と思った八尋ですが、抄網媛はまるで気にしていないようです。
「ぼくお家に帰るーっ!」
「君に帰る場所はないよ?」
「仏法僧があるもん!」
「その仏法僧は醒州海軍に売却されるから、結局は僕のところに帰ってくるね」
「じゃあ翡翠! そのうち翡翠が戻ってくるから、ぼくは宝利や玉網さんと一緒に悪樓を釣るよ!」
抱きしめられたとはいえ、まだ押し倒されるまでには至っていません。
こんな状態でも、会話による遅延工作は僅かながらも有効なはず。
「そんなの僕のお嫁さんになってもできるじゃないか~。結婚しようよ~」
なんだか口調が風子みたいになってきました。
極めて危険な兆候です。
「だって抄網さんは女の子でしょ?」
切羽詰まって最後のカードを切る八尋。
自ら内堀を埋めるに等しい行為なので、できればもう少しあとに出したかったのですが……。
「いつわかった?」
拘束する腕の力が緩みました。
一瞬ふり解いて逃げるべきか迷いましたが、鈍足で土地勘もない八尋は、このまま会話を続行します。
「……お風呂場で。ひょっとしたら支夏さんも女の子だったのかなって思ったけど……」
見えたのは顔だけではなかったので、八尋は顔を真っ赤に染めて俯いてしまいました。
「目の色が左右逆だったから」
支夏命は右目が薄灰色で左目が碧。
抄網媛は左が碧で右が薄灰色。
「そんなのよく覚えてたね」
恥ずかしがる八尋の表情にキュンキュンしながら抄網媛は感心しました。
「二卵性双生児だけど見た目はそっくりだし、普段は鬘を被ってるから、いままで一度も見破られた事がなかったんだけどね。軍用車両の開発も支夏のフリしてやったものだし」
「なんで支夏さんを騙ったの? 抄網さんの権力じゃ駄目なの?」
おそらくは、この話題が最後の砦。
あとは宝利たちの一刻も早い到着を願うばかりです。
「醒州は皇家と違って父系父権だからね。特に州軍では女なんて見向きもされないよ」
「クーデターがどうのっていってたの、もしかしてそれが原因?」
「反乱? うんまあ、そうだね」
会話の内容を理知的な方向へと誘導され、かろうじて狂気の半歩手前で踏み留まる抄網媛。
「それに、ぼくなんかに求婚するなんて……ひょっとして、お父さんに政略結婚でも迫られたの?」
「うん、父上じゃなくて頭首の大叔父上だけどね」
「お父さんは反対しなかったの?」
「父上は一昨年に病気で亡くなったよ。婚約はまあ、支夏名義で魔海対策局行きを計画して誤魔化したけど……それも時間の問題かな?」
「相手はどんな人?」
「遠い親戚で嫌味なボンボン」
「うわあ……」
八尋の苦手なタイプです。
「妾の周りはそんな奴ばかりさ。男はもうウンザリだよ」
一人称が僕から妾に戻っていました。
「そっか。ぼくも同年代の男子が苦手だし、気持ちはわからなくもないよ」
経緯は真逆ですが、行きついた境地は似ている二人。
他人という気がしません。
「だから結婚しよう!」
「しまった藪蛇だ!」
また抱きしめられてしまいました。
「そもそもこの国って同性婚あるの⁉」
父系父権で男尊女卑のある醒州に、そんな制度が存在するとは思えません。
「大丈夫、表向きは支夏と結婚した事にするから」
「酷すぎる! 支夏さんの意思はどこ行ったの⁉」
同じ横暴な姉を持つ弟として同情を禁じえません。
「いいじゃないか~。三人で仲よく暮らそうよ~」
正確には『三人で仲よくベッドで子作りしようよ~』です。
「ぼくが嫌だよ! 男の人なんて絶対嫌だ!」
正確には『マッチョじゃない男の人は絶対嫌だ!』でした。
マッチョなら男性でもいいのか? という疑問はさておき。
「支夏さんはいいの⁉ 姉弟なのはともかく、抄網さんの嫌いな男性だよ⁉」
「妾と同じ顔だからね」
ベッドに押し倒されてモフモフされる八尋。
抄網媛の両目がさっきより早く回っています。
「それ絶対間違ってる!」
男嫌いの女好きでナルシストで思考回路は大悪党。
おまけに貞操観念が滅茶苦茶です。
「根はいい人なのに最悪だー⁉」
「本当は、なのりそ庵でこっそり内緒でじっくりゆっくり楽しみながら口説くつもりだったんだけど……」
「やっぱり全然いい人なんかじゃなかったー⁉」
目玉がグルグルする前から狙われていたようです。
誘拐事件がなければ、八尋の大切なものはとっくに奪われて、なのりそ庵の布団部屋で朝チュンしていたかもしれません。
「ほら、美少女誘拐って、なんだか浪漫を感じないかい?」
モフモフフニュフニュモニモニフカァ。
「全然感じない! それ犯罪だからーっ!」
胸のボリュームは歩や玉網媛ほどではありませんが、年上美女には違いありません。
その温もりで八尋の全身から力が抜けて行きました。
「助けて宝利ー!」
説得は失敗、会話による時間稼ぎも限界に達したようです。




