第四章・ベッドの上でお勉強しよう(意味深)・その四
魔海対策局所属の小早【霜降雀】は、醒州との領海線上で、州海軍との睨み合いを続けていました。
「おのれ兄上、どうあっても吾輩たちを近づけさせぬ気であるな」
宝利命は怒りのあまり、拳を震わせ漆黒の神気を撒き散らしていました。
玉網媛も暗黒オーラを漂わせています。
「州軍は誘拐の件を把握していないのでしょう」
「兄上が軍に嘘を伝えたと? ならば真相を教えてやればよいではないか」
「電信で伝えられるような内容ではありません」
第二皇子が蕃神を拐かしたなどと電波に乗せれば、国がひっくり返る大事に発展しかねないので、情報の伝達は慎重に行わなければなりません。
平文はもちろん暗号通信も信用できず、州海軍の司令官に直接会って伝える必要があるのですが、いまは睨み合いの真っ最中。
「醒州の艦隊はどちらの所属でしょうか?」
「第一戦隊だ。旗艦の【雪客】もおるぞ」
関安宅【雪客】は、醒州海軍でも最大級の排水量を誇る竜宮船です。
仏法僧や翡翠に比べれば低速ですが、攻撃力は同等、防御力では上回っています。
他にも多数の関船や小早が集結していて、旧式かつ非武装の霜降雀で強引に突破できるものではありません。
「わたくし自ら雪客に参って説得しましょう……あら?」
玉網媛の懐に収まっていた宝珠が震え出しました。
「こちらも我慢できなくなったようですね」
白い宝珠を宝利に手渡す玉網媛。
「司令との交渉は手間取るでしょう。戦闘は極力避け、くれぐれも死傷者を出さぬように」
「引き受けた。任せよ」
宝利が羅針艦橋から飛び出し、手にした宝珠を空に向けて投擲すると、たちまち真っ白なヒラシュモクザメに変化しました。
その全長は三十倍スケールの百五十メートル超。
黄緑色の光波を放つ、生成りと呼ばれる形態です。
「白和邇よ! 吾輩も乗せて参れ!」
全長百五十メートルのサメが霜降雀の周囲をぐるりと旋回し、後ろから追い抜きました。
「とぅおっ!」
神力で跳躍した宝利がヒラシュモクザメの背に乗り移ります。
「有難い! 吾輩を覚えておったか!」
サメは八尋が受けた恩と信頼を忘れていなかったようです。
「艦隊を突破して八尋の元へ急……いや、言葉は通じぬであったな」
八尋なら神楽杖を使わなくても会話できるかもしれませんが、蕃神ですらない宝利には、ただサメの背に便乗するしか選択肢がありません。
「しかし速い……」
ヒラシュモクザメの遊泳速度は平均三キロ程度といわれていますが、これは人間で例えるところの徒歩に相当するデータで、非常時なら軽く二~三倍は出せます。
ひょっとしたら、それ以上かもしれません。
実際、サメはあっという間に時速百キロを超え、宝利に当たる風が洒落にならない空気抵抗を生み出しました。
神力で障壁を張り、サメ肌にしがみつく宝利。
「馬鹿者! 真正面から突っ込む奴があるか!」
ヒラシュモクザメは醒州海軍の艦隊へと一直線に進んで行きます。
国境を越えて進入した以上、砲撃は免れえません。
たちまち速射砲と対空機銃の斉射を受け、銃弾がサメの楯鱗に当たって弾けました。
ただし黄緑色の光波に守られているのか、大したダメージはなさそうです。
「いわぬことではない! と……ぬおおおっ⁉」
ヒラシュモクザメが魚体を斜めにしたまま急降下を始め、あっという間に艦隊の中心まで飛び込んでしまいました。
サメは下降と上昇を繰り返す習性があるので、上下運動は得意なのです。
「俯角に潜りおった!」
軍用の竜宮船は海空両用なので、下面を攻撃できる火砲を持っていません。
小早や攻撃用の伝馬船なら対艦用の爆雷を装備していますが、急降下で時速百五十キロを突破したヒラシュモクザメに命中させるのは至難の業。
急速転進した雪客が艦を無理矢理傾けて主砲と副砲と補助砲を撃ってきますが、上下左右にうねりながら空を泳ぐサメに当たる訳がありません。
「賢い! さすがは釣王の眷属だ!」
そうこうしているうちに、湾内で操業中のイカ釣り漁船が放つ集魚灯の向こうに、街灯りが輪郭となって浮かび上がりました。
支夏たちの城がある笹浦の港街です。
「やはり白和邇は八尋の所在を存じておるようだな。されど……」
笹浦には第一戦隊を擁する大きな軍港と基地があります。
近くに醒州陸軍の駐屯地も存在するので、ここからは地上からの砲撃も覚悟しなければなりません。
「まあ、そう容易には当たらぬか」
後ろから醒州の小早が近づいてきました。
ヒラシュモクザメは尾ビレを一閃。
小早は辛くも回避して、砲撃を続けながら距離を離します。
「危うく死傷者を出すところであったぞ! 少しは落ち着け白和邇よ!」
サメは相当怒っているようです。




