断章・その三
「【蜂雀】が出航⁉」
巫女さん兼仲居さんの報告を受けた玉網媛は、執務室から飛び出しました。
蜂雀は醒州海軍所属で抄網媛が専用に使っている、最新型小早の艦名です。
「抄網は? 支夏は何処に⁉」
「姉上! 風呂場に八尋がおらぬ!」
玉網媛は危うく宝利命に激突するところでした。
「覗いたのですか⁉」
宝利に【潮表の湯】の入り口前で、八尋の入浴が済むまで待てと命じたのは玉網媛です。
「すまぬ。あまりに遅いので、湯当たりで溺れはせぬかと気が気ではなく……」
八尋はいまでこそ女の子ですが、中身は男の子なので、長風呂の可能性はないと判断しての突入でした。
「脱衣場に浴衣がなかった。露天風呂から直接外出したのであろう」
そして宝利の手には小さな香炉が。
「大石にこれがあった。八尋が用いたとは思えぬ」
甘松香は睡眠導入効果や鎮静作用を持つ生薬ですが、靴下の臭いと同じ成分を持っているので、ブレンドもせずにお香として焚くのはマニアックすぎます。
「まさか支夏が……?」
スキャンダラスな逸話の数々が、二人の脳裏を過ります。
「あの噂は真であったか!」
二人の背に黒い神気が立ち昇りました。
宝利の漆黒神気と玉網媛の暗黒オーラがせめぎ合います。
「至急【霜降雀】の出航準備を! 醒州に向かいます!」
霜降雀は魔海対策局が所有する旧式の小早で、排水量が三百二十重量トン、速力は時速六十五ノット(百二十キロ)。
六百五十トンで九十ノット(百六十六キロ)も出る新式の蜂雀とは比べものになりませんが、それでも玉網媛がいま使える最も足の速い竜宮船でした。
「吾輩も参るぞ」
「いざとなれば宝利の膂力のみが頼りです」
「うむ、任せろ」
宝利は異国の姫君を悪い大臣から救い出す恋物語で有名になってしまいましたが、ラブシーンの類は全てフィクションです。
「醒州軍など蹴散らしてくれるわ」
悪漢どもをぶちのめすところまではノンフィクションでした。
「そうでした、あの宝珠を持って行かないと」
玉網媛は執務室に戻って、卓上から大きな白い宝珠を拾い上げます。
「またなにか壊されては堪りませんからね」




