第三章・ピローファイト・その二
「ところで魔海って縮むんだね~」
風子は不思議そうに首を傾げていました。
「いってなかったっけ? ヌシでもいねぇ限り、中の悪樓が減ると小さくなるんだ」
「この前、玉網さんが説明してたよ?」
悪樓の大きさと数が魔海の規模に直接影響すると、八尋は先々週のブリーフィングで聞いた覚えがあります。
「そもそも魔海って、放っておいても数日から数週間で自然消滅しちまうんだぜ?」
「それは聞いてない」
玉網媛はレクチャーの途中で小早に乗って飛び出してしまい、引き継いだ歩が説明の肝心な部分を、あちこちすっ飛ばしたからです。
「そうだっけ? まあ、いいじゃねぇか、いま話したんだし」
「放っておいても消えるって……それじゃぼくたち、なんのために悪樓を釣ってるの?」
「宝珠の回収に決まってるだろ。竜宮船の動力に使われてるし、自動車や戦車にも必要だって、さっき宝利さんがいってたじゃねぇか」
「そっか。じゃあ今日みたいな小魚の宝珠は……」
「乗用車や自家用発電機なんかに使われるんだろうなぁ。実際に見た訳じゃねぇから知らねぇけど」
蕃神たちは平民に近づいたり会話したりしてはいけない規則になっているので、下艦しても、なのりそ庵から出られません。
「宝珠って、動力源なんかに使われて嫌じゃないのかな?」
「さぁな。いや、シュモクザメに聞けばわかるんじゃねぇか? この間まで玉髄の推進機関に組み込まれてたんだし」
「そういえば……」
神楽杖を通して共感した時の記憶を探る八尋。
「……夢を見てたような気がする」
「夢?」
「玉髄にいたって理解はしてたみたいだけど、その間は、昔の誰かと一緒に釣りをしてる夢を見てたような感じ……」
魚と人間では脳の構造が違うので、感覚や感情の共感はできても、記憶を完全な形で辿るのは難しく、どうしてもあやふやな表現になってしまいます。
そもそも夢の記憶なんて曖昧なもの。
それでもどうにか思い出せるのは、八尋とサメの関係が深い証拠でもありました。
「夢現って奴かなぁ?」
「あのサメは、弥祖皇国の初代女王である釣王が釣り上げた悪樓と伺っております。八尋様が拝見されたのは、おそらく神代の記憶でしょう」
脇に控えていた、女将さんモードの玉網媛が口を開きました。
真っ白で金糸銀糸を散りばめた小紋に襷をかけています。
「神代って……ヒラさんってお婆ちゃんだったの⁉」
若くないとは思っていましたが、神話の時代から生きていたとは驚きです。
「八百年も昔の話なので、記録があまり残っておりませんが……」
「実家の古文書で読んだ覚えがあります。あのサメは釣王の使いと見て相違ないかと」
玉網媛の隣で黙っていた抄網媛が代わりに答えました。
赤い小紋が雪のような白髪と相まって、とても縁起がよさそうです。
というか、姉妹が並ぶ姿は紅白饅頭のようでした。
「釣王、白き和邇を駆りて龍と相見えたり」
諳んじるほど読み込んでいるようです。
「龍の正体は、いまとなってはわかりませんが……」
「私は知りませんよそんな話!」
抄網媛の言葉に玉網媛は仰天しました。
ヒラシュモクザメの宝珠が釣王由来のものだったのは玉網媛も知っていましたが、それ以上の記録は皇家の文献にも存在しません。
「各国の古文書はすべて宮内省に写しがあるはず!」
「妾も姉上すら存ぜぬとは思いませなんだ。のちほど調査のうえ写本を作らせましょう」
「そうしてください。母上にもお聞きしないと……」
そのまま二人の媛君は、ゴニョゴニョと相談事を始めてしまいました。
「なんだか小難しい話になっちまったみてぇだな」
「そうだね……ぼく、まずい事言っちゃったかな?」
「まずかぁねぇだろ。実害のねぇ問題発覚はいい事だ」
「そっか……」
その時、八尋の背中に悪寒が走りました。
「……………………?」
玉網媛と会話している抄網媛の視線が、八尋に横目でじっくりねっとりと注がれています。
しかも釘づけ、いわゆるガン見です。
目が合うと、抄網媛はにっこりと微笑みました。
「あわあわあわあわあわわ……っ」
八尋はマッチョの次に年上美女が大好きです。
思わず真っ赤になって俯いてしまいました。
「こりゃ惚れられたかなぁ?」
茶化す歩。
「もうっ、揶揄わないでよ!」




