第二章・浦入物・その八
『小さいからぜんぜん疲れないけど、これ飽きるじゃん!』
『蟷螂の斧―? 糠に釘―? 暖簾に腕押しー? 豆腐に鎹―?』
『体力的にはともかく……精神にくるわ……』
『イワシのくせに、釣り上げるたびにドッカンドッカン落っこちるもんね……』
『おまけになんなの神力って。まあ足を貼りつかせるのは覚えたけどさ、空を飛べとか、こここの人たち結構無茶いうじゃん。女子高生をなんだと思ってるのよ』
『釣り研って、いつもこんな釣りやってるのかなー?』
磯鶴高校船釣り部の面々は、いつまでも終わらないトウゴロウイワシ釣りにウンザリしていました。
釣り研部員たちのインカムは通信制限機能で船釣り部への送信がカットされていますが、向こうの会話は八尋たちの耳に届いています。
「聞いててこっちまでウンザリしてくるよ」
ひたすら釣りに集中している莞子を除く三人分の愚痴は、八尋の聴覚と精神に延々《えんえん》とダメージを与え続けていました。
『もうっ、歩たちはなにやって……ああっ!』
釣り研究部がサメやカジキを投入したのを、莞子に発見されたようです。
『あいつら、まさか悪樓を食べる気じゃないでしょうね!』
確かに三十メートル以上のカジキや五十メートルを超えるヒラシュモクザメなら、最大十メートル程度の悪樓を食べるくらい造作もありません。
宝珠の魚に悪樓を飲み込ませ、甲板に引き上げてから魚だけを消せばいいのです。
『でも、さすがに数万尾は食べきれないはず……』
魔海の幻影をよく知らない莞子は、実際の悪樓の総数を把握できません。
『それに、食べさせたところで、どうやって引き上げるの?』
宝珠の魚とはいえ、あのサイズでは蕃神にとってもゴボウ抜きできる重量ではないはず。
悪樓だけなら玉網媛や抄網媛が祝詞で引き上げる手筈になっていますが、宝珠の魚は無理だと教わっています。
『まさか……⁉』
悪樓は釣り上げると宝珠に変わりますが、死ぬと中の宝珠ごと砕けて消えると聞いているので、莞子は歩が悪樓の捕獲ではなく虐殺を企てていると考えました。
『歩―っ! 私たちの仕事は宝珠の回収でしょ⁉ 殺してどーすんのよ!』
「わわっ⁉」
鼓膜に響くキンキン声に驚いて、慌てて耳からインカムを離す八尋。
『莞子、声おっきいよー』
『耳が……痛い……』
他の船釣り部員たちも文句をいいました。
「綱島さん、なにか勘違いしてるみたいだよ?」
「別にどう思われても構わねぇけどなぁ……」
歩はインカムの送信ダイヤルを切り替えて、船釣り部との回線を接続しました。
「おお莞子よ、まだ釣りが終わらないとは情けない……」
『だからって鏖にしていい訳ないでしょ!』
莞子は歩の挑発で、頭に血が上っていました。
「んな訳ねーだろ。俺ぁ魚を食いはしても、無駄な殺しはやらねぇ主義なんだ」
歩は大きく息を吸い込んで、怒鳴り散らしている莞子より、さらに大きな声で高らかに宣言します。
「俺たちゃいまから漁師に転職する‼ 手本を見せてやるから、あとでお前ぇらも参加しろ!」
『りょ、漁師ぃぃぃぃ――――っ⁉』
反転したサメやカジキたちの編隊が、仏法僧に向かって一直線にやってきます。
「そうそう、お前ぇら宝珠のエビどもを回収した方がいいぞ。巻き込まれるからなぁ」
『あんたなにする気⁉』
「追い込み漁だ!」
巨大な魚の編隊が、逃げるトウゴロウイワシの群れを一塊に纏めつつ仏法僧に迫ります。
『みんなエサを回収! 急いで!』
『わわっ!』『うわ……危ない……』『わひゃー!』
船釣り部員が大慌てでエビを宝珠に戻しているうちに、サメたちが悪樓の群れを追い立てながら仏法僧の真下を通過して、魔海の隅へと追い詰めます。
「仕掛けは上々、あとは仕上げを御覧じろだ!」
魔海の境界線から次々とトウゴロウイワシが飛び出して、じきに悪樓の滝と化しました。
落ちる先には本物の砂浜が広がっています。
大量のトウゴロウイワシ悪樓たちは、魔海から離れた直後に縮んで小魚になりました。
そして砂浜に突き刺さる寸前に宝珠へと変じ、土砂のように積み重なって山を作ります。
悪樓と一緒に泳いでいた幻の小魚たちは、魔海から飛び出す事なく消滅しました。
「そっか、ヒラメの時は大きかったから宝珠になるまで時間かかったけど、今度は小物だから……」
「魔海から出ると、すぐ宝珠になっちゃうんだね~」
宝珠の魚ではなく、自分の目で、なにが起きているか把握する稲庭姉弟。
これなら地面に激突したり、積み重なって圧死する心配はなさそうです。
「こっちも飛ぶぞ! 空中で宝珠に戻すのを忘れんな!」
軍用輸送機ほどもある巨大な魚たちが、魔海の縁から飛び出した瞬間、八尋はヒラシュモクザメに帰還をお願いしました。
「ヒラさん戻ってー!」
空中を舞うヒラシュモクザメが消失して、神楽杖にサメが帰ってくる感触がありました。
宝珠の色も黒から元の純白に戻っています。
『……………………』
十倍百倍のスケールで繰り広げられる漁業に、莞子は開いた口が塞がりません。
「どうだ莞子、お前ぇらもやるか?」
『……歩ぅぅぅぅーーーーっ!』
『私やるー!』『私もじゃん!』『釣り地獄より……いいよね……』
莞子以外の船釣り部員たちはやる気満々です。
『もうっ、やればいいんでしょ⁉ 私たちも参加するわよ!』
船釣り部員たちは神楽杖にイソマグロやオニカマスといった大型魚類の宝珠を装着し、次々と投入します。
すぐに釣り研究部の編隊に合流して、追い込み漁の規模が倍になりました。
こうなったら悪樓殲滅は時間の問題です。




