第二章・浦入物・その六
前檣楼の露天艦橋は、艦長さんのいる羅針艦橋に指示を出している宝利命と、見習い指揮官の支夏命がいるので使えません。
そこで釣り研一同は、後檣楼の屋上にある後部艦橋に移動する事になりました。
神力ジャンプで向かう三人を、八尋は徒歩で追いかけます。
船釣り部の邪魔にならないように艦内を道に迷いつつ走り、どうにか後部艦橋へと到達した頃には、すでに悪樓釣りが始まっていました。
『かかったわ!』
初ヒットは莞子が引き当てたようです。
インカムの受信ダイヤルを参加者全員に設定しているので、八尋たちにも莞子の声が聞こえますが、送信は歩の指示で釣り研部員のみに限定し、こちらの声は届きません。
「やっぱエビ系の宝珠を使ったみてぇだな。ありゃテナガエビか?」
テナガエビは淡水生の甲殻類ですが、汽水域にも棲息しているので、河口域に発生した魔海で採取された宝珠を使っているのでしょう。
ちなみにイタリア料理などに使われるアカザエビもテナガエビと呼ばれますが、こちらはザリガニの仲間で完全な別種です。
「あんなの使ったらハサミが取れるでしょうに」
小夜理も文句たらたらです。
鋏脚(小さいハサミを持つ第二歩脚)の長いテナガエビでは、悪樓に食いつかれると、あちこち取れてしまうでしょう。
「甲殻類の痛覚は共感しにくいからなぁ。それに怪我しても宝珠に戻せば復活するし」
宝珠から現れる魚介類は、生きてさえいれば、例え胴体が切断されても再利用できます。
「だが荒っぽいやり方は気に食わねぇ」
宝珠は中の魚介類が損傷するたびに力を消費し、限界を超えると黒く濁って数日ほど使えなくなり、致命傷を負うと宝珠が砕けて死んでしまうのです。
「シロエビ(サクラエビの仲間で体長五~八センチ)でも使えばいいのに……」
ベテラン釣り師たちは文句たらたら。
『小物にもほどがあるわね。ほいっ!』
莞子が神楽杖をピンと立てました。
ザバァンッ!
「うわっひゃああああああああっ!」
てっきり小魚だと思っていた莞子が、海面から飛び出した全長八メートルの悪樓にびっくり仰天しました。
巨大な魚が飛行甲板に激突して、船釣り部員全員が腰を抜かします。
「ぎゃははははははははっ! やると思ったぜ!」
歩は莞子たちの醜態に、お腹がよじれるほど大笑い。
「タモさんたちの説明聞いてなかったのかよ!」
一応聞いてはいたのでしょうが、理解はしていなかったようです。
「歩さん……あの魚、なに?」
イワシっぽい魚形をしていますが、八尋の知っているマイワシやカタクチイワシとは少し違うような気がします。
「トウゴロウイワシ。イワシと呼ばれちゃいるがボラの仲間だ」
ちなみにマイワシやカタクチイワシはニシン目の魚です。
「ボラってカラスミに使うアレ~?」
風子は食べる方に興味深々。
「堤防で釣れたら作ってよ~」
「ボラは南洋で産卵するから無理」
「残念~!」
「サバでも作れますよ。抱卵したのが釣れたら考えましょう」
「やた~!」
「それはそれとして、なんだかやばくない?」
「そうだな。あんな小物が魔海全域にいるとすりゃ、一日二日じゃ釣りきれねぇぞ」
蕃神は召喚から一日か二日で自動的に帰還してしまいます。
「最悪、帰ったその日にまた召喚、なんてのもありえるぞ……」
甲板では気を取り直した船釣り部員一同が、必死になって釣りを続行しています。
『なんで一尾づつしか釣れないのよ! この竿、欠陥品じゃないの⁉』
『宝珠って一度に一個ずつしか使えないじゃん』
『複数使えれば鈴生りできるのにー』
『この釣り……キリがないよ……』
大漁すぎる釣果に不安が生じたのか、船釣り部一同はヤケになって次々と悪樓を釣り上げていました。
サイズは五メートルから十メートルほど。
すでに一人あたり十尾以上のイワシを釣り上げていますが、他の魚種は見当たりません。
「どうやらこの魔海、トウゴロウイワシの群れしかいないようですね」
宝珠のエビを魔海に放り込んだ瞬間に食いつかれる、いわゆる入れ食い状態なのですが、釣っても釣っても尽きる気配がありません。
ゴールどころかスタート地点から一歩も動いていない気がします。
「でも、さすがだね。みんな初めてなのに、釣った魚を全部うまく甲板に落としてる」
「あいつらカツオの一本釣りで慣れてるからなぁ」
中でも莞子が最も早く神楽杖の扱いを覚えて、ゴボウ抜きにした瞬間にエビを宝珠に戻して、悪樓だけを甲板に落としていました。
トウゴロウイワシは水揚げ直後に小さくなって転がりますが、その魚はすぐ宝珠と化して木材の隙間に引っ掛かるので、甲板から転がり落ちる心配はなさそうです。
『ちょっと釣り研もそろそろ手伝いなさいよ! これじゃいつまで経っても終わらないじゃない!』
「さぁて、そろそろ俺たちの出番かな。八尋、ヒラシュモクザメの用意だ」
「ええっ⁉ あんなところに放り込んでも探知どころじゃないよ⁉」
中に入ったら、きっと魔海が碧く見えません。
悪樓が七分に海が三分といったところでしょう。
「いいから出せ。マキエと風子はこいつを使え」
歩はポーチから大型の宝珠を取り出しました。
ヒラシュモクザメの宝珠ほどの特大サイズではありませんが、緑がかった紺と銀の混ざった綺麗な宝珠です。
「今日は釣りはやめだ。もうちっと効率よく行こうぜ」
「歩さん、なに考えてるの……?」
小夜理を見ると、歩の考えを察したのか肩を竦めています。
「俺たちゃ漁師になるんだ」




