第二章・浦入物・その五
「宝利、抄網さんと支夏さんだけど……」
八尋はビクビクしながら宝利に質問しました。
「ああ、実は玉網姉の魔海対策局だけでなく、抄網姉の実家である世羅公爵領、醒州藩にも支局を設けて悪樓釣りを行う計画があるのだ」
近年に議会君主制へと移行した弥祖皇国ですが、廃藩置県は行われていないので、まだ貴族による藩制度が残っています。
「そっか、玉網さん忙しそうだったもんね」
前々回のように市街地での魔海発生でもない限り、必ずしも出動する必要はないのですが、玉網媛の探知能力と真面目さは桁外れで、ついつい艦の行動範囲いっぱいまで対応してしまうのです。
速力と航続距離のある関安宅を手に入れたのが、忙しくなった主な要因ですが、唯一召喚設備を持つ玉髄が航行不能なのは、不幸中の幸いでした。
そうでなければ玉髄を前線基地にして、仏法僧で毎日連日悪樓釣り、なんて超ウルトラブラック業態も冗談抜きでありえます。
「それだけではない。最近は技術革新で急激に宝珠の需要が伸びておるのだ。醒州は工業が盛んであるから、自前で宝珠を獲得したいとの申し出があってな」
「俺たちが釣ってる分だけじゃ、竜宮船を作るにゃ足りねぇのか?」
歩が会話に割り込みます。
「推進機関の小型化で、一般の水上船舶や自動車にも宝珠が使えるようになったのだ」
弥祖にもレシプロエンジンなどの内燃機関は存在しますが、あまり普及していません。
永久機関ともいえる宝珠があるのに、高価な燃料を使うのは馬鹿げているからです。
「民間はもとより、陸軍でも……自動車化部隊とか申したな。ともかく全国的に宝珠が欲しいとの要望が高まっておるらしい」
「自動車化部隊? 先代の蕃神が入れ知恵でもしたのかなぁ?」
歩が真っ先に思い浮かべたのは姉の由宇。
「姉上は戦車がどうとか申しておったな。火力であれば竜宮船で事足りるが、醒州陸軍は小回りの利く豆戦車なるものが欲しくなったらしい。それで第二皇女の抄網姉に白羽の矢が立ったという次第だ」
「他の皇族が参加するのって、皇位継承権がどうのっていってなかったっけ?」
歩と小夜理は何年も前から悪樓釣りに参加しているので、弥祖の事情は玉網媛からいろいろと教わっています。
「悪樓の釣果で次期女皇を決めたのは昔の話だ。抄網姉も承知の上で参加しておる」
「支夏さんは?」
「吾輩が余計な実績を作ってしもうたからな。皇子に現場指揮を任せる実験らしい」
昔の神官長は魔海対策局長を兼任するのが当たり前でしたが、近年は通信技術の発達と指揮系統や公的手続きの複雑化で、肉体的・精神的な負担が激増し、一人では難しくなってきていました。
誰とはいいませんが、局長兼神官長が過労と寝不足で現場を飛び出して、運通省に突撃してしまった前例もあります。
女皇の従兄で弥祖皇国首相を務める柑子寛輔が、かつて魔海対策局長として当時の神官長だった巻網媛とコンビを組んだ前例はありますが、宝利が現場で艦を指揮しながら蕃神たちのサポートを行ったのが首相に高く評価され、その有効性を支夏命で確認する事になったのです。
「あの体格で宝利の代わりなの⁉」
八尋は最初の召喚で、宝利に何度も命を救われたのを思い出しました。
荒れ狂う海に飛び込んだり、露天艦橋から飛び降りて、落ちる八尋を空中でキャッチしたり、街中で屋根の上を飛び回ったり……。
「あんなの真似したら支夏さん壊れちゃうよ⁉」
宝利に比べたら針金みたいなものです。
「いや、支夏兄はあれでなかなか機転が利くのだ。それに神気の探知も得意らしい。魔海の出現を予知するなど、玉網姉の役割を担うのやもしれぬ」
「それじゃ宝利さんの代わりってのと矛盾するなぁ」
「実際にやってみてから詳細を煮詰めるのではないでしょうか……うっぷ」
小夜理が冷静に分析します。
そして喋っているうちに船酔いが出て、慌てて口を押えました。
「なるほどぶっつけ本番か。いいんじゃね? 俺、そーゆーの好きだぜ?」
傾斜梯子を上って仏法僧の狭い飛行甲板に出ると、薄緑色に光る魔海が右舷いっぱいに広がっていました。
「うわあ……っ」
「いつ見ても綺麗だね~」
「此度の魔海は海岸沿いだ。下の海に暗礁はないが水深は浅い」
「砂浜か。底は砂だなこりゃ」
ハゼやシロギスやカレイが山ほどいそうです。
「魔海はどうなんだろ? 海底は?」
八尋は海底を持つ魔海しか見た事がないので、見せかけの水しかないケースはちょっとだけ興味があります。
「ちょいと探りを入れてみるか。マキエ……はダメか」
マキエこと小夜理はバケツを抱えてキラキラしています。
さっき飲んだ水筒のお茶をすべて吐き終えるまで、なにもできそうにありません。
歩は腰のホルスターから神楽杖を抜いて引き伸ばし、ポーチから宝珠を出して鈴生りのリール(?)に装着しました。
「よっと!」
歩が神楽杖を振ると、魚長十五メートルほどのイナダ(ブリの若魚)が飛び出して、光る魔海へと飛び込んで行きました。
突然の闖入者に驚いたのか、周囲の海面がザワッと粟立ちます。
「ナブラだ!」
「ナブラってなに~?」
「小魚の群れがフィッシュイーターに追われたりして、海面を波立たせる現象だ」
風子の疑問に歩が答えます。
「よく見えねぇけどイワシ系の悪樓かなぁ? こいつらが全部イワシだとしたら、ちょいと厄介だぜ……」
「本当にイワシだけでしょうか?」
胃の中身を空っぽにしたのか、小夜理が船酔いから復活していました。
「ああ。それらしい動きが見えねぇ」
サバ科やアジ科など魚食性の悪樓がいれば、イワシの群れを追って背ビレが見えたり、他の場所にもナブラが立ったりします。
「それと海底がねぇな。下の海面が見えるぜ」
「あとは魚種の絞り込みですね」
「それは私たちに任せてもらおうかしら?」
玉網媛たちのレクチャーが終わったのか、莞子たち船釣り部の面々が昇降口から続々と現れました。
「軍艦とはいえ、船釣りは私たちの領分よ。陸っぱり専門はそこで指を咥えて見てらっしゃい!」
莞子が歩を挑発します。
「いいぜ。どんどんやってくれ」
「…………へっ?」
歩の意外な譲歩に面食らう莞子。
「みんな行くぞ。艦橋から高みの見物だ」
イナダを宝珠に戻して神楽杖をホルスターに差す歩。
「船釣り部のお手並み拝見と行こうぜ」




