序章・その一
「い・な・ば・きゅーーーーんっ♡」
「誰か助けてー!」
期末試験が終わって翌日、金曜朝の始業前。
男児高校生の稲庭八尋は追われていました。
「これ学級日誌! 今日は私が日直なんだよー?」
「鍔黒さんはこの前抱きついたじゃない! 次の日直でいいよね⁉」
「次って夏休みのあとじゃんー! そんなに待てないよー!」
朝の教室で八尋に迫る女子高生は、転校初日に抱きついてきてパンデミックなパニックの発端となった鍔黒作江。
ある意味極めて危険な人物です。
「ほらほら怖くないよー? 痛くないよー?」
「姉ちゃんが変な事する時とおんなじ台詞だ!」
信じたらお終いです。
「俺に任せろ!」
農家か漁家出身なのか、図体の大きい屈強な男子生徒が現れました。
「高部くん⁉」
マッチョ大好きな八尋が一番に名前を覚えたクラスメイトです。
ガッ。
「えっ……なに?」
高部くんに両肩をガッチリ掴まれました。
「悪い稲庭、俺も日直なんだ」
「トラップだったー⁉」
八尋が転入して以来、一年A組には【稲庭くん七つの誓い】という鉄の掟が制定されていました。
第一条・稲庭くんをモフっていいのは一日一度、日直のみとする。
第二条・稲庭くんをモフっていいのは女子限定、男子は頭をなでるのみとする。
以下略。
盟約を破った者には死あるのみですが、日直だけは一日一分の限定つきでモフモフを許可されているのです。
いわばハグの分割払い。
八尋になんのメリットもないのが最大の特徴です。
「そのまま押さえてー。いま交代するからー」
作江が両手をワキワキさせながら近づいてきました。
鼻息は荒く、舌なめずりもしています。
「キャーッ!」
絹を裂くような悲鳴ですが、八尋は男の子です。
「捕ったどー!」
ついに変態女子高生に捕まってしまいました。
「誰か助けて! 歩さーん!」
「あらあらー、いつの間に彼女できちゃったのー? このお・ま・せ・さ・んー♡」
「彼女じゃないよ! 部活の釣り仲間だよ!」
「よかったまだフリーなんだー。じゃあ抱きしめていいよねー?」
「鍔黒さん、頭こっち向けて」
男子に許可されているのは頭ナデナデのみです。
「おっけー」
なでなでなでなでなでなでなでなで。
すりすりすりすりすりすりすりすり。
「やだ頭ハゲるーっ! あと締めすぎだよーっ!」
七つの誓いで制定されたモフりタイムは一分間。
非力な八尋には耐える以外の選択肢がありません。
「モゾモゾ暴れて可愛いー♡」
「やーん!」
その時、八尋の視界が歪みました。
「あっ、これって……」
どうやらお呼びがかかったようです。
「残り三十秒は後回しなのー⁉」
これなら一気に済ませてしまった方が遥かにマシでした。