エザク
「狼2周年御礼と外伝キャラ指名」での、寝子月様のご指名による外伝です。「二周年おめでとうございます! この度は外伝のキャラ指名権をいただけるとのこと、望外の喜びに打ち震えております(ぷるぷる 半日悩みましたが、わたくしがリクエストしますのは『ザイドモール家の人々』でお願いしたく。ルビアナフェル姫が嫁ぎ、レカンも去った後の人々の様子が知りたいです。書籍版では姫の近況が描かれていましたが、Web版ではこの先に関係者が再登場するとしてもしばらくかかりそうですので」というのが寝子月様からのメッセージでした。タイトルは「エザク」とさせていただきましたが、内容的にはリクエストにお応えできていると思います。それではどうぞお楽しみください。
1
「またみつかったのか」
「はい」
気のせいだろうか。領主ザンジカエル・ザイドモールの顔色が悪いような気がする。
金になるものがみつかったのだから、もっとうれしそうな顔をしてもよさそうなものだ。
もしかすると、ルビアナフェル姫からの便りに、よくない知らせでもあったのだろうか。エザク宛の手紙には、不幸や不安を感じさせるような内容は、かけらもなかったのだが。
「これで合計何本になる」
「千三本かと」
「千本を……超えたのか」
「はい」
「エザク。近くに寄れ」
「はい?」
「近くに寄れと言っておるのだ」
「は、はあ」
近くにといっても、今もエザクはザンジカエルのすぐ前にいる。正確にはザンジカエルが座る執務机のすぐ前にいる。部屋にはほかに誰もいない。屋敷のなかにいるのは、よく知った部下や使用人ばかりだ。そもそもこんな田舎で、誰の耳を心配するというのか。
それでもエザクは、主命のままに、机を回り込んでザンジカエルのそばに行った。
ザンジカエルは、手を口に寄せた。
ますます不審に思いながら、エザクは身をかがめた。
ザンジカエルは、エザクの耳元で、ひそやかな声を発した。
「チェイニー商店の店員が来た。〈森の槍〉の件で」
留守のあいだに商店の店員が来たことは知らなかった。エザクは魔獣の討伐と〈森の槍〉の捜索で館を離れていて、つい先ほど帰ったばかりなのだ。何のために、わざわざヴォーカから店員を派遣したのだろう。手紙ではすまないような用件だったのだろうか。
(まさか!)
まさか金を返せというのではないだろうか。返さなくていいという約束だったはずなのだが。
「あれの正体がわかったそうだ。聞いて驚くな。地竜トロンの体毛だそうだ」
「は?」
理解が追いつかず、エザクは混乱した。
「そして加工方法のめどがついたので、買い取り値段を上げるそうだ。とりあえず、今まで納品した分については、一本の値段がだな」
ザンジカエルの声が一段と低くなった。
「金貨五枚」
「はあああああっ?」
「大声を出すな」
「し、失礼しました。今、一本金貨五枚とおっしゃったのですか?」
「そうだ」
「し、しかし、しかし、今まで納めた本数は、ええと。二百二十本ですよ? ということは全部で、白金貨十一枚? ばかな」
白金貨など、エザクはみたこともない。一生みることもないだろうと思っていた。
「今までに受け取った金額が金貨二枚。差額が白金貨十枚と金貨九十八枚。そのうち白金貨五枚をチェイニー商店は届けてきたのだ」
エザクは呆然と立ちつくし、返事をすることも忘れている。
2
〈森の槍〉がみつかったのは、王国暦一一六年の初頭だった。
人食い銀狼が出没して領地を荒らしたので、エザクが兵士たちを率いて討伐に向かった。
こんなときレカンがいてくれれば心強かったのだが、レカンは前年の暮れに旅立ってしまった。
それでもレカンが兵士たちを鍛えてくれていたおかげで、ぶざまな戦いをせずにすんだし、死者も出ずにすんだ。
追いかけて追いかけて北東に進み、ついにとどめを差すことができたのだが、そこはもう〈大森林〉のなかだった。ザイドモール領からまっすぐ北上すると、〈断崖〉があり、そこがザカ王国と〈大森林〉の境界となっているが、そこから東のほうに進むと、〈断崖〉が一部なだらかな斜面になっている場所があり、ここからなら歩いて〈大森林〉に入ることができる。
生えている木がちがうので、そこが〈大森林〉なのだということは明らかだ。みれば巨大な木々がへし折れ、つぶされている。まるで小山ほどもある巨岩が、そのあたりを転げ回ったあとのようだ。
エザクは驚愕した。
どうみても自然にできたものではない。何かがこれをやったのだ。
これをなしたものは、どれほど巨大で強大であることか。
これをなしたものに遭遇したら、千人の兵士がいても太刀打ちできない。
ただちに引き上げようとして、あるものが目についた。
槍が岩に深々と突き刺さっている。
いや。槍にしては大きすぎるし、太すぎる。それに、よくみると人の手で作ったもののようにみえない。まるで、とげ鼠のとげを万倍にも大きくしたかのような質感だ。
よくみると、そこらあたりに何本も同じ物が突き刺さっている。
岩に刺さった槍は抜けなかったが、地や樹木に刺さった槍を三本回収して帰還した。
領主ザンジカエルに報告したところ、槍を〈森の槍〉、その不可思議な何かを〈森の主〉と呼ぶことになった。
それからしばらくして、財のやり繰りに悩むザンジカエルが、ふと思いついた。
〈森の槍〉を売ることはできないだろうか。
異常に硬いので、何か武器などに加工できるかもしれない。
どこに売ればいいかと考えたが、近くには適当な相手がいない。
最近ヴォーカが発展していると聞いている。ザンジカエルはヴォーカ領主に手紙を書いて、森でみつけた正体不明の魔獣の角のようなものを売りたいが、適当な売り先を紹介してもらえないかと頼んだ。
そこで紹介されたのがチェイニー商店だ。
ザンジカエルはエザクに命じて、〈森の槍〉をさらに集めさせ、計二十本をチェイニー商店に届けた。エザクが兵士を率いて荷馬車で運んだのである。
驚いたことに、チェイニーは一本に大銀貨一枚の値を付けた。二十本で金貨二枚である。今のところ正体がわからず、何に使えるかも見当がつかないが、非常に珍しく有望な素材なので、取りあえず買い取って使い道を考えるとのことだった。もしも高く売れるようなら追加の支払いはするが、売れなくても支払った金は返却を求めない、ただし納品したものの返却には応じられない、ということだった。
ザンジカエルは喜んだ。運搬代のもとが取れたばかりか、なかなかの収入である。
「エザクよ。〈森の槍〉を探してくれんか」
「はっ」
〈森の主〉に遭遇するかもしれないという恐怖を、金貨の魅力が忘れさせた。
探してみると、あきれるほど多くの〈森の槍〉がみつかった。
何度も荷馬車がヴォーカに向かった。ザンジカエルは、〈森の槍〉が五十本積める大型で頑丈な荷馬車を新調した。屋根などなくてよく、雨ざらしの荷台に載せ、縄でくくりつけるのだから、荷車はそれほど高価なものではない。
売却代金は、ザイドモール領を潤した。各商店へのつけもすっかり払った。兵士たちの装備も調えられた。薬や食料も備蓄できた。ユフに住むルビアナフェルに贈り物を送ることもできるようになった。ルビアナフェル姫からは時々に手紙や贈り物が届いていたが、返礼の余裕はあまりなかったのだ。
そんなときに、夢のような大金が得られることになったわけである。
3
「支払いはいったんここで休止したいとのことだ。売り物になるめどが立ったといっても、まだ売れているわけではないから、当然のことだろう。実際に売れてから、残りの金は払うそうだ。そして、今後納品するものについては、売り上げに応じてこちらへの支払い金額を決めたいということだったので、同意した。納品はゆっくり進めてほしいとのことだ」
それはそうだろう。地竜トロンの素材となれば、確かに希少にちがいないが、一度に大量に売れば値段は下がる。たぶん金貨五枚という値段は、今後下がることはあっても上がることはない。
「エザクよ。この喜びを皆と分かち合いたい。何日か後に、屋敷の者すべてで豪華な晩餐を楽しもうではないか。そして全員に一時金を支給しようと思うが、どうかな」
驚きから覚めたエザクは、冷静に主人の言葉を検討した。
「領主様。そのような大盤振る舞いをする理由を、どのように説明なさいますか」
「うん? もちろん、わが領地から宝の山がみつかった祝いだが」
「それをすると、〈森の槍〉が高値で売れることを、皆が知ってしまいます。それは町の評判となり、心得のよくない者たちの欲心をあおりはしないでしょうか」
「わが領民のうちにか?」
「そうは申しませんが、近隣の盗賊が噂を聞きつけましょう。また、よその領の者が勝手に〈森の槍〉を取りにくるでしょう。さらにいえば、この館に大金があると思われれば、いろいろなもめごとが起きるかもしれません」
「ふむ。だがわしは、皆に何かの形で報いたい」
「そのお心を、まことにありがたく存じます。では、こうしたらどうでしょうか。ルビアナフェル姫様がユフで〈癒しの巫女〉となられたことを公表し、その祝いとして晩餐会を開くのです」
「公表するか。そうだな。あれが〈浄化〉を発現したことは、お前と侍女頭のグリアにしか教えていなかったが、何しろルビアナフェルは、次期ユフ侯爵の正妃なのだからな。公表したからといって、害する者などあるまい。こんな辺鄙な場所で公表しても、王国の中心部には噂も届くまいしな。よし。それがよい。そうしよう」
「一時金については支給をみあわせ、少しずつ皆の待遇をよくしていかれてはどうでしょうか。一度に大金を使えば、金の出どころをいぶかしむ者がいると思います」
「なるほどな。少しずつか。確かにそうだ。少し舞い上がっておったようだな。エザクよ、よく申してくれた」
「恐れ入ります」
「荷馬車を堅固に作り直させようと思っておったが、それもやらんほうがいいか」
「そう、ですね。高価なものを運んでいると誰にも思わせないことが、一番かもしれません。今の荷馬車はちょっとみると木材を運んでいるようにしかみえませんから」
「そうだな。金の使い道は、ほかにいくらでもある。エザクよ、晩餐会について、料理人頭のモルダと相談しておいてくれ」
「はい」
「気取った料理でなくてよい。皆平服でよい。ざっくばらんな場で、うまいものを腹一杯食すのだ。飲み物もふんだんに準備してくれ」
「はい。わかりました」
「晩餐会が終わったら、王都に行ってもらいたい」
「王都に?」
「そうだ。その前にヴォーカに寄り、ヴォーカ領主クリムス・ウルバン殿に、わしの手紙と贈り物を届けてもらう。そしてチェイニー商店で、お前の鎧を新調するのだ。そのことはもうチェイニー商店に頼んである。支払いもすませてある」
「なぜ、そのような」
「そして王都に行き、騎士叙任を受けるのだ」
王都で騎士叙任を受けるということは、勅任騎士になるということである。騎士には、勅任騎士と諸侯騎士と貴族騎士がある。本当の意味での騎士は勅任騎士だけだが、今どき地方貴族に仕える騎士が勅任騎士になることは珍しい。大貴族であっても、領主家の跡継ぎや、序列の高い騎士はともかく、臣下の騎士のほとんどは自前で叙任しているはずだ。勅任騎士への叙任には金がかかるし、勅任騎士は貴族となるので、それ相応の扱いをしなくてはならない。
「わ、私を勅任騎士に」
「そうだ。お前はそれだけの働きをしてくれている。これからもよろしく頼むぞ」
「領主、様」
「ただし領地を与えるのは、まだ少し先だ。館を建てるのもな。当分お前には、わしのそばにおってもらわねばならん」
「は、はい」
「随行を十人選べ。見聞を広める旅となろう。その十人は、やがてこの領地を背負って立つ。そのつもりで心して選べ」
「はい。承りました」
「王都では、ガスコエルを訪ねてもらわねばならん」
ガスコエルはザンジカエルの長男である。現在は王都騎士団で騎士見習いをしている。
「近々ガスコエルは正騎士に叙任される。そのために金がいる。また、騎士になれば従卒もつくから、その面倒もみなくてはならん。今まではろくに仕送りもしてやれなんだから、手元不如意であろう。これで肩身の狭い思いをさせずにすむ」
ガスコエルの騎士叙任のために、ザンジカエルがこつこつと貯金していることは察していた。だが、体面を保つ最低限の金額しか用意できていないのだろうとも察していた。そうした心配がまったくなくなったのは、今のザンジカエルの晴れ晴れとした顔をみれば明らかだ。
「そのあと王都で贈り物を買い求め、ユフに行ってもらう。もちろん十人の随行もだ」
「ユフに、私が」
「そうだ。わしの名代として、わしの親書を持ってな」
ユフ侯爵は、ザカ王国でも特別な位置にある諸侯だ。なにしろ、ユフ神聖王国の王の末裔なのだ。
まるで身分の違う相手だが、後嗣の正妃の父の名代となれば、いわば対等の立場で相まみえることになる。
その場面を思い描いて、エザクは身震いした。
こうして騎士エザクは旅立つことになった。
エザクは旅の途中でレカンとの再会を果たす。その邂逅はレカンを新たな冒険にいざなうのである。