ボウド
たつの様のご指名によるボウドのお話です。
1
またこいつか、とレカンは思った。
このおそろしく頑丈そうな冒険者と遭遇するのは三度目だ。
あまり戦いたい相手ではない。何となくだが、ひどく相性が悪い気がする。
そんなことをレカンが考えていると、相手のほうから声をかけてきた。
「また、あんたか。ぐはは。今度こそ殺り合うようになっちまったのう」
「ああ」
「わしはボウド。あんたは?」
「レカン」
「いい名だ。殺すのが惜しいわい」
挑発かと思ったが、どうもそうでもない。たぶんだが、このボウドというやつは策略や韜晦とはほど遠い性格をしている。そして真の強者だ。
うれしそうな顔をしている。強敵と戦える予感に高揚しているのだ。その顔をみているうちに、レカンの口元にも、ごくかすかな笑みが浮かんだ。
レカンはあまり対人戦が好きではない。人間はもろすぎるからだ。全力を何度もぶつけなければならない強大な魔獣のほうが、倒したときの喜びは大きい。
しかしどういうわけか、周りの冒険者たちからは対人戦が得意だと思われている。確かに乱戦となれば、レカンは〈立体知覚〉という特殊能力と、持ち前の俊敏さと機動力を生かして、うまく立ち回ることができる。〈冒険者殺し〉などというひどいあだ名で呼ばれることもある。だから、この代表戦に選ばれたのだろう。
2
ここは、〈オリゲスト迷宮〉最下層のボス部屋の前だ。このなかにいる多頭鱗獅子は手ごわい魔獣だが、ここまでやって来ることができたパーティーなら倒せない相手ではない。
レカンたちのパーティーがここにたどり着いたとき、ボス部屋の前では八人の冒険者たちが休憩していた。
レカンたちのパーティーも八人で、リーダーはタンドロという名の剣士だ。タンドロとは今までにも何度か一緒に戦ったことがあり、なぜかレカンのことを〈兄貴〉と呼んで持ち上げる。ほかの六人は知らない男たちだったが、タンドロがリーダーをしているというので、このパーティーに参加することに同意した。
レカンの条件は、多頭鱗獅子の魔石だ。だから、ここに来るまで得たものは何一つもらっていない。
ちなみにタンドロは、この辺りの領主から依頼されて、多頭鱗獅子の毛皮を手に入れるために迷宮に入った。途中でレカンに出会い、パーティー参加を申し入れてきた。レカンのほうはといえば、一緒にこの迷宮に入った男が油断から死んでしまったので、引き返すかどうか迷っていたところだった。さすがのレカンも、一人でこの迷宮のボスを倒すのは厳しい。
「おや、リッキー。これからボス戦かい」
タンドロが声をかけると、休憩していた男たちの一人が返事をした。
「タンドロじゃないか。いや。ちょっとここまでに無理を重ねちまったんでな。もう少し休むよ。どうぞ先に入ってくれ」
(おいおい。ずいぶんあからさまだな)
多頭鱗獅子は倒すと四十日間出現しない。まさか四十日間もボス部屋の外で待つわけがない。もちろんこの男たちは、こちらのパーティーが多頭鱗獅子を倒して出てきたところを襲うつもりなのだ。
レカンのようにあちこちの迷宮を踏破して回る冒険者は少ない。タンドロもリッキーも、この迷宮には何度も足を運んでいるはずだ。当然、ボスが復活するのに四十日かかることはよく知っているはずだ。
「いやいや。あとから来てそんな失礼なことはできないよ。俺たちが外で待つから、あんたたちが行けよ」
二人はしばらく譲り合った。その結果、代表戦を行って勝ったほうが先にボス部屋に入る権利を得るという結論に落ち着いた。
タンドロは自分たちの代表としてレカンを指名した。相手のパーティーが指名したのは、大柄で筋肉質な男だ。身長はほとんどレカンと同じほどあり、肩幅や胸の厚みはレカンにまさっている。
「よう」
声をかけられたとき、以前にも二度会った男だと思い出した。
3
一度目は、魔竜バリフォアを倒した帰りだった。迷宮最下層から一つ上の階層に上がったところで襲われた。レカンのいたパーティーは四十二人いたが、バリフォアとの戦闘で八人が死んだので、そのときは三十四人に減っていた。襲撃者たちは五十人以上いた。
レカンはただちに逃走を選んだ。こういう手合いは相手を捕らえて〈収納〉から狙ったものを取り出させるための手口を心得ているものであり、捕まればひどい目に遭わされる。勝ってもたぶんあまりうまみはない。何より、襲撃者を撃退したときの分け前や報酬について、レカンのパーティーでは取り決めをしていない。襲撃者の持ち物を手に入れたとしても、ろくなことにならない。寄せ集めのパーティーなのだから、それはしかたがない。
敵のあいだをすり抜けて一気に上層への上がり口に走った。何発か被弾したが、委細構わず走り抜けた。
そのとき、敵の後ろで戦闘にも参加せずじっと立っているその男をみた。
その男のほうでもレカンをみた。
(こいつが参戦していたら、無事ではすまなかったな)
そう思いながら上層に駆け上り、迷宮を出た。分け前として受け取ったバリフォアの魔石が〈収納〉に入っていた。
二度目に遭ったのは、別の迷宮の最下層だ。
レカンたち六人が主の部屋に近づいたとき、なかから四人の冒険者が出てきた。四人ともぼろぼろで血だらけだ。
そのときレカンがいたパーティーのリーダーはジッターという、目端の利き過ぎる男だった。
ジッターは相棒のロギスに目配せをした。
(やる気だな)
そうレカンは思った。ジッターとロギスは四人の冒険者に襲いかかる。いや応なしに戦闘となり、レカンたちも巻き込まれずにはすまない。
そう考える気持ちもわからないではない。この四人が主の部屋から出てきたということは、主は討伐されたということであり、五日間復活しない。せっかく十日もかけて最下層まで下りてきたのに、主と戦えないというのでは都合が悪い。
「やめておけ。オレは手伝わんぞ」
レカンがそう言ったので、ジッターは踏み出しかけた足を止め、もう一度値踏みを始めた。そしてすぐに諦めた。あとの三人はどうにかなるが、四人目の大男が難物だ。レカンの助けなしには勝てない。
「迷宮踏破、おめでとうさ〜ん。主は倒したんだよな」
人のよさそうな笑みを浮かべてジッターが先頭を歩く男に聞いた。
「ああ」
男は答えた。歩きながら、油断なく目配りをしている。
大男は最後尾を歩いた。
横を通り過ぎるとき、大男がレカンをちらりとみた。そのときレカンは、この大男が、バリフォアを倒したときに会った男だと気づいたのである。
4
ボウドの武器は、巨大な鉈だ。材質はわからないが、魔力がこもっている。まともに受けたら一撃で勝負が決まってしまうだろう。対するレカンの剣は長年愛用してきた剣で、使い心地は最高だが、とてもあの鉈とまともに打ち合わせるわけにはいかない。
(すごい威圧感だな)
背筋がぞくぞくする。人間相手にこんな感覚を味わうのはどれくらいぶりだろうか。
二人は静かに対峙している。
何しろ空間が狭い。しかも二人の後ろにはそれぞれのパーティーメンバーがいる。
こういう場合、代表戦で物事を決めるというのはよくあることだ。ただし、後ろに控えているメンバーが絶対に手を出さないという保証はない。うかつに敵のメンバーに隙をみせれば後ろから斬られる。代表戦に出るのは多くの場合、そのパーティーの最強メンバーであり、その最強の敵を倒してしまえば、相手のパーティーを全滅させることができる。
戦いはいきなり始まった。
レカンが一瞬で間合いを詰め、斬り付けたのだ。レカンほど大柄な冒険者がこれほど速く動けるとは誰も思わない。案の定ボウドも反応できなかった。
レカンの剣は、ボウドの左肩口に激しくたたきつけられた。
それは確かにボウドの肩を覆う鎧を切り裂き、肉体に達した。
達したのだが、わずかに食い込んだだけで、大きく斬り裂くことはできなかった。
(ちっ。〈硬化〉のスキルか)
レカンの渾身の斬撃をこんな浅手ですませたのだから、鎧も頑丈だし、〈硬化〉の練り込みもすさまじい。そしてボウドそのものがおそろしく頑健だ。
ぶうん、と音を立ててボウドの鉈が迫る。対応できない速度ではないが、とにかくとてつもない威力がこもっている。
レカンは、ボウドの振る鉈をかわしながら後ろに下がっていった。
「あ、兄貴。あんまり下がらないでくれ」
タンドロがそう言うのも無理はない。ボス部屋前の空間は狭く、戦う二人とみまもるパーティーメンバーのあいだにそう距離はない。
レカンはタンドロの言葉を無視して、小刻みに後ろに下がり続ける。それを追うようにボウドが大きな鉈を振りおろし続ける。紙一重の距離で鉈をかわしながらレカンが下がる。
そしてひときわ大きく後ろに下がった。
それにつられてボウドも右腕を伸ばして鉈を振りおろした。
振りおろしきったその右手をレカンの剣が打ち据える。
「むっ!」
ボウドが顔をしかめた。
(入った! 今の一撃はまともに入った。〈硬化〉をかけてなかったな)
そしてボウドの右手から鉈が落ちる。
レカンは素早く剣を振り上げ、大きく踏み込んでボウドの頭上に振りおろした。
ボウドは逃げようとも防ごうともせず、左手のこぶしを突き込んできた。
レカンの剣はボウドの脳天を直撃した。剣は革の兜を埋め込まれた金属ごと断ち切ったが、深々と頭蓋骨を斬り割るにはいたらなかった。
ボウドの左こぶしはレカンの左脇腹に食い込んだ。だがそこは、物理防御にも魔法防御にもすぐれた〈貴王熊〉の外套で守られており、その下にまとう革鎧も希少で高性能な品だ。素手の攻撃など、何ほどのこともない。
レカンは大きく後ろに吹き飛ばされた。これには驚いたが、威力があるからといって破壊力があるとはいえない。
ところがパーティー仲間たちをなぎ倒して吹き飛ばされながら、レカンは自分の体に異常なダメージが入っているのに気づいた。
内臓はずたずただ。骨も砕けている。このままでは死ぬ。いや、今まさに死にかかっている。
「〈風よ!〉」
「うわっ」
「うわわっ」
魔力を振り絞ってパーティー仲間を前方に吹き飛ばした。
飛んでくる冒険者をボウドが払いのけているあいだに、レカンは剣を左手に持ち替え、〈収納〉から上級治癒薬を取り出して飲んだ。
(くそっ)
(とんだ散財だ)
上級治癒薬は高い。一個一個が一財産だ。しかも、作れる薬師は少なく、なかなか売ってもらえない。レカンは七個の上級治癒薬を持っているが、これを作った薬師は老齢で死んでしまったので、次の薬を手に入れるあてはない。中級治癒薬なら自分で作れるのだが、命に関わるような傷は、上級治癒薬でなければ治せない。
ボウドが突進してくる。
レカンはひらりと跳び上がり、天井を蹴って前方に駆け抜けた。
ボウドはさらに突進して壁に突き当たり、そこで振り返って再び突進を始めた。
レカンの目の前には敵のパーティーである八人の冒険者が立っている。
「うおっ」
「く、来るなっ」
レカンは敵の冒険者たちの頭上を跳び越えつつ、後ろに向かって三発の〈閃光弾〉を投げた。
〈閃光弾〉は、魔石に〈閃光〉と〈爆発〉の効果を付与した品だ。三発ともボウドに命中した。普通の冒険者なら、それだけでも致命的なはずだが、たぶんボウドには効かない。ただし、一発は顔に命中した。
「ぐっ」
強烈な閃光を浴びたボウドは、一時的に視力を失った。もちろんボウドほどの冒険者なら、状態異常を取り去る装備ぐらいは着けているだろう。それでもわずかな時間は稼げる。
「ぐえっ」
「ぎゃっ」
案の定ボウドはレカンをみうしない、仲間の冒険者たちに突っ込んだ。
レカンは敵のパーティーメンバーのあいだをすり抜けて壁際まで走ると、〈突風〉の力を借りて、壁を走り上がり、天井を逆走してボウドの頭上を通り抜けた。
ボウドは仲間を蹴散らして走り、壁に激突した。
ぶんぶんと頭を左右に振って振り返ったボウドの目は、確かにレカンを捉えていた。もう視力は正常に戻ったようだ。頭からは大量の血が流れ出ている。
立ち止まってそれをながめるレカンは、もう落ち着いていた。
5
この相手との戦い方はもうわかった。
一定の距離を取って相手の攻撃をかわしながら、隙をついて攻撃を入れればいいのだ。ボウドの〈硬化〉は非常に強力だし、ごく短い時間で行使できるようだが、たぶん強力なぶん長続きしない。だから、〈硬化〉が切れているときにダメージを入れていけばいいのだ。
攻撃は、絶対に体に受けてはならない。あれはたぶん〈衝撃貫通〉だ。もしかしたら〈剛力〉も持っているのかもしれない。今までにも〈衝撃貫通〉を持った冒険者とは戦ったことがあるが、ボウドの攻撃は信じられないほどの破壊力がある。まともにくらったら、〈貴王熊〉の外套と鎧ごしでも致命的な損傷を受けてしまう。
ボウドも立ち止まってレカンをにらみつけている。
決着をつけようと、ボウドが一歩を歩み出したとき、それは起こった。
レカンのパーティーの一人が、倒れて膝をついている相手のパーティーメンバーに斬り付けたのだ。今なら自分たちが有利だと思ったのだろう。ところがその男は、相手の別のパーティーメンバーに攻撃を防がれ、そこから乱戦が始まってしまった。
レカンとボウドは戦いを再開するタイミングを失ってしまい、立ち尽くしている。やがて両方のパーティーメンバーは、お互いに傷つきつかれてへたりこんでしまった。
「おい、レカン」
ボウドが話しかけてきた。
「何だ」
「行こうか」
ボウドはボスの部屋をちらりとみて言った。
二人でボスに挑戦しようというのだ。
(ボウドが多頭鱗獅子の攻撃を食い止めてくれれば)
(倒すのは難しくないな)
「ふむ。魔石はオレがもらうぞ」
「お。〈自動修復〉か」
「ああ」
〈貴王熊〉の外套には〈自動修復〉の付与が施してある。愛剣にも〈自動修復〉を付けたい。多頭鱗獅子の魔石を持っていって金を積めば、付与師は〈自動修復〉を付けてくれる。
「わしは毛皮をもらおう。爪と牙と内臓と肉は山分けだ」
「よかろう」
二人はボスが待つ穴に進んだ。
「これを飲め」
「うん? お、魔法薬か?」
ボウドはレカンが差し出した中級治癒薬を飲んだ。たちまち頭の出血が止まり、傷が癒えてゆく。
「お、こりゃ、すごい。高かったろう」
「オレが自分で作った」
「なに? うはは。あんたといれば、いつもこれが使えるのか」
「次からは金を取るぞ」
「うははははは。いいとも、いいとも。さて、入るぞ」
「ああ」
この日から二年にわたって二人は冒険をともにし、そして一緒に〈黒穴〉に飛び込むことになる。